臨床余録
2022年11月20日
まったくわかりません

 在宅療養支援診療所の条件として患者の終末期意思決定支援の指標を記すことが加わった。かかりつけ医と患者あるいは家族との対話が核になるべきという以前からの当院の考えはJAMAのMorrisonの論旨とも矛盾しないと思われる。下にあげてみる。

適切な意思決定支援に関する当院の指針
 外来治療および在宅療養において患者が行う種々の方針決定を支援するためには患者―かかりつけ医の関係性が土台になる。患者は自分の病気について周知しているかかりつけ医と対話を重ね、さらにその対話のなかで自分の人生観なども自然に理解され、それが方針決定に反映されることが望ましい。
 具体的には外来であるいは在宅での診察に際して医師は患者の語りに真摯に耳を傾け、患者が真に大事にしているものを理解し共感できるまで対話を重ねる。これはいわばmini-advance care planning(ミニ人生会議)といえる。それを大事な核として終末期においてどのような医療やケアを受けるかあるいは受けないかを記載しておく(事前指示:advance directives)。さらにさまざまな臨床状況に応じて家族、ケアスタッフを交えた拡大人生会議(拡大ACP)を行い、ミニ人生会議での共同意思(shared decision)を再確認あるいは修正していく。
 大事なことは終末期における治療およびケアに関して医師は患者のQOL(生命・生活・人生:生きていることの質)を共に考える(単なる傾聴ではなく)ことを通して選択肢を提示しその決定を支援することである。ミニ人生会議は外来や在宅の診察時、医師と患者の間で繰り返し行われその都度修正し変更することができる。拡大人生会議により家族や普段関わっているスタッフの視点(思いや感情、内省も含め)が加わることでより深い支援になることが期待される。

*意思決定は医師主導(パターナリズム)でも単なるインフォームドコンセントでもない。共同意思決定(shared decision making)が基本となる。

ところで最近経験した事例である。
 ある患者さんの担当者会議(ACP:人生会議)が訪問診療時行われた。ケアマネジャー、訪問看護師、娘さんと患者さん、デイサービススタッフ、当院から医師と看護師。以前から診ている方だが今は会話も困難な重度の認知症である。娘さんと二人暮らし。身の回りの生活動作はすべて介助が必要。誤嚥性肺炎で入院歴がある。従って食事時は誤嚥に注意するが、最近は介助で口に食べ物を運んでも食べようとしないことがある。会議では誤嚥その他急変時の対応について話し合い、ついで今後病状が進み口から食べられなくなった時どうするか、胃ろうを含めいわゆる延命処置など諸選択肢について説明。ご本人は途中で言葉をはさみ何かを訴えているようにみえたが聴き取れなかった。重度の失語で言葉の理解もまず無理と思っていたのでその発言には驚かされた。
 そして娘さんにとりあえず今の考え(この先変わり得るものとして)を聴かせてくれますかと尋ねたところ、涙ぐみながら強い口調で「わかりません」「全くわかりません」と答えた。とっさに僕は「ああ、正直な人だな」と思い、医師に忖度するような言葉でなく自分のありのままの気持ちを僕らにぶつけた彼女をそのまま受け止めた。認知症の母を初期から今まで一人でケアしてきたその苦労を知っているケアチームに対する信頼もあっての言葉と思い嬉しくも思った。そうなのだ。わかりません、が正解なこともある。この先ことが今正しく判断できる訳ではない。
 JAMAでMorrisonが仮説シナリオと実際の臨床場面とのギャップとして論及したのはこのことではないのか。

2022年11月6日
ACPの何が問題なのか

 Advance care planning(ACP)は人生会議とも呼ばれて今や流行語のようになっている。よい終末期を迎えるためには何はともあれ人生会議といった雰囲気の昨今である。そのACPが終末期のケアの質を改善するエビデンスは存在しないという論考がJAMAにWhat’s wrong with advance care planning?というタイトルで掲載された。著者が緩和ケアのオピニオンリーダーであるRSMorrisonであることもあって少なからず衝撃が走っている。例えば週刊医学界新聞は特集で『踊り場に立つACP, いま何が求められるのか』というタイトルで諸氏が論じている。それぞれが当惑のようなものをにじませながら何が問題なのか明らかにしようとしている。日本医師会の図書館から問題の論文を取り寄せ読んでみた。以下抄訳である。

 ACPは価値を貶められてきた終末期ケア(end-of-life care)への応答としてこの30年姿を現してきた。ACPが患者の目標に調和したケアをもたらすという想定はその使用をすすめる広範な公的イニシアティブを導きACPの対話に医師を参加させmedicare medicaidサービスセンターや消費者の評価にも役立つとされた。しかしながら、科学的データはこの想定を支持していない。ACPは終末期ケアを改善しない、ACPの記録は終末期対話の信頼できる価値ある良質な指標の役を果たさない。

What is ACP?
 ACPの目的は意思決定能力を失った患者の終末期にあってゴールに適合したケアを確かにすることである。それは将来の医学的ケアについてその目標、価値、嗜好を理解し共有することを支援するプロセスである。また医学的決定をする信頼できる人間を選び準備すること、将来必要なとき役に立つようにこれらの希望を記録しておくことである。ACPはすべての成人がこのプロセスに参加することを奨励する。ACPは重篤な状態の患者について瞬時に決定することとは異なる。
 もしACPが終末期に高い質のケアをもたらすなら、それを推進することは意味があるし、価値に基づくケアに統合するだろう。しかし、現在存在する高い質の多くのエビデンスは、ACPが終末期ケアを改善しないことを示している。ACPが終末期の医学的決定に影響を与えたというエビデンスはなかった。ACPと救急医療の頻度、入院、などとの関連もなかった。ACPを受けても、通常のケアを受けてもQOLに差はなかった。

Why does ACP not achieve its desired outcome?
 ACPがその期待される結果をもたらさなかったということは、仮説的(hypothetical)シナリオと臨床的場面での意思決定プロセスとの間のギャップを示している。ACPの成功には8つのステップが必要である。

Should efforts to address the problem of ACP continue?    
 これらのデータはACPの有意義な効果を減じるものではないという意見もある。ACPは良い終末期ケアに必要ではあるがそれだけでは十分ではないとする擁護者もいる。その将来の大切な価値と目標、治療選択に関して患者と対話を重ねること、そのことが今必要なことではないだろうか。
 これらの議論を受け入れ今まで通り進んでいくことで思わぬ結末に至ることもある。ACPが良質の終末期ケアに必須のものと奨励していくことはそれ以外の領域を損なうことになるかもしれない。例えば、ヘルスケア組織はリソースをACPにより多くかけることで、その他のより重要かもしれない臨床ケアが後回しにされることもあるだろう。事前指示(advance directives)や延命治療に関して誤って理解している医師や家族、代理人の存在を研究結果は示している。さらに、事前指示があることで現在のケアの目標について話し合うことが妨げられることがある。とくに病院ではコロナ禍にあって患者や代理人との対面での話し合いは困難で治療選択が文書でのやりとりになったことも寄与していた。
 もしACPが上質の終末期ケアに必須のものでないなら、何が必須のものだろう?。ひとつのアプローチは前もって信頼できる意思決定代理人(health care proxy)を選定しておくこと、そして研究と臨床の方向を現在の代理人と臨床医の間で行われている共同意思決定の改善に向けることである。患者の報告する心理学的に価値のあるアウトカム、症状の重症度、健康関連QOLなどがリアルタイムで測定される。他には、臨床医に聴いてもらい理解されている感覚、ペインへの援助を受けている感覚などが検証されるフィールドとなる。患者の死後に行われる代理人のサーベイは今や退役軍人健康局の標準的質評価を表わし、ヘルスケアプロセスとよいつながりを持ち、患者や家族の終末期経験をACPによる対話から得るものに比らべて、より直接的に評価するものとなっている。
 ACPの歴史は動いている科学のストーリーである。ACPが重篤な患者のよりよいケアをもたらすという信念へのロジックがあった。過去25年間様々な方法で多くの大グループの患者を研究しACPを評価してきた。ACP固有の論理にもかかわらず、エビデンスはそれが望ましい効果をあげていないことを示唆している。多くの臨床医は医学的意思決定のために前もって患者との対話を推し進めてきたが、望んだようにケアが改善しなかったことに失望するかもしれない。臨床医の訓練とともに、実際の(not hypothetical)医学的意思決定が必要とされる場面でACPではなしとげられなかったアウトカムをなしとげるために患者と家族が質の高い対話(high-quality discussions)に入れるように準備することにフォーカスをあてた新しいリサーチが必要である。臨床研究コミュニテイは、以前の仮説(prior hypothesis)を支持しないというエビデンスから学ぶべきであり、今までとは異なるアプローチの仕方で重篤な病の人のケアの改善に推進するべきである。


 以上が抄訳である。
 ACPはプロセスであり1回だけの話合いではない、何かしらの結論を出すものではない、ということは理解しているが、どれだけ患者自身の意向を深くとりあげているか、それをエンドオブライフケアに生かしているか。仮説的シナリオと実際の終末期臨床場面でのギャップをふりかえる。ここにあげられたACPに必要な8ステップを中心にこの論考を何度も読みかえし自分の臨床を吟味しようと思う。



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