臨床余録
2021年12月12日
我々はみな難民

 2月11日から第1回日本乳幼児精神保健学会が郡山ではじまった。コロナの影響でウェブ会議となる。外来をやりながらその合間にパソコンを見に行く。
 午前中は招待講演。いせひでこさんが『悲しみのゴリラ』について話しているその一部だけ聞けた。悲しむゴリラは少年の分身? ブローハン聡の『虐待の子だった僕』は聞けなかったが、多くの聴衆に感動をもたらしたようだ。

 午後はバングラデシュ、ブラック大学のエルムさんの登場。ロヒンギャ支援の中心の先生。好意で授かった衣類を投げ捨てるようなロヒンギャ難民のプライドと文化の存在。そのような難民にどのようにアプローチするか。支援の前にその人たちを知りコミュニティをリスペクトすることが最も大切と強調。決して押し付けてはならないという彼女の言葉には重みがあった。子があつまると民族の歌と踊りが繰り広げられる。わらべ歌をうたうこどもたち、絵を夢中で画く子供たち、そして伝統的遊びがビデオで紹介される。難民とされる子どもたちの子どもたちなりの尊厳の備わった姿に眼を奪われた。

 福島の成井先生、エルムさんの話を聞き、子供たちの姿を見、日本の子どもたちにはない何かをそこに発見し、自分はロヒンギャの子供たちの世界からの難民ではないかという感想を述べた。自分こそ難民という彼女の感受性の深さに驚き、そして僕にも共鳴するものがあった。日本の子供たちが失った子ども同士の世界がそこにはあった。そういう意味では日本の子どもたちも難民である。僕らは本当の遊びを知らない難民を育てているのかもしれない。スマホのゲームは得意でも子どもの遊びを知らない子を育てている。そう思った。成井さんたちのプレイラボの紹介。地域の地道な取り組み。

 郡山の菊地先生、子どもの遊びの意味について、ペップキッズを作ってみて遊びが如何に必要かを知る。子どもの居場所としての遊び。

 いわきの鈴木さんの“たらちね”での実践。福島イノベーション・コースト構想への異議。廃炉を担う人材育成、産業、教育への投資。原子炉の後始末を産業とし、子どもの教育に利用する欺瞞。廃炉を子どもたちに押し付ける考えに対する静かな怒り。10年健康ノートを作り、自ら放射線測定の技術を学び、例えば福島の女の子とは結婚しないという世間と戦う。

 柳田邦男さん ルネ・シェレール『異邦人歓待論』を援用し、避難民を人びとが歓待する(ホスピタリティー)社会文化を確立しなければならないと述べる。あいまいな別れ、さようならの原義。そうであるならば、そうならなければならないなら、ということ。 ジャンケレヴィチの郷愁論『還らぬ時と郷愁』「自分の源泉無心さに年老いて戻る人間は自分が決して行ったことのない所に戻り、かつて見たことのないものを再び見るのだ」「郷愁に捉えられる者は不敗無敵の希望の中に身を落ち着ける」 地貌季語「木々は身を捩る外なき雨返し」新谷ひろしなど柳田さんの相変わらずの学識と問題への切り込みの深さにこころ揺さぶられる。

 

 

2021年12月5日
診断よりむつかしいのは

 認知症の早期発見早期対応がかかりつけ医の役割とされて久しい。

 Aさん78歳男性。20年前妻が脳卒中で倒れ認知症で寝たきりとなった。経口摂取できず胃ろうによる栄養補給をしてきた。ヘルパーや訪問看護師の援助もあるが、朝夕の胃ろうからの薬と栄養補給、そしておむつの交換は彼の仕事だった。1~2ヶ月に一回訪問診療をしてきた。妻の介護が自分の役割と自認している彼は口癖のように「自分は今まで医者にかかったことがない」と繰り返した。ある往診日のことである。月に一回定例の妻の保険証を見せてほしいというと「はい」といったあと、いつもおいてある机にないといって、冷蔵庫をのぞき探しているのである。「あれ?」と思った。しかし、それ以上は追求せず。「この次でいいですよ」と言って退去した。それからしばらくして彼が遠くの駅前でうろうろとしているところを警察に保護されて帰宅したという連絡があった。以後は息子さんが時々みにくるようになり、落ち着いたかにみえた。ところが、最近になり胃ろうの注入を忘れる、おむつ交換しなくなる、訪問時の話す内容がいつも同じことの繰り返しになった。それでも自分は病気というものをしたことがないので大丈夫ですと強調する。この経過で彼が認知症を発症したのは間違いない。問題は彼にどうアプローチし、この先どういうケアをしたらよいのかである。診断よりも診断のあとが大事なのだ。

 息子さんとAさんに受診してもらった。まず20年もの間トラブルもなく妻の介護を続けてきた彼に対して人のまねのできない大変な苦労であったであろうことをねぎらった。外来の看護師も「すごいことです」と彼をほめる。「そうだね、大変だったね」と彼自身も少し緊張がほぐれる。「20年も懸命に介護してくれば疲れも出るし物忘れだってでますよね、誰でも」と僕が話すと「そろそろこの頭も駄目みたいなんだよね」と応じる。ケアマネは妻を看護付多機能小規模デイサービスに通わせ夫も付き添わせることを考えている。

 以上、ここまでは診断後のむつかしさを少し越えたようにみえる。今後は恐らく進むであろう認知症に対して、行動心理症状がでないように僕らが連携してAさんをサポートしていけるかどうかがカギである。

 

 

 

 

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