臨床余録
2019年3月31日
否認の恩恵

NEJM JAN10 2019 The Grace of Denialを読む。

 乳癌の進行で皮膚に大きく露出した症例の“the wonder why she waited so long”commentaryを含むプレゼンを聴いて、著者は患者の否認と診断の遅れがよく理解できたと思っていた。
 医学部1年の時、授業でALSについて聞く。四肢の筋肉が萎縮し最終的には全く言葉がでなくなり周囲とコミュニケーションがとれないロックトイン状態に陥る。有効な治療はなく最悪の病気と教師は説明した。
 医学部2年の時、父がALSに罹患する。はじめテニスの時うまく力が入らないと訴えたが、腕が落ちた言い訳としてまともに受け取らなかった。父が神経内科を受診し精査を受けたのは1年後。この遅れは自分の中にある否認のためだと思う。あらゆる文献をあたり、父に関連のありそうな病歴を聴く。すると最近旅行し肘の近くに発疹がでたという。筆者は「それだ!」ととびつきライム病ならすべて説明がつくと速断。神経内科医に話し、ライム病の治療をはじめる。
 筆者は本当に自分でも確信はない、主治医はもしかするとこの致死性の疾患の診断を受け入れるための時間を与えてくれただけなのかもしれないと思う。筆者は結婚する。その結婚式に父はライム病の治療をしながらその役割を果たすことができた。しかし主治医からライム病はred herringであり、真実を伝えるべきだと言われ、その通りにする。その時の両親の顔を忘れることはできない。その後、病状は進行し、四肢麻痺となり人工呼吸器下に10年間生きた。
 ふりかえると致死性の疾患を否認することでいくらかの平和な時間をもつことができた。臨床医として致死性疾患の患者が診断を遠ざけようとする心理を理解できる。「否認は悲哀の感情の歩調を整えるのを助けてくれる」とキューブラーロスは述べている。「否認には恩恵がある。我々が手に負えるだけのものを受け入れるのは自然のはからいである」
 
以上が抄訳である。

 キューブラーロスの否認→取引き→抑うつ→受容のプロセスはよく知られている。否認する患者に病気を詳しく説明し病気を認めさせることが大切な初期の治療やケアと僕らは思ってこなかったか。否認は患者の健康なこころの働きの一部である。ALSのような有効な治療がない疾患の場合は患者のなかの否認を認め、症状の緩和に努めることが大事だと思う。最近読んだ以下の本にも同様なことが書かれている。
 
「たとえば、否認している患者さんに「これだけ痛みがひどくなっているのは、病気が進んでいるからですね」などといったことを言うのは配慮がたりないですよね。医療者からの、このような一言は、否認している患者さんにとって、非常につらい言葉です。・・・この「否認を尊重する」ことは、現場ではとても大切です」(明智龍男 國頭英夫)『死にゆく患者(ひと)と、どう話すか』



2019年3月24日
改めてかかりつけ医とは

 3月17日朝日新聞の全面大広告「今こそ、改めて、“かかりつけ医”を持つすすめ」という記事で日本医師会長がかかりつけ医について説明している。かかりつけ医とは、何でも相談できる上、最新の医療情報を熟知し、必要な時には専門医を紹介し、地域医療、保健、福祉を担う総合的能力を有する医師、と説明している。
 疾患(disease)ではなく、患者さんの病い(illness:疾患に伴う生活上の様々な悩み)の側面への家庭医としての関わりを十分説明していないように思う。また、かかりつけ医は原則としていつでも対応するべく控えていること、必要があれば往診することそしてお看取りを行うということ、これら大切な機能に医師会長が全く触れていないのは何故なのだろう。
 故日野原重明先生が医者になったのは幼少期に家に往診してくれた医師の姿が元であると書いている。かかりつけ医の行う往診は医療の原点である。そして かかりつけ医の診療は医療の土台をなしている。医療というものを大きく見据えた上で、その中でかかりつけ医の役割を語る、つまりかかりつけ医なくして医療が成り立たない、そのことを語り伝えるべきであろう。

附記:かかりつけ医の7A ①all-round ②accessible ③around the clock ④at home ⑤accountable ⑥alliance ⑦accompany (『落葉の思想』より)



2019年3月17日
選択とシナリオ

 慢性腎不全のために人工透析をする。或る時、病院医師から透析中止の選択肢を提示されそれを選んだ44歳の女性が1週間後死亡した。そのケースが問題になっている。考えさせられる事例だ。
 どのような文脈で中止の選択肢もあると話がでたのだろうか。すべて順調にいっているのに医者がこのような提案をすることは考えられない。患者が透析継続の苦しさ、あるいは何か他の理由をあげて医師に相談することはあるだろう。その際、基準となるのは日本透析医学会の提言。透析を中止もしくはしないことを検討できる状況は患者の状態が極めて悪いか、透析によって患者の生命を損なう危険性が高い場合に限っている。女性の病状は提言に合致していなかったという。病院は提言を厳しすぎるとし、透析をしない選択肢も患者には必要だとしている。

 その医療行為をしなければ患者は死に至る状況としてすぐに思うのはALS患者の人工呼吸器の問題だ。ALSの場合はレスピレータを選ばない自由がある。その場合患者は酸素吸入やモルヒネ製剤など緩和ケアを受けながらその生をまっとうすることになる。レスピレータを着けながら生きることのQOLが極めて低く生きるに値しないと考える人も少なくない。透析の場合、1日おきに5時間、病院で自由を拘束される。
 今日往診した脳卒中で寝たきり患者さんは「私ならはっきり断る」と述べる。しかし透析しながら主婦として十分役割を果たしている人たち、あるいは高齢で殆どベッド上生活ではあるが、淡々と透析を受けながら日々の生活を送る人たちもいる。さまざまだ。

 致死性神経難病であるALSと単純に比較はできないが、腎不全末期のひとにも透析を受けないという選択の自由があっていいように思う。この女性は1週間で亡くなられたという。腎不全の末期であり、その状態は極めて悪かったと判断できないのだろうか。
 もっとも気になるのはこの女性がなぜ透析中止を希望したのかということである。うつ状態、あるいは家族関係を含め社会的背景因子がなかったのか。個別的背景が明らかにされる必要があると思う。その人の生活の物語あるいはコンテキストが明らかになることでおのずから或る医療行為を選択する、しないのシナリオの理解も可能となるのではないか。



2019年3月10日

The lancet The art of medicine July 25 2017 Bridgesを読む。

「何故俺を助けるんだ?」その男は言った。「私は医者だ」と答えた。正確にはまだ医学生だが、外科医になる予定であった。その男の顔からは血が流れていた。彼はクーラーを引きながら前を歩いていたが橋の下にかかったとき前のめりに転び顎を打った。私がそこに行くまでに血液のプールができていた。
「大丈夫?」と尋ねた。丁度きのうライフサポートの訓練を受けたばかりだった。それを生かすことができるか私は脅えどきどきした。ああ、と彼は言う。衣服は乱れ、血が流れだす口の歯はぼろぼろだった。「飲みすぎたの?」尋ねながら意識がないときの原因として頭部外傷を思い浮かべ、呼吸状態は大丈夫であることを確認した。いいや、と彼はいうが、救急車を呼び、彼の傍に坐った。
 彼は病歴を聴くと適切に答えてくれる良い患者だ。私が医者であることに安心しフレンドリーであった。その話から、彼がアルコール依存者であることは明らかであった。話ながらクーラーからビールを取り出しそれを飲みほした。私は考える、恐らくアルコールで肝臓を悪くし、だから血がとまらないのだ。
「俺はあんたのはじめての救急患者ってわけだ」
「そうだね」私は言う。
「あんたは良い医者になるよ。俺と一緒に地べたに坐ってくれる」
救急車がくるまで彼の意識はクリアであった。救急のパラメデイックに経過を話す。私は彼が大丈夫であることを楽観的に思う。

 4年後、私は外科シニアレジデントになった。ここでみな天国と地獄を経験するという。勤務は長く、手術はストレスやドラマに満ちていた、しかしそれは当然のこととして予想される大変さであり地獄とは言えない、自分を鍛えれば対処できた。本当の地獄はもっとじわじわと来て気持ちを削ぐようなものだった。それはこのままでは自分は良い医者(an effective doctor)になれないのではないかというしつこい痛みのような感情だった。
 仕事にはインパクトが乏しかった。患者はみな慢性的に病んでいた。外科レジデントとして背景の問題はもとより、眼のまえの問題を考える時間もエネルギーもなかった。
 或る晩、若手医師が創のデブリをコンサルトしてきた。深夜の仕事としてはエキサイテイングとは言えなかった。
 診る前に患者の匂いがやってきた。彼女は救急室のはじにやられていた。彼女はその年齢よりふけてみえた。嗜眠状態の彼女に何故ここに来たのかを問うと「あんたがたがどうやってるのかをみるためよ」と言いまた眠ってしまう。シャツをあげた。医学生は喘ぐように声を発した。彼女の足は壊疽しており、様々なステージの無数の蛆虫がうごめいていた。足を切断しなければすぐに彼女は死ぬと判った。
 彼女は切断術を受け生きのびた。しかし、路上生活にもどることができなかった。彼女は必要な手術をうけたのだが、彼女のケースはヘルスケアと社会における最悪事例のように思えた。彼女は統合失調症だった。橋の下に住んでいた。彼女への社会的支援はゼロだった。彼女の必要としたのは適切な援助であったのだが彼女は病気のため警察に犯罪者扱いされ連れてこられた。外科的救急にもかかわらず、何時間も待合室に放置されていた。
 切断術はたいしたことはない。それ以外の問題で社会の淵にいる人びとは我々の援助を求めている、しかし彼らに対し医師は銃創に対する包帯以上のことをできないでいる。それは私が医者であるということで想像するものとは違っていた。

(中略:酔った黒人を収容する警察の話がでてくる)

 若い医者の出だしはみな患者を救うことにエキサイトする、しかし数年後にはシニカルにも時に患者を敵とみなすようになる。私は単に足を切断する医師ではなく、橋の下で傷ついた彼に話しかけることができる、より“effective”な医師でありたかった。患者のために戦っている“good doctors”は数知れない。しかし、もしも我々が障害物を置く代わりにそれを取り除き、患者との間に行き来できる“橋”を作れるなら、この国のヘルスシステムはどれだけその“善”を大きくできるかを想像してみようではないか。

 以上が抄訳である。

 たまたま先日夕方、横浜駅東口の近くの患者の往診に行った帰り、帷子川にかかる橋のたもとでひとりの老年男性が倒れるのが見えた。近寄り「大丈夫ですか」と声をかけた。彼は「ありがとう。ちょっと飲み過ぎてね」と笑いながら答えた。人通りの多いところだが通行人は皆足早に過ぎていく。言葉や意識、手足の動きに問題のないことをみて帰ったのだが、いつまでも大きな声で「ありがとう」と繰り返す。寂しい孤独なひとなのかもしれないと思った。そんなこともあって上の文を読んでみた。
 幾つかの感想が浮かぶ。
 救急医の過酷さ、地獄のようと表現されることさえある。若い医者の患者への愛が憎しみへと変化する過程はわからないではない。ルソーも「医者は経験を持つほど冷酷になる」と書いている。しかし、ここで印象的なのは真の地獄は、自分が良い医者になれないのではないかという感情に襲われるときとしていることである。医師としての研修をうけ専門的スキルを身につけ“good doctor”になることは多分大多数ができる。問題はその先、いかに“effective doctor”になるかということだ。故本多虔夫先生の著書『よき臨床医をめざして』の副題はToward the effective clinicianであり、good clinicianではない。最先端の知識を得、スキルを身につけ、専門医の資格をとる。そこがゴールではない。そこが出発点なのだ。エッセイのタイトルbridge:橋という言葉は象徴的だ。色々なことを考えさせる。



2019年3月3日
試練とともに

 2月28日朝日オピニオン&フォーラム欄。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」というスポーツ選手の語った言葉に違和感を覚えたひとりの女性の投稿を紹介している。ALSの夫を介護した3年半の歳月が過ぎて試練は終わったのだが、自分は試練を乗り越えたのだろうか、と問う。

「夫が亡くなり、介護という試練は終わりました。でも乗り越えたとは思えません。今はパートで仕事をし、映画をみたり友達とランチに行ったりもします。おいしい物を食べると、夫と一緒に食べたかったと思い、日々成長する孫を見せたかったと思います。思いは常に夫へ向きます。これも私にとり試練です」
「結局生きるとは何かしらの試練と共存することなのだと思います。試練とは生きることそのものであり、乗り越えるものとは少し違うと思います」

 致死的な神経難病の夫を看取る。その苦しみの介護を通して生の試練とは乗り越えるものではなくともに在り続けるものだということをつかむ。そして結局生きるとは試練を生きることなのだという深い真実に到達する。苦しみはひとを大きく深くする。介護はひとを成熟させる。介護(ケア)とは、ひとがひとに至る苦しみに満ちた旅であるというアーサー・クラインマンの言葉を思い出す。
 
 日々の臨床を思う。むつかしい事例にぶつかる、あるいは困難な状況に陥る。試練の日々がある。試練のない日はない。波立ちのない平和な一日を医者は望めない。個々の小さな試練は乗り越えられることもあろう。しかし、医者という仕事そのものの試練は乗り越えられるべきものではない。試練そのものを生きていくのが医者という仕事なのだと思う。



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