ゼロプロセスの提唱者ジョセフ・フェルナンド先生が来日した。FOUR WINDS沖縄大会そして横浜での講演、そのどちらにも残念ながら参加できなかった。しかし最後の懇親会でそのお話の一部を聴くことができた。
トラウマとは今この瞬間を構成する機能が停止してしまうこと。機能が停止することで、知覚や感情はばらばらのかけらになって統合されないまま集まり、存在することになる。このトラウマ後の記憶のかたちをゼロプロセスと名づける。
トラウマを受けた人は常に二つの世界を生きている。ひとつは普通の現在の世界。もうひとつはトラウマを受けた過去の世界だが、それが過去の出来事として心のなかで整理はされず、現在の世界として在り続ける。その二つが現在の世界としてそこにあることになる。例として、夏の暑い日にも冬の厚いコートを着てふるえていたため多くの精神科医から統合失調症と診断されていた男性は治療の過程で、彼は1歳にも満たないときに凍死寸前で肺炎にかかったことがわかった。両親からこのことを明かされるとすぐにふるえはとまった。多くのゼロプロセスの現実はこの症例よりも複雑で秘められているが、ゼロプロセスは現在の体験のように作用し、それへの防衛反応も現在の体験へのそれと似ている。目をそらす、回避する、区分けして閉じ込めるなど。
以上、学会の冊子サマリーも参考にしてまとめてみた。
思い出すのは、東北大震災後7年目、テレビで放映された子どもの例である。叔父、祖父母を亡くした当時3歳の女の子が5年を経て体調をこわし学校に行けなくなった。治療の過程で彼女は、震災のあと自分は何も感じなかった(無感情だった)と述べた。あまりにも破壊的な体験はそれを受け止めプロセスする自我をつぶしてしまう。震災の体験はそこに凍結されたままになる。治療は、人形をつかっておこなわれ、少しずつ凍結された記憶が溶けていくかのようであった。この少女のトラウマはまさにゼロプロセスなのであろう。
60代の女性の例である。不安障害と不眠症で通っている。小学校時代父の転勤で3回転校した。その話題が何回もくりかえし話される。その時どんな風に感じたのかを問うと「何も感じませんでした」と述べた。その方は事情があって一人の孫娘を育てており、その子の小学校でクラス替えがあった。その際、彼女はパニック発作を起こした。この方は僕の患者さん。Displacementとトラウマの関係は、3年前のFOUR WINDSでキャスパーズ先生が講義された内容である。
附記:ロバート・リフトンは『ヒロシマを生き抜く』で「精神麻痺」について語る。ゼロプロセスとの関連を思う。
The lancet vol394 sep7 2019 The art of medicine Empathy in the age of the electric medical record を読む。
1891年、英国の画家ルーク・フィルデスはiconic(古典的)な医師の肖像画“The Doctor”をかいた。医師は病気の子のベッドサイドに座り、物思いに沈んだ様子で少女をみつめる。家族は後ろに退き、医師の診断を待っている。
130年後、7歳の女の子が21世紀のフィルデスのリメイク肖像画を彼女の担当医に渡す。油絵でなくクレヨンで描かれてはいるがこの絵はiconicなものといえる。子どもは診察台の上、家族は後ろで医師の診断を待っている。
フィルデスの画は時代がかったパターナリステイックな医師の姿をかいているが、最も目立つのは、時代の試練を経た、病む子にむけられた揺らぐことのないすべてを注ぐようなそのまなざしである。今日の対照的な若いアーチストによってクレヨンで描かれた画では、医師は左の隅に追いやられ、そしてこの部屋で最も重要と思われる医学機器、コンピュータに向き合っている。
最近、私は臨床の合間にこの二つの作品についてよく考える。私の同僚と同じく、私は何と言ってもフィルデスの描いた医師の濃密な臨床に憧れる、しかし現実は後者の方へ私を追いやる、背を曲げ、スクリーンをにらみ、電子記録の奴隷になり、手根管がおかしくなるまで惨めにクリックし続ける。
電子カルテの時代に医者患者のつながりを保ち続けるのは大変なバトルである。フィルデスが描いたアイコンタクトがコミュニケーションやつながりのためにどうしても必要なものであることは我々は皆知っている、しかしコンピュータがかくも自己主張するようになると患者はそれを邪魔するものとさえなる、この状況を直す望みは少ない。
最近私は特に複雑な医学的問題を抱えた患者を診るのに電子カルテとバトルしていた。我々は1年以上会っていなかった、そこでふりかえる事がたくさんあった。彼女が課題を出す度に、私はコンピュータに向き、どうしても必要な資料を作った。しかし、その合間に患者は会話を自然に展開させた。彼女が次の中身を話そうとするとき、私はまだ前の話を打ち終わっていなかった。そこで、その考えを少しもったまま待ってくれませんかと言うことになった。
私はコンピュータに戻り、資料を作るために黙った。そして彼女の次のトークに移行することになる。私は彼女のトークを止めたくないが、一方その情報に焦点をあてコンピュータに入れなければならず、私は引き裂かれた。人の話を途中で切るのは無礼であるのだが、一方臨床的思考を保存することも医学的エラーを避けるためには必要である。
彼女を待たせる私のもう一つの理由は私の臨床思考の流れを彼女のストーリーを妨げることから守ることである。我々医者は患者に常にマインドフルであることを期待され、いつもそこにいて、かれらが話すときには波長を合わせる。それは人間としてのリスペクトの問題であると同時に、診断的エラーを最小化することにもなる。病歴の細部に光をあてることは診断的精度をあげ、そしてできる検査をすべてやる(all-you-can-order medical testing)というだらしなさ(sloppiness)を避けることができる。彼女の話をすべて聴く唯一の方法は、私の臨床思考が完成するまで彼女に待ってもらうことである。
同時に複数の仕事をすることを避けること、そして聴くことに集中すること、これは私に不可能な縛りを与える。半分聴いて半分はコンピュータ、ということもできるかもしれない。仲間たちは何とかやり遂げている。半分聴き、半分コンピュータ、半分必要な検査、半分は前の患者の反省、半分はレッドフラッグを無視、半分は待っている次の3人の患者、半分はコンピュータのボタンでコーヒーとサンドウィッチが出てくることを夢みたり。唯一半分にできないものは、あらゆる場面で我々は手抜きをしている、そして凡庸なケアを施すことでかろうじて生き残っているという感情である。
電子カルテ時代にあって共感はどこに置かれるであろうか。フィルデスの画の中で医師の共感は確かなものとして触れることができる。それは私たちの殆どが医学を志した理由である。新しいクレヨン画は我々がデータ入力の道具になっているという恐れを具体化している。高次の存在が診察室に入ってきたら医者と血圧計との区別ができないかもしれない。
医者と患者のつながりは共感の土台である。彼らの方に向こうとせず、片方の耳だけで聴こうとし、彼らが話す時間をカットし、電子カルテに没頭するならば、どうやって彼らの世界を感じることができるのだろう。
易しい答があるだろうか。患者と大事な話に集中できるように、AIが骨折り仕事を引き受けてくれて我々をより高度な地平に連れて行くだろうとされている。AIの進歩で、いつか電子カルテが尿細管アシドーシスや強直性脊椎炎に対する私の臨床推論を直観的に知ることができるようになるだろう。
アグレッシブな電子カルテが医者患者関係の間に侵入してくるとき、我々は患者をケアしているのだろうか、電子カルテをケアしているのだろうか。
患者に対するとき、はじめの1分間はコンピュータを意識的に遠ざけ患者と直接話すことにベストをつくす。そのあとカルテ記載が続く。患者の話についていけなくなった時は、記載が終わるまで待ってもらい、そのあとじっくりと会話の時間をとることができるようにする。
共感するために医者はすべての問題を解決しなければならないというわけではない。患者は時間の制限、電子カルテの問題など我々の苦労に理解を示してくれている。
ユーモアは役に立つ。私が人を面白がらせるテクノのヘマなら事欠かない。電子カルテも時々気まぐれを起こすけれど。
私の別の戦略は、子どもが一緒に受診したときは、用意しておいたクレヨンで私の部屋のひどい壁に絵を描いてもらうことである。親と話している間子どもに絵の方に夢中になっていてもらうのだが、同時に私は時々絵の方を眺める。次なるフィルデスが現れるかもしれないのだから。
以上が抄訳である。エッセイの著者は“What Doctors Feel(医師の感情)”を書いたDanielle Ofri。
ところで僕は古希を過ぎた医者で電子カルテにも縁がない。紙カルテに殴り書きしてあとで読むのに苦労しているような医者である。あるいは、カルテはあとまわしにして高齢の患者さんの目の正面に僕の顔をよせて言葉のやりとりをする。あるいはその耳に口を近づけて話かける。言葉はできるだけ短く、内容よりも声のトーンに注意して。画家フィルデスの描いた古典的な医者に雰囲気は近いかもしれない。自分が向こうからみてどう見えるのかには気をつかう(間主観性の問題)。いつどんなときでも、どんな小さなことでも何か事があったときそれに誠実に丁寧に応えること、それが診察時の会話と同等あるいはそれより大事と考えている。それにしてもThe Doctorの“時代の試練を経た、病む子にむけられた揺らぐことのないすべてを注ぐようなそのまなざし”にはまだまだ程遠いと言わざるを得ないであろう。
『Living with Dying』(Cicely Saunders)から“spiritual pain”のページを読む。
こんにち、はっきりと宗教的な意味で懐疑や悲嘆を表明する人は少なくなった。しかし、失敗や後悔の感情―‘If only…’‘I wish I hadn’t…’‘It’s too late’などはすべてありふれており、しばしば切迫感を伴う。多くの患者は、時に深い苦悩をもたらすスピリチュアルペインと表現される罪悪感や無価値感に向き合うのに援助を必要とする。スピリチュアルな要素がどれほど多く人格や文化や歴史の困難により圧倒されても、それは我々が耳を傾ければ傾けるほど明白になる。信仰上のバックグラウンドを持つ人がいる一方病院のチャプレンを通してあるいは家庭で牧師に触れることが重要な人もいる。常にどのような人をも待ち受ける聖職者の寛容さを表明することは癒しをもたらす。そのような出発点を持たない人も、病院の全体チームあるいは家庭訪問のスタッフによって苦しみが和らげられることは可能である。
我々自身の信仰上あるいは哲学的確信はそのような癒しの雰囲気を作るのを助けることができる、しかしこれらの信仰を受け入れることが効果的な援助の必要条件というわけではない。その考えに適応しなければならないというプレッシャーから全く自由でなければならない。他者により心の中のすべてを受け入れられることによる信頼から、他者を傷つけることなくすべてを許す寛容における信仰へと悔いつつ入ること、それはひとつの前進なのである。我々は過去に起こったこと、我々がしたことを変えることはできない。しかし、過去の意味を変えることはできる。ここから我々自身を許すという能力が与えられる。これは言葉で表現することはできない、しかし平和な安らぎをもたらすはたらきは紛れもない。
その人自身そして宇宙そのものがその永久不変性や目的を持てないという意味喪失の感情は、スピリチュアルペインの一種である。患者は自分の人生の物語を振り返る必要があり、その中には何らかの意味(sense)があり、さらにそれを越えた真実の方に手を伸ばす必要がある。これはしばしばそれでも人生は続いて行くという信念に連なる。
ホスピスや信仰上の基盤をもつ家庭でケアする患者はほんの少数である。殆どの患者は自分の家か病院で亡くなるであろう。病棟の婦長がチャプレンの役をすることになるが、患者によっては医師の診察がより大切となる。患者のニーズや予後についての知識が医学情報よりも必要であることが多い。
以上抜粋であるが正直にいってやや失望である。もう少しスピリチュアルな中身に踏み込んだ内容を期待したのだが、スピリチュアルペインは宗教の領域で扱うのが好ましく、可能ならチャプレンなど聖職者に任せるというニュアンスが感じられる。日本の現状を考えると満足がいかない。
附記:ロンドン郊外のセントクリストファーホスピスを訪ねたのは僕の30歳代前半。紅茶を飲みながらシシリーソーンダース先生のお話を聴き、女性のスタッフに病室を案内された。個室ではなく2人以上の部屋で点滴も酸素吸入もしていない、そんなに悪いとはみえない人たちだった。「この人たちは今日か明日には旅立つのですがそう見えますか」と聞かれたのを思いだす。それは驚きの体験だった。さらに日本では亡くなる前には個室に移されるのが普通だがここでは大部屋のまま亡くなる。皆苦しむことなく静かに亡くなるので個室に行く必要がないと聞いたことも強く印象に残っている。
今年のみなと認知症セミナー特別講演は「認知症治療・予防における社会心理因子~笑いの効果を中心に~」というタイトルで福島県立医科大学:大平哲也先生にお願いした。
確立した認知症(アルツハイマー型)の予防法はないというのが一般的な認識であろう。講演では、笑いの感情的側面ではなく発声、その肉体的表現に焦点があてられ、笑いヨガが紹介された。これが認知症の予防に効果があるらしい。どうなのだろうか。
笑いという陽性のイメージが認知症の陰性のイメージをおおう。希望的推測というところで笑いの効果は留めておくのが僕はよいのかと思う。
僕は笑いの認知症の予防ではなくケアにおける意味を考えたい。人との関わりのなかで笑いは生まれる。自然な笑いのみられるケアは良いケアである。認知症のケアの仕方を問われて、笑いのみられるようなケアを、とシンプルに答えることがある。その笑いは「笑いヨガ」的な笑いではなく、暖かい感情を伴う、安らぎの人間関係から生まれる微笑である。
認知症わたぼうしカフェに認知症の母親を連れて来る娘さんがいる。「ここに来ると母は不思議に穏やかな顔になるんです」と話す。認知症は重く、すでに会話はできない方である。確かにその方はいつも微かな笑みを浮かべている。認知症の人が笑うとき、その人とケアする人の”関係がほほ笑んでいる”のだと思う。
認知症のケアを笑いの面から考えるなら、このような“関係のほほ笑み”をめざしてケアの質を高めることが大事なのであって、笑いヨガ的に一斉に(無理に)笑い声を出すものではないだろうと僕は思う。笑いに治療的・予防的効果があると聞いて、感情の伴わない人工的笑いを一斉に大声で繰り返している人たちがいるかと思うと何とも言えない気持ちになる。
附記:講演後の司会の質問に答えて、泣くという情動にも笑いと同じ意味があるだろうとされたのは少し意外だったが、納得できる。
いずれやってくるであろう認知症。そのとき穏やかな笑顔のともなうやすらぎのケアを受けることができればしあわせである。それは泣くという情動も自然に受け入れてくれるようなケアである。
さいごに、笑いの種類を考えてみた:哄笑 微笑 頬笑み 苦笑 薄笑い 作り笑い 独り笑い 嘘笑い 空笑 爆笑 馬鹿笑い (呵々)大笑 嘲笑 憫笑 冷笑 談笑・・・まだあるかもしれない。日本語の豊かさを思う。
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