臨床余録
2022年10月23日
わたしはジャガイモではない

 在宅あるいは施設で介護を受けながら日々くらしている高齢者の話を聴く。僕自身後期高齢者に近づきつつあるので彼らの話を自分のこととして聴くことになる。
 あるパーキンソン病の男性、動作は不自由であるが頭脳はしっかりしている。訪問診療の或る日、憤懣やるかたないといった表情で僕に訴える。デイサービスで介助してもらいながら入浴するのだがそのときの風呂への入れ方がまるでジャガイモを洗うかのようだというのである。僕は日曜日には近くの農園からよく泥だらけのジャガイモを買ってきて流しで水洗いする、そのことを思いだし何ともいえない気持ちになった。
 最近、ある訪問看護師からの報告書のなかに「洗体介護」という言葉があった。辞書にはないので一種の造語なのだろうが、何かいやなものがこみあげてきた。ジャガイモ洗いも洗体介護も共通しているのは洗うのは人ではなく“物”だということだ。
 自宅介護が大変になり区外の有料老人ホームに入っていたYさんが、近くの特養が空いたので移ることになった。家族も便利になり喜んでいたのだがしばらくして本人は元のホームに帰りたいと言い出した。元のホームではスタッフが暖かく「・・ちゃん」と名前で呼んでくれる、スマホがうまくできないと教えてくれる。ところが今度のホームは苗字を呼び捨てにする、スマホがうまくいかないとき頼んでも「それはわたしのしごとではありません」と冷たく行ってしまうのだそうである。
 某老人ホームで90代の女性入居者が介護士の暴力で亡くなったとニュースで報道された。何があったのか詳しい事情は不明である。
 介護という行為は人間的な癒しにもなるし、ひとを痛めつける暴力にもなる。介護は単純のように見えてとても難しい行為である、そのことを僕たちは皆学ばなければならない。
 ところで先日、高齢のひとりの患者を在宅で看取った。そのように死にたいと当人が語っていた通りの最期になった。介護した人たちの表情には悲しみのなかにも静かなほほ笑みがあった。介護した人たちと今は死者となった介護された人との間に暖かい気持ちの交流が感じられた。臨終の場が穏やかな笑顔で包まれる稀有の体験だった。

2022年10月8日
ウィズ認知症の時代

 Nさん。某クリニックで長く働く事務スタッフである。明るく優しい人柄で皆から好かれているが1~2年前から物忘れが目立ってきた。事務の手順を間違えるようになり、注意が必要になった。他のスタッフが気づき教えることでしばらくは問題なく働く。2~3か月するとまた忘れるので教える。それを繰り返した。本人から「すぐ忘れるようになってご迷惑かけるのでやめさせてください」というようになり、仕事を比較的単純な部署に固定し続けてもらうことにした。
 ところが、数ヶ月するとそれもできなくなった。毎日のようにやめさせてほしいと繰り返す。いままで大きなトラブルはないのだが、患者さんと接しない時間に機械的な仕事をしてもらうことになった。留守番と掃除、シュレッダー処理などだけでよいからと説得され仕事を続けることになる。それでも「何もしてないのに申し訳ないからやめさせてください」と繰り返す。
 そこで或る日、クリニックの院長はNさんを呼んで静かに言った。「実はね、Nさん、このクリニックのスタッフはね、皆あなたのことが好きなんです。あなたという人が大好きなんです。だから今のままいてほしいんです」何かあっけにとられたような表情だったNさんだが、以後やめたいと言わなくなった。時々小さい声で歌を歌いながら自分のしごとをしている。朝のお茶を入れたばかりの院長に10分もしないうちにまた「お茶をお持ちしました」と持ってきてくれることはあるけれど。

 最近のNHKでスマホを利用して認知症がわかるというニュースをみた。医者の診断にかわるものではないと断ってはいるが観る方はそうはとらないだろう。スマホでの喋り方、スマホをポケットに入れたときの歩き方で判定するという。認知症とスマホで判定してそれでどうしようというのだろう。疑問なのは認知症(アルツハイマー型)の明らかな予防法も治療もないところにこのような安易な擬似診断的ツールを持ち込むことがどのようなインパクトを人に与えるか考えているのかどうかという点だ。何より認知症と診断されて療養されている多くのひとたちの気持ちになんの顧慮もないこと、認知症のひとへの差別につながることへの無感覚である。認知症であってもそのひとの人間性は保たれる、この大事なことが知られなければならない。

 超高齢社会の今、認知症は糖尿病や狭心症、慢性腎臓病などと同じくコモンデイジーズになりつつある。自分だけ認知症にならないと思うのは間違いだ。これからはウィズ認知症の時代を生きる覚悟が要る。

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