臨床余録
2023年7月30日
リフィー川のほとりで

 1週間の休暇をとり古都ダブリンを訪ねた。これが2回目。1回目は随分昔、市民病院からロンドンの国際パーキンソン学会に出席した帰りに寄った。

 アイリッシュの古謡聴きつつぬばたまの泡立つ黒の苦きを呷る
 ダブリンの風に吹かれて雨に濡れてふるえて歩むリフィー川まで


 当時作った短歌だ。「泡立つ苦き」というのはギネスGUINNESSのこと。 リフィー川の南側、テンプルバーという古い街並みのアイリッシュパブ。そこで飲むギネスは確かによそで飲むそれとは違った。パブを出て近くを歩いていたら“POETS AND NOVELIST”と書かれたやや薄汚い路地に迷いこんでいた。
 Seamus Heaney(シェイマス・ヒーニー:ノーベル賞詩人)ついでJAMES JOYCE, Patrick Kavanagh, Flann OBrienn, William Butler Yeats, George Bernard Shaw, Edna OBrienといったアイルランドの詩人、小説家、劇作家の顔の絵が壁に見事に描かれていた。さらにアイルランド文学の特徴が細かく文章で説明されている。興味深いので写真を撮りながらゆっくり見ていく。気づくと壁の凹んだ穴倉のようなところに3~4人のホームレスがたむろし何かをずっと喋っている。通り過ぎる旅行者には無関心だ。と思うと別のほうから身なりはそう悪くない男性が寄ってきて、自分の妻と子どもの窮状を訴え・・・ユーロ(多額ではない)だけでも恵んでくれないものかと訴える。
 雨が急に降ってくる。風も強く傘が役立たないくらい。これがirish weatherである。ダブリン城に行こうとして迷う。どの道も同じに見える。リフィー川をめざしていけば何とかなるのがダブリンのよいところ。
 2日目、3日目からはルアスというトラムカーの1日券を利用するのを覚えて公園やミュージアム、ダブリン城、トリニテイカレッジなどをまわることができた。

 リフィー川に沿って歩いていると、やせ細り倒れそうな女性や子どもの銅像がたくさん建てられている場所がある。1845年から始まったポテト飢饉(irish famine)と呼ばれる大飢饉の追悼碑である。多くの移民(emigration)を生んだアイルランドの歴史の切り口のひとつがここにある。アイルランドの妖精譚や民俗伝承などのテーマのレブラホーン博物館は閉鎖しており残念だった。  

 さいごに、シェイマス・ヒーニーの「足場」(scaffolding)という詩を紹介したい。  

建築を始める時
石工は足場を念入りに調べる
よく行き来する場所の厚板がずれやしないか確かめ
すべての梯子の足場を固め 継ぎ目のねじを締める
だが建物が出来上がり 頑丈で堅い石の壁が堂々と姿をあらわすと
この足場はすっかり取り外される
だから 恋人よ 君と僕の間の
古い踏板が時たま壊れているようにみえても
恐がる必要はない 僕たち二人の家の壁が出来上がっていると信じ
足場なんかは倒れていてもよい

2023年7月9日
チャットGPTと精神科看護

 「精神科疾患を持つ方の在宅支援について」と題する勉強会に出席した。精神科専門医のM先生の約1時間の講義である。講義内容のプリントが配られた。小タイトルを並べると
・精神疾患を有する方に対するアセスメント
・精神科訪問看護について
・病状悪化の早期発見、危機介入の方法
・統合失調症看護の注意点
・うつ病患者に対する家族の接し方・対応の仕方
・対人関係の援助
といった見出しのもと詳しい説明の文章が続く。まるで教科書からそのまま載せたような内容についてM先生、実はこれはチャットGPTを使って作ったものでなかなかよくできているのでそのまま載せたと明らかにされた。

 さてどうだろうか。まず「精神的な問題を抱える人に対するアセスメントの仕方」に対してチャットGPTは「その方の病歴や症状を詳しく聴き取り、幻覚、妄想、不安、抑うつ、興奮状態、思考内容などを観察する。また患者の意識や気分、行動なども評価する」と答えている。
  病院の精神科外来で研修医が面接するにはこれでよいのかもしれない。しかし、経験を経るとこういうやり方では必ずしもうまくいかない、つまりその人と良い関係をもつことができない。とりわけ、訪問看護という領域ではこのような調書を聴き取るような態度は避けなければいけないものだ。
 まず患者さんに安心感をもってもらうことを目指しお話を聴かせてもらう。言葉は少なくその人へのリスペクトを示すこと。詳しい症状や病歴の聴きとりよりも大事なことである。精神の病という重荷を負っているあなたの傍にわたしは立とうとしている。あなたのことを少し教えてほしい。そういった謙虚さが大事ではないだろうか。その人が安心感をもつことができるようになれば(つまり良い関係を持つことができれば)そのとき始めて詳しい病歴は語られるであろう。おのずから症状も明らかになるであろう。
 患者のアセスメントをするのではなく、患者に向きあったとき看護師は患者からアセスメントされている。看護師が患者を評価するよりも前に患者が看護師を評価しているのである。そのことを自覚していないとどんなに詳しい症状や病歴を完璧に聴き取ってもうまくいかない。患者は看護師に安心感をもてない。自分の病気を探り出そうとしていると思わないとも限らない。看護師である前に普通の人間という面で接することも大切になる。

 次のタイトル「精神科訪問看護について」をみてみよう。「精神科訪問看護は、精神疾患を持つ患者さんやその家族を訪問して、健康管理、治療支援、療養支援などを行う看護サービスである」とされる。
 そうなのだろうか。精神科訪問看護は何らかの事情で通院できない患者さんに対して行われるものである。その精神科訪問看護の特殊性について全く触れられていない。ただ訪問して健康や治療そして療養を支援するとされる。患者さんが訪問看護師に期待するものは何か、何故訪問看護なのか。患者の考える「健康」とは何か。「治療」とは何か。これらの問題をチャットGPTは教えてはくれないようだ。

 とりあえず感想はこのくらいにしよう。以上述べたことは会に出席した多くの看護師にとっては言わずもがなのことであるのかもしれない。あるいは違う意見を持っているひともいるだろう。

 チャットGPTはある問題に関連する知識を漏れなく羅列することはできる。しかし精神科臨床で最も大事な患者との関係性について何かを教えてくれることは困難と思われる。

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