©1982,2002 Tadashi Matsubara

廉恥節義は一身にあり──序に代へて

 石川達三といふ三文文士は破廉恥であり、愚鈍であり、あのやうな穀潰しの益體無しは暗殺するに如くは無いと、もしも私が本氣で書いたら、一體どういふ事になるであらうか。言ふも愚か、私の手は後ろに廻るに決つてゐる。けれども石川氏は今年、『連峰』八月號に、法治國の國民にあるまじき愚論を述べたのである。それは「石川達三氏を暗殺すべし」との暴論とさしたる徑庭無きものだが、愚論を述べて石川氏が世の笑はれ者になつた譯ではなく、ましてや石川氏の手が後ろに廻つた譯でもない。まこと思案に落ちぬと言ひたいところだが、實はそれも一向に怪しむに足りぬ。何せ今や日本國は道義不在の商人國家だからであり、「唄を忘れたカナリア」ならぬ廉恥節義を忘れた大方の日本人は、他人の愚鈍と沒義道とを滅多に咎める事が無い。もとよりジヤーナリズムも同樣であつて、先般新聞週刊誌はかの榎本敏夫氏の品性下劣なる先妻を「女王蜂」なんぞと持て囃し、大いにはしやいで樂しんだが、これまた廉恥心が地を掃つた事の證據に他ならぬ。かの「女王蜂」は愚かであり、愚かであるがゆゑにおのが品性の下劣を滿天下に晒したのであつた。「知的怠惰は道義的怠惰」だと私は屡々書いた事がある。淺はかなりし「女王蜂」については後述するが、『連峰』八月號に、法について淺薄極まる駄文を綴つた石川達三氏の場合も、その知的怠惰すなはち愚鈍と道義的怠惰すなはち破廉恥とは、表裏一體のものなのである。

 だが、石川氏の暴論を批判する前に、少しく石川氏の「前科」を洗つておくとしよう。石川氏は昭和十三年『中央公論』三月號に、『生きてゐる兵隊』といふ小説を書いた。底の淺い愚にもつかぬ小説だが、ここでは作品評はやらぬ。要するに、日本軍の殘虐行爲を描寫したといふ事で『生きてゐる兵隊』を載せた『中央公論』三月號は發賣禁止となり、石川氏は軍部に睨まれる事になつたのである。睨まれて石川氏はどうしたか。「前の失敗をとりかへし過ちを償」ひ「名譽を恢復」すべく、やがて再び從軍作家として武漢に赴き、歸國後『武漢作戰』を發表、やがて文藝興亞會の會則編纂委員となり、昭和二十年には日本文學報國會の實踐部長になつた。當時の石川氏が軍部に迎合して恥を捨て、いかなる愚論を述べたか、かうである。

 極端に言ふならば私は、小説といふものがすべて國家の宣傳機關となり政府のお先棒をかつぐことになつても構はないと思ふ。さういふ小説は藝術ではないと言はれるかも知れない。しかし藝術は第二次的問題だ。先づ何を如何に書くかといふ問題であつて、いかに巧みにいかにリアルに書くかといふ事はその次の考慮である。私たちが宣傳小説家になることに悲しみを感ずる必要はないと思ふ。宣傳に徹すればいいのだ。(『文藝』昭和十八年十二月號)

 しかるに、「國家の宣傳機關となり政府のお先棒をかつ」ぎ、「宣傳に徹」した甲斐も無く、昭和二十年八月十五日、日本は敗戰の憂き目を見る事となつた。石川氏は「われ誤てり」とて茫然自失、或いは祖國の命運を思ひ暗澹たる心地だつたらうか。否。石川氏は破廉恥なまでに鮮かに轉向した。そして敗戰後二ヶ月も經たぬうちに、今度はマツカーサー元帥に胡麻を擂るべく、十月一日附の毎日新聞にかう書いたのである。

 私はマツカーサー司令官が日本改造のために最も手嚴しい手段を採られんことを願ふ。明年行はれるところの総選擧が、もしも舊態依然たる代議士を選出するに止るやうな場合には、直ちに選擧のやり直しを嚴命して貰ひたい。(中略)進駐軍総司令官の絶對命令こそ日本再建のための唯一の希望であるのだ。何たる恥辱であらう!自ら改革さへもなし得ぬこの醜態こそ日本を六等國に轉落せしめた。(中略)私の所論は日本人に對する痛切な憎惡と不信とから出發してゐる。不良化した自分の子を鞭でもつて打ち据ゑる親の心と解して貰ひたい。涙を振つてこの子を感化院へ入れるやうに、今は日本をマツカーサー司令官の手に託して、叩き直して貰はなければならぬのだ。

 これもまた愚かしい、それゆゑ破廉恥な文章である。さうではないか。「不良化した自分の子を鞭でもつて打ち据ゑる親の心」の中に、眞實、親が子を愛してゐるのなら、「痛切な憎惡と不信」なんぞが潛む筈は無い。それに何より、「六等國に轉落」した日本を「不良化した自分の子」に擬へ、「涙を振つて感化院へ入れる」しかないと主張する石川氏とて、「自ら改革さへもなし得ぬ」日本人の一人だつた筈である。「自ら改革さへもなし得ぬ」日本人の一人だつだからこそ、「マツカーサー司令官に叩き直して貰」ひたいと書いたのではないか。

 しかるに、愚鈍なる石川氏にはこのあからさまな矛盾が見えてゐない。そして無論、知的怠惰は道義的怠惰なのであり、「親の心」だの「涙を振つて」だのとは何とも白々しい限りだが、それはともかく「何たる恥辱であらう!」と書いた時の石川氏は、おのれが以前「六等國」の「政府のお先棒をかつ」いだ事の「恥辱」のはうはきれいさつばり失念してゐるのである。おのれ一身を棚上げして日本人全體の恥辱を云々できるのは道義心を缺くからに他ならぬ。恥辱とは何よりもおのが恥辱であり、おのれ一身が「痛切」に感ずべきものである。昔、福澤諭吉は「大義名分は公なり表向なり、廉恥節義は私に在り一身に在り」と書いた。まさに至言であつて、大義名分に醉ひ癡れての憂國の情は、石川氏のそれのごとき頗る安手の紛ひ物さへ、とかく恥知らずにとつての恰好の隱れ蓑になる。

 だが、過去の大義名分の一切が崩潰したかに見えた敗戰直後の日本國にも、「私に在り一身に在」る廉恥節義を捨てなかつた男はゐた。例へば太宰治がさうである。太宰は石川氏と異り、戰時中も軍部に迎合する事の無かつた作家だが、敗戰直後、彼はかう書いた。

 日本は無條件降服した。私はただ、恥づかしかつた。もの言へないくらゐに恥づかしかつた。天皇の惡口を言ふものが激増して來た。しかし、さうなつて見ると私は、これまでどんなに深く天皇を愛して來たのかを知つた。(『苦惱の年鑑』)

 もう一つ引かう。昭和二十一年一月二十五日付の堤重久宛の書簡である。

 このごろの日本、あほらしい感じ、馬の背中に狐の重つてる姿で、ただウロウロ、たまに血相かへたり、赤旗ふりまはしたり、ばかばかしい。(中略)ジヤーナリズム、大醜態なり、新型便乘といふものなり。文化立國もへつたくれもない。戰時の新聞雜誌と同じぢやないか。(中略)戰時の苦勞を全部否定するな。(中略)天皇を倫理の儀表としてこれを支持せよ。戀ひしたふ對象もなければ倫理は宙に迷ふおそれあり。

 いかにも「倫理の儀表」無くば「倫理は宙に迷ふ」のであつて、それは私が『僞りても賢を學べ』において縷々説いた事だが、それはさて置き、變り身の早い石川達三氏の生き方と太宰治のそれと、讀者はいづれをよしとするであらうか。いかにも太宰は女を抱いて玉川上水に飛込んだのであつて、その死樣は女々しい限りだつたかも知れぬ。が、太宰の文章と石川氏のそれとを比較考量するならば、吾々は皆、太宰の頭腦が石川氏のそれを凌いでゐた事實を承認するであらう。やはり知的怠惰は道義的怠惰なのである。戰中及び戰後における石川氏の時局便乘は破廉恥の限りだが、それも畢竟頭が惡いからであり、頭が惡いからこそ破廉恥に振舞ひ、道學先生を氣取り、綺麗事を書き擲つて今の世をも後の世をも欺き果せると思ひ込んでゐる。そして實際十中八九は欺き果せたのであつた。例へば『連峰』八月號所載の駄文だが、『週刊新潮』八月二十七日號は「有罪と無罪の間」と題するその駄文を紹介して、齒が浮く樣な世辭を言つたのである。石川氏の小説は新潮文庫に二十數點も收められてをり、週刊誌の雄たる新潮とて臺所の事情は無視できなかつたと見える。俗に「目明き千人、盲千人」と言ふが、今も昔も目明きの數は決して多くはないのだから、目明きばかりを相手にして算盤が合ふ譯が無い。それゆゑ私は新潮の商賣氣質を咎めようとは思はぬ。論ふべきは石川氏の知的、道義的怠惰である。石川氏はかう書いた。

 田中角榮氏は遠からず無罪になるだろう。理由は證據不充分であつて、「疑わしきは罰せず」という原則がある。たとい有罪になつても被告は直ちに控訴、更に上告して、最終判決までにはなお七八年もかかり、その間も田中氏は當選が續く限り國會議員であり、國は歳費を拂いつづける。(中略)一體、有罪の判決が有るまでは無罪というのはどこに書いてある規定なのか。この言葉そのものが甚だ怪しげである。まるで中學生の理論のように短絡的であつて、筋が通らない。有罪の判決が有るまでは有罪では無いが、無罪でもないはずである。無罪だという根據はどこにも無い。したがつて選擧の票數は當選圏に入つていても、その票數には疑問があり、疑問が解決しない限りは無罪も確定してはいない。無罪が確定していなければ議員としての資格をも確認することはできないはずである。當然、「無罪の判決が有るまでは議員としての資格は保留」されなくてはならない。勿論歳費の支給も保留されるべきであり、いわんや國會議事堂に入つて國政を論ずるなどは言語道斷であるべきだと思う。それを從來は「有罪がきまるまでは無罪」という變な考え方で、有罪かも知れない人物が國政を論じていた。つまり、犯罪人かも知れない人間が政治家づらをして、吾々庶民を支配し號令していた。(中略)私は法秩序恢復の一つの手はじめとして、「有罪の判決が有るまでは無罪だ」と言う一般的な論理を、是非とも訂正してもらいたいと思う。「無罪という判決が有るまでは無罪ではない」のだ。當然、無罪の人に與へられるべき各種の權利、待遇もまた保留されるべきである。この馬鹿々々しいほど當り前な事がなぜ今日まで歪められて來たのか。(傍點松原)

 これは許し難き愚論であり、暴論である。法治國の國民の斷じて口走つてはならぬ戲言である。しかるに日本國は目下途轍も無い理不盡の國だから、人々はこの類の暴論を「馬鹿々々しいほど當り前な事」と受け取つて怪しむ事が無い。それゆゑ、「中學生の理論のように短絡的」な石川氏の愚論を『週刊新潮』が引用して提燈を持つたにも拘らず、新潮も石川氏も世論の袋叩きに遭ひはしなかつた。「目明き千人」と言切れぬゆゑんである。

 「有罪の判決が有るまでは無罪というのはどこに書いてある規定なのか」と石川氏は言ふ。「どこに書いてある」かはおよそ問題外である。「有罪の判決が有るまでは無罪」なのではない。最終審による有罪判決が下されるまで無罪の扱ひをするのが法治國なのである。それくらゐの事は本來、中學生でも承知してゐなければならぬ。いかにも「有罪の判決が有るまでは有罪では無い」し「無罪でもない」。從つて「無罪だという根據はどこにも無い」。けれども「有罪だという根據」とてどこにも無いのである。ここまでは「短絡的」ならざる中學生なら理解できる筈だと思ふ。では、「有罪だという根據」が「どこにも無い」のに、一體全體、いかなる「根據」にもとづいて、吾々は田中角榮氏に對し「無罪の人に與へられるべき各種の權利、待遇」を「保留」しうるのか。自分の文章を引くのは氣が引けるが、馬鹿念を押すに足る大事だと信ずるから、長い引用を敢へてする事にする。私はかつてかう書いた。

 例へば讀者はかういふ事を考へてみるがよい。甲が今、友人乙を殺したとする。そしてそれを丙が目撃したとする。言ふまでもなく、丙にとつては乙殺しの犯人が甲である事は確實である。だが、丙が「犯人は甲だ」と主張した時、丙以外の人間は、その主張の正しさを確かめる事ができない。丙が本當の事を言つてゐるかどうかは、神樣と丙自身にしか解らないからである。證據が物を言ふではないかと反問する向きもあらう。が、指紋だのルミノール反應だのが殘らぬ場合もある。その他確實と思はれる證據を蒐集して甲を起訴しても、最終審で甲が無罪になる可能性はある。いや、先般の財田川事件の場合のやうに、甲の死刑が決定して後に、最高裁が審理のやり直しを命ずる事さへある。

 以上の事を否定する讀者は一人もゐないと思ふ。これを要するに、甲が殺人犯かどうかは、究極のところ、甲自身及び目撃者丙以外誰にも解らぬといふ事である。(中略)たとへ、甲が一審で有罪、二審でも有罪となつたとしても、甲が最高裁に上告すれば、この段階でも世人は甲を罪人扱ひする事ができない。やがて最高裁が上告棄却の決定を下す。さて、さうなつて初めて世人は甲の有罪を信じてよい。新聞もまた甲を呼捨てにして、その「道義的責任」を追及し、勤先に辭表を出せと居丈だかに要求するもよい。財田川事件の如く、三審制といふ愼重な手續を經ても、人間の判斷に誤謬は附き物だから、なほ誤判の可能性はあるが、それは止むをえない。最終審の決定があれば、吾々は被告の有罪を信じるしかないのである。(『知的怠惰の時代』、PHP研究所)

 再び、「以上の事を否定する讀者は一人もゐないと思ふ」。では、私は讀者に尋ねたい。田中角榮氏の場合は一審の判決さへ下つてゐない。即ち田中氏は有罪かも知れぬが、逆に無罪かも知れぬ。それなら、無罪かも知れぬ人間に對して、「無罪の人に與へられるべき各種の權利、待遇」を、いかなる根據あつて「保留」しうるのか。警察が逮捕し檢察が起訴すれば、被告は即ち犯罪者と斷じうるのか。それなら判事なんぞは無用の長物である。そして判事や辯護士が無用の長物であるやうな國家では、善男善女は枕を高くして眠る事ができない。さういふ事態を「檢察フアツシヨ」と呼ぶのである。「無罪の人に與へられるべき各種の權利、待遇」を「保留」すべしと主張する石川氏は、「檢察フアツシヨ」を待望してゐるのであらうか。もしもさうなら、石川達三の如き「穀潰しの益體無しは暗殺するに如くは無い」と言切りたくもなる。

 さらにまた石川氏は、田中角榮氏が「無罪だという根據はどこにも無」く、「したがつて選擧の票數は當選圏に入つていても、その票數には疑問があり、疑問が解決しない限りは無罪も確定してはいない」と言ふ。度し難き愚鈍である。「選擧の票數は當選圏に入つていても、その票數には疑問があり」といふ事になれば、選擧制度そのものが崩潰してしまふ。石川氏はそれを望んでゐるのか。即ち民主主義を否定したがつてゐるのか。それとも新潟三區の選擧民は愚昧にして破廉恥だから、その意志は無視すべきだと考へてゐるのか。そのいづれにせよ、石川氏は公職選擧法そのものを否定してゐる事になる。實際、「多數決主義と言うのは民主主義的な運營の方法として、理論的には大變に理想的な方式であるけれども、その方式は永年のあいだに有りとあらゆる不潔な垢が附いてしまつ」たと石川氏は書いてゐるのである。要するに「不潔な垢が附いてしまつ」たから「無罪の判決が有るまでは議員としての資格は保留」すべきだといふ譯だが、さういふ事態となつたら、起訴された政治家の當選はまづ難しからう。「無罪の判決が有るまで議員としての」活動を禁止されるやうな政治家を、選擧民が選出する道理は無いからである。これほど見易い道理は無いが、粗雜な腦漿を絞つて雜駁な雜念を書き留める石川氏には、至つて見易い道理も見えない譯であり、その石川氏が「中學生の理論」を「短絡的」と稱するのは笑止千萬である。

 さて、石川氏の暴論の暴論たるゆゑんについて讀者はほぼ了解した事と思ふ。有罪の判決が下るまでは無罪の扱ひをし、「疑わしきは罰しない」、それが法治國なのである。田中角榮氏の場合も、最高裁は愚か地裁の判決も下つてゐない。すなはち、田中氏が「無罪だという根據はどこにも無い」かも知れないが、有罪だとする根據も今のところ「どこにも無い」。有罪か無罪か解らぬ被告人に對して「各種の權利、待遇」を「保留」したり、道義的に非難したりする事がどうして輕々にやれようか。

 假りに田中角榮氏は無實だとしよう。しかるに最高裁が有罪の判決を下したとしよう。すでに述べたやうに、その場合吾々は初めて田中氏の有罪を信じてよい。だが、その代り、假りに田中氏が罪を犯したのに最高裁が無罪の判決を下した場合も、輕々に最高裁と政治權力との「癒着」を云々したり、田中氏は「無罪となつたが道義的責任は免れない」などと、吾々は斷じて言つてはならないのである。

 人間は神ではない。それゆゑ、政治家や小説家と同樣、檢事や判事が間違ひをやらかす事もある。また、神ならぬ人間の拵へる法律も不完全だから、法の不備に附け込んで惡事を重ねる奴も跡を絶たぬ。だがその場合も、「法網を潛るとは何としても許せぬ、法が裁けぬなら道義で裁け」とて、惡黨を道義的に非難して吊上げるなどといふ事は斷じてやつてはならぬ。それは私刑であり、私刑は法治國において固く禁じられてゐる行爲だからである。しかるに先年、松野頼三氏が時效ゆゑに刑事責任を免れた時、新聞は松野氏を呼捨てにし、松野氏の道義的責任を躍起になつて追及した。あれは新聞による私刑であつた。そして今、石川達三氏は「無罪の判決が有るまでは議員としての資格は保留」せよと書き、田中角榮氏に對する法によらざる制裁を勸めてゐる。しかも石川氏には暴論を吐いたとの自覺は微塵も無く、世人も石川氏を決して咎めない。なぜか。世人は田中氏が賄賂を貰つたのは事實だと決め込んでをり、小説家が「國家の宣傳機關となり政府のお先棒をかつ」いだり、マツカーサーに胡麻を擂るべく「選擧のやり直しを嚴命して貰ひたい」などと書いたりするのは破廉恥ではないが、代議士が巨額の袖の下を貰ふのは破廉恥なのだから、貰つたらしいといふ事だけで充分、斷乎「疑わしきは罰」すべきだと、さう考へてゐるからである。それゆゑ、田中角榮氏を批判する者はすべて善玉と見做され、逆に田中氏のために辯ずる者は、例外無しに破廉恥漢と見做される。そして、さういふ輕佻浮薄な風潮を破廉恥な手合が利用しない筈が無い。かくて十月二十八日、かの「女王蜂」が檢察側の證人として出廷し、「蜂は一度刺して死ぬ」と大見得を切つた時、新聞は國家の一大事であるかのごとく一面トツプにでかでかと報じ、彼女の手記を掲載した『週刊文春』は發賣と同時に賣切れたのであつた。

 「あえて證言臺に立つた理由の一つ」は「眞實を貫くということの尊さ」を子供たちに「知つて欲しかつた」といふ事だと、「女王蜂」は手記に書いてゐる。だが、夫君榎本敏夫氏と別れようと決心して田中角榮氏に相談した時、「子供はどうする」との田中氏の問ひに對して彼女は、「女一人で三人の子供を育ててゆく不安、子供達の環境が激變することへの心配」、及び「再婚して子供を」拵へられる「年齢ではない榎本から、子供を取り上げたら何が殘るのか等々」の理由を擧げ「子供は預けます」と答へたといふ。愚かな「女王蜂」の言分はもとより矛盾してゐる。「眞實を貫くということの尊さ」を子供に知つて欲しいといふ氣持が眞實だつたなら、すなはち彼女が子供達を、眞實、愛してゐたのなら、「女一人で三人の子供を育ててゆく不安」なんぞ物の數とも思へなかつた筈である。惡黨も「眞實」だの「良心」だの「愛情」だのといふ美しい言葉を口にする。彼女の母性愛とは所詮眉唾物でしかない。

 「私はあの(證言臺に立つた)時、裁判官や檢事、辯護人に對してというよりも、ただひたすら子供達に向つて證言していた」と彼女は書いてゐる。昭和二十年、「親の心」だの「涙を振つて」だのと白々しい事を書いた石川達三氏と同樣、彼女もまた愚鈍ゆゑに品性の下劣を滿天下に晒したのである。「女親に離れぬるは、いとあはれなる事にこそ侍るめれ」と紫式部は言つた。昔も今も、眞實子を思ふ母親がそれを考へぬ筈が無い。

 だが、矛盾だらけの「女王蜂」の手記を私は丹念に叩かうとは思はない。愚かな「女王蜂」は道義的にもいかがはしく、世間を舐め過ぎてすでにかなりの襤褸を出してゐる。今後もますます出すであらう。豆を植ゑて稗を得るといふ事になるであらう。それゆゑ放つておけばよい。世間もいづれ必ず相手にしなくなる。けれども、あれほど品性下劣な女に、ごく短期間の事とはいへ、新聞や週刊誌は飜弄されたのであつて、それこそ日本人の道義心の麻痺を雄辯に物語る事實であり、これは放つてはおけない。浮かれ過ぎた「女王蜂」は愚鈍ゆゑに日ならずして尻尾を出し、文春以外の週刊誌がその尻尾を掴んで振り廻し、いかがはしい素性をしきりに洗ひ立てたけれども、彼女の品性下劣は、檢察側の證人として出廷した事を報じた各紙の記事を讀んだだけで、充分に察せられた筈なのである。しかるに、新聞も週刊誌も「女王蜂」の道義心の麻痺を即座に看破る事が無かつた。これこそはジヤーナリズムの墮落を雄辯に物語つてゐる。

 「證言拒否できる立場にありながら拒否しなかつた」のは、「私怨」のためもあるが「社會正義」を思つてでもあると「女王蜂」は言つたのである。けれども私怨ゆゑに「先夫を窮地に陷れ」た「女王蜂」の言動に、「公の義理」と「私の義理」の雙方を考へての葛藤は一向に感じられぬ。『週刊讀賣』十一月十五日號によれば、「衝撃的な證言をした翌日」彼女は玄關のドアに、「今囘の件は永い永い心の葛藤があつての事ですし、昨日終つてみて改めて悲しみがおそつて參りました。しばらく靜かにさせて頂けませんか」との張り紙をしたといふ。だが、その日彼女は湯河原にゐて、矛盾だらけの手記を書いてゐた。「永い永い葛藤」云々も眞つ赤な嘘だつたのである。

 無論、吾々は誰一人聖人君子ではない。他人の不幸は眺めてゐて樂しいし、憎たらしい奴ならいつそ殺したいと思ふし、震ひ附く樣な別嬪なら友人の女房でも寢取りたいと思ふ。が、惡いと知りながらつい寢取つてしまふのと、惡いとの自覺無くして寢取るのとは雲泥の差なのである。すなはち、前者は不道徳といふ事に過ぎぬが、後者は沒道徳だからだ。私怨ゆゑに「先夫を窮地に陷れる」のは善い事ではない。決して善い事ではないが「社會正義」のために敢へてやらねばならぬと、さういふ「永い永い心の葛藤があつて」、すなはち「私の義理」と「公の義理」とに引裂かれた擧句、「女王蜂」は證言に踏切つたのか。さうとはとても思はれぬ。それなら彼女の行爲は沒道徳なのである。しかるに世人はその沒道徳に慄然とせず、却つて檢察を咎めた奧野法相を咎めたのであつた。例へば『選択』十二月號に「天鼓」なる匿名批評家はかう書いた。

 榎本被告前夫人の十月二十八日の爆彈證言は、榎本アリバイにとどめを刺す威力を發揮した。さすが「ハチは一度刺したら死ぬ」と覺悟しただけのことはある。(中略)ハチ證言は、田中復權を期待する自民黨内の幻想を吹き飛ばしたのである。

 それに對するはかない抵抗が“隱れ田中派”の異名を頂戴した奧野法相の發言だつた。「檢察は人の道を外れてはならない」という奧野發言は、檢察への不當な牽制であるのはもとより、その倫理感の古めかしさを正直に告白したものだつた。法相は「亭主がどんな惡いことをしても、女房たる者は盲從し背くべからず」というのだろうか。(傍點松原)

 道徳とは百年千年經つてなほ變らぬものなのである。それは『道義不在の防衞論を糺す』で縷々述べた事だからここに繰返さないが、とまれ「古めかし」い「倫理感」などといふものは斷じて無い。天鼓氏のやうに駄文を綴る愚鈍な手合には所詮通じまいが、無駄を承知で思ひ切り「古めかしい」插話を紹介しておかう。或時、葉公が孔子に言つた、「吾が黨に直躬なる者あり。其の父羊を攘みて、子之を證せり」。孔子は答へた、「吾が黨の直き者は、是れに異なり。父は子の爲に隱し、子は父の爲に隱す。直きこと其の中に在り」。『論語』子路篇の一節である。子が父親の罪を發くが如き行爲は「直きこと」ではない。これがどうして古めかしい倫理であるか。「亭主がどんなに惡いことをしても、女房たる者は」それを輕々に發いてはならない。「社會正義」のために發くとしても「私の義理」と「公の義理」との食違ひに苦しんだ擧句の果でなければならぬ。

 「總ジテ私ノ義理ト公ノ義理・忠節トハ食違者也。國ノ治ニハ私ノ義理ヲ立ル筋モ有ドモ、公ノ筋ニ大ニ連テ有害事ニ至テハ、私ノ義理ヲ不立事也」と荻生徂徠は書いた。さう書いて徂徠は丸橋忠彌の陰謀を密告した手合を辯護したのである。だが、徂徠が今、「女王蜂」の手記を讀んだとしても、「私ノ義理ヲ不立事也」とは決して言はぬであらう。なぜか。『猪木正道氏に問ふ』にも書いたとほり、今日世人は「平和憲法護持を唱へればすなはち道徳的であるかのごとく思ひ込んでゐる」が、徂徠は政治と道徳とを混同するやうな愚物ではなかつたからである。徂徠は政治と道徳とを、「公ノ義理」と「私ノ義理」とを峻別した。峻別したうへで「公ノ義理」を重んじたに過ぎない。「天下ヲ安ソズルハ脩身ヲ以テ本ト爲ス」事は無論だが、ただしその場合の修身は飽くまで治國平天下のためである。「たとひ何程心を治め身を修め、無瑕の玉のごとくニ修行成就」したところで「下をわが苦世話に致し候心」無く、「國家を治むる道を知」らぬなら「何之益も無」き事ではないか。「己が身心さへ治まり候へば、天下國家もをのづからニ治まり候」と考へるのは誤りである。が、もとより修身が不要といふ事では斷じてない。「尤聖人の道にも身を修候事も有之候へ共、それは人の上に立候人は、身の行儀惡敷候へば、下たる人侮り候而信服不申候事、人情の常にて御座候」。

 いかにもそれは「人情の常」である。それゆゑ「人の上に立候人」は、例へば教師は、「下たる人」たる生徒に侮られぬやう「身の行儀」を守らうと努めねばならぬ。「下たる人に信服さすべき爲ニ、身を修候事ニて」云々と徂徠は書いてをり、それは餘りに功利的だと思ふ讀者もあらう。だが、『僞りても賢を學べ』にも書いたやうに、教師が「身の行儀」を守らうとする事は、生徒のためであり教師自身のためなのである。

 石川達三氏だの「女王蜂」だの「天鼓」氏だのといふ愚物を批判してゐるうちに、計らずも荻生徂徠といふ天才に言ひ及び、つい横道に逸れたが、品性下劣なる「女王蜂」に、たとへ一時にもせよ、新聞週刊誌が手玉に取られたのは、「公ノ義理」と「私ノ義理」とを峻別できぬ知的怠惰のせゐであつた。そして知的怠惰はもとより道義的怠惰に他ならない。今は「道義的怠惰の時代」なのであり、世人はおのが「心を治め身を修め」る事は考へず、專ら田中角榮氏を指彈して正義漢を氣取るのである。

 明治の昔、福澤諭吉は、「大義名分は公なり表向なり、廉恥節義は私に在り一身に在り」と書いた。昭和の今、石川達三氏は「法秩序恢復」を説き、「女王蜂」は「社會正義のため」とて胸を張る。だが、二人はともに品性下劣な人間であつた。しかるに世人はそれを一向に怪しまない。これを要するに「公」にして「表向」の「大義名分」を振り翳せば、「私に在り一身に在」るべき筈の「廉恥節義」は疑はれずに濟むといふ事である。すなはち、田中角榮氏を指彈したり、田中氏に楯突いたりすれば、造作も無く善玉として通用するといふ事である。だが、他人の惡徳を指彈して、その分おのれが有徳になる道理は無いではないか。斷じて無いではないか。

道義不在の時代・目次

廉恥節義は一身にあり──序に代へて
I 教育論における道義的怠惰
  1. 僞りても賢を學べ
  2. まづ徳育の可能を疑ふべし
II 防衞論における道義的怠惰
  1. 道義不在の防衞論を糺す
  2. 猪木正道氏に問ふ
III 日韓關係論における道義的怠惰
  1. 全斗煥將軍の事など
  2. 反韓派知識人に問ふ
IV 對談
初出一覽
あとがき