臨床余録
2021年11月28日
希望のエンディングノート

 西区でエンデイングノートを広げる取り組みを2年前からやっている。人生のよりよいさいごを迎えるためにはどうしたらよいのか。その具体的手がかりのひとつとして「ウエスト・ライフストーリー」というノートを作成した。このノートをどのように使ったらよいのか、例えば自分のクレジットカードや通帳の番号や暗証番号、親族の情報など基本情報から資産、相続関係、葬儀やお墓などにつきあらかじめ希望を書いておく。その書き方につきそれぞれの専門家が2~3か月に1回順に講義する。
 僕は「医療についての希望」という項目が担当で2年前講義した。昨年はコロナ禍で中止。今年は今のところ行う予定である。この医療関係の事項は、人生のさいごをどこでどう迎えたいかといった医療に関する本人の意向を問うものである。他の分野と比べ書くのが一番むつかしいといわれる。
 たとえば「治らない病気などにより、自分の気持ちを伝えられなくなったら、どんな治療やケアを受けて過ごしたいですか?」という設問がある。「できるだけ長く生きるための治療を受けたい」「痛みやつらさを軽減する治療やケアのみをしてほしい」「すべての治療やケアを受けたくない」「その他」と答の選択肢があり、チェックして選ぶ。
 しかし、考え込んで空欄のままということが多いようだ。自分の最期を思うことがむつかしいし、できれば向き合いたくない、避けたいというのが本音かもしれない。そこであえて講義のタイトルを「希望のエンデイングノート」とした。「絶望のエンデイングノート」ではまずいのである。
 ところで、このノートを眺めて、項目にただチェックを入れるだけで終わりでは困る。このノートはリビングウィルと同様、事前指示(アドバンスデイレクテイヴ)の一つになるが、書いただけでは意味がない。書いた内容を周囲の人にみせて話し合いがなされることが望ましい。
 もうひとつ大事なことは、そこに書いた意思表示は病状が進んだり、人生の最期に際して変わり得る。人の考えや思いはその時の状態で変わるのである。
 その点でこの「事前指示」には限界がある。だからエンデイングノートは飽くまで自分の人生のさいごに向き合うためのはじめの扉のようなものなのである。
 最近は、もともとは欧米から入ってきたアドバンスケアプランニング(ACP)(人生会議)の考え方がより人間のありのままに添うものと考えられるようになってきた。このあたりを今回は強調して話せればよいかと思う。

 

 

2021年11月7日
今を生きる(8)

Late Fragment

And did you get what
You wanted from this life, even so?
I did.
And what did you want?
To call myself beloved, to feel myself
Beloved on the earth.

 ~Raymond Carver


終わりの断片

それできみは人生から
きみがほしがっていたものを
手にいれることができたのかい
たとえそうであっても?
できたさ
それできみはなにがほしかったんだ?
この地上で
ぼく自身を愛すべきものと呼ぶこと
ぼく自身を愛すべきものと感じること

私が自ら死すべき運命をみつめるとき、私の意識の中心に愛が位置する。愛は、妻のケアギバーとして私が前に進むための、ケアを受ける患者としての私の、子どもたちからサポートを得る父親としての、そして生きて同時に死にゆく人間としての、勇気を創るちからである。ケアギバーと共に在るとき、私は彼らの意識のなかに死を究極の敗北とする恐怖感をみる。これら専門職は無意識ではあるが長く生きることは常に死にまさると考える、しかし彼らは最も重要な行為とはナラテイヴの糸(narrative thread)と協調しつつ生きることを支えることだということをつかめない。それは私がその中に生きる多くのパラドクスのなかのひとつなのだ。皆がふりかえり、皆のためにそして彼らの触れるすべての者に役にたつように、ひとつのレガシーとして私の洞察を遺したいと思う。


ここでDr.Stuart Farberのエッセイ“Living Every Minute”は終わりである。「今を生きる」8回に分けて紹介した。あえてまとめはしないことにする。代わりにさいごの有名な作家レイモンド・カーバーの詩 Late Fragment の村上春樹訳を載せることにする。さすがに僕の拙訳より(当然だが)素晴らしい。


おしまいの断片

たとえそれでも、君はやっぱり思うのかな、
この人生における望みは果たしたのかと?
果たしたとも。
それで、君はいったい何を望んだのだろう?
それは、自らを愛されるものとよぶこと、自らをこの世界にあって
愛されるものと感じること。
(村上春樹編・訳)

このエッセイの載った雑誌の編集者によるとDr.Stuart Farberは2015年2月27日自宅で亡くなった(died peacefully at home with hospice)。このarticleが彼のレガシーの大切なひとつとなるであろうと記している。レイモンド・カーバーも癌で50歳で死んでいる。その前に書かれたのが「おしまいの断片」であるのを知って読み直すとさらに味わい深い。

 

 

 

 

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