9月21日は世界アルツハイマーデイ。新聞には関連記事がいくつか載っている。認知症の人と家族の会の代表は、昔に比べれば認知症の人に対してその思いや尊厳をふまえたケアが施されるようになってきたという。確かに今年6月認知症の人の尊厳や希望を前面に掲げた認知症基本法ができたことは日本では画期的なことかもしれない。しかし、英国のトム・キットウッド(Tom Kitwood)は既に1980年代に認知症の人に対してパーソン・センタード・ケア(person-centered care)の理念を提唱しそれが広く共有されている。日本が遅すぎるのでなないかと思う。
ところで、認知症基本法の正式名は「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」。その基本理念は認知症の人が基本的人権を有する個人として自らの意思で日常生活や社会生活を営むことができるようにすること、・・とある。しかし、自らの意思で日常生活や社会生活ができることを目標にするというのは誤解を生む表現だ。生活機能が保たれるならそれは認知症ではない。そこを目標にするというのは非現実的である。アルツハイマー病そのものを治療やケアにより治すことはできない。ここは、自分でできることを広げ、たとえ生活機能の障害があっても適切なケアによりその尊厳が守られるような社会にしていくという風にすべきではないだろうか。
一方、共生社会というのは障害があってもなくてもそれぞれの違いや能力を認めあい支え合い社会参加できる社会のことである。未来の希望ではなく今できることを行うこと、お互いに助け合うこと、それが共生社会である。新聞では「何もできない、何もわからないという偏見を乗り越えて社会参加を」という書き方をしている。それなりに社会参加が可能な段階の人がいると同時に何もわからない、何もできないという段階の人もいるだろう。そのとき全く寝たきり重度認知症の状態になってもリスペクトをもって丁寧な介護が保証されるような社会、それが尊厳と希望が約束される共生社会なのであろう。これからの超高齢社会、どんな人も最期は重度寝たきりになるのである。
別の紙面では大きく「認知症と生きる」「社会と手をつないで」「退職を重ねても前向き 啓発活動も」「当事者自ら起業」「居場所を作る」といったタイトルで認知症当事者たちの以前は不可能であった社会的活動が紹介されている。明るく希望を感じさせる文面だが実際は苦労や絶望の連続であろう。これらはすべていわゆる若年性認知症の人たちの活動である。若い年齢での発病ゆえにその苦悩は大きい筈でこれらの動きは大いに支援されるべきであろう。
もうひとつ別の紙面では「認知症 早期発見のめやす」があげられている。「物忘れがひどい 判断・理解力が衰える 時間・場所がわからない 意欲がなくなる 人柄が変わる 不安が強い」 これらを発見したら受診が大切とある。問題はそのあと。受診して認知症と診断されてどうなるのか、どうしたらよいのか、そのことについて書かれていない。今後でる予定の新しい薬も希望となる見通しは余りない。なによりも「認知症基本法」で認知症の人の尊厳や希望をうたいながら、ここには早期に発見されて認知症とされた人の感情や思いには何も触れられていない。
早期診断が早期不安解消につながるような具体的対応が必要である。僕は以前から言っていることだがかかりつけ医がポイントだと思う。
さいごにひとりの認知症当事者の言葉をあげておきたい。
「たとえコミュニケーション能力が低下しても、私たちは一人の人間です。魂を失ったわけでも、思いのない抜け殻でもありません。私たち認知症の人は、人の感情を敏感に察知することにたけています。かけられた言葉(の内容)より、どのようにかけられたのかの方が記憶に残ります。」(クリテイーン・ブライデン)
「臨床余録」と名づけたこの臨床エッセイもいつの間にか10年になります。
これまでの文章は次の3冊の本にまとめました。
これは精神科医となった頃から横浜市民病院で神経内科を勉強し始めた時期、2年間のロンドン留学をへて開業する頃までのもの。ロンドンまでシベリア鉄道19日間の旅の記録も入っています。
「先生はわたしの眼をまっすぐに」という寝たきり老女のエッセイは柳田邦男氏がご自分の著書『言葉が立ちあがる時』に取り上げてくれました。
2011・3・11東日本大震災後日録をつけはじめ、より丁寧に生きることを心がけるようになった日々の記録です。
読みやすいように「在宅医療の森」「世界へのパースペクティブ」「いま医者であること」「認知症の彼方へ」「つぶやき」「読むことと考えること」といった項目にわけてあります。
「落葉の思想」というタイトルは“まことに木々の葉の生(よ)のさまこそ、人間の生死のさまとそっくりそのまま変りがない:ホーメロス”からとりました。
長く仕事をしていると多くの出会いと別れがあります。この本はそのひとつひとつの出会いのかけがえのなさを忘れないために書かれています。
小タイトルは「Ⅰ物語をつむぐ糸」「Ⅱこころを耕すケア」「Ⅲ犬の名は」「Ⅳ終わりの見えない航海」「Ⅴコロナとハリネズミ」「Ⅵひとりひとり」としています。
これからも書くことを続けたいと思います。Dreaming forward!
附記1
以上の3冊は横浜市立中央図書館(西区)に寄贈されており自由に借りて読むことができます。
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