臨床余録
2019年10月27日
認知症が社会を変える

 今年のみなと認知症セミナーの介護部門は西区で作った「お店版認知症ガイド」の紹介することになった。講演は保健師の菊地さんと西区介護者集いの代表竹下さんにお願いする。

 超高齢社会。否応もなく人は高齢化していく。感染症その他により昔なら亡くなっていた病気で人は死ななくなった。その代わり、高齢になれば認知症になる確率は大きくなる。最近の統計では、85歳以上で50%以上は認知症になる。超高齢者の認知症は病気ではなく老耄であると松下正明先生や大井玄先生は言う。誰でもなるのなら予防ではなく準備が大事。その一つの試みとして、この西区お店版認知症ガイドがある。認知症フレンドリー社会に向けての第一歩といえる。

 認知症の定義は物忘れがあり、日常生活や社会生活に支障がでる状態。この生活への支障が、例えばこの認知症ガイドのような支援で和らげられていくのなら、認知症であって認知症ではないという状態も理想像としてあり得るかもしれない。究極の認知症フレンドリー社会である。そしてその時は、認知症の人への関わりを通して、認知症以外の人と人との関わり方も変わり得るのではないか。認知症が社会の在り方を変える、そんな夢をみることがある。

 

2019年10月20日
105歳の育児論

 『生きていくあなたへ』―105歳どうしても遺したかった言葉―(日野原重明)を読む。
 まず目次を見る。第1章「死は命の終わりではない」第2章「愛すること」第3章「ゆるすことは難しい」と日野原先生らしいタイトルが続く。そして第4章「大切なことはすぐにはわからない」という章の中に「我が子を日野原先生のような人間に育てるにはどうしたらいいでしょうか?」という問いに答える言葉が出て来る。

 はからずも日野原先生の育児についての考えが述べられている。 2~3歳の頃の先生は、大人のいうことをきかない子で自分が納得がいかないと、2時間も3時間も土間で泣き叫んでいたという。それを見ていた母は、「この子はよほどすごい人間になるか、でなければよほど悪いごろつきになるか、どっちかだ」と笑って見ていたという。

 先生はよほど負けず嫌いで頑固だったようだ。そのうえ優等生でも健康優良児でもなかった。

 しかし、母は「重明はほうっておいても勝手に学ぶ」と彼を信じ、大いにほったらかしにした。ほったらかしにするということは、無関心とはちがう。ほったらかしにしたのは、無関心だからではなく、彼を信じ、その時を待っていたからである。

 母は、徹底して、彼に何か知識を教え込むということをしなかった。そんな母の信頼を肌で感じて、彼は自然に知的な欲求に身を委ね、素直に勉学に励むようになったという。

 負けず嫌いだった彼は、姉が文字を読めるようになるのを見ていて、ある時ひらがなの「ろ」という字を地面に書いて、「おかあさん、これ何て読むの?」と聞いた。そのとき母は、「その文字を読まなければいけなくなったら、重明が自分で学ぶときが来るよ」といってすぐに教えることはしなかった。彼を信じていたのである。

 子どもを愛し、期待すればこそ、「こうなってほしい」という理想を描くことはある。しかし、それを強いると、子どもの潜在能力を封じ込めてしまう。「これをしなさい」「あれはだめ」というのは、子どもを守っているつもりで、実はその可能性をつぶしているのかもしれない。

 子どもの潜在能力は宇宙に匹敵する。その子だからこそ神様が与えた才能がある。それを信じて待つことの大切さを母が彼に教えた。

 以上が育児について日野原先生が述べた部分の要約である。2歳の子が泣き叫ぶのを見て普通の母親なら何かしらの介入をせざるを得ないと思うが、先生の母は違う。その度量の大きさが恐らく日野原先生の基底を作ったのだと思う。その後の「ほったらかし」論も、「ろ」の読み方を教えなかったエピソードも、子を信じて待つという母親の姿勢に貫かれている。105歳の先生が自分の子ども時代を振り返る。貴重な言葉だと思う。

 

2019年10月13日
難しい患者から学ぶ

NEJM JULY30 2009 What would Osler Do?  Learning from “Difficult ”Patients を読む。

 私の研修医はMs.Andrewsと会うのを拒否する。彼はチームのためにコミュニケーションしようと思うが、我々が分裂するまで彼女に優しくするべきではないという。主治医は彼女は古典的なボーダーラインと言っている。そこで私の“difficult patient rounds”を医学生と始めることにする。精神科医であり、生物精神社会学者(biopsychosocialist)として、私は学生たちにケアギバーを破壊するような患者とどう付き合うか(working with)、秘訣を与えたいと思う。こんにち、彼女のような問題はいやになるほどありふれている。ホームレス、薬とアルコール依存、それに対処するスキルはなく、気性は不愉快、数日間の入院で周囲を苦しめ、医学的アドバイスに反して出ていく。今回もジラウジッドとタバコ中毒で膵炎併発し入院。我々は回診前30分、何が彼女の心を動かすか見つけようとした。

 我々は二つのタスクを巡って面接を構造化した。はじめに、患者たちに病院にいることの不満を出させること、Ms.Andrewsの事例については、誰も何もできないことについての感情を出させること。二つ目は決められたいくつかの質問をすること。どこに誰と住んでいるか。自分の人生の中で誰が最も大切な人か。どう毎日を過ごし、楽しみは何か。

 彼女は我々に薬物依存の両親及び里親により身体的、精神的、性的な虐待を受けてきたことを語った。十代の売春や犯罪が彼女の今を作り、州により連れ去られた二人の子どもをどれほど思っているかを語った。彼女は何故一部の人がシェルターではなく路上に住むことを選ぶのか、コカインが抗うつ剤より気分をよくすること、何故ホラー映画を好むかを説明した。彼女は戦うことなく話ができることを喜んでいるようにみえた。学生たちは敬意をこめた質問をし、それに対し彼女は辛抱強く答えた。我々は彼女に感謝し、面接について話し合うため退出した。

 事例をプレゼンした学生は、彼女は罵りの言葉も許されているのに、敵意をみせることもなく、ユーモアのセンスさえ感じさせる話をした、そのようなことは面接の前には思いもしなかった、とコメントした。すべての学生は虐待の恐ろしい生活歴に心を揺さぶられているように見えた、そしてそれは明らかに反発というより共感を呼び起こしていた。彼女は古典的ボーダーラインケースではなく難しい行動の問題を持つ人というべき。一人の学生はボーダーラインの人がするように彼女は我々を理想化してみることはないかと質問した。彼女は我々と戦うことを選ばなかったのだが、それを我々を理想化しているからとは考えない。・・・学生たちが、私は彼女との面接で何も精神医学的魔術を使ったりはしていないことを理解したと願う。それは彼らも時間と訓練があればできることである。彼女の不可解な行動はより理解できるものになった。学生たちはトラブル患者たちと協力する方法があるということを学んだ。

 Ms.Andrewsはその後フォローされている。学生たちが得た彼女に関する情報は他のスタッフに驚きを与えた。引き続き問題はあるが、程度は和らいでいる。彼女のこれまでの地獄のような経歴が共有され同情をもたらした。学生たちは医学的ケアのprimary ambassadorの役割を果たしチームの目的に溶け込んでいる。

 Difficult patient roundsは臨床医が髪を引き抜かれるように感じるほど様々な困難な状況に学生たちを曝す。耐えられないほどナルシシステイックな患者に、より受け入れ易い側面をみたり、社会病質的患者の操作的魅力が共有するゴールに基づく連携にいかに影響するかみることもある。行動的に困難を来す患者が外来にいないときは、日常精神医学とも呼べる領域の患者に焦点をあてる、どんな臨床場面でも共通の治療におけるトラブルを生ずる、能力障害、うつ、希死念慮、せん妄などである。それらの患者は信頼できる教育的時間を与えてくれる。学生たちはそこに少なくとも3つの有益な理由をみつける。①ベッドサイドでの面接スキルを前もって身につけることができる ②ありふれた精神科の考え方に慣れる ③広範囲の患者への取り組み方を与えてくれる。

 時には単に面白くみえるだけの患者の面接をすることもある:地域に多くの友達をもつホームレス、ひどく風変りな妄想状態の女性、生への意欲を失わないホロコースト生き残りなど。どのケースにも、我々は身体医学における山羊声呼吸音や奇脈と同じように貴重な精神的社会的意味づけを発見することができた。

 昔、オスラーは「どんな病気を患者は持つのかを知るより、どんな患者が病気を持つのかを知ることの方がはるかに大事である」と書いた。近代的な耳には、この主張は患者のケアや専門職の満足度を改善することなく、不幸なことだが見当違いに高尚な時代遅れの言葉と聞こえるのである。実際「どんな患者が病気をもつのか」を決めるのにオスラーが何をしたのかわからない、しかし行動的に困難を抱える患者の回診をすることはオスラーの原則の有用性を示すひとつの方法である。この回診は患者の人生をほんの少しだけでも知ることで直ちに得られる利益を明らかにする。そのような知識なかったとしたら我々は臨床医(clinician)ではなく技術屋(technician)になる。

以上が抄訳である。

 医者になって45年。その時その時で多くの患者を診る中で、必ず数人の“むすかしい”患者がいた。現在もいる。それは多くの場合“精神科的”というべき問題を抱えた患者である。身体病の患者であっても精神科的な問題は必ず付随する。1~2か月に一回開かれる在宅医療相談室運営会議での事例検討でも困難事例は精神科的問題がからんでいることが多い。この患者はどういう病気を持つのかということよりも、この病気をどういう患者が持つのかということの方が大切であるというオスラーの視点は特に在宅医療において説得力がある。在宅におけるアートにあたる部分だ。このエッセイで感銘を受けたのは、「難しい患者回診」というものの存在、そこに参加するのは医者ではなく医学生であること、それを組織する社会精神医学の視点を持つ精神科医の存在。その活動は臨床医にとって非常に教育的といえる。

2019年10月6日
「健脳ドック」?

 「認知症を考える神奈川の会」の案内が来た。その特別講演が「クリニックのアルツハイマー病への挑戦」―for Active Life with Zeal(ALZ Project)-と題するもの。興味深く、認知症サポート医として出席しなければと考えていたが、残念ながら在宅患者の急変で、その日に行くことができなかった。そこで、この認知症で有名な教授のクリニックのホームページにアクセスし、その診療内容を拝見させていただいた。クリニックの診療内容の説明として、まず

 “ガンは「治る病気」とされ始めた現代、より恐ろしい病気が認知症・糖尿病といった生活習慣病”

という前置きではじまる。ここで認知症が糖尿病と並列してガンより恐ろしい生活習慣病とされていることに少し驚く。確かに糖尿病は様々な合併症を引き起こすが今は治療法が進み、コントロール可能な病気である。それに、認知症が生活習慣病であるという断定はどこからくるのだろうか。あるいは僕の勉強不足か?

次に脳ドックの説明。

 “従来の脳ドックで見つけられるのは血管性認知症のみ。認知症を早期発見するにはどうしたらよいか。その答えが、アルツクリニック東京の 認知症発症予防ドック「健脳ドック」です。 ”

と書かれてある。アルツハイマー病は20年以上かけてゆっくり進行するので、発症前に見つければ早目の対応が取れるとする。この「健脳ドック」の中身であるが、アミロイドPET, 頭部MRI・ MRA 認知機能検査 血液検査の4項目。後ろの3項目はどこでもできる検査であり、発症前であるから普通異常は見つからないであろう。問題はアミロイドPETである。

日本核医学会のアミロイドPETイメージング剤の適正使用ガイドライン(第2版)を調べてみた。

「アミロイドPETの定量的測定や脳内分布の意義については研究段階であり、その診療的意義は未確立である。アルツハイマー病の発症予測については現時点では未確立である。更に、アルツハイマー病の治療効果判定に使えるかどうかも未確立である。最後に、本検査による診断が、どのような医療・経済効果をもたらすかについては今後検討を積み重ねる必要がある。」

と書かれている。

一方、「アルツクリニック東京附属PETラボ(四ツ谷)では、認知症の6割を占める「アルツハイマー病」の症状が現れる前に、その予兆を的確にとらえるアミロイドPET検査」を施行し、発症リスクを診断する。結果に応じて専門医や相談員がアドバイス・実践指導介入のための個人指導を行うとされている。

ガイドラインではその発症予測の診断的意義がまだ確定的ではないとされるアミロイドPETだが、アルツクリニックではアミロイドPETによりアルツハイマー病の「予兆を的確にとらえられる」とし発症リスクを診断できるとしている。

どういうことなのか?

その健脳ドックの検査費用は保険適用外全額自己負担60万円である。

さらに、「日本の頭脳を守る」という標語のもと会員制医療クラブとして「丸の内倶楽部」というクラブへの勧誘が載っている。

「クリニックでのアルツハイマー病への挑戦」という魅力的なタイトルではあるが、その中身は、まだ研究段階のアミロイドPETを試すというだけのことなのだろうか。検査料は極めて高く、普通の庶民はまず検査できない。

この辺の疑問を明らかにするために実際の講演を聴くことができればよかったがそれができずに残念である。

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