井野佐登歌集『自由な朝を』を読んだ。愛知県に働く医師の歌である。歌の平明な良さを感じさせる。このように自分の生活の些事にまで丁寧に描くことができるのはそれだけ生活を大事にしているからだろう。以下10首はそのような日常性からすこし飛翔を試みたような歌を選んだ。自分への眼差しはなんというか謙虚で公平であり、等身大の歌という気がする。患者さんには親しみやすい女医せんせいであるに違いない。
「イノセンセイ メールハマイニチ読マレヨ」 と 医師会長から メールが届く
高島屋に ステッチ襟のスーツ買ふ 魂のつつかえ棒として
「かあさん」と この世の娘のわれは言ふ 春は土筆の卵とぢ煮て
「影深く 生きよ」と言ふ詩読みしかば 影とはなにか思ひあぐねき
この街に われも海浜公園もそれなりに古り藤棚の藤
小さくなれ 小さくなれよ ひかり揺れ われは湖べの まひまひつぶり
要介護 Ⅲなる君の お手紙が 支援の要らぬ われを励ます
マイクにて 患者を呼ぶという手法 なじめぬわれは 顔出して呼ぶ
ゆったりと 肘つく老女がカフェにゐて あんぱんを食む このわれのこと
また或る日 あをみどろのごと浮くならむ 生きて負ひたる 記憶にあれば
The lancet September 21, 2019 The art of medicineを読む。
Dementia: towards a new republic of hope というタイトル。
「あなたは認知症です」医者はこう告げるのを嫌う。人はこう告げられるのを恐れる。認知症は死の宣告とみなされる。治療法はなく長い経過で進行し、自立は崩れ希望は失われる。しかし認知症をこのように枠づけるのは単にこの疾患に恐れと烙印(stigma)を与えるだけである。我々のひとりはその母親アリスの認知症の長い旅(その中でしばしば彼女は「私はどこにいるの」「何故私はここにいるの」と問う)に寄り添う。我々は認知症の烙印の社会的起源を辿り、この病気の治療法がすぐそこにあろうとなかろうと希望を取り戻すひとつの方法を提示しよう。個人の能力、洞察、そして診断から最終章に至るその人らしさ(personhood)を尊ぶ、strength-based approachがアリスの発する「私は何故ここにいるの」という問いに答えるのを助けてくれるだろう。
認知症の烙印のいくつかは、思考する心つまりデカルトの哲学的命題“我思う故にわれ在り”の“我思う”の主体が、認知症にあっては有害な影響を受けることに由来する。デカルトの心と身体の分離、松果体における魂の居場所、などは科学的生物医学を発展させた。その時以来、人の健康は生物医学的科学の頂点の問題解決能力から利益を得てきた。それにもかかわらず、我々の心の内部のデカルト的個性のありかは、認知症であろうと精神疾患や知的障害であろうと心が関係するいかなる状態に向けても烙印を増強する。
認知症の烙印はまたその治癒への抵抗性と死への近接性から来ている。生物学的医学は結局治癒能力において卓越している。それは死を自然の生命の一部とみる代わりに治療の失敗とみる。アルツハイマーが特徴的な病理組織所見を発見して以来100年以上、治療法は見つかっていない。一方、科学研究は変貌し例えば、癌や感染症は治癒しうる病気あるいは慢性化の過程で充実した人生を送りうるものになった。そのような病気に対する医学の勝利は、恐れや恥のベールの下からこれらの烙印を押された状態が顔をのぞかせることのできるような社会の好意的な変化と一致する。結核の治療は健康について貧困の影響への警鐘としての役割を果たした。HIV/AIDSが致死的疾患から慢性病に変貌したことは治療の進歩による健康推進により烙印を消すことに役立った。これらの病気への社会的関与や擁護が、社会的変化をもたらした。これらの社会運動を認知症にも応用できるか、我々はチャレンジされている。
治療法がないにもかかわらず、認知症の人のそのひとらしさや希望を回復することは、本人や家族のQOLを改善し生活機能を支援することになる。認知症の人とケアスタッフ、介護者、家族、コミュニテイとの間のバリアをなくす必要がある。
彼女は認知症だという意見にアリスは「私は忘れたわ。なんていやなものなの。」と答える。これらの単純な言葉は彼女に短期記憶の障害があってもその感受性、存在感、好みやユーモア、想像力や感情は保たれていることを我々に思い出させてくれる。恐れや喪失の代わりにこれらの力を認めることは認知症の烙印を乗り越える助けになる。
我々は認知症を人間の権利というものを考える際の先駆となりうるものと考える、認知症に対するまとまった反応は社会の変化を起こしうる。予防的研究によれば貧困は結核と同じように認知症の因子になる。教育、健康な食事、社会的つながり、運動、難聴対策、うつ、糖尿病、肥満対策などにより与えられる予防的利益は、我々に社会正義を目指し、貧困や不平等に取り組むことを促す。さらに、我々は認知症の人々を“care”ghettosの中に隔離する文化的実践に疑問を発しなければならない。
認知症という病気は、人間であるということは何を意味するのか、我々に問いただす。認知症へのstrength-based approachを用いることにより、我々はその人らしさというものを我々の知的能力や社会的常識的マインドのなかに位置付けるのではなく、代わりに、我々の傷つきやすさ、開かれた態度、想像力、非言語的能力、愛情を与え受け取る力、人に頼ること、そして死に近いことにさえその人らしさを見るのである。これら人間としての性質はそれを許しさえすれば我々を結びつけることができる。認知症の人がこれらの性質を所有することを認識することは希望とつながりを回復させる。これら人間の性質を持つことをみとめることは、人生の初期を思い出させるものであるが、それは認知症を持つ人を乳児化してみることではない。そうではなく、それは彼あるいは彼女のessential humanityへの近接性を意味しているのである。ケアをしながらこれらポジテイヴな属性を認めることができるケアスタッフやケアパートナーは、非言語的コミュニケーションスキル、共感性、sense of presenceに磨きをかける、それはバーナウトを防ぐアプローチでもある。病の最終ステージにいるときでさえも、whole personがそこに居ることを認識することで、介護者は双方向の言語的交流や医学的な介入に頼ることなく、タッチ、安らぎ、笑いなどデリケートなつながりに集中することができる。認知症の人の興奮状態に面してもその苦痛を薬治療に頼ることなく穏やかにケアできることを我々が学べば社会は一歩進むことができる。
終末期の会話の壁は社会的な領域にあり、必ずしも認知症の生物学にあるわけではない。認知症の人の医学的意思決定の能力欠如は終末期に向けて出てくるので、advance directive conversationは、必ずというわけではないが、認知症初期にすることができる。侵襲的なハイテクに囲まれた病院死を望む患者は少ない。アリスのadvance directiveは、tube feedingや蘇生は拒否するというものだった。これは、彼女の生涯を通して、安楽を治療よりも優位に置くという彼女のガイドポストになった。
認知症の中期にあって、彼女は身体的には健康だったが、「シャワーのカーテンあるいは私の下に何かを入れて。汚いのはいや」と言ったりして定期的に死の“練習”をしていた。この種の行動を通して、彼女は死ぬという現実について話し続けることを望んだ。我々は彼女が息を引き取るまでそれを尊重した。詩やタッチを通し安心に満ちたケアが与えられた。亡くなる2年前、彼女は、あまり喋れなくなっていたが、死ぬことの怖さについて聞かれて、簡単に「目が覚めなくなること」と答えた。そんな会話を通して彼女らしさとその感情や嗜好を認めることができた。そのことで彼女の恐れを和らげることもできた。
「何故私はここに居るの」アリスはよく尋ねた。正直な反応は認知症について話すことだった。彼女が自己の混乱を理解できることを尊重してのことである。もう少し深いレベルで、アリスは深遠な何かを尋ねていたのかもしれない。すべての認知症の人は医学システムと我々の生活にチャレンジしそれをよい方に変えようとしている。認知症への生物学的治療、ケア、それへのサポートは重要である、しかし、認知症を持ち平和的にその死までフルに生きることをすべてサポートするにはそれだけでは十分ではない。認知症は我々に現在という瞬間(present moment)を生きること(の大切さ)を思い出させる。認知症は疾患の生成や経験のなかにつくられる構造的暴力の層を明らかにする。貧困は認知症のリスクになるだけでなく、それはケアのオプションを制限する。認知症が、劣った(lesser)認知能力の人という烙印を押されると、ghettoに隔離される危険にさらされる。
認知症は人間であることの意味そして死は生の正常な一部であることを教えてくれる。あらゆる形の認知的多様性を持つ人々の経験する風景が変わること、そのことで大きな利益が存在する。認知症をひとつの多様性の課題(a diversity issue)として、存在の異なる在り方として見ることは、彼らを我々の教師として受け入れることになる。このアプローチは希望、名誉、尊敬を彼らに与える。
(以上が抄訳だが、文意不明のところは削除し、だいぶ意訳した)
認知症に希望はあるか?・・ある、と答える内容である。あるいは、認知症に希望を見つけなければならない、という強い意思を感じる。中身の濃いエッセイだ。
認知症とはどうなることなのだろう。物忘れ、きのうの出来事を忘れ、約束を忘れ、言葉を忘れる。日記を書けなくなる。今後の僕に(何年後かわからないが)いずれありそうな気がする。社会的活動はできなくなり、仕事は引退、さらに進んで、言葉の理解、発語ともに駄目になり、いわゆる会話はできない。重度になれば衣類の着脱、入浴、など身の回りの生活動作まで駄目になる。さらに進めば排泄の問題が出てくる。長生きするとしたらこうしたことはその代償として覚悟しなければならない。そんな重度の認知症の自分になっても僕は僕としてそこにいるのだろうか。
このエッセイはそんな僕の不安(僕のステイグマ)に答えようとしている。繰り返し、認知症は人間であることの意味を問う病気だと述べる。言葉はなくてもその人はそこにいる。その存在感は、言葉が失われていくだけに重い。双方向性の会話をもとにするケアを越えた言葉のないコミュニケーション、その関係性のあり方に触れている。
エッセイの最後の文章、認知症の人を人間の多様性のひとつの形としてみるという視点。問題problemではなく課題issueとしてとらえている。新しい視点で賛成である。ただ、その多様性は僕の中にもある、つまり僕の中にも認知症がある、僕の中にも認知症の僕がいる、そういう僕が認知症の人との生活や治療、介護を考えるというところにいかないと本当の多様性理解ではないのではないかと思う。
最後に、認知症の人をケアというゲットーに隔離収容するという言葉は衝撃的だ。そういうことを許してはならないという文意であるが、一見優しい、その人のことを思って施した介護が、その人にとっては“暴力”であることはないか。“ケアというゲットー”はそんな内省を強く促す言葉だ。
附記:“strength-based approach”という言葉もキーワード。認知症の人の欠落した部分ではなく、残された機能(それをstrengthと表現?)に基づくアプローチ、ということと理解した。違うかもしれない。
西区で作ったエンディングノートについて、特に医療面についての話を区民向けに宮崎ケアプラザですることになった。
「ウェスト・ライフストーリー」と題するA4版16頁の薄い冊子のページ6が「医療についての希望」。(1)治らない病気になったら、どんな治療やケアを受けたいか、受けたくないか (2)治療や介護について自分できめられなくなったら代わりの誰をたのむか (3)どこで過ごしたいか、という3つの質問に☑をつけるようになっている。迷いながらも☑をつけることを促される。今決めてもその場になれば、気持がかわるということもあるだろう。また自分の一生の問題を簡単な☑で済ましていいものだろうか、という気持ちも湧く。書かない、書けないというのもひとつの意思表示だろう。こんな前おきを導入とした。
講演のタイトルは“さいごまで自分らしく生きるために”。そもそも“自分らしさ”って何だろうか、“その人らしさ”はその人の生きる人生の中にあるのではないかと問いかけた。
元気なうちからできる3つの大事な貯金(心の貯金、体の貯金、社会参加の貯金)について。その中でも心の貯金について(心の貯水池といってもよい)話した。いざとなったときの貯えの比喩である。結晶性知能に触れ、老いることでこころの襞(あるいは皺?)は深くなり、心は豊かになり得ること。認知症準備、自分のさいごを考えておくことも心の貯金になる。
ヘルスリテラシーとは、よりよく生きるために必要な健康や医療に関する知識や情報を得る力。自分らしく生きるために身につけたい力である。
意思決定のあり方には①父権主義(パターナリズム) ②自律性尊重モデル ③共同意思決定(shared decision making)の3つがある。③が望ましいと思う。
リビングウィルが生かされた例として本多虔夫先生の晩年を提示した。リビングウィルという文書の形で延命治療を予め拒否していた。そのためご家族も弟子である我々もそのケアに迷うことがなかった。亡くなられたあと本多先生の意向に沿うことができたという満足感が残った。
ところで、ライフには3つの意味がある。生物学的命、生活を営む命、そして人生を物語る命である。人生の終末に人としての精神的活動が不能となり命が単なる生物学的命の流れのみとなった場合、その人工的延長を希望しないという考えは自然であり理解できる。ただ、延命治療により日々の生活としての命あるいはその人生のなかで意味のある物語を紡ぐことのできる命の延長が得られるのであるならその治療は(人工的なものであっても)否定されるべきものではないだろう。ALSの人々の多くの事例がある。延命という言葉、つまり命を延ばすというときの、その命の中身(機能ではなく)に思いを馳せるべきである。それはその人と家族との関係性の深さあるいは豊かさに規定されるのかもしれない。
さてリビングウィルなど事前指示と違って、現在重要とされているのがアドバンスケアプランニング(ACP)(最近では人生会議と呼ばれる)で、その人生の終わりに際しての医療・ケアに関する意向、代理意思決定者などについて予め患者、家族、医師、看護師、ケアマネージャーなどで行う話し合いのプロセスのことである。ケアを積み重ね信頼関係が成立したあと、意思決定が参加者全員でシェアされることが大切であり、そのことで家族や患者の満足度があがり、患者の死後の家族の不安、うつ(罪悪感)が軽減される。ACPの仕方(時期、場所、参加メンバーなど)を説明した。ACPがうまく行われた事例を提示した。
以上、元気なうちから自分の人生のおわりを考えることも老年期の「心の貯金」の大事なひとつになることをお話した。
“死ぬことは大仕事だと九十歳(きゅうじゅう)の母が書き込むエンディングノート”
(遠藤倫子:9月22日朝日歌壇より)
Lancet The art of medicine: Arthur KleinmanのThe soul of medicine Aug24 2019を読む。
“物にはそれ自身の命がある・・その魂を目覚めさせることが問題なのだ”(ガブリエル・ガルシア・マルケス:百年の孤独)
1940年代のニューヨークの私の子ども時代には、“魂”(soul)という言葉は学校、家庭、近所あるいはラジオでよく使われていた。魂には宗教的意味合いが強く、私の行っていたシナゴーグや妻の教会で普通に使われていた。
私のGPであるドイツユダヤ系の医師は、医学を道徳的天職と考え、患者、家族そして医師の魂についてよく語った。彼は宗教的ではなく、魂という言葉で患者の道徳的、霊的核心を意味していた。彼はドイツ人やナチの医師たちの“魂”の堕落を証言していた。・・この温和で情熱的な家庭医の日常的言葉のなかでは、病者がその価値感、深い感情、信念、そして人間的医療への威嚇として病いを経験するとき魂という言葉が使われた。
1960年代のスタンフォード大学の人間学の講義のなかで教授たちはこの意味で魂という語を使っていた。しかし社会学や自然科学の分野では語られることはなかった。スタンフォード医学校では魂という言葉は嘲笑なしに使われることはなかったが一般のクリニックでは違っていた。何人かのベテラン臨床家は時折魂という語を用いることはあった。・・・
私の臨床で「それは魂に関する何をあなたに告げているのですか」という言葉を聴くことがあった。この言葉は何十年も前に私の著書 What really mattersのなかでWinthrop Cohenと呼ぶ男性によって発せられた。当時60歳のエリート弁護士の彼は、40年間恐ろしい秘密とともに生きてきた。それは、彼が太平洋戦争中南洋で病人の世話をしていた日本人の軍医を殺したことだった。彼はこの残虐行為と決して折り合うことができなかった。私は彼のうつ病をうまく治療した。しかし、彼は治療の成功を認めず、若かった私は当惑し苦しんだ。その治療は彼の人間としてのfailureに触れることがなかったのだ。数年たってようやく、経験による知恵で私の薬物療法や精神療法の限界が明らかになり、彼が魂という言葉で意味したものへの私の職業的、人間的盲目を認識することができるようになった。魂とは持続的な道徳的、情緒的核心であり、生き生きとした人間の本質、霊的試金石であり、それは技術的精神医学用語では伝えることができないものである。
10年以上にわたって、私は我々の内なる実存的中心を表すためにこの宗教的意味を呼び起こす語を使うようになった。そして、しばしば医学や施設におけるケアが“soulless”であると訴えられことに鑑みると、現代の全般的ヘルスケアシステムにおける危機は魂の問題に関わるのではないかと控え目に考えている。その意味するところは、マネジメントではなくケアが必要な最も深い人間的経験への関わりに失敗していることである。
Max Weberは、日々の生活を効率の面からみる官僚的見方が優位になり、病いや苦難を技術的合理性でコントロールし範疇化するのは、人々を合理性という鉄の籠に閉じ込め、伝統、風土、自発性など人間的なものを排除することになると述べる。こうして、“self” “personality” “cognition” “affect”といった語が医学では使われ、soulという語が意味するexistential, moral, spiritualといった領野の語は避けられる。
10年前ハーバード神学校で信仰と医学という講座をもった。臨床家にとってもこの領域は患者や家族と話をするとき有益な筈である。
ある医学生が死にゆく患者からもし死んだら魂はどこに行くのですかと聞かれた。学生は、問いを受け、それを患者に返し、共感をもって、何故それが大事と思うのですかと尋ねた。患者は、自分が終末期ケアを受けなければならない家族や個人的生活について答えた。神学教師はあわてて学生に「患者はあなたに神学上の技術的質問をしているからには神学的な答をしなければならない」と述べた。教義上はそれが正しいのだろう、しかし、臨床家として関わる場合、この学生のそれは模範的である。
うつ病はキリスト者にとっては魂の暗夜(the dark night of the soul)であるが、DSM-5にはsoulという用語はでてこない。
私自身がcareやcaregivingについて書いた中にこの時代のケアの実践に関してsoullessという語を見出す。ヘルスシステムの目標が効率性や対費用効果に置かれ、ケアに十分な時間をかけることが困難になっている。
老臨床医として私は、道徳やスピリチュアルな重要性を否定され医学やケアにおける変化を嘆く1960年代の教師に似ているかもしれない。患者、家族そして臨床家の魂を元気づけるケアの中心において人間の質を保つためには魂を必要としていることを表現すること、おそらくこのことは永続的に訴えつづけられなければならないであろう。
以上が抄訳である。
重い内容だ。2~3のコメントを記す。
*大学では魂の話をすると嘲笑の的になるという。Scienceとsoulは対極概念。次元が違うこのふたつを併せ持つことをクラインマンは目指していると思われる。
*うつ病は治せても魂の傷を治すことはむつかしい。その限界を認識することも医師としては大事。医学と宗教の架け橋の問題。
*spiritualとsoul:例えば、soulless careという言い方がなされるが、careがless spiritualという言い方はしない。Soulという場合は道徳的、宗教的意味合いが濃いと考えられる。Soulは医学や医療というより介護になじむ言葉と言えるかもしれない。“魂のこもった介護”、“魂のこもったケア”という言い方である。介護の行為に祈りあるいは慈しみといった人間的感情がこめられたものといえるだろうか。一方、“魂の(こもった)医療”というものがあるとすれば、理想の医療に近いかもしれない。
昭和41年1月9日、自衛隊員円谷幸吉は宿舎で右頸動脈をカミソリで切り、自殺した。そばに2通の遺書があり、上はその1通である。昭和39年に行われた東京オリンピックでマラソン3位に入賞。次期のメキシコ・オリンピックの期待の星であった。全く思いがけない死であったが、周囲のオリンピック金メダル主義の重圧に耐えきれなかったとされた。
さて、2020年東京五輪まであと1年。テレビでは連日、アナウンサーの調子の高い声がひびく。オリンピックという華やかなおもての顔のうらにこのような負の歴史があることを忘れてはならないと思う。
そもそも、東日本大震災のあとの復興が半ばであるにもかかわらず、何故いまオリンピックを日本で開かなければならないのか。復興五輪というならば、2020年までに東北に普通の日常生活を取り戻さなければならないのだがそれは可能なのか。
さらに、明治公園で野宿をしている人々が新国立競技場建設のためにそこを追い出されたことが報道された。様々な社会的困難のためにホームレスとならざるを得ない人々に対して、強制執行がなされた。オリンピックという国の事業のために弱い立場にいる人びとを排除することが許されるのだろうか。
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