この十年認知症ケアの最前線で革命的変化が起きた。よりよいアセスメントの方法、前向きなケアプランの作成、豊かで多様なアクティビティ、人々のニーズへの関心、特別に配慮された物理的環境などである。
しかしこの改善の効果は天井につきあったっている。それはスタッフの会話能力が低く、前向きな相互行為(positive interaction)が2分以下しか続かないためである。次のようなお決まりの会話がなされる。
「こんにちは、ジャネットさん、お元気ですか」
「ええ、ありがとう」
「もうすぐ昼食ですよ。またその時に会いましょうね」
悪性の社会心理が全く見られない場合でも、その人に力を与え続ける言葉はなく5つの心理的ニーズ(①安心comfort ②絆attachment ③アイデンティティ ④共にいることinclusion ➄主体的活動occupation)も表面的にみられるだけである。
課題は、相互行為の質の改善であり、前向きな働きかけ(ポジティブ・パーソン・ワーク)である。
⑴相互行為の性質 the nature of interaction
相互行為とは、単に合図に反応することではなく、他人が伝える意味を理解することである。それは内省、予想、期待、創造性を含む。
Aがある要望、期待、意図をもって行動するとBはAの行動を解釈して応える。するとAはBの応答を解釈して内省する。このような相互行為のなかで人を卑しめ無視することが意識せずに起きている。‘無条件の肯定的配慮(free attention)’をお互いに与える事ができる人はまれである。多くの人びとは「我―それ」モードの相互行為の牢獄の中に暮らしている。認知症ケアの悪性の社会心理は、日常生活の「普通の」社会心理の誇張された恥ずべき形なのである。こういった日常の社会心理がもつ悪性の効果は、身の回りの環境から自然に発生する低水準の放射能効果に例えることができる。
⑵前向きな働きかけ(ポジテイブ・パーソン・ワーク)
質の高い認知症ケアを注意深く観察すると、前向きな感情を強めたり、能力を育んだり、精神的な傷を癒すことでパーソンフッドを高めている。相互行為の質はイギリスの日常生活の質よりも温かく感情豊かである。思い出話をする、散歩に行く、食事をとるなどがひもに通したビーズのように、たいていは異なったタイプの短い相互行為が連続することで構成されている。
12種類の異なる前向きな相互行為
1 認めること:recognition
認知症の人が人として認められ、名前で呼ばれ、かけがえのない存在として肯定されること。挨拶の仕方、長時間注意深く話を聴く(多分その人の若い頃のことを語る)ときに達成されるだろう。認めることには言葉を使う必要は全くない。その人を認めるための最も深遠な行為のひとつは単にまなざしをかわすことである。
2 交渉:negotiation
認知症の人を他人の都合に従わせるのではなく、本人の好み、望み、ニーズをきくことである。本人が起きたいと思っているか、食事をしたいと思っているかどうか、外出したいかどうかといった日常のことについて多くの交渉が行われる。認知症の人を脅かす不安と心配、彼らが情報を扱うゆっくりとした速さを考慮することである。
3 共同:collaboration
明確な目的のために役割を共有し協力し一緒に仕事をすること。例えば家事仕事を一緒にする、服を着る、入浴、トイレなど身の回りの世話をすることである。共同の特徴は手伝ってあげることではない。認知症の人の自発性と能力が関わるひとつの過程である。
4 遊び:play
仕事は目的のために行うが、遊びは純粋に活動自体が目的になる。自発的行為であり、自己を表現することであり、それ自身で価値を持つ経験である。この能力を身につけてこなかった大人がたくさんいる。よい環境であれば、この能力を伸ばすことができる。
5 テイマレーション:timalation
この言葉は、知的理解の必要がなく、主に感覚に訴える相互行為を指している。例えば、アロマテラピーやマッサージを通して行われる相互行為である。ギリシャ語のテイマ(私は尊敬する、ゆえに、私は個人的、道徳的領域を侵さない)とstimulationの造語である。接触、安心、喜びを与える一方、殆ど要求をしない、従って認知障害が重度の場合特に効果的である。
6 お祝い:celebration
人生が本質的に喜びに満ちていると感じるあらゆる時、開放的で親しさにあふれ、のんびりして陽気な時間、認知症の人は祝う能力を持っている。責任の負担がなくなるとそれは一層たかまるだろう。祝うことは、介護者と介護される人との間の区別が完全に消え始める相互行為の形態である。
7 リラクセーション:relaxation
多くの認知症の人は、他人が近くにいるときや実際にからだに触れているときリラックスすることができる。
8 バリデーション:validation
文字通りの意味は強くする、元気づけるということ。他人の経験をバリデートするとは、その人の経験の現実と力を受け入れること、その主観的真実を受け入れることである。核心は、その人の情動や感情の現実を認め、感情の水準で応えることである。それは高度な共感を必要とし、たとえその人が妄想や幻覚で混乱していてもその全体を理解しようと努めることである。
9 抱えること:holding
これは不安になっている子どもを抱くことである。安全な心理的空間、「容器」を与えること。抱えられること(身体的な意味も含め)が保証されると絶望的な恐怖や悲しみなどの感情が過ぎ去り、心が崩れないでいられるということがわかる。
10 ファシリテーション:facilitation
できなくなったことをできるように援助すること。心理療法的相互行為の中で本人がそれに意味を付与することができるように援助すること。
認知症の人からはじめられ介護者がそれに共感的に応えるのが次の二つ。
11 創造的行為 creationrecognition
12 贈与 giving
⑶ 認知症の人同士の相互行為 interaction between people with dementia
相互行為が殆どみられないか、みられても破壊的な介護現場が多い。しかし利用者に同じような認知障害があっても前向きなコミュニケーションのある介護現場もたくさんある。お互いのメッセージは非言語的に伝達されている。パーソンセンタードケアのアプローチが継続的に実施されると多くの心理的ニーズが満たされ、経験は間断なくバリデートされ、抱えられことで安心感が生まれ、ファシリテーションも継続して行われる。社会的存在として生きる自信がもたらされる。
⑷ 相互行為を持続させる sustaining interaction
第一の役割が相互行為を生み出す援助であるならば、次に大事なのはそれを継続することである。
介護者の役割には次のことがある。
1 本人がしようとすることに気づき、対応すること
2 本人の経験を理解すること(つまり共感)
3 本人の置かれている状況の定義を理解すること
4 その定義を意味で満たす手伝いをすること
5 本人が表しているかもしれない願いを理解し、応じること
6 記憶障害のため行為の持続ができないのを補うこと
7 その場の状況の定義の変化に対応すること
8 相互行為が引きおこす情緒的経験にも本人が切り抜けられるように「包容(containment)」すること
9 相互行為は早すぎても遅すぎてもいけない
10 全過程を成し遂げる手伝いをすること
介護者がスキルと洞察を欠いているために無意識にしてしまう行為
1 本人がしようとしている行為に気づかない、「興奮している」等とみなす
2 認知を必要とするやり方で接し、感情レベルに気を配らない
3 介護者の枠組みを押し付ける
4 相互行為が進むにつれて一つの流れに限定する
5 相互行為を自然なペースに任せず急がせる
6 社会行為に行く前に相互行為を中断する
7 不安の背後にあるニーズに気づかない
⑸ 認知症ケアと心理療法 dementia care and psychotherapy
認知症には心理療法は不可能と思われることが多いが、ケアが療法的に働くことがある。認知には重きを置かず、過程全体を本質的に関係的なものと考える。
療法の間、特別な関係が作られ、それは日常生活の一般的な関係よりも、より寛容で受容的で安定した関係である。ある人にとってそれは本当に人として認められる最初のときとなる。よい関係はゆっくりと情緒的記憶のなかに内部化され、子供のとき受けた養育の不足を埋め合わせる。「抱えること(holding)」により、人は未解決の葛藤や苦痛の感情と折り合いをつけることができる。バリデーションにより、より豊かに人生を経験する能力が発達し、主観性を消すために防衛する必要がなくなる。ファシリテーションを通して、関係的な新しい行動スキーマが形成される。そのスキーマは別の関係的文脈に移転され、より大きな回復力と前向きな感情の蓄積により、内的世界のゆっくりとした再組織化が起こる。
認知症に対する心理療法の、通常の心理療法と違う点は関係的信頼とよい感情を維持しその人らしさを継続的に補充する(replenish)ために継続的支援が必要なことである。
⑹ 二つの正当化 two kinds of justification
以上の論述を理想にすぎないと反論する人たちがいる。それに対して二つの論点で答えよう。一つは、倫理的な3つの考え方、その人に対するリスペクト、道徳的連帯、我―汝関係である。二つ目は、実証的研究をすること。実際のケアの結果を全体として評価することである。さらにケアを提供するうえで、本当の目的は、認知症の過程全体を通して、その人らしさを保つことであり、穏やかでその人を中心とした死(peaceful and person-centred death) を可能にすることである。
⑺ 緩和ケアを超えて beyond palliation
認知症の弁証法的見方によれば精神ー神経―内分泌はケアと対応関係にある。よいケアは活力を増し、ストレスを引き下げる。細胞の修復を導く内部環境を提供する。認知症の回復(リメンテイング)の可能性である。よくないケアはその人の価値を引き下げ生体全体を危険にさらす。不安、怒り、悲しみを強め、あらゆる方法で病変を次々に作りだす。ケアの質の実証的評価により、認知症の長期パタンは古い文献や標準パラダイムで展開されているものと異なることが証明できる。
附記1
前章ではやや概念的に認知症の人が必要としているものについて述べられた。この第6章では、より具体的に認知症の人をサポートする人の関わりの質、前向きな働きかけ(positive person work)について語られている。10項目の前向きな相互行為はすべて大事なことであり、何度も読んで認知症の人に対する自分のケアをふりかえりたい。
附記2
認知症の問題は関係性の問題でもある。認知症の人に関わる介護者の役割に触れている。大切なポイントである。
附記3
認知症の人に心理療法(精神療法)は可能か。認知症以外の人に対する精神療法とは異なる形の療法が必要なのは間違いない。それは認知機能に重きを置かず、関係性、感情、人生、リスペクトといった面に焦点をあてたものになるだろう。本文にでてくる‘free attention’はキーワードになるかもしれない。
認知症の人の主観性があるがままに認められ、ケアの質が高められたことは勇気づけられることである
1.間主観性とその限界 Intersubjectivity and its limits
我々は他人の考えたり感じたりしていることを大体理解することができる。間主観性(人の主観と主観が出会うときに現れる現象)は言語を共有することによってある程度保証されている。さらに重要な意味を持つのは、表情、身振り、姿勢、などの身体言語である。それによりかなり確実に感情や情緒を伝達でき文化の違いを越えた普遍性がある。
しかし、人はそれぞれ独自なので、人の経験枠に完全に入ることは不可能である。認知症の問題は、認知障害の経験を伝えるために認知症の旅から戻ってきた人がだれもいないことである。従って間主観性を探求しようとする際、類推に頼らなければならない。しかも、基本的な矛盾が存在する。通常の散文で認知症の経験を記述しようとすれば、断片的で混乱した(fragmented and turbulent)印象を伝えるために、平穏で距離をとった整然とした(calm, detached and highly ordered)言語を用いることになる。さらに、概念がもはや有効ではない主観的世界で暮す経験を、概念でとらえようとしている。認知障害が重くなればなるほど、この問題は困難になる。
2.個々人の経験はそれぞれ独自であるEach person’s experience is unique
認知症の個人間の違いを人格から理解しようとするアラン・ジャックの研究がある。彼は自分の診療経験から6つの人格タイプを区別した。依存者タイプ 独立者タイプ 被害妄想タイプ 強迫型 ヒステリー型 精神病タイプ である。
人格タイプを記述することで、認知症における多様性をみることができる。独立者と強迫型は認知障害を認め受容することに特に強い防衛を働かせるかもしれない。慰めと支援を周囲の人に進んで求めることができる人もいる。依存者は無気力と絶望に陥りやすく寝たきり状態とされやすい。
3.7つの接近方法 seven access routes
1つ目:認知障害が軽い時期に書かれた記述を通して接近する方法。ダイアナ・フリール・マックゴーウィンの『私が壊れる瞬間―アルツハイマー患者の手記』より、見捨てられる恐怖、夫の死の可能性、不能と依存への罪意識、他人の反応への不満、安心を得ようとして繰り返す強迫行動などを読み取ることができる。「私の中のすべての分子が、私は存在している、しかも誰かに尊重されなければならないと叫んでいるように思います。共にこの迷宮を歩いてくれる人もなく、自尊心の必要をわかってくれる旅の道連れの感触もなく、この地図のない旅の残りをどのように耐えられるのでしょうか。」
2つ目:認知症の人びとの話を面接やグループワークで注意深く聞くこと。途方に暮れている気持ちと消えかかろうとする兆し、厄介者になりたくない、役立ちたい欲求、認知症への怒り、人びととの交わりと援助による安心など。過去の出来事を語る物語はしばしば現在の状況に関連する隠喩に満ちている。例えば戦場の体験を語るのは現在の認知症との戦いの比喩と考えられる。
3つ目:注意深く想像力を働かせて認知症の人の話を聴くことで得られること。昔の記憶は保たれるが、最近のことは忘れるという患者が庭を散歩中、道の柵に触れ、「昔の柵は丈夫だが最近のはもう腐ってる」と言った。柵を使って自分と記憶の喪失について語っていると思われる。
4つ目:認知症の人の行動から学ぶこと。ワープロが得意だった大学の教師が、短い文章を書くこともできなくなった。はじめコンピュータの故障のせいにして非難し、徐々に使わなくなり、イライラし、次第に無関心になった。豊かなスキルを持っている人が認知症になり経験的自己(experiential self)を発展させることができず、うつに陥る苦闘をみることができる。もう一人は、地域で信望があり教会でも中心的人物だったが、知的に混乱を示し車椅子生活となった。しばしば汚い言葉を吐き、近づくひとを叩いたり嚙みついたりした。これは自分の価値の喪失にたいする彼なりの方法であり、噛みつくのは「自分の跡を残す」さいごの手段とも考えられる。
5つ目:認知症に似た病気の場合。脳炎とうつについて記される。
6つ目:認知症を理解する6番目の方法は、我々の詩的想像力(poetic imagination)を用いることである。通常の散文的言葉遣い(ordinary prosaic forms of speech)は余りにも気持ちがこもっておらず(too thin)、あまりにも直線的(too linear)で、あまりにも明瞭(too precise)である。詩はもっと凝縮された力強い言語形式である(poetry provides a more condensed and powerful linguistic form)。
7つ目:ロールプレイで認知症の人の気持ちを理解する方法
4.認知症の経験領域The domain of experience in dementias
様々な情報源から得た証拠を合わせると認知症経験の全体像が明確になり始める。三つの領域からなる。
最初の領域は「感情」即ち情緒が特定の意味と関連する主観的状態である。例えば近所の人の冷たい態度、家事ができない不用感、認知症が比較的軽いとき人は「感情言語(feeling language)」を用いることができる。
次は、恐怖、悲惨、激怒、混沌からなる全般的状態の領域。
最後は無感情にいたる燃え尽き状態である。認知症の人の情緒的経験は子ども時代のそれと比べることができる。クラインの説いたようにひとりの人を「よい」面(good object)と「悪い」面(bad object)に分裂(splitting)させて考えるのは認知症の人と子どもの間でかなり共通している。個々人での人生の経験は様々であり認知障害へのコーピングスタイルも異なるだろう。差別の感情を味わったことのない人は認知症が悪化した際防衛を保てず苦痛を伴う生の感情が現れるだろう。極端に鈍感な人(phlegmatic temperament)は防衛が保たれる。また精神安定剤の使用は、この過程を促進し、主観性を迂回することができる。
5.認知症の人は何を必要としているか what do people with dementia need?
認知症の人のニーズを考えよう。階層構造理論と異なり、そのニーズはお互いに密接に関連している。すべてのニーズを含むのが愛という中心的ニーズである。認知症の人はほとんど子供のように隠さずに愛を求めることがある。その周りに5つの重なりあうニーズがある。それはなぐさめ、結びつき、共にいること、たずさわること、自分であることの5つ。これらはすべての人が持っている。認知症の人は精神的に傷つきやすく、自分で自分のニーズを満たすことができない。認知症の進行に伴ってニーズは増大するが、そのパターンは人格と人生歴によって異なる。
なぐさめ(くつろぎ)comfort
優しさ、苦痛と悲しみを和らげること、不安を取り除くこと、人と親密になることから生まれる安心の感情である。認知症の人が味わう様々な喪失に対処しようとするとき特になぐさめのニーズは強くなる。
結びつき(愛着)attachment
人間は社会的な種(social species)である。ジョン・ボウルビーの愛着研究は絆(bonding)はどの文化にも普遍的にみられることを示している。特に、幼小児期には世界は不確実性に満ちているので絆は一種のセーフティーネットを生み出す。結びつきがもたらす安心がなかったら、人は正常な働きをすることができない。認知症の人たちにとって結びつきのニーズは幼いころと同じくらい強いと思われる。認知症の人は自分が「奇妙(strange)」という状況にいることに絶えず気づいており、そのため結びつきのニーズを強く求める。
共にいること(社会的一体性)inclusion
人間の社会性は、集団のなかで生活するように進化してきた。集団の一員であることは生存にとって不可欠である。これは気を引こうとする行動、つきまとう行動に現れる。多くの施設では、利用者は集団で扱われ、とても孤独なので共にいることのニーズは満たされない。共にいることのニーズが満たされなければ人は衰え、ひきこもることになる。しかし、共にいることのニーズが満たされれば、再び殻を破ることができ、仲間と一緒の生活のなかに自分の居場所を見つけることができる。
たずさわること(主体的活動)occupation
たずさわることとは、個人的に有意義な方法で自分の能力を活用し、生活の過程に関わることを意味する。反対は退屈、無関心、無用な状態である。携わることの始まりは、幼年期子供が主体性(エイジェンシー)の感覚を身につけるときにある。たずさわることを奪われたとき、人の能力は衰え始め、自信は奪われる。何か手助けしたいと認知症の人が思うとき、アクテイビテイや外出に参加したがっているときそれははっきり現れる。ニーズを満たすにはスキルが要る。その人の過去、その人の満足の深い源を知ることである。
自分であること(同一性)identity
自分であることとは、認知と感情をもって自分がだれであるかを知ることであり、過去との継続性の感覚を持つことを意味している。それは他人に語る自分の物語である。自分であることを構築する方法は人それぞれ独自である。認知症ケアの「古い文化」では極端な画一化や過去とのつながりが剥奪されるので自分であることの個人的資源の多くが取り去られてしまう。これと対抗する基本的なことは、一つ目はその人の人生歴を詳しく知ること、二つ目は共感である。共感によりそれぞれが独自の存在として、“汝”として応じることができるようになる。
認知症ケアの要諦は、知的能力の低下に直面した時、その人らしさ(パーソンフッド)を保つことである。これが可能になるのは、5つのニーズを心から満たすことによってである。一つのニーズが満たされると他のニーズにも影響が及ぶ。結びつきにより安心を得た人は携わることに気を向けることができる。携わることができる結果、自分であることの感覚が満たされる。多くの良循環が生まれる。5つのニーズ全体が満たされるとき、自尊、価値、尊重されることの全体の感覚が高まるだろう。恐怖、悲しみ、怒りから抜け出し、これまで誰も踏み込んだことのない前向きな経験の領域に進むことができるだろう。
6.その人を中心としたケアの経験 The experience of person-centred care
5つのニーズが十分に満たされたとき認知症の主観的世界はどのように変化するのだろうか。キットウッドが詩的想像力を働かせ、高齢者住宅に暮らす重い医認知障害のある80歳の女性の経験を描く。
「ある夏の日の朝、あなたはひとり庭でくつろいでいます。」からはじまり「あなたは庭に戻っていることに気づきました。日の光が温かく降り注いでいます。あなたはここが天国でないことはわかりますが、時々天国へ行く途中かもしれないと感じるのでした。」という詩の終わりに至る心の旅が描かれています。
附記1
この章でまさにキットウッドの本格的な考えがでてくる。
個々の認知症の人の経験の違い、つまり様々な認知症の人がいるという介護経験にはじめに触れている。「依存型」「独立型」など人格タイプによる分け方である。これは三好春樹の認知症ケアにおける「回帰型」「葛藤型」「遊離型」に対応するかもしれない。
多様な認知症の世界にアクセスする仕方、つまり認知症世界の理解の仕方と7つの方法をあげる。まだ軽度の人の語り、喩え(たとえ)を読み解いたり詩的な文脈から理解する方法、言葉ではなく行動から理解する方法等である。
次に認知症の全体像、地図が明らかにされる。感情の領域、全般的状態、燃え尽き状態の3つに分けられる。
認知症のひとは何を必要としているか、という段落がこの第5章の中で(あるいはこの1冊の本の中でも)最も大事なポイントが書かれていると思う。なぐさめ、結びつき、共にいること、携わること、自分であること、の5つを繰り返し読んで味わっている。
附記2
ジョン・ボールビーの幼小児期の愛着理論やメラニー・クラインのgood motherとbad motherの分裂理論など、子供の発達心理過程に触れている。老いて認知症に移行することは幼小児期に戻っていくことでもあることを示唆し興味深い。認知症FAST分類を提唱したReisburgのretrogenesis理論を思い出す。
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