臨床余録
2022年1月16日
忘れられない言葉

 神奈川県内科医学会で一語一会大賞を募集している。心に響いた患者さんやご家族の一言、あるいは患者さんの心に届いた医者の一言。昨年の一語一会大賞は「大事なことは家族を守ること」認知症のひとの言葉だという。当意即妙賞は「まだ老人ではないです。96歳になったら、年とったねと言ってあげます」これは「もうとしだからしょうがないです」という患者の言葉に返した医者の言葉。なるほど・・。

 僕にも忘れられない言葉がいくつかある。


*「私に残された仕事はあと死ぬことだけです」
これは90歳の男性のことば。ある日の往診で診察しながら彼が微笑しながら呟いた。彼の生きて来た人生とその達成を凝縮することばで忘れがたい。それからひと月もしないうちに彼を在宅で看取ることになった。

*「私はいま生きているんでしょうか、死んでいるんでしょうか」
これも90代の女性。老耄(ろうもう)が極度にすすみ枯木のようにベッドに横になっていた。診察しようと近づいた僕にかすれた声できれぎれにこの言葉を吐いた。僕は絶句したまましばし彼女の顔をみつめていた。

*「まいにち最後の晩餐だったのです」
長く診ていた高齢女性が御主人を亡くされた。その報告を僕にしたときお別れに至る日々をこのように語った。さらに印象に残ったのは続けて語った「最愛の夫を亡くしたのに涙が全くでなかったのです」という言葉だ。

*「大事なのは人生に退屈しないことです」
上の女性から「これからの人生をひとりでどう生きていけばいいのでしょうか」ときかれて僕はこう答えたという。自分では覚えていないのだが、夫を亡くされた女性になにかぶしつけな言葉ともとれる。しかし彼女は忘れがたい僕の言葉として記憶している。

*「せんせい、さいごまでおねがいね」
在宅で看取るまでの期間に十分信頼関係が患者さんとの間にできることが望ましい。何人かのかかりつけの患者さんからこのような言葉をかけられた。これほど自分を奮い立たせ励まされる言葉はない。医学的知識やスキルではない、僕という人間そのものにむけて放たれた言葉だと感じるからである。

*「平凡な人生でした」
ひとに尽くしながらさいごまで謙虚な美しさを保ったひと。在宅から緩和ケア病棟に入院したその日、見舞いにいった僕に、吐息のように静かにささやいた。つらい時間だった。

*「先生は長生きしてくださいね」
進行性の疾患のため根本的な治療法はなくその時々の痛みや苦しみに耳を傾けるしかなかった。ある日の訪問診察を終え、また「来週きますね」と話したときにこう言われた。あとから思うとその日がさいごになることを彼は知っていたのだ。そのときの彼の表情、口調がありありと浮かぶ。その数日後彼は旅立った。

 

 

2022年1月2日
去年をふりかえるとき

 いつのまにか新しい年になっている。コロナに振り回されるような1年だったが、今年はどうだろうか。少し余裕を持ちたいところだがそうもいかないかもしれない。それにしても頑張ろう思えばいくらでも頑張れる年齢ではないことも自覚しなくてはならない。

 ところで昨年、診療以外で自分なりに力を集中して取り組んだのは1年前から頼まれていたエンデイングノートについての講演とBRAIN & NERVEという定評のある医学雑誌への在宅診療についての投稿である。

 講演は地域ケアプラザで2年前にも行ったがそれをだいぶアップデートし、“希望のエンデイングノート”というタイトルにした。人生の最終章に至る3つのステージ、元気なうちからするべき3つの貯金、医療や介護との関わり方、病院とかかりつけ医の役割分担、延命治療と救命治療の違い、胃ろうを巡る論議、ライフの3つの意味、物語をつむぐいのち、最終章のためのエンデイングノートやリビングウィルなどの事前指示書の意味と限界、アドバンスケアプランニング(人生会議)の意義、そこにおける共同意思決定の必要性、4つの事例を通しての学びなどをを話した。講演を準備することにより自分をふりかえり考えを整理することができた。講演の中で本多先生のハッピーエイジング10か条を紹介した。

 雑誌への投稿は“キュアからケアへ”(在宅診療医へのキャリアパス)というタイトル。内容は
 Ⅰ在宅診療とは
 Ⅱ筆者のキャリアパス(精神科→脳神経内科→内科:在宅療養支援診療所医師) 症例(ALSの独居高齢女性を多職種連携で在宅で看取ったケース)
 Ⅲ診断と治療
 Ⅳ脳神経内科医にとっての在宅診療の意味
 Ⅴ良き指導医を持つこと
 Ⅵ病む人の言葉に耳を傾けること
 Ⅶ共同意思決定
 Ⅷ終末期ケアと人生会議
 Ⅸ症例を看取ったチームのその後
 Ⅹ精神科的素養の必要
 Ⅺ筋萎縮性側索硬化症の緩和ケア
 そして「おわりに」で超高齢社会の医師のプロフェッショナリズムとはお互いにリスペクトしあう多職種とのフラットな連携のなかでリーダーシップをとることであると述べた。良き指導医としての本多先生について記した。

 過去を振り返り、これからの時間をどう生きるか、を思うときいつも本多先生がそこにいる。

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