臨床余録
2019年6月30日
Touch

 そのひとは言葉を話さない。家族に連れられて僕の外来に定期的にやってくる。たいらな表情に時々聴き取れないほどの独語。食事の偏り、介護への抵抗など家族の話を聴きながら、有効な治療的関わりのできない自分をもどかしく思っていた。彼が診察室に入ってくるときは、正面に立ち笑顔で迎えた。何か変わったことはなかったか、苦しいことはないか尋ねるが微かに首をふるのみ。血圧を測り胸の聴診をする。僕が彼の顔をみてうなずくと彼も僕をみつめ無言でうなずく。そんな交流である。それがいつ頃からだろうか。心持ち彼の表情がやわらかく感じられるようになった。「それではまた、気を付けて、1か月後にお待ちしています」という僕の言葉を聴くと彼の方から手を出してきた。自然に僕の手が彼の手を握った。それ以後、診察の終わりに必ず握手するようになる。その際、微かではあるが彼の顔の筋肉がやわらく動く。彼のこころの水面にはしる微かなさざ波。それが見える。言葉は要らない。不思議だがここになまじ言葉が入ると交流はうそのものになる。そんな気さえするのである。

 “Touchは生まれて初めて発達する感覚である。そしてそれは視覚や聴覚が衰えたあとにも保たれる。”
 “Touchは成長や発達、コミュニケーションに欠かせないだけでなく、心地よさや安心、自尊心を与える働きもある。”

 以上は、『touch』(tiffanay field著)より。
 この本は、乳児期から老年に至るまで人間にとってのtouchという感覚の持つ意味を、広く深く掘り下げている。特に老年期のtouch therapy, massage therapyは僕の臨床上関連がある。短い記載だが、マッサージはcancer painに効果的とある。肺癌の末期、在宅で看取った男性が医療系麻薬や抗不安薬とともにさいごまで訪問マッサージを希望していたのを思い出す。英国ケント州ウィズダムホスピスを訪ねたとき、Dr.Oliverから、採用しているmassage therapyの説明を受け意外な感想を持ったことも思い出す。どちらかと言えば軽くみていたマッサージの持つ意味を考え直すべきであろう。

 冒頭の患者さんは握手である。そのひとの手を握ることの双方にとっての意味を考える。儀式化してはつまらない。この患者さんと〈今、ここで〉握手するべきか否か迷う。その瞬間のためらいが僕の臨床をいろどる大事な要素となる。

 

2019年6月23日
社会を処方する

 妻を亡くして独り暮らしになった75歳の患者のことをふりかえる。病気の妻のケアでじぶんのことはすべて後回しになっていた。自覚症状は特にないが、娘に言われて初めて健診を受ける。診察上、軽い高血圧を認めた。しばらく通院したが、来なくなった。友人はなく近所づきあいもあまりない。娘さんが時々食べものを届けたりしたが、引きこもりのような状態になった。半年後、彼は脳梗塞を発症した。

 雑誌『プライマリーケア』2019年春号〈健康と社会を考える〉欄に関連する記事がある。

 “健康は医学的要因だけが決めるのではなく、様々な社会的環境因子が関係する。健康の社会的決定要因:social determinants of health(SDH)と呼ばれる。”
 “その要因のひとつ、社会的つながりが健康と関連する。「社会的孤立」は喫煙や肥満、運動不足よりも死亡リスクを高めるという説がある。そこで必要なのは社会的つながりを創る「社会的処方(social prescription)」。社会的処方とは医師や看護師その他専門職が(つながりを必要とする)患者さんを、地域にある非医療的サービス(運動、趣味の会、カフェ、遊びなど)につなげること。(例:「モントリオールの医師は美術館訪問を処方する」「スコットランドの医師は自然を処方する」)地域にどのような活動があり、どの活動がその人に合うかのマッチングはリンクワーカー(日本の場合は地域包括支援センター)が行う。”

 以上、一部のみ抜粋。
 かかりつけ医は患者さんの健康を見守るという役割がある。だとすると冒頭の例では、血圧だけを診るのではなく、患者の置かれた社会的環境(社会的孤立)に目を向け、例えば地域包括支援センターに連絡し相談すべきであったのだろう。

 介護保険意見書を毎日のように書いている。患者さん一人ひとり様々な疾患と同時にその社会的環境条件も様々である。意見書のさいごにある「特記すべき事項」欄には今まではその人のADLと必要と思われるサービスを簡単に記載していたが、これからはもう少し広く、そのひとへの「社会的処方を書く」という視点が求められているように思う。

 

2019年6月16日
片腕をうしなう

あれはたしか 2年前 まだ寒い3月の ある日のゆうがた 救急隊からの要請で 古いアパートにひきこもりの 65歳の男性を 彼女と一緒に診た おれは300年生きて 50年眠ったことがない 食べなくても生きている という ごみの山に埋もれ 動けず 便と尿と垢まみれの彼を 苦労して着替えさせた その帰り道 「面白いひと わたし お友だちになれそう」 そう言って 春のそよ風のように笑った その場面を きのうのようにおぼえている おかしい人でなく おもしろい人 そのように言うことのできる看護師が だから 患者から慕われるのは 不思議ではない その後 体調を崩して 往診につけなくなった 彼をひとりで往診すると あれ?看護婦さんは? といつも聞かれた つらかった そのうち 彼も聞かなくなった 彼女の不在を受け入れ その寂しさを 彼と共有した 良先生みたいなせんせいはいませんよ どういう折りであったか よくそういって 僕を励ました 往診の際 僕は話し下手 認知症の患者さんは 僕ではなく彼女の方を向いてニコニコと すじの通らない話をし続ける それを彼女は 本当に面白そうに聞きながら やさしい言葉をかえす 死が近い患者の 往診のあと 僕の話あれでよかったのかな と 帰りの車で彼女に尋ねると いいんじゃないですか と静かにひとこと 外来の診察室では 患者と話をする僕の机の横 すこし離れて いつも 一輪挿しの花のように 立っていた それが ときに ことりのように さえずりながら 対話のなかに入って来て 患者の肩に とまるようなときがあった 僕が あとでそれに触れると すいません 気をつけます 先生 何でもいってくださいね というのだった 時間外に 急変の患者の電話をうける 僕の声の変化をキャッチし 先生 行きましょうか いつでもいいですよ私は と 反応は つねに すばやかった 坂道や階段を しなやかなカモシカのように 駆けあがった 彼女についていく僕は 息をきらせながらも たのもしかった どんな患者にも うろたえることがなかった 外を刃物をもって歩きまわる 認知症の男性の緊急往診にいった 彼に静かに近づく 明るくにこやかに挨拶する看護師に 患者も笑顔をみせる 彼の物語を時間をかけて聞きながら 痛々しい足の皮膚のただれを 彼女が丁寧に処置すると まるで昔からの友人のような 表情をみせる患者に 遠くで見ていた ケアマネや家族は驚く 市民病院時代からの 同志 ほんとうの看護師と呼べるひとり 令和元年 6月14日 そのひとを失った 永久に


2019年6月9日
インスパイア

 6月9日のNHKクラシック音楽館は、R・シュトラウス、交響詩ツアラトラストラ。演奏前、チェコの若き指揮者ヤクブ・フルシャがインタビューを受けている。人をインスパイアする演奏をするにはどうしたらよいのかと聞かれ、彼は、ひとをインスパイアしようとする前に、聴衆から自分がインスパイアされることが大事といった意味のことを語っていた。

 これは臨床のコアに触れる言葉ではないかと思う。外来であるいは在宅で病む患者を元気づけるにはどうしたらよいのか苦労する。そのことだけを考えるとうわっつらの言葉しかでてこない。まず患者の生きる姿から自分が感受するもの、ありのままの患者の姿が自分に訴えているものを受け取る、その受け取り方が深いものであればそれだけ自分から患者に投げ返すもの(患者が医者から受け取るもの)も深いものになるのであろう。この臨床のダイナミクスは医者の経験がいかに深いかにより差が出るであろう。インスパイアするものはインスパイアされている。インスパイアの相互性reciprocityといえるかもしれない。

附記:inspireの語源はin-(中に)spire(呼吸する)。意味は鼓舞する、奮起させる、感動させる、活気を与える、霊感を与える等

 

2019年6月2日
ある安楽死

 NHKスペシャル「彼女は安楽死した・・・」を見た。幼小児期に両親が離婚。親代わりに姉二人が面倒をみたという独身女性。韓国の大学に留学、卒後韓国語の通訳として働く。ついで児童養護施設で働こうとした矢先、48歳で多系統萎縮症を発症した。進行は早く、51歳で歩行困難、構音障害も目立つ。医者からすすめられた施設のレスピレータを付けた患者を見て絶望。人に迷惑をかけてもありがとうも言えなくなる、その気持ちを考えてほしいと訴える。自殺を何度か試みるが体力が許さず、スイスで安楽死が可能なことを知り申し込む。受け入れ条件を満たし、姉二人とともにスイスへ。2日間もう一度考えるように言われ2日後別の医師と面接。考えは変わらず、「決行」の日が決まり、実際のその場面が放映された。点滴に致死的薬物が入れられる。この時点ではまだ液は流れない。本人が指で作動すると液が流れ始め、すぐに反応がなくなり医師が死亡を確認する。本人の希望通り安楽死が成し遂げられたのである。

 見終わって何か重い淀んだものが残った。何故だろうか。死に至る手順通りに物事が手際よくすすむ。だが、あまりにもスムーズで静かであり、恐ろしい。少なくとも患者は痛みや息切れなどに苦しんでいる様子はみられない。身体的不自由はあるにしても東海大学病院安楽死事件で示された積極的安楽死4条件のうち、目前に死が迫っている、心身に耐えがたい重大な苦痛がある、の2条件は満たさない。しかし、スイスで安楽死を依頼するには、はっきりと意思表示でき会話が可能でスイスまで行ける体力が保たれている必要がある。つまりまだ元気なうちにそれは実行される必要があるのだ。彼女は、安楽死のシステムに自ら乗り死ぬことができた。見方を変えれば、これは安楽死という嘱託自殺あるいは自殺幇助である。病いや老いにより死ぬ自然の死ではなく、作られた死である。

 番組には、もう一人の多系統萎縮症の患者である元タクシードライバーの女性が出てくる。気管切開しており喋れないが、文字盤やまぶたの動きで辛うじてコミュケーションが取れる。彼女はレスピレータを着けても生きたいという意思表示をする。背景に、それを可能にする家族の態勢がある。彼女の支えは家族との何気ない会話という。ここには素朴とも言える関係の暖かさがある。

 安楽死を選ぶひと、選ばないひと。いのちに関わる医療には「正しい、正しくない」という判断基準はそぐわない。いのちの問題は一人ひとり固有の深さ、重さがある。一人ひとりに関わりながら、そのわからなさのありのままをみつめていくことが大事なのだと思う。

附記1:松田道雄は『安楽に死にたい』のなかで「安楽死を合法化せよ」と主張する。憲法13条の生命と自由と幸福を追求する権利に触れ、医療は生命に重きを置き過ぎて、自由と幸福がなおざりにされている。それが現代の延命医療の悲劇を招いている。生物的生命が終わりに近づいた高齢者は自由と幸福追求に重点が移動してよい。それが安楽死であるとする。これは現代の超高齢社会における生命至上主義、延命医療に対するアンチテーゼとしての安楽死であり、上記の若い女性の安楽死とは文脈が異なる。「近代的自我は文学だけの問題ではない。ある時点で死を選ぶ決断を迫られることのある市民の厳粛な選択を含むものである。」これがこの本のさいごの1行である。老いることは自我が薄れることであり、それが幸福をもたらすのではないかと考える僕などとは違い、松田道雄の老いてなお強烈な「市民的自我」が際立っている。

附記2:「「安楽死・尊厳死」では、死を選択する自己決定権の論理と「無意味ないのち」を打ち切ろうとする社会的圧力との間の緊張関係が問題とされる。「死ぬ権利」は患者の権利から派生したものだとはいえ、それを高らかに謳い上げることは、社会的生産に寄与しない弱者に対して死の前倒しを強要する社会的風潮に加担することにならないのか」『「いのち」の現場でとまどう』(徳永進・高草木光一) これが従来の、障害者や患者側からの安楽死反対論であろう。この本のタイトル通り、いのちの現場ではとまどう必要がある。とまどうことなく簡単に結論をだしてはいけない。



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