臨床余録
2020年8月30日
真夏のプロフェッショナリズム

 ほぼ寝たきりの60代女性の訪問診療をしている。幻覚妄想状態で現実検討能力は失われているが、慢性期特有の自閉的生活に安住している。部屋の床には衣類や寝具、食べたあとの容器、種々の生活用品が散乱。病識はなく内服治療は拒否。往診時、それら物の置かれた床にスペースをみつけそこに坐り診察する。被害的色彩が時折まじるものの様々な有名人が彼女の部屋にやって来たり、窓の外の鳥たちとの会話などその奇想天外な物語は妄想的世界とはいえ面白く豊かである。

 連日酷暑のなかのある訪問日、今日はどんな話が聞けるだろうかと部屋に入っていくと、いつもとは違う位置に背中をみせてすわっている。挨拶すると、ゆっくりこちらを振り向くが言葉はない。反応が少し鈍く、顔を含め全身便まみれであった。エアコンはなく、真夏の日差しに部屋は間違いなく35度を越えている。しばし立ち尽くしどうしたらよいか考えたが動けない。便による体の汚染を何とかしないと、とは思ったが、ガウンや手袋その他準備はなにもない。熱中症の可能性も大である。しかしすぐ救急隊を要請するのは安易すぎないか。すこしためらいながら在宅医療相談室に電話した。

「わかりました、何とかします。すぐ行きます」という返事であった。そのすみやかな心強い応答に感謝。意識レベルが低下するようなら救急隊を呼ぶように指示し、次の往診にむかった。

 しばらくして、看護師から電話。患者は40℃の熱がある。からだは清拭し何とか涼しい部屋に移した。体を冷やし体温は少し下がった。意識はあり血圧は保たれている。水分も少しずつとれているので、このまま注意深く様子を見守りますという報告。

 そして翌日、状態は改善した。お風呂にも入れることができたという。

 これを聞いて僕は思わず“amazing!”(驚くべき、そして見事)とこころの中でつぶやく。あのままだったら恐らく熱中症で亡くなっていただろう。瀬戸際で彼女の命は救われたのである。

 いま、「わかりました」「何とかします」「すぐ行きます」という短い3つの言葉の意味を考えている。このような応答(response)の背後にはその仕事への責任(responsibility)というものが当然あるだろう。だが責任感だけでは動けないこともある。特に「何とかします」というのはそう簡単には言えない言葉だ。在宅医療の現場でのむつかしい状況をつきつけられてとっさにこのようにこたえられるにはそれだけの修練と経験が必要なはずだ。

 全身便まみれの重度の精神障害を持つ熱中症患者を階下に移動させ在宅でケアするということがどれだけ大変なことか想像できる。翌日にかけて連携して患者を守りぬいたケアチームの仕事に僕は感嘆する。こういう仕事をプロフェッショナルと呼ぶのだと思う。

 

2020年8月23日
You matter because you are you

 アメリカでBlack lives matter運動が続いている。黒人のいのちも大切だ、と朝日新聞もNHKも訳している。しかし、これは、黒人のいのちが大切だ、あるいは黒人のいのちは大切だ、と訳すべきではないのか。素直に読めばそうなる。なぜ、‘も’なのか。黒人の命も、では白人のいのちに付けたし的に聞こえてしまう。そうではなくて、黒人のいのちこそ大事という主張がそこにはあるのだと思う。

 ところで、このmatterという言葉、様々な意味がある。名詞としては物質、事柄、事件、困難、問題など。日常的にはwhat’s the matter with you?(いかがしましたか?)といった決まり文句だ。動詞では重要である、問題である、といった意味になる。

 タイトルに引用した文章“you matter because you are you”は英国セントクリストファーホスピス創立者シシリー・ソーンダースの言葉である。

 訳すと「あなたが大切なの、何故ってあなたは(あなた以外の誰でもない)あなたなのだから、(かけがえのない)あなたなのだから」ということになる。この言葉はシンプルなだけ、(・・・)の中の意味を含んでいると思う。

 この言葉はつぎのように続く。“you matter because you are you, and you matter until the very last moment of your life” 死に至る病いをかかえ、絶望にうちひしがれる患者にこのような言葉が発せられる。さいごまでそのひとへ寄り添うという意思が表明されている。緩和ケアの本質を表わす言葉といえるだろう。

 

2020年8月16日
したいこと、したくないこと、そこからの出発

 妻に先立たれて独り暮らしの高齢男性Mさんを訪問診療している。妻に死なれてから生きる意欲を失くしひきこもり状態となる。足の力が落ち、屋外歩行は困難になる。糖尿病があるが服薬は不規則、入浴もしていない。ヘルパーさんが家事を手伝い、一日一回配食弁当をとっている。ベッドで一日テレビをみている。往診時は「ごくろうさま。先生も大変だね」と丁寧な方である。長生きはしたくないね、楽しみは何もない、いつまで生きるんだろう、と言うようになる。

 ケアマネージャーが、規則的な入浴と適切な食事摂取、生活の活性化のためにデイサービスを手配してくれた。当初は、久しぶりに入浴したことを喜び、デイを楽しめているようにみえた。しかし、すぐに行くことを拒むようになる。働きかけに暴力的になることさえでてきた。折角行き始めたデイサービスだが中止する。Mさんに「どうしてデイサービスをやめたんですか」と聞くと「デイサービスは退屈ですよ。行ってもつまらない。何もできない。ずっと座っていて疲れてだるくて。テレビだって前の方でばあさんたちが好きなのをみていて。だったら家でベッドで好きにしていたほうが楽です」
 
 Mさんのために計画されたデイサービスだが、彼には居心地のよい所ではなかった。善意の働きかけが彼にとって強制的と感じたとき、暴力的にそれを拒むほかなかったのであろう。

 ところで、日本の認知症臨床の第一人者長谷川和夫先生が自ら認知症になったことを公表し、日々どのように暮らしているかをドキュメンタリーにしたテレビ番組をみた。そのなかに印象的なシーンがある。認知機能の衰えから、奥様の介護負担が増え、その軽減のために先生みずからデイサービスに行くことにした。ところが、しばらくしたある日、デイサービスには行かないと先生は告げる。「医者として、認知症患者にすすめていたが、いざ自分自身が利用してみると、デイサービスは必ずしも居心地のいい場所ではなかった」「独りぼっちなんだ。あそこに行っても」「何がしたい、何がしたくない、そこから出発してほしいよね」そしてデイサービスをすすめる娘さんに「自分が死んだら(あなたは)喜ぶのではないか、ほっとするのではないか」と呟くのである。

 この娘さんの胸を刃物で刺すような長谷川先生の言葉は、丁度Mさんの強制的介護に対する暴力行為に対応するだろう。介護が暴力(と同等の強制)となるとき、その介護への抵抗は暴力に対する抵抗なのである。 Mさんは独り暮らしだが、孤独ではなかった。しかし、デイサービスのにぎやかな集団のなかで、おそらく孤独を強く意識したのにちがいない。長谷川先生がデイサービスで「独りぼっち」を感じたように。

 

2020年8月9日
ALSの患者の声を聴くこと

『Advance Care Planning in End of Life』という 英国の本の第3章に「Listening to the patient’s voice」というタイトルでDavid Oliver他2人の著者がALS(英国ではMND:運動ニューロン病と呼ぶことも多い)のケアについて、特にACPに焦点をあてて書いている。

患者の声:ストーリーを通して語られる

第一のストーリー

 初めてMNDと診断されたとき、さいごはどうなるかと恐ろしくなり自殺を考えました。親しい友人に相談し、私の考えることに彼らがとことんついてきてくれると知ったときの驚きは大きいものでした。数ヶ月後、頭から霧が晴れていき初めの考えは絶望的な恐怖からきたものだとわかりました。私にとって信仰は大切なものであり、自分の人生の自然なおわりに向かっていけばよいのだと思いました。

 身体に侵襲的な治療は胃ろうを含め行わないと決めました。移動するにも周囲の人に頼らざるを得ず、胃ろうまで世話になることはできないと考えました。しかし病気が進み、呼吸機能が落ちて頭痛がでたりうとうとするようになったら、非侵襲的な人工呼吸器をつける決心をしていました。御主人がMNDで亡くなった友人が、私の主治医にそれが可能かどうか聞いてみるようにアドバイスしてくれたのです。それまでは考えもしなかったのにそのアドバイスで一夜にして私の考えが変わるなんて驚きました。しかし、その使用は夜間だけにして昼間にも呼吸困難がでたら機械は使用しないつもりです。

 子どものいない独り暮らしの者として前もってプランをたてなければならず、外部の助力が要ることになります。PT,ST,OTそしてナースとチームを組む必要がありました。はじめ私はさいごまで在宅療養すると堅く思っていました。PTは特に支持的で、次のステージに私がどうなるか隠さずに説明し何が必要か教えてくれました。彼女は私が在宅を希望するのを理解し、OTにライフラインの整備を頼み、緊急時を含め周囲の環境をより安全にするようにつとめてくれました。GPやソーシャルワーカーのサポートも大きいものでした。ヘルパーは日に2回来てくれました。そして6ヶ月後、私自身もケアチームもひとりで安全に居ることが困難になり、ケアホームに移ることに同意しました。

 治療拒否の生前指示(advanced directive)は妹と相談し私自身の気持ちを優先しました。妹に、私はいたずらに永らえるのでなく短くても質の高い生を選びたいと話すと、彼女は私の苦しみ(suffering)にかかわりなくできるだけ長く私を生かしておきたいと答えました。MND協会から私の気持ちを助ける情報が送られてきました。私は親しい友人に後見人になってほしいと頼み、それを法的に有効とする手続きを行いました。私の家族とはその時相談はしませんでした、私の人生のさいごを決めるのは自分の権利だと思ったからです。私の生前意思は、私が痛みに耐えられず、自然に食べることができず、QOLのすべてを失ったとき、人工呼吸器を止め、感染を起こしても治療せず、苦痛をとるためのモルヒネなどの薬剤のみ投与するということです。

 私の友人は私にずっと生きていることを願いましたが、私の望みをすべて尊重してくれました。それが彼女を後見人にした理由です。書類ができあがると私は自分の意向を親しい家族、友人、主治医、専門医、担当ナースに知らせました。私の意向はいつでも変えられるようになっています。自分が死んだら脳と脊髄は研究のため寄贈することになっています。もし私が重篤な病気にかかるならMNDについての意向と同じに延命治療は受けないという点は私の全人生において変わることはありませんでした。

 私のケアの計画を立て、事前に意向を整えてくれるチームがいて何も変える必要はありませんでした。MND協会やケアチームのサポートを得て私は何て幸運なのかと思います。難しい決断のときいつも親しい友人がいて相談してきましたが、もし私が結婚し子どもがいたらこれまでのことのどこがどれだけ変わるのでしょうか、全くわかりません。つまるところそれは私が欲し、必要としているもの、それは私の人生で初めて自分本位(selfish)といえるものかもしれません。

 以上がstory oneの拙訳である。第3ストーリーまであるが、別の機会に紹介したい。

 随分昔になるが僕が市民病院にいた頃、ある春休みを利用して英国ケント州カンタベリーにあるWisdom Hospice、 Dr. Oliverを訪ねた。当時市民病院神経内科には多くのALS患者が通い、病院で看取っていた。その経験からよりよい緩和ケアの方法を学ぶ必要があった。書物でALSのホスピスケアに熱心なオリバー先生の名を知り、手紙を書いた。日本と異なり英国ではALSの患者がホスピスにはいることができる。ALS患者の呼吸困難にモルヒネが有効であることを教えられた。患者は自分のペット(鷹と一緒に入院している患者もいた)をつれてきたり、筋肉のこわばりにマッサージなどさまざまなケアを施し、多くは人工呼吸器を使わずに静かに亡くなることを説明してくれた。

 上に紹介したストーリーをふりかえると幾つかのポイントがあげられる。

*診断時に自殺を考えたこと。
*親しい友人の存在が自殺を思いとどまらせ、さいごまで伴走者の役割を果たす。
*家族とは比較的距離をとっていること。
*MND協会の情報サポートがあること。
*担当ナース、PT,OT,ST、GP(主治医), CONSULTANT(専門医)ソーシャルワーカーなどからなるケアチームの存在。その中でも必要な中心メンバーの存在、ここではPT。
*advance decision(事前意思、リビングウィルに近い)として文書を作成し(いつでも変更可能)ケアチームに配布。
*じぶんの人生は自分で考えるという強い意思。

これらポイントのなかでも、生きてほしいという願いを持ちながら、延命治療をしない患者の意向を尊重してくれる友人の存在が大きいと思う。さらに英国的ケアの堅実さを示すチームの存在。さらにシシリー・ソーンダーズの流れを汲む緩和ケアの思想が大きく背景にあるのを感じる。

 

2020年8月2日
ALSと安楽死(2)

 20年近く高血圧のため通院していた男性である。ALSを発症し現在は定期的訪問診療している。昨日珍しく彼から来てほしいと家族を通じて電話があった。

 午後の診療前の時間、看護師とともに訪問する。彼の隣に座り話を聴く。聴き取りにくいところを妻が補ってくれる。
 段々足が出なくなりトイレに間に合わないことがある。家の前の階段を降りられず、週1回のリハビリにも行けなくなった。1日3回食べているが量が減りだいぶやせた。水分はむせる。最近はさらに呂律が回らなくなった。そして「・・イ・ヤ・ニ・ナ・ル・・」とつぶやく。
「いやになる・・。そうですね・・どんな風にですか」と僕がゆっくりと聞く。
「コ・レ・カ・ラ・ド・ウ・ナ・ル・ノ・・・」と彼が一語一語うめくように問う。
「これからのことですね・・」と僕が言う。
「ア・ン・ラ・ク・シ・・・」
 と力をふりしぼるように彼が言う。
 何とか聴き取れる。
「安楽死・・・そうですね・・段々動けなくなってきて・・ 安楽死した方がいいと・・そう考えてしまうということですね、これからのことを思うと・・生きているのがつらいと・・」と話す。
 そのとおりとうなずく彼。そばで静かに聴いている妻。

 ・・さあどう考えたらよいのだろう。どう答えたらよいのだろう。わからないままに今の彼の一日の過ごし方を聴いてみる。

 椅子にすわりテレビを観、新聞を読む。ときどきリクライニングソファに横たわる。血圧の記録をつける。書くことはできる。コンピュータは使わないが検索などは妻に代わってできる。娘さんは薬の容器をそろえたり代わりに電話をかけたりしてくれる。妻は家事の他、そばにいて夫の話を聴きながら身近な世話をしてくれる。今は彼が行けなくなったリハの代わりに新たなデイサービスをケアマネと探し、彼と相談して試験的に行ってみる予定をたてている。
 話を聴きながら、患者さんを中心にご家族はどう関わっているのかということが少し見えて来る。
 僕からはこれからのこととして、リハビリからデイサービスへの移行で入浴ができること、そこに週1回行くことの意味、そして食事がとれなくなった時の胃ろうの説明をあえて行う。そして介護区分の変更をしましょうと伝えた。訪問看護師によるケア、訪問入浴についても説明した。安楽死については、「一緒に考えていきましょう」とさいごにそっと付け足した。

 患者と家族との良好な関係がある。何より患者が安楽死という言葉を出すことで、そこまで苦しみが深いということを皆で受け取ることができた。ただ、安楽死を希望する患者に僕は、それをしっかり受け取りましたという反応以外、良いとも悪いとも何も言わなかった。それでよかったのかどうか。

 僕ら医療職は患者がさいごまで生きることを支援する使命がある。病気の症状による苦痛をできるだけコントロールし、ご家族との関わりを支え、生活の主観的満足度をできるだけ高めることである。「これからどうなるの・・」という問いに対してデイサービスと胃ろうについて説明したが、さらに症状が進んだときのことを今後時期をみながら希望に応じて伝える必要があるだろう。立つことが困難になる、言葉が全く話せなくなる、喀痰がのどにからみ吸引が必要になる、呼吸が苦しくなる、などの症状の節目について、それらの症状を緩和しうる治療とともに説明するべきであろう。今回の問い「これからどうなるの・・」というのは、まさにアドバンスケアプランニング(人生会議)への患者からの申し出であり、大事な往診となった。

 人生の最終章の生は死と背中合わせであり、死を否定したり否認することはいわば嘘の診療になる。生きるための医療と介護であるが、それがその人をかえって苦しめるとき、それを押しつけることができるだろうか。ある場合は、その不可避の死を認め尊重することがその人の尊厳を守りその人らしいさいごをもたらすことがあるのではないか。大事なのはその人の尊厳、その人らしさというときの、その人を僕らは理解しているのかということである。そこにかかっているように思う。その人をもっと知ること、それが一緒に考えていくということである。さらにその人と2人称の関係にあるご家族の考え方もリスペクトしなければならない。

 次回は、ALSのターミナルケアを英国のホスピスで長い間、実践しているDr. David Oliverのケースをふりかえってみよう。

 

 

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