臨床余録
2021年10月31日
今を生きる(7)

残されたものがすべて愛であるなら

私が死ぬとき
あなたが涙を流さなければならないとしたら
あなたの傍ら街路を歩くひとのために叫べ
手に手を重ね、魂を魂に触れさせることで
あなたの善きものを分かち合い
あなたの親切を何倍にもすることにより
あなたは私を最も愛することができる
あなたは私をあなたの心ではなく
あなたの眼のなかで生きさせてくれる
そしてあなたが私のために祈るとき
私たちの師の教えを思い出そう
人は死んでも愛は死なない
そのように私に残されるすべてが愛である時
私を連れて行くがいい

 Rabbi Allen S. Maller

 これまで私が学んだ最も意義深いレッスンの一つはレガシーの力ということである。初めて診断されたとき、私は身体的に明らかな不安に満たされていた。その感情をふりかえると、私は不安の原因は私の家族やコミュニテイーと如何に私が彼らを愛しているのか、その関係をいかに大事に思っているかという感情を分かち合えなくなるという恐れであった。そのお互いの愛情やケアしあうことが失われるということを想像するのは恐ろしいことだった。続く日々に私は妻、子ども、孫たちに手紙を書いた。彼らが私に与えてくれたものを伝え、彼らに向けての私の愛そして希望を書いた。私はアマチュアのギターの弾き手であり歌い手でもあったので私が亡くなったあと彼らが楽しめるように歌をつくった。その週の終わりには私の不安は著しく和らいだ。多くのやり方で私はレガシーを作り続け、それは実を結んだ。私は愛情と知恵の両方を分かちあうように、私を記憶にとどめ私をオープンにし彼らが私から望ましいギフトを贈られるように努めた。このことは今死の間際にすることではなく今までの人生のなかでするべきことだった。
 レガシーを創りだすことは私に深い達成感(a profound sense of completion)をもたらした。私は自分の人生のなかで得た知恵とケアの心は私が愛する者の心と精神のなかで生き続けるであろう。私の肉体は無くなる、その一方、私のレガシーは生き生きと私が最も気にかける人びととの関係のなかで生き続けるであろう。それは私のマインドフルな不死の形なのである。それが私の緩和ケアコミュニテイーである君たちと言葉を共有する理由である。
 専門的に考えると、それはレガシーを創りだすことが患者、家族、コミュニテイーにとりいかに大切かの理解を深めてくれた。この困難なしかしやりがいのある仕事はとりかかることがむつかしい。それでもそれを行う者や家族には意味のあることである。患者や家族のためにレガシー創出に関わる方法を見つけることは臨床家にとって聖なる機会ともなる。専門家自身はその仕事に携わるわけではないが、人間の連携を探り表現できる環境に患者や家族を導くことができるのである。

 

 

2021年10月24日
今を生きる(6)

壊れないもの

壊れたものがある
そこから壊れないものが生まれる
粉々にされたものから粉々にされないものが花ひらく
悲しみがある
喜びにいたるあらゆる悲嘆を越えて
その深さが強さとしてあらわれる脆弱さがある

言葉にするには大きすぎる空間がある
それを通して我々は喪失を通りすぎる
その暗さから我々は存在を認可される

そのぎざぎざの縁で心臓を切りつける
すべての音よりも深い叫びがある
我々がこじあけるとき
内側は壊されてはいない場所に至るまで
そして全体へ
歌うことを学びながら

 Rashani Rea

過去1年間、アナルと私にとって喪失と悲嘆はわけられないひとつのものだった。悲嘆は我々が経験した多くの喪失にたいする自然な反応である。悲嘆は解決されるべき問題でも治すべき病気でもない。それは私の人生に豊かさと意味を加えることとして経験され支えられるべきプロセスである。重ねて言うと、悲嘆は私の人生を豊かにしてくれる多くのパラドックスの一つである。一人の患者として私のケアスタッフが私の悲嘆に触れないようにしているのに驚かされた、そして一度そこに触れるとたちまち彼らはそこに縛られ固定してしまう。私の担当医の殆どは彼ら自身を守るのにとても忙しいので私と共にいることは不可能だった。私の悲嘆への認識とサポートの欠如は個人的にも専門的にも意義深いレッスンとなった。

 

 

2021年10月10日
今を生きる(5)

選択

大きな選択がなされるときには、・・・注意深くあらねばならない。私が若かったとき、そこに在ること(being)での生活と行動すること(doing)での生活のどちらかを選ぶ必要に迫られた。そして私は鱒が飛び上がるように後者にとびついた。しかしある行為をするたびに、その行動は君をそれ自身とその行動の結末に結びつける、そして行動、復た行動へと駆り立てる。するとごくまれに行動と行動の間のある時空間に行き当たる、その時君は止まり、そこに単純に在る(be)存在となる。あるいは、つまるところ、君は誰であるのか考えることになる。

 Ursula K. Le Guin

人がそこに居ること(being)と何らかの行動すること(doing)について考える。私の病が与えてくれる最も大事なギフトは行動と行動の間で単純に在ること、そして私が誰であるのかに思いを巡らすことができることである。ふりかえってみると、私は医者として行動することの大切さを教え込まれてきた。今私は単純にひとと共に新しい仕方で在ることができる時間を大事にしたい。そして、臨床医が単に私と共に在ることがどんなにまれであるか、かれらが何かをするということにどんなに強く縛られているかに私は気づくのである。

 

 

 

 

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