臨床余録
2022年7月17日
「死にたい」は「生きたい」

 朝日「声」欄の投稿記事を読む。ALSと診断された父親は悪化しても人工呼吸器は絶対につけないと家族に厳命していた。しかし、娘は父の意思に反して気管切開し人工呼吸器をつけてもらう選択をした。それは「私たちはもっとあなたと一緒にいたいから生き続けてほしい」との思いから。文字盤を作り父の目線を追う。目尻にまばたきセンサーをつけてパソコンを操作し父は本を書いた。亡くなるまで5年間家族にたくさんの思い出を残した。

 死にたいとう気持ちの裏には生きたいという気持ちがある。この方の場合「あなたと一緒にいたいから」という家族のメッセージがキーワードだ。
 お父さん、何もできなくても何も喋れなくても大丈夫、ただそこにいてくれるだけで私たちは嬉しい。痰の吸引、排泄の世話、食事のこと、体の保清、すべて私たちが交代でするから心配しないで、こうした家族の思いである。
 人工呼吸器をつけても生きていてよかったという時間がそこに存在すれば本人のQOL(生きることの質)は良い方に向くだろう。

 ここで思い出すのは京都でALSで安楽死を遂げたひとり暮らしの女性のことである。各所でふりかえりがなされ、本人のツイッターに「自分の尊厳を否定された苦しさ、蔑みを受けた悲しみ」と言った言葉があり、男性ヘルパーに入浴介助を受けざるを得なかったことの屈辱、自分が人間として扱われなかったことの耐え難い苦しみの存在が明らかとなる。介護の事業所が17か所も入り、24時間切れ目なく介護が保障されていたにもかかわらずである。もうひとつツイッターの文を引用すると、亡くなる数日前のものとされるが、「65歳ヘルパー 体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責める ・・・むかついてもやめろと言えない 代わりがいないから惨めだ」

 24時間介護の量的な面からは最高水準の保障は得ていた。しかし、質的にはどうだったのだろうか。ヘルパーの心無いひとことがきっかけになったのだろうか。

 もう一人頭に浮かぶのは訪問診療していた90歳のひとり暮らし女性。腰痛のため段々歩けなくなる日々を「毎日が地獄のようです」と述べていた。ある往診日、表情が明るいので聴くと、週に一回くるヘルパーさんが「何と説明していいかわからないのですがその人がくると不思議に気持がよくなるのです」と述べた。恐らくそのヘルパーさんも彼女の家に世話にくることに喜びを感じていたではないか。介護の量からいえば週一回、1時間もいないであろう。だが高齢女性の絶望的日々に安らぎに満ちた光を与えたのである。この方にとって介護は質であるといえそうだ。

2022年7月3日
アルスモリエンデイ

 ニューイングランド医学誌June2. 2016:A Modern Ars Moriendi((現代の往生術)を読む。

 牧場主である私の父は禁欲的で無口。彼のカウボーイハットとブーツはみせかけではない。ブーツは蛇に噛まれるのを防ぐため、ハットはコロラドの強い日差しをよけるため。彼は3300エイカーの牧場のすべてを愛していた、広大な荒涼とした風景から、多くの友人が集まる家庭の居間や食事をするテーブルに至るまで。最近まで彼は土地を耕し牛の世話を熱心に行っていた。
 2015年の春の或る月曜日の午後、隣人から父が倒れ右半身が動かず言葉を喋れないと連絡が入った。救急車が向かっている。
 ケアについての彼の意思表示を思い出しながら、続く4日間は私は娘であり、ケア決定代理人であり医者でもある、役割を移動した。分別がつかなくなるほどむつかしくでもそれによって私は変わることができた。内科医として20年間患者をケアしてきたが、今自分は最も近しい家族のケアを懸命にしていた。彼に苦しんでほしくなかった。亡くなるなら望ましい死(good death)を、アルスモリエンデイに近いものを。
 アルスモリエンデイは“art of dying”にあたるラテン語であり、腺ペストが流行した15世紀ヨーロッパに広まった。その目的は死の準備のための実践的スピリチュアルな枠組みを備えることである。それは死者やそのコミュニティのために祈りのプロトコールの概要を示す。人間の命は限りがある(human finitude)という認識を強調する。私の父はアルスモリエンデイなど聞いたこともないだろう、しかし、もし知っていればそれこそが彼の欲することであるのは確かである。彼のリビングウィルそして家族との話し合いの中で、人工呼吸、延命のための蘇生術、胃ろうなどははっきりと拒否していた。できるなら牧場で死にたいと言っていた。・・・
 関節炎や通風による身体的低下は明らかであった。足は腫れブーツが履けなくなり代わりにスニーカーを履いていた。カウボーイブーツのないその姿はがっかりさせるものだった。
 私が病院に着いた時父の反応はなかった。手を握っても握り返すことはなかった。眼は閉じたままだった。重篤な脳卒中であった。もとの状態にはもどることはできないと診断された。・・彼を牧場にもどすことにした。・・
 父が自分の部屋に戻った時、春の暖かい風が吹いてきた。皮革、ほこり、噛みタバコの匂いがした。彼の呼吸は穏やかになり興奮状態はおさまった。自分が家にいるのがわかったのだと思う。退院させたことは彼の死を早めるかもしれない。しかし、残された時間はより豊かであり、それは彼がよく語っていたことだ。
 声が家に溢れた、友達や親族がやってきて寝室に出入りする、無言であるいはユーモアのある笑いやジェスチャーで彼への敬意を示した。司祭が訪れさいごの礼拝をする。3日間の沈思黙考の時間が過ぎた。
 『21世紀における死』のなかでLydia Dugdaleは、高度に医学化された死へのアプローチに対してアルスモリエンデイを復活させることができるかと問うている。父のケアを通してそれができたと思う。父はここで親しい人たちに包まれるようにケアされた。病院チームによる毎日の回診はなく、彼の命を長らえさせる機械はなかった。平原の匂い、自分のベッドの快さそして愛する人たちの声があった。
 時に私は正しい決定をしたのだろうかと考える。医学の進歩によってストロークのあとかなりの障害が残っても生きることができるようになった。家での2日目、父は咳と発熱を認め、肺炎と思われた。しかし、抗生剤は控えた。代わりに苦痛を和らげる処置をし、それがすべてであった。しかし、彼の明確に述べていた希望にもかかわらず、理論的には彼を生かし続けることができることを私はよくわかっていた。
 寝ずの番が続き、我々は疲れ果てていたが、隣人が静かなピアノ曲をひいてくれた。悲しみがあふれ、慰められ、父にお別れをいう準備が整ったようだった。
 彼の状態はさらに悪化した。妹が「何て美しい朝・・」と父に話しかけたすぐあと呼吸が静かになった。彼の手を握り深い悲しみと死の荘厳を感じた。
 過ぎた時間のなかで、自分の死に対する先見の明を示した父に感謝の念を禁じ得ない。私自身慣れ親しんだ医学的治療に抵抗するのはチャレンジだった。しかし、彼の希望を尊重し、我々は延命テクノロジーlife-prolonging technologyからlife-enriching communityへとフォーカスを移動させた。そして15世紀の原則を応用して時間を超越した結末であるgood deathをもたらすことができた。


 以上が抄訳である。父親を家で看取る医師である娘の揺れる心情がよくでているエッセイだと思う。
 アルスモリエンデイという言葉はArt of dying死ぬことのアート、死の作法ということである。辞書には「15世紀ヨーロッパで流布した小冊子のことでキリスト教徒としていかに死ぬか、臨終にどう振る舞えばよいかを説いた死に方の手引き」とある。
 エッセイ中の父は重い脳卒中で倒れ昏睡状態にある。延命処置がうまくいっても重度の認知症寝たきり胃ろう状態になる確率が高い。それでも平均的な現代の病院医師や家族は医学的処置に希望を託すのではないか。上記の患者は延命処置はしないというリビングウィルを書き、さらに家でさいごを看取る医師(娘)が居て、彼を地域で迎えるコミュニティがあるという条件がそろっていた。だからこれを一般化してこうすべきだということはできない。しかし、個別のケースであるだけに豊かなナラテイヴがここにはある。
 アルスモリエンデイは15世紀キリスト教的な死の作法であるが、現代には現代の死の作法(往生術)があってもよいだろう。今の日本にあっては、本人及び家族の延命処置希望せずという意向、それを確認する信頼できるかかりつけ医(患者の価値観を共有する)との関係、ACPの実行、病院医師との連携などの条件がそろえばそれを“現代日本の往生術”と呼べるかもしれない。

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