臨床余録
2023年2月24日
新しい戦前?

 ロシアのウクライナ侵攻から今日で丁度1年である。1年前、醫院のホームページのトップにロシアに抗議するstatementを出した。戦争は今も続き更に烈しさを増している。理由なくウクライナの市民が殺されている。この人間の非道から目をそらすことはできない。ささやかな声ではあるが抗議の意志表明は続けよう。一方、ひそかにプーチンに反対する多くのロシアの人々が存在する筈だ。その人たちとは連帯できることを祈る。

 ところで最近の朝日歌壇高野公彦選で次の歌が採られていた。

 「横浜に米軍部隊が配備さるもはや新しい戦前なのか」(松村千津子)

 横浜に住みながらうかつにも米軍の輸送拠点が横浜神奈川区ノースドックに作られることを知らなかった。台湾有事、北朝鮮のミサイルなどを考えてのことだろう。日本を守るために必要なのは防衛力強化、反撃能力保持だという。本当にそうだろうか・・。攻撃に対して反撃したらそれ以上の反「反撃」が来るだろう。それにまた反撃したら・・・そうしたらいよいよ戦争ではないか。
 無謀な東南アジア侵攻から始まった太平洋戦争。その結果、広島、長崎に原爆が落とされた。それ以前に沖縄戦の惨状、東京はじめ都市の大空襲の悲劇が重なっている。先の戦争による日本人総犠牲者数は軍人民間人あわせ300万人とも言われる。(逆に日本軍によって殺された他国死者数は不明だが、例えば中国では1321万人が第二次世界大戦で死亡したとされる)
 広島・長崎の惨劇から出発した戦後日本は新憲法を通して“もう絶対に戦争はしない”と世界に誓ったのではなかったか。そのために憲法9条を大事にしてきたのではないか。しかし、今の首相は防衛費増強については雄弁でも、憲法、なかんずく9条の意義を語ろうとしない。広島、長崎を経験し9条を保持する日本の特異な位置から世界に戦争の悲惨を発信する姿勢は今のところ全くみられない。

 子どもの頃遊んだ実家山王山(さんのうやま)の崖の防空壕の跡は今、泥と雑草でその位置がわからなくなっている。そこがまた掘り返されるようなことがあってはならない。

“見知らぬものたちの苦しみが
   ぼくに生まれてくる。一度だけの死では足りないだろう
 この土塊(つちくれ)が、心のうえに、草を生やして
 さらに強くぼくを押しつけてくるのだから。”(クァジーモド全詩集より)

2023年2月6日
ACP-瞬間の対話

 15年以上前から外来に通ってきていた女性が或る病気で入院し、それを契機に通院が不可能になった。長く地域の障害者のために活動してきた方でケア会議で一緒になったり彼女がグループホームを立ち上げる時多少の協力をしたことがある。その彼女が動くのも苦しくなり訪問診療に行くことになった。ベッド上の生活とはなったが頭は明晰である。挨拶すると閉じていた眼をゆっくり開けて「ああ、先生、来てくれたんですね。こんなになってしまいました。苦しいです。でも、もう病院には行きません。さいごまでお願いします。」とかすれた声で手を差し出した。僕はその手を握りうなずいた。それだけだった。だがそれで十分だった。苦痛を和らげる処方をし再び眼を閉じた彼女を残して僕は退去した。それから幾日もしない日の未明、僕は呼ばれ彼女を看取った。

 ところでこの数日前西区の在宅ケアの勉強会で僕はACP(人生会議)の話をした。人生の最終段階を前にしてどのような医療やケアを患者が希望するのか対話を重ねていくそのプロセスが大事であると話した。しかし、考えてみよう。このACPや人生会議といった言葉が導入される20年以上前から、僕はACPや人生会議などという言葉を知らずに患者さんとはいのちに関わる大事な話をし意思決定をしてきた。そして多くの患者さんを在宅で看取ってきた。ACPではその人の価値観や好みを重視する対話を通して意思決定をしていくこととされる。だが言われるまでもなく看取りに至るプロセスではそれを自然にやってきていたのだろう。そうでなければ在宅での看取りは困難な筈だ。ACPを目的化してはならない。なくてはならないものは患者への共感とリスペクト、その尊厳への配慮、信頼の関係性。それらさえあればACPは要らないのかもしれない。冒頭の患者さんの言葉への僕の了解と承認。それはいわば瞬間の対話であった。その凝縮された時間は永遠の時間性に通じるような気がする。

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