橋本みさおさんが昨年8月9日永眠された。ALS患者で元日本ALS協会会長。32歳で発症。39歳で気管切開し人工呼吸器を装着した。全身の筋肉が麻痺し人工呼吸器を付けた状態では常に喀痰吸引その他介護の必要がある。発症時娘は5歳、夫は深夜まで仕事。家族に頼らないで自宅で療養するために外部に求めて24時間組める介護体制を考える。既存の制度を最大限使い、足りないところは学生のバイトを募り、1人前のヘルパーに育てあげる。その学生ヘルパーを自分が運営する介護事業所から他のALS患者に派遣することで収入を得る。訪問看護、訪問診療、介護人派遣制度などを組み合わせ、夜は学生10人前後で回す。24時間常に周りに介護者が居ることになる。2000年にはALS/MND国際同盟会議(デンマーク)に人工呼吸器装着した患者として初めて参加し世界を驚かせた。2004年患者家族、看護師、ヘルパーらと「ALSサポートセンターさくら会」設立。ヘルパーが喀痰吸引できる制度の実現、安楽死尊厳死法制化阻止の運動に貢献。
「死の尊厳は重要ではない。生きている者の人権を守ることが肝要です。人工呼吸器をつければ生きられるのに付けたくても付けられない患者は多い。・・特に女性は子や夫に迷惑かけるまいと呼吸器を付けずに死んでいく。自立する知識も機会も与えられずに。」「うまくいっているのは私に主婦意識が欠けているからかも。冷蔵庫や財布の中を誰がのぞいても平気。人の出入りを気にしない。」と語る。車いすで近所のスーパーやデパートにも愛犬ポンを連れて買い物に行く。「忙しくて大好きなさだまさしのコンサートに行けないのが悔しい」「すべて患者のためという基準で行動すること、・・死ぬまで走り続けることが私の使命です。」と述べていた。(言葉は文字盤をヘルパーが指し文章を組み立てる根気の要るやり方)
人工呼吸器をつけながらひとり暮らしの在宅療養。だれもが無理と思う。しかし、彼女はその不可能を可能にした。それだけではなく日本や世界を飛び回り患者の療養の仕方を広めようとしていた。体は全く動かない。しかし、彼女はさいごまで走り続けた。患者や家族、介護者だけでなく、僕を含めた医療者にも彼女は刺激を与え続けた。大きな存在だった。
比較的静かな年末年始だった。どこにも行かず。在宅療養支援診療所なので24時間365日患者に何かあれば電話がかかってくる。診察券に僕のケータイ番号も書いてありいつでも何でも相談可としてあるのでスマホは離せない。ベッドの枕元、入浴中もすぐとれるところに置いておく。この休み中もほぼ毎日電話はかかってきたが幸い緊急往診はなかった。一人は発熱で看護師が訪問してくれて救急入院、誤嚥性肺炎の診断。もう一人は独居の高齢者で発熱、看護師が毎日見に行ってくれて僕に報告、入院せずに軽快した。しっかりした看護師と連携できて助かっている。
年末に植木屋さんに庭の伸び放題の樹々(唐楓、梅、合歓の木、エゴノキ、ヤマボウシ、柘榴、木犀、もみじ等)を伐ってもらった。ひよどり、四十雀、めじろなどが枝に来ているのをみるのは楽しい。昨年の秋には梅の枝に鳩が巣をつくり白い小さな卵を抱いていた。何日も何日もじっと動かず抱き続けるのをみると何か祈りに似た敬虔な気持ちにさせられた。朝は池の金魚にえさを与え、夕方散歩にでて丘の上から茜色の空を背景にした黒い富士をみる。金魚は近くの金魚屋で小さいのを買って育てるといつの間にかいなくなっている。何度もくりかえすので金魚屋のおじさんに相談するとそれは鳥のせいだろうという。僕は時々近くをうろついている猫ではないかと思っているが謎である。ホームセンターで見つけた網をかぶせたら食べられることはなくなった。
さて、冬休みに読んだ本である。(③、⑤以外はまだ途中。)
①『クァジーモド全詩集』:「人はみな独りで地心の上に立っている 太陽のひとすじの光に貫かれ、そしてすぐに日が暮れる。」「あいまいな笑いがあなたの口を引き裂き ぼくを苦痛で満たした、熟れた苦しみの谺が ふたたび緑を芽吹かせて 喜びの暗い傷痕にふれた。」こんな詩句ではじまる。
②『白痴』1ドストエフスキー:ムイシュキン公爵のスイス時代のマリーとの出会いと別れに胸をつかれる。
③『Living with Dying』Cicely Saunders:緩和ケアの思想。安楽死との違い。繰り返し読む。
④『万葉集』三 「月草の借れる命にある人をいかに知りてか後に逢はむと言ふ」
⑤『ぼけの壁』和田秀樹:さすがベストセラーの作者。読みやすい。ひとつ気になったのは92頁。「認知症は単なる老いではなく病気であることを頭にいれておくことが必要です。」と書かれているが、認知症は単なる病気ではなく老いのひとつのかたちに近い、と言ってはいけないのか。
当サイトに掲載されている文章等は著作権法により保護されています
権利者の許可なく転載することを禁じます