臨床余録
2021年6月20日
100歳まで公園の掃除

 コロナワクチンに追われる毎日、少し空いた時間に古いカルテの整理をする。廃棄する前に印象深い方の記録をもう一度ふりかえる。
 102歳でこの男性が亡くなったのは10年前のこと。高血圧のための40年以上にわたる通院歴がある。僕の父が診ていたのである。そんなに長い病歴なのにカルテはむしろ薄い。昔は血圧の値だけ書いてあとは『Rp)do (処方)』だけ。B5の大きさのカルテ1枚で10日以上の記録が書けてしまう。
 僕が父を引き継いで診はじめた20年位前からSOAP式にカルテの記載がなされる。さらに患者がどういう人なのかを印象やメモを書き残すようになる。この方の場合も、例えば風貌は一見、お坊さん風、角刈りで裸足、いつも着流しの着物とスケッチ風メモ。微かな笑みを浮かべ、朴訥で質問しなければ喋らない。診察時、着物を脱ぐとふつうの下着をつけておらず、下帯だけ。浅黒い引き締まった体にシャツもパンツもつけたことがないという。鶴見の温泉に週3回行く。
 97歳の頃、僕にもだいぶ慣れたのか、診療の度に膝を伸ばしたまま両手を床につける、上と下から伸ばした両手を背中で握るといった“芸”を毎回みせてくれるようになった。温泉以外に行くところは近くの公園。毎日下駄に着物でほうきを持ち公園の掃除をしに行くのである。
 雨の日は家で古今東西の有名人の言葉を書き写しそれを座右の銘として本にする。それを人に配る。僕にも「読みなさい」とくれる。たとえば、「人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず」(徳川家康)、「すべて人は雅の趣を知らではあるべからず」(本居宣長)など、80数名の言葉が毛筆で半紙に書かれ、ペンで解説が書き加えられ、きれいに一冊に綴じられる。一冊終わると次の一冊にとりかかる。昔は会社の事務係で見積もりなどを担当、書くことを仕事としていた。
 白寿そして百歳の誕生月、外来でいつも通りの“芸”を見せてくれる。
 しかし、認知症が始まっていた。書けなくなった。公園には行くが静かに日向ぼっこするだけになる。着物も着られなくなる。
 肺炎になり1週間後在宅で102歳の彼を看取った。亡くなる2日前の夜はせん妄で混乱、亡くなる前日の夜は歌を歌っていたという。
 町内では誰もが彼のことをその着物と下駄の粋な姿、そしてなにより100歳になるまで毎日公園の掃除をしていた人として記憶に留めている。

 

2021年6月6日
出前接種

 新型コロナウイルスワクチン集団接種がはじまっているが、接種会場に行けない患者は少なくない。在宅療養支援診療所の役割として在宅巡回接種を始めた。
 往診日の前2週間以内に受け取った冷凍ワクチンを解凍し、室温にもどし生理食塩水で希釈、0.3mlずつ6本のシリンジに吸い取り、遮光して室温保存。それをスポンジ、ガーゼなどでくるみ移送の際振動が伝わらないように容器に保管。
 僕が運転する車の助手席にすわる看護師がそれをそっと持ち、できるだけ静かに運転をこころがける。英国のガイドラインでは自動車による輸送は禁と書かれているらしい。近いところは歩いて回れるが、遠くは車往診にならざるをえない。溶解後6時間以内に往診を終えなければならないというしばりもある。
 もうひとつの問題は、接種後のアナフィラキシーなど副反応の有無の観察である。集団接種では15分あるいは30分間、接種後もすぐ帰らずにそこにいてもらい看護師が観察する。往診では30分観察する時間的余裕がない。そこで家族がいる場合はアナフィラキシーの症状を教え、万が一出現したらすぐ僕のケータイに連絡するように指示する。独居のひとは15分~30分後に僕から電話して状態を聞くようにする。
 従来の定期訪問診療や臨時の往診とは違うスタイルの診療が始まった。いわば出前診療、出前接種である。
 

 

 

 

 

 

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