臨床余録
2021年5月23日
コロナ狂詩曲(ラプソデイー)

 土曜日の午後、公会堂での新型コロナワクチン集団接種に参加した。後期高齢者350人を3人の医師で問診、6人の看護師で注射を行う。約2時間半、アナフィラキシーなど副反応が懸念されたが、幸い問題となるひとはいなかった。
 ところで、そこに来ていた方はラッキーというべきで、外来の患者さんから予約が全くとれないという悲鳴に近い訴えを毎日診療所で聞かされている。毎日朝から晩まで電話をかけっぱなしでそれでもかからない。どうにかならないんですか、先生はかかりつけなのにやらないんですか、と責められることもある。
 渡邊醫院では、まず50人近い在宅患者、グループホームなど障害者施設の方々。次に体の不自由のため集団接種会場へ行けない方たち、という順で接種していく予定。それがいまのところ僕の使命と考えている。
 どうして予約がとれないことでパニックに近い状態になってしまうのだろうか。ひとつはメデイアが作り出す恐ろしい病気というイメージがあるだろう。怖くて家から一歩も外にでないという人もいる。また、接種券つき予約表が送られてくるというのは特別なことで、インフルエンザとは異なる感情をみなもつようだ。インフルワクチンをうったこともないというひとでもコロナワクチンは打ちたいという。打たないと大変なことになると思う。それが自然な感情かもしれない。
 それにしても予約が殺到して椅子取りゲームのような醜い悲喜劇をながめるのもつらい。行政はこれを深くふりかえりみるべきである。
 なかには長く在宅で療養していて「今さら打ちません」ときっぱりしている90代の方もいる。あわてずに待ちますとゆうゆうとしている人もいるが少数派である。
 コロナに感染すると約80%は軽症で経過して治癒。残りの20%が入院の必要な状態になり死亡することもあるが、高齢者が主である。変移型はより若いひとにもかかることがわかってきた。しかし、インフルエンザのように乳幼児の命を奪うことはない。コロナでなくても高齢者は癌、心臓病、嚥下性肺炎、インフルエンザで亡くなる率は高い。だからコロナウイルスは自然の摂理に沿った病原体ということになる。僕も高齢者だからかかっても仕方ないが80%の確率で軽症だから楽観的に構えているところもある。ただ軽症でも原則入院というのが困る、また濃厚接触だけで外出自粛で診療ができなくなるのが困る。それによる風評も困る。これら困ることはコロナが指定感染2類というインフルよりずっと重いグループに入れられていることによる人為的な弊害という面もあるだろう。
 人びとの直面する困難と不安に向き合いつつ医師として僕は冷静に今日するべきことを考えたいと思う。

 

2021年5月9日
脳のマッサージ

 コロナワクチンの個別・巡回接種のやりくりにやや疲れ気味。少し脳を休め肩の力を抜こう。昔、作っていた町医者川柳を読みかえし脳をマッサージしている。そのうち10句をあげてみる。

(1) 雲ばかり見ている医者の脳のなか
(2) 老人用自働扉にはさまれる
(3) 百歳に座薬をいれる梅雨の入り
(4) 町医者の知らない病気にかかるなよ
(5)  九十の嫗(おうな)に素敵といわれたり
(6)  扉(と)を開けてもらえず帰る往診医
(7)  紫陽花(あじさい)に聴かれていたり独りごと
(8)  青蛙おまえも生きているんだな
(9)  悔い(くい)は杭(くい)深く打ちすぎてはだめだ
(10) 華麗なる加齢を追いてころびたり

 これらの川柳のなかで僕はじぶんを外から見つめることができているような気がする。肥大した自我が小さくなるというか、じぶんも青蛙と同じ存在であるという認識である。この感覚は悪くない。

 

2021年5月2日
ハイテク医療と福沢諭吉

 二つの新聞記事を前にしている。

 ひとつは、「失踪村 お金も仕事もない」というタイトルの5月2日朝日新聞第1面記事。ベトナム人技能実習生として「貧しい家族を助けるために借金して来日したのに、安い給料と職場環境に耐えきれず逃げ出した。コロナ禍で仕事も途絶え」群馬から埼玉の日系ブラジル人ら外国人が多く住んでいる一帯に逃げ込む。週6日、朝7時から深夜まで働き月給10万円、6畳一間に7人で住まわされ、睡眠時間は3時間という過酷な状況が背景にあった。
 
 もうひとつは、4月20日の慶應義塾医学部新聞。ハイテク医療複合施設設立計画がベトナム、ハノイで進められているという記事。ベトナム、東南アジア諸国の富裕層向けに医療サービスを提供する。ベトナム財閥THグループと慶應義塾大学が協力合意書を交わし、今後管理運営、人事交流などを行っていく予定という。

 さて、慶應義塾の創立者は福沢諭吉である。有名な『学問のすゝめ』、初編冒頭に「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。」が出て来る。二編に、「人は同等なる事」のタイトルの下、人の有様と人の権理通義の違いを述べるくだりがある。世の中にさまざまな貧富の差(有様)はあるかもしれないが生まれながらの人としての権利(基本的人権:権理通義)は同等である。「大名の命も人足の命も、命の重きは同等なり。」とある。

 福沢諭吉は、「贈医」と題する漢詩七言絶句を北里柴三郎に贈り、医学の進歩を願ったとされるが、人の上に人を造るような、この富裕層向けのハイテク病院建設計画をどう思うだろうか。失踪村に逃げ込んだベトナムの人々がまず恩恵に浴することはないであろうこの医療の未来をどう思うであろうか。

 

 

 

 

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