臨床余録
2020年4月19日
小さなこと

 ニューイングランドジャーナルPERSPECTIVE欄ダニエル・オフリのエッセイ“The Little Things”を読む。

 高齢患者チェン氏がこの冬昏睡で2回目の入院をした。先週はインシュリンの過量投与、今回は肝癌、肝硬変に対して処方されているラクチュロースを飲み損ねたためだ。
 毎回救急車の中で治療されERに着くときは元気で「すぐ帰らせろ」とけんか腰。今回も透析に間に合うように退出を希望、但し透析患者用栄養ミルクネプロが必要という。
 息子によれば彼はすべて自立している。薬を服用し透析を忘れたこともない。調理と掃除はヘルパーさんが来てくれる。しかし2週間で2回の入院、重い病気を抱えている虚弱高齢者の危険徴候(red flag)である。彼の息子は「大丈夫、父はナーシングホームには行きたくないんです」と言う。「ナーシングホーム、ノー!」「俺は家に帰る」とチェン氏が付け加える。
 ソーシャルワーカーがヘルパーの時間を増やすことを提案する。投薬はできないが、時間で促すことはできる。理想的とは言えないが、彼は受け入れ可能だろう。ただ必要な手続きがあり、それまで数日は入院してもらうことになる。「ネプロがあれば大丈夫でしょう」と息子が言う。
 「ネプロ」そうチェン氏は繰り返す。そしてまた「ネプロ」と満足そうにうなずく。

 緊急の病態ではないが、そんなわけで彼は入院することになる。頑固なところはあるが、チャーミングな老人である。足をひきずり挨拶程度の英語を話し、毎日ネプロをもらいにくる。どういうわけか、我々の病棟ではネプロが不足していて毎日注文するので「stat doses of Nepro」がrunning jokeになったほどである。クリスマスの時期にぶつかり彼の退院に向けた手続きは遅れる。
 高齢者にとって病院は勿論最も悪い場所である。チェン氏はこの言葉通りになった。高熱を出し腹膜炎が心配された。腹膜穿刺し腹水の感染を調べたがこの手技は貧血を悪化させた。肝硬変は悪化し嗜眠状態となり血圧は低下し透析不能となり電解質のバランスは崩れる。
 家族を呼び状態悪化を告げる。チェン氏自身数ヶ月の余命ということは知っていた。だが透析しなければ1週間も生きられない。彼はDNRフォームに署名し今すぐに家に帰ることを要求した。
 ヘルパーは週末には来れないと話したが彼の意思は固かった。ヘルパーも病院との契約も彼にはどうでもよかった。しかしネプロを持っていくことにこだわった。
 彼は十分な判断力を持っていたので退院の準備にとりかからざるを得なかったが、ネプロの処方には彼の腎不全の状態を証明する面倒なプロセスをクリアせねばならなかった。そこで丁度ネプロを運んでいた職員に頼んで分けてもらうことができた。ネプロが唯一の楽しみであるチェン氏の独りの週末を思った。彼に退院を告げ、ネプロを渡し、別れの挨拶をした。

 2時間後であった。彼を迎えにいった看護師が血相をかえて走ってきた。彼は息を引き取っていた。急いで見に行く。彼はそこにいた。表情は穏やかで体は静止していた。我々はしずかに彼の死を確認した。その姿から彼が平穏に亡くなったことがわかった。それを喜ぶ、しかし彼はあれほど家に帰ることを望んでいた。ベッドのわきには大切なネプロの缶がそのまま置かれていた。
 我々はしばらく沈思黙考していた。息子が悔しそうな笑いでネプロを渡す。 その後ネプロは私の机の下にある。それをすぐに返すことができなかった。チェン氏にとってそれほど意味のあったこの小さな缶を何かひりひりとした痛みが包んでいる。

 チェン氏のような患者に対して、我々は検査値の小さな異常ではなく大ずかみな像に焦点をあてようとする。だが時により、病の無慈悲な進行のなかで、目にみえて大事な違いを与えるのは小さな像である。ネプロがそこにあるということがチェン氏になによりの安心感を与えていた。
 多くの患者がチェン氏にとってのネプロと同様な一人ひとり独自な小さなものを持っている、それは爪に塗るマニキュアの正確な色であったり、ドクターブラウンのクリームソーダであったり、月曜の新聞のスポーツ欄だったりする。それらのものは小さいものであるけれども、ある意味大きなものである。そう、患者によっては、その終末期にあって、どうすることもできない状況のなかで、その小さなものこそが唯一の大事なものかもしれないのである。

 以上が抄訳である。ネプロを正式の手続きを経ず、担当職員から医師がかすめとる場面がユーモアをもって書かれているがそこは省略した。そこに医師の患者に対する思いが凝縮している。
小さなものとは、毎日生きていく上で患者が大事にしているもの、こだわりの物といってもよいかもしれない。患者を人として診るとは、この患者にとっての“小さなもの”をみつけ、それをリスペクトすることだと思う。

 ところでこの小さなものは、人生の最終章を迎えたひととは限らず、新型コロナ感染症で社会全体が緊張と不安に満ちている現在、我々にとって大事なことではないか。不要不急のことは避けよと国は要請するのだが、あえて必要でないことを行う、急がなくてよいことに時間を費やすこと、それが自分の精神状態を維持するためにも大切ではないか。僕の場合はもともと仕事以外はひきこもりなのでステイホームは苦にならない。自分のルーチンをこわさない、何の役にも立たないが好きな万葉集を読み、短歌を作る、買ってきた小さな金魚に毎朝えさをやり喜ぶすがたをみる、短時間でも好きなベートーベンやバッハを聴く、そんなことである。


2020年4月12日
コロナパンデミックと緩和ケア

 ランセット4月11日版editorialを読む。
 良き時代にあっても緩和ケアサービスは資源が不十分である。2017年のラッセット緩和ケア委員会は、安価で効率的な緩和ケアアクセスへの欠落を正義の歪みと表現していた。現在は良き時代ではない。COVID-19のもとヘルスシステムはエンドオブライフケアを含み懸命の努力をしている、安全で効率的な緩和ケアを提供することはますます重要であるが同時にますます困難になりつつある。

  資源が不足するなかで、誰がケアを受けられ、誰が受けられないかを決めなければならない医師もいる。生きられない患者には少なくとも高度な緩和ケアが提供される必要がある。しかし、COVID-19はこのことをより困難にする。患者が急速に悪化するとき時間は限られ、医療スタッフはオーバーワーク、隔離は必須となり、家族は患者に触れないようにアドバイスされ、愛する者と同室することも禁じられる。このシナリオはクリテイカルケアも緩和ケアもサービスの不足が顕著な貧しい国では、より深刻化するだろう。コミュニティにおける緩和ケアを続けることも困難になるであろう。それを必要とする多くの患者はCOVID-19のリスクを持ち、予防具は足りず、押し寄せる死がサービスを圧倒するだろう。  
 
 WHOはパンデミックの際、免疫、母親ケア、救急ケア、慢性病の必須のサービスをいかに維持するかのガイダンスを発行している、しかし緩和ケアについての言及はない。これは手落ちである。緩和ケアこそCOVID-19に対する国家的、国際的計画の大事な役割としてはっきりと示されなければならない。オピオイドのような薬剤や防護装備へのアクセス可能な実際的なステップが明らかにされ、テレメデイスンやビデオの利用、アドバンスケアプランの話合い、医療スタッフへの必要な訓練や準備、素人の介護者やより広いコミュニティの役割も包含されなければならない。

  パンデミックは苦しみの原因であるばかりでなく、苦しみの強烈な増強因子である、それは肉体の病いと死を通して、それはこころのストレスと不安を通して、それは経済的社会的不安定を通して、そうなのである。そのそれぞれの苦しみを和らげることが、そのすべての形態において、大事な応答となる必要がある。
 以上抄訳である。

 癌終末期に対する緩和ケアの4つの痛みを思いだす。身体的ペイン、感情的ペイン、社会的ペイン、スピリチュアルペインである。それぞれにケアが対応するのだが、まずCOVID-19の場合は身体的ケアといっても癌の場合と異なり、悪化する場合は急速であり呼吸苦への対応がレスピレータやオピオイドの適応を巡って困難が伴うだろう。精神的ケアにしても疾患の進行が早く、入院してしまえばコミュニケーションが制限されるので十分なケアはできない。感染の危険から家族はケアに参加できない。非常事態宣言やロックダウンになれば非感染者を含む社会全体としての被害、個人個人の仕事の自粛からの経済的打撃がある。それを社会的死ととらえる人もいるだろう。自己の存在の死、その理不尽な死に対するスピリチュアルペインも当然襲いくるであろう。
 今や誰がいつかかってもおかしくないこの病気。COVID-19時代における緩和ケアはどうあるべきか。癌、慢性心不全、老衰などゆっくり死に向かって進む病態とは全く異なりCOVID-19は我々に全く新しいかたちの緩和ケアの必要性を突き付けている。

 

2020年4月5日
毎日が最後の晩餐

 朝日新聞に“母の最期 スマホ越しの「さよなら」”というタイトルの記事が載っている。米国の老人ホームで新型コロナウイルス肺炎に感染した母親が入院し1週間で亡くなる。そのさいごのベッドサイドで手を握ることも話しかけることもできなかった娘の無念の気持ちを語る。

 NHKでも夫が急に肺炎で入院してからICUに入り、レスピレータが装着され亡くなる、そのさいごまで夫に触れることもできない酷さを訴える妻の姿が放映された。

 これが今生の別れかもしれないね。数年前から僕が仕事や旅に出る朝、冗談のようにこう言ったり思ったりしていた。それが、コロナ感染症の蔓延で“ほんとう”のことになった。日々の仕事のなかでいつ僕が感染し(急速に重症化し)てもおかしくなくなった。

 先日、亡くなった独り暮らし高齢女性Hさんは、仲睦まじい夫との生活のある時期から毎日の夕食を“最後の晩餐”と思うようになった。その日が最後と思いながら毎日生きてきた。そのような日々の果て夫を亡くした。「先生、不思議に思うかもしれませんが、夫が亡くなったそのとき悲しみの涙が少しも出なかったんです」と言った。いま、コロナとの闘いのさなか、彼女を思いだす。

 90代の母親を介護する独り息子。毎朝デイサービスに母を送るとき熱を測る。「いま母に熱がでたら今生のおわり。そう思って毎日介護しています」と往診医である僕に言うのである。

 別の80代の男性。「もしコロナ肺炎になったらレスピレータはつけません。先生、その時は苦しくないように眠らせてください。お願いします」と言う。それをきっかけに妻を交えて在宅で簡単なアドバンスケアプランニング(人生会議)を行う。それをカルテに記載しておく。

「37℃の熱が出たんです」と半分パニック状態で電話をかけて来る高齢の患者さんもいる。

 BBCは英国の地方の医療の現状を伝えるニュースのなかで、自分が重症コロナ肺炎になったらレスピレータは患者に譲るとリビングウィルを書いた英国の医師について触れていた。

 新型コロナ感染症は、あたりまえの日常の意味を考えさせ、いわば生き方の(ニューノーマルへの)変更を僕たちに迫っているようにも見える。

“毎日が最後の晩餐”

このHさんの言葉を噛みしめている。

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