臨床余録
2019年5月26日
青あらし映せる水に手をつきて

 神奈川県医師会の神医歌壇、年に1回の歌会「青葉のつどい」を持った。参加者は計8名。今年は、専門歌人馬渕美奈子さんを招き、医師であり歌人である岡井隆について話していただいた。かずかずの名歌、有名歌があげられるが、僕は余り知られていない次の歌に惹かれた。
 
 青あらし映せる水に手をつきて ああ忘れたき恥ありしかな

 診察後、逆性石鹸など消毒液の入った洗面器に手を入れる。その瞬間、医師の胸を襲う負の感情をすくいとっている。今は余り見ないがあの匂いはなつかしい。洗面器で手を洗う動作は医師に独特の風格を与えていたものだ。この歌の一番の眼目は忘れたき恥であろう。医師になりたての頃は誰でも、いわば恥の連続だが、この歌の恥は誰でもが経験する研修上の恥ではなく、岡井医師固有のもう少し深い内面的な恥なのだと思う。それを青あらしを映す水という具体が添うことですぐれた一首となった。青あらしは青葉の頃に吹く南かぜである。青、ああ、恥、ありしかな・・とア音の頭韻が踏まれていることで、重い内容にもかかわらず、一首は明るい声調を湛えている。


2019年5月19日
診察を解剖する

The lancet May 4, 2019 Dissecting the consultationを読む。

 私が医学生の時、医学はサイエンスであった。外科医になった時、それはスキルのことだった。GPになった時、医学とはパフォーマンスであった。私が患者になったとき、これらすべてを認識した。医学のサイエンス及び外科のスキルを下から支えるのは診察つまりコンサルテーションである。その目的は患者の持ち込む問題をわかるものにすることである。
 医学生の時には、いかに行動するかを教えられなかった。教育は疾患、診断カテゴリー、手順そして介入を学ぶことだった。コンサルテーションとは単に情報を集めることだった。このアプローチは病院での研修に役立った。南アフリカの外傷専門外科医には問題は普通明らかだ。患者はある仕方で外傷を負い、私は治療に専念すればよい。
 私がGPになった時、問題はいつももう少し複雑だった。私は患者が何を私にコンサルトしようとしているのかわからず、しばしば彼ら自身もよくわからないようだった。我々は問題を一緒になって解明しなければならなかった。これは疾患(disease)についてというより病い(illness)、つまり個々の患者の固有の体験についてであった。Roger NeighbourのThe Inner Consultationを初めて読んだとき、それは天啓(revelation)であった。法医学的正確さでコンサルテーションを解剖することによりNeighbourはその内部の構造をひろげみせた。彼は心不全や糖尿病のマネジメントについては書かなかった。そのかわり、彼はどのコンサルテーションでもそのステージを明らかにし、それらに‐connecting, summarising, handover, safetynetting, housekeepingと名前をつけた。コンサルテーションそのものが彼のフォーカスであり、注意力がキーであった。
 数年後、私は手品師と仕事をするようになった。彼らのテクニックはどこかみなれたものだった。医者と同じように、彼らは客の注意を惹きつけなければならない。手品師は少なくとも二つのナラティブを維持しなければならない。聴衆が経験しているものと実際起きていることである。彼らは、聴衆各自が家に帰るとき人に、パフォーマンスは謎めいていて面白かったと言えるようなものを持ち帰ってほしいと思う。GPとして私もコンサルテーションは同時にふたつのナラティブを持つと思う。各患者が心配事を話す際に必要な安心感(sense of ease)を医者は与えようとする一方、頭のなかで多数のチャンネルを回し続ける、この消化不良は癌のせいか? 患者が言ってないことで重要なことがあるのではないか?私は回転が遅すぎないか?等である。
 スペインの手品師Juan Tamarizは聴衆の眼と彼の眼を結ぶ見えない糸があり、それを常に優しくひっぱる必要があると書く。糸を引っぱるテクニックがある。手品師の格言としてこうある、そこに眼を向けてほしければそこを見つめよ。自分を見てほしければ彼らを見つめよ。このアドバイスは強力で決して失敗しない。もし誰かを見て話しかければ、彼らはあなたを見ないわけにはいかない。あなたのほしい場所に彼らの注意を置くことによって、あなたは別の場所に別のものを得ることができる。
 この原理はひろく知られてはいない。もし患者があなたが見ているものを見ているなら、そこが確かに患者に見てほしいところでなければならない。これは診察室のコンピューターを介して明らかである、臨床医が情報を出したり入れたりするときに、会話が脱線することがありうる。もし医師がコンピューターのスクリーンを見てキーボードに打ち込んでいるなら患者も自然にそれを見つめるであろう。勿論コンピューターを廃棄せよなどと言っているのではない。それはばかげている。しかし診察時に注意が患者から他に移る時それが診察の力学に影響することを認識するのは大切である。臨床家として我々は患者がその注意をどこに向けているのかに気づいているのでなければならない。
 患者は診察室を後にするとき、問題の解決された感覚をもっていなければならない。たとえ彼らが痛み、不安あるいは恐れを経験していたとしてもそのパフォーマンスは彼らのニーズに沿ったものでなければならない。患者は診察の焦点は自分の上にあり、医師が耳を傾け、注意を向け、そして関心を示すことを感じていなければならない。患者と医師のナラティブがいかにからみあうか認識するには技術が必要である。そこが手品師と臨床医の世界が交叉するところである。

 以上が抄訳である。

 ここで言われている、“診察の解剖”というときの“診察”はGP(日本では開業医・町医者)の診察である。そこでは、疾患と同時に患者の病いの世界に向きあわなければならない。疾患の診断や治療にはガイドラインなど最低限のマニュアルがある。しかし、患者の病いの世界は広範かつ複雑で読み解くためのマニュアルはない。どうしたらよいのか。Roger Neighbor は『The Inner Consultation』のなかで、その診察の仕方を懇切に(まるで解剖するかのように)説いている。 Overviewを流し読みすると ①connecting:患者とのラポールをつけること ②summarising:患者が何故受診したのか、その心配、希望、恐れ、期待を理解し、理解したことを患者に示すこと ③handover:患者が受け入れることのできる治療ケアプランを示すこと ④saftynetting:患者と共に起こりうるあらゆる結末を予測すること ⑤housekeeping:次から次に来る患者の一人ひとりに共感的なケアリングを示すこと
 『The Inner Consultation』には“効果的で直観的な診察スタイルの身につけ方”というサブタイトルがついている。270ページの厚い本である。コンサルテーションのみに焦点をあてて解剖dissectしていく。精読する価値のある本だと思う。

 

2019年5月12日
死ぬまでリハビリ?

 92歳女性。大きな病気もなく暮らしてきたが最近軽い物忘れがみえ、歩行がおぼつかなくなってきた。デイサービスに週1日と訪問リハビリをしている。娘さんと二人暮らし。身なりのきちんとした優しそうな方。娘さんは、今までできていた家のまわりの歩行がうまくできなくなってきたのを心配している。訪問診療することになる。診察上局所的な麻痺などはなく全体的な筋力低下が認められた。屋内の身近な生活動作としてはトイレにひとりでいくがふらつきがある。寝ている方が楽と横になることも多くなった。自然な経過ではないかと思われたが、娘さんはリハビリをしなくてよいのでしょうか。このままでは寝たきりになってしまいますという。

 最近のNEJMに、Rehabbed to Death というエッセイが載っている。肺炎で入院した87歳女性。治ったが体力低下、家に帰れないので家と病院の中間としてリハビリ施設入り、そこでリハビリ中感染性下痢症で病院に戻り治療、さらに体力低下しまたリハビリ施設に入り、また悪くなり入院、3回繰り返し、病院で亡くなった。論旨は、死ぬまでリハではなく、病院を退院し施設に入る際に、この方にあったリハビリのゴールを設定する必要があった、そして死に近づいていく現実を念頭にアドバンスケアプランニングをする必要があったということ。

 晩年の父のことを思い出す。一日長椅子に臥しテレビを見ている生活。トイレと食事のときだけ立って歩く。しだいにそれもできなくなり、手びき歩行となる。筋力が落ちないようにせめて歩く練習をしてくれないものか。このままではトイレもいけなくなる。そんな風に思っていた。かぜをきっかけに食べなくなり、うとうとするようになった。水も飲めないが点滴はせず、自然にまかせた。時々せん妄を認め数日で亡くなった。今から思えば無理に訪問リハをしなくてよかった。僕が何を思おうと父は自分のからだと対話し、からだの言うとおりにさいごまで生き、そして死んだのだ。そう僕が納得できるのは、父が戦時、海軍軍医としてニューギニアで死線をさまよった壮絶な体験や、戦後の町医者としての人生(おまけの人生といっていた)、その充溢と重さを知っているからだ。

 さて、冒頭の患者さんに戻る。娘さんはリハビリを嫌がるようになった母に(母のためにと思って)頑張らせようとする。もう私は94歳ですよ、という母に、おかあさん、まだ92歳ですよ!とたしなめるように言う。母は幸いこころが遊離することなくそのからだとひとつになっている。その場合、もう少しからだのいうことに素直に耳をかたむけてもよいのかと思うのである。リハビリテーションとは単に機能回復訓練をするということではなく、人間らしく生きる権利の回復という意味のあることを思い出そう。そして、これから僕のするべきことは彼女の人生をふりかえり、その語りを丁寧に聴き、そこから皆が納得できる、さいごまで生きるための選択を共有することであろう。

 附記:三好春樹は在宅でのリハビリを生活リハビリと呼ぶ。彼によれば「生活行為に優る訓練なし」という。「本人のもつ力で起き上がり、立ち上がれる環境をつくった上で、毎日の生活行為を繰り返せば、訓練以上の効果をもたらすことができます」「漫然と医療的リハビリを続けているよりは生活中心に切り替えたほうがはるかに効果的ですし、意味のある人生が過ごせます」『新しい介護』(講談社)

 

2019年5月5日
精神科ははじっこではない

 学生時代のさいご、自分の仕事として何科を志望するか決めなければならなかった。精神科の保崎教授の授業に、こんなに面白い学問があるのかと興奮した。極度に集中して聴いたためか頭が痛くなったことを覚えている。そして精神科を選んだ。身体科は臓器を対象とし、医者は臓器の故障を治す。それに対し精神科は身体を包み込むそのひと全体としての心あるいは精神を対象にする。精神が病めば身体を含めそのひとすべてが病むことになる。そう思った。精神病院に5年間つとめた。精神と身体は表・裏の関係であり表裏一体、単純にわけることはできない。身体、そのなかでも人間を人間たらしめている脳への興味が湧き、精神病院を離れ、脳病理、神経内科を学ぶことになる。脳は身体でもあり精神でもある。専門医の資格を得、さらに英国で臨床神経学と神経病理を2年間学んだ。帰国した後も、神経学のむつかしさ、面白さ、奥深さを味わいつつ神経内科医として経験を積んだ。

 そして20年前、町医者だった父が倒れた。不思議に迷いはなかった。父のあとを継ぎ、地域の小さな診療所で働き始める。いまだから笑ってふりかえることができるが、はじめは神経難病の診断はできても、かぜの診かたがわからなかった。幸い保険医協会などで頻繁に糖尿病、心筋梗塞・狭心症、喘息、COPD、CKDなどいわゆるcommon diseaseを診るための講義や研究会が開かれており、片っ端から出て勉強した。そして開業医としての基本的知識とスキルを身につけた。内科認定医の資格を得た。そして内科医であり精神科医、神経内科医でもある町医者となった。そして、今思う。からだが病むということはこころも病むということである。こころが病むということは、こころとしてのからだが病むことである。例えば、かぜのひとのこころとからだをいかに診るか。致死性疾患のターミナルステージにあるひとのこころとからだをどう診るのか。認知症のひとのこころとからだにどう寄り添えるのか。日々迷いつつ診療を続けている。しかし、医者としての出発点に精神科を選んだのは間違ってはいなかったような気がする。

 「精神科は、はしっこの科目に見えるかもしれない。実際は、医学のもっとも基本的伝統に忠実な、中心的臨床である」(中井久夫)

 




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