臨床余録
2019年7月 28日
第六志望

日曜の朝、新聞の朝日歌壇に目を通す。毎週数千通の投稿歌のなかから選ばれる十首。数は少ないが、二人以上の選者から採られると☆印がつく。7月28日は次の歌が4人すべての選者から採られ☆印がついていた。

「模擬試験第6志望まで書いて私が私じゃなくなっていく」松田 わこ

しかも、永田和宏、馬場あき子、佐佐木幸綱の3氏はこれを第1首に選んでいる。すこし驚く。その評をみてみよう。

永田:「松田さん、いよいよ受験か。どれが本当に行くべき場所なのか?下句に切実な思いが。」

馬場:「大学入試の模擬試験。第6志望まであるのがすごい。多欲な若さだが下句はさすがに韜晦(とうかい)。」

佐佐木:「六番目に志望する大学なんて、六メートル向こうの手鏡に映る自分よりも遠い感じか。」

永田さんはやや平凡な評。馬場さんの「さすがに韜晦」という評そのものが韜晦。佐佐木さんの評はこれで一首の歌にできそう。

高野公彦さんは10首目に採っているので評は書かれない。

さてこの歌。大学模擬試験という多く人が体験し得る、しかし作者にとっては切実な場所と時間に焦点をあてる。そして、志望が6校という現実を提示しながら自分を見つめなおすとき、6通りの自分はいて、しかも自分はどこにもいないという痛苦な自覚がやってくる。

人はみな、“私が私じゃなくなっていく”ような場面にそれぞれの実人生のなかでぶつかることがあるだろう。例えば、老いた母親を老人ホームにあずけざるをえないときの分裂する娘の心情を思う。私が私でなくなっていくと呟きながら、そんな苦渋の選択をしながら、皆それぞれの生を生きていくのであろう。
この歌のすぐれたところは、大学模試というありふれた体験を通して個の拡散状況を提示しながら、読む者をより普遍的な経験の世界へと連れ出すことに成功しているところにあるのだと思う。

2019年7月 21日
この町内は僕がつくったの

だから僕を知らない方がおかしい まず具合の悪いひとがいるとこの家に相談にくる 呼べば近くの医者もすぐ来てくれる 夜はパジャマ姿で医者がマージャンをしにくる 産気づく患者とかいて呼ばれると マージャンを中断して 患者を診に行って 戻るとまた朝までやるの デイサービスでもマージャンだね でも僕がいかないとだめ 誰も計算できないから 戦後 マッカーサーの司令部のニューグランドで働いた 米語は英語と違う 通訳でも通じない 365日米軍の中で寝泊まり アメリカと同じ食べ物 時々中華街のお粥屋に行ってごはんとみそ汁を食べた 横浜に新しい老人会のシステムを入れたのは僕 無記名で会長を選ぶ だからボスがいない それまでは家柄やボス関係で選ぶことが多かった 戦後宮城の会社で働いたことがあってね 地域の女性の自治会長と外を歩くと皆仕事をやめてお辞儀する なんだろうこの女は と思った いばるというかそういう態度が僕は大嫌い 僕は誰でもたいらに話すから好かれたらしい 会社の上司が会議で出された昼飯の粗末さに文句をいうのを聞いて 自分で金を出して食えばいいんだ!と上司にむかって怒ってしまった 失敗だった そういう封建的なところに横浜の近代的なシステムを教えてほしいといわれた 近所の人たちが毎日どこかに連れて行ってくれる 木や花や自然があふれていて 毎日楽しくてね 近くに温泉があって毎日いった 家の風呂は入らないから壊れちゃったのよ 庭の草むしり 庭木の剪定 みな近くのひとがやってくれる お礼にお酒もっていったりね 庭に湧き水があってそこにごみがたまると隣のひとが来て掃除してくれる 真冬の雪の晩もわら草履をはいてお茶のみに来る 「来たよー!」って言ってね 炭鉱で働くひとは少し下にみられていたけど僕はたいらに接したからね 結局10年東北にいて横浜に戻った 帰るとき玄関に隠れてみな泣いている みなほんとにいい人ばかりだった・・ 

 以上は、「大事なものを失くし1分以内のことも忘れる」ということで訪問診療を前医(血圧を測ってすぐ帰ってしまうという)から受け継いだ男性患者のある訪問日の語りである。パジャマ姿でマージャンをやりにくる近くの医者がいてマージャンの途中患者に呼ばれ往診に行く話は毎回聴かされる。何度きいてもふんわりした気分にさせられるいい話だ。戦後の一時期そういう医者もいたのであろう。そのあとの宮城の話は初めてであり、とても興味があり僕も一生懸命聴いたためもあるか、約1時間、まるでその庭にあった湧き水のように生き生きとした言葉がこんこんとあふれでてきてとまらない。次の往診患者が待っているので残念ながら打ち切らせてもらった。「とても面白い話をどうもありがとうございました。また聞かせてくださいね」と言って退去した。僕はただの認知症の患者を診ているのではない、上のような歴史を生き抜いてきた、尊敬すべきひとりの人間を診させてもらっているのである。

2019年7月14日
飛び恥?

 夏休みを前に飛行機はまだとれるだろうか、などと思いをめぐらしていると、「飛び恥」という妙な言葉があるのをテレビのニュースで知った。地球温暖化を憂えるスウェーデンの16歳の少女が訴えている。飛行機は電車よりも20倍も温室ガス効果が高い。それを考えたら、電車で行けるのに飛行機に乗るのは恥であるというのだ。なるほど・・。忙しい日々、飛行機ならあっという間に稚内や輪島まで行ってしまう。何年もの夏をそうしてきた僕の生き方がいま問われている。

 ところで、ふと思い出すのは、湾岸戦争のはじまった1990年夏、留学する英国ロンドンまでの僕たち一家4人の旅。横浜港からロシア船ルーシー号でナホトカへ、ナホトカから鉄道「バストーク号」でハバロフスクへ、そこでシベリア鉄道「ロシア号」に乗り、イルクーツク、バイカル湖、オムスクを経て、モスクワに至る。さらにそこから鉄道でワルシャワ、ベルリン、パリへ。そして旅のさいごの夜をパリのモンマルトル広場で過ごした翌日、英国までをフェリーで渡った。さいごまで地上を離れることなく、つまり飛行機を利用することなく、横浜からロンドンまで19日間の旅だった。ロンドン、ビクトリア駅で撮った写真をみると疲れている表情だが、4人ともみな日にやけ、引き締まってみえた。(この旅の詳細はエッセイ集『バビンスキーと竹串』所収)

 ロンドンまで直行便で行けば1日で着いてしまうところを19日間もかけて(その準備にはさらに時間と労力を必要とした)、しかも(日本のそれに比べて)決して快適とはいえない鉄道で行った。なぜだろうか。温室ガス効果を考慮していたわけではない。ふりかえって今言えることは、この旅は僕たち家族4人にとって“生きるという苦難に満ちた旅のひとつのモデル”として意味があったということである。

 さて、冒頭の16歳のスウェーデン少女、国連の会議に呼ばれているが、飛行機は利用せず、ソーラーパネル発電のヨットで14日間かけてアメリカ大陸にわたる計画を立てているという。このような少女がいるということは世界にとってひとつの希望ではないだろうか。

 

2019年7月7日
ひきこもれ

 ひきこもりが問題になっている。なぜ問題なのだろう。ひきこもりとは何だろう。ひとくちにひきこもりといっても様々なひきこもりがあるだろう。僕はじぶんがいわばひきこもりだから、その自覚があるから、ひきこもりのひとびとには近しいものを感じる。さまざまな理由からひきこまざるを得ないひと、あるいは病気でひきこまざるを得ないひとがいるだろう。そして、医者の能力のひとつはひきこもりのひとを人間的に理解することであるだろう。

 『ひきこもれ』(吉本隆明)を再読した。「若者たちよ、ひきこもれーコミュニケーション能力を過大視するな」「時間をこま切れにされたら、人は何ものにもなることができない」「一人で過ごす時間が〈価値〉を生み出す」「ひきこもることで育つ〈第二の言語〉」「自分に通じる言語をもつということ」「他人に伝えるのは二の次でいい」「内臓に響くような心の具合はひきこもらないと治らない」

 以上、第1章の目次から拾った。このような吉本の言葉から僕じしんどれほど救われ今まで生きてこられたか。

 第2章以下は、「不登校について」「子どものいじめ、そして死について」など、まるで現在のこども社会の悲劇を予見したかのような(吉本は2012年逝去)鋭い考察に満ちた文章が続く。ひきこもり的感性のために必要以上に苦しんでいるひとはこの小さな本(1冊650円の文庫本)を読むことでいくらかでも救われるであろう。

《 前の月  次の月 》

当サイトに掲載されている文章等は著作権法により保護されています
権利者の許可なく転載することを禁じます