©1982,2002 Tadashi Matsubara

IV 對談 日本にとつての韓國、なぜ「近くて遠い國」か

朴大統領が暗殺された時

松原
申さん、覺えていらつしやいますか、朴正煕大統領が暗殺された時、私はたまたまソウルにゐて、その翌日だつたか、私は申さんに電話を掛けた。そしてかう言つた「私は新聞記者ぢやないから、大統領暗殺の眞相なんぞを知りたいとは思はない、ただ今後の日韓關係について申さんとは是非もう一度語り合ひたい、折も折、たいそうお忙しいだらうが、お目にかかれないだらうか」。  實は、申さんの他にもう一人、野黨新民黨の代議士にも會ひたいと思つたのです。新民黨について率直な疑問をぶつけてみたいと思ひましてね。そこでまづその野黨の代議士に電話を掛けた。が、斷られたんですね。「松原さんもご承知のやうに、今は國家未曾有の危機である、お會ひできない」。まあ、それはそのとほりで、あの時は野黨の代議士だつて猫の手も借りたいくらゐだつたらう。まして申さんは維新政友會の代議士、いはば與黨だつた。これはもう斷られるに決つてゐると思つて、おづおづと電話した。すると申さんはおつしやつた。「いやあ、私は忙しくありませんよ」。たとへ忙しくなくても忙しいと言ふのが政治家だらうにと、私は驚き、感動し、訝しんだ。
つまり、政治家としての力量を訝しんだわけでせう。(笑)
松原
ええ、それはもう。(笑)議員會館で最初にお目にかかつた時に訝しんだ。あの時、吾々は三時間語り合つたけれど、申さんは日本の政治家や知識人を、名指しで、ぼろくそにけなしたでせう。
いや、それは松原さんが先にやつたんだな。それで私もつい心を許して……。(笑)それに松原さんは韓國や韓國の政治家についても、ずゐぶん激しい事を喋つたんですよ。覺えていらつしやらないかも知れんが。
松原
いや、覺えてますよ。申さんに對してだけではなく、私は韓國で日韓雙方の批判をやりましたから。私怨ゆゑの惡口はいけないけれど、私には個人的に怨んでゐる韓國人なんて當時一人もゐませんでしたから。孫世一といふ人がゐるでせう。東亞日報の論説委員の。
ええ、いまは代議士ですが。
松原
孫さんに初めて會つたのは、朴大統領が殺される數時間前、東亞日報の彼の部屋でだつた。私は孫さんに言つたのです。「朴大統領は偉大だが、ああいふ偉大な政治家の取卷きはとかく墮落しがちなんだ。あなた方は朴さんがいつまでも生きてゐると思ひ込んでゐる。けれども朴さんも人間、いつ死ぬか解らない、いつ殺されるか解らない」。孫さんは頗る眞劒に私の話を聞いてくれましてね、もう一度會はうぢやないかといふ事になつた。二度目に會つたのは無論、朴大統領が殺された後の事ですが、ホテルの私の部屋で、夜空に行き交ふ探照燈を時々緊張した氣持で眺めながら、吾々はまこと眞劒に話合つたのです。正直、孫さんの意見には承服できないところがあつた。だから私はそれを率直に言つた。そしてその結果、私にとつて孫世一さんは、忘れられぬ人の一人になつたといふわけです。
それが何より大事なんですよ。韓國人と日本人が率直に話合ふといふ事が。孫君とはその後お會ひになりましたか。
松原
ええ、韓國へ行けば必ず會ひます。三度目の訪韓、あれは昨年の七月だつたけれど、その時の孫さんは失意のどん底で……。何しろ彼は金泳三氏に賭けて、その金氏が失脚してしまつたのだから。確か、金泳三氏の主席補佐官になつたのでしたね。
ええ、まあそんな役でした。
松原
でも、失意の時であらうと得意の時であらうと、友情に變りは無いはずですからね。私は文公部に孫さんと再會できるやう計らつてくれと頼んだ。ところが文公部は消極的でしてね。ああいふ態度、よくないな。
それは無理からぬ話ですよ。何しろあの頃は混亂期だつたし、それに何より、どこの國でも役人根性と人情は水と油だ。

金鍾泌氏との對談

松原
それはさうです。でも、覺えていらつしやいますか、昨年七月訪韓した時、金浦空港からソウルへ向かふ車の中で私、「金鍾泌さんに會ひたいのだけれど、會へるだらうか」つてたづねたでせう。
さうでした。覺えてゐます。
松原
昨年四月、二度目の訪韓の折、私は金鍾泌さんに會つた、大統領候補としての金鍾泌さんに、民主共和黨本部の總裁室で。金さんは私との會見に一時間半も割いてくれたのですよ。もつとも私のはうから會ひたいと言つたわけではなかつたけれども。とまれ私は金鍾泌さんにかなり率直に話した、「韓國は日本と違ふ。ソウルの四十數キロ先には敵がゐるではないか。しかるに韓國の政治家は日本やアメリカにおけるやうな民主主義が韓國でも今可能であるかのやうに思つてゐる。それは途方もない間違ひだ」。そんなふうに話したのです。すると金鍾泌さんは頗る眞劒になつて、三十分の會見豫定が九十分になつてしまつた。私はあの頃、軍人が大統領にならなければ韓國は持たないと思つてゐたし、申さんもその點は同意見でしたけれど、「袖振り合ふも他生の縁」といふ事があるでせう。九十分語り合つたら「多少の縁」ですよ。逮捕され失脚したからとて知らぬ顏はできないでせう。
その通りです。
松原
勿論、友情や信頼關係だけでは政治はやれない。マツクス・ウエーバーの言ふ通り「政治家は惡魔の力と契約する」。だから、金鍾泌さんだつて私の意見を書生論だと思つたに違ひない。私のはうもさうで、私は當時國軍保安司令官だつた全斗煥さんに會つて、あの人の人柄にぞつこん惚れたばかりでなく、全斗煥さんがいづれ金鍾泌さんを逮捕するのではないかとさへ思つてゐましたけれど、そんな事はおくびにも出さなかつた。金鍾泌さんには惡いけれど、人格識見、勇氣、そのいづれにおいても全斗煥さんのはうが上だと私は思ひましたからね。でも、金鍾泌さんとの「多少の縁」、これは否定しやうがない。なるほど政治家は「惡魔の力と契約」するけれど、そして金鍾泌さんがどんなふうに契約したのか、私は知らないけれど、政治家も人間ですからね、權力を失つて後も「多少の縁」を忘れぬ友人知己の存在は、これは必ず必要とする筈だと思ふ。
おつしやる通りです。人間は絶對的な孤獨に耐へられるものではありません。それに人間には、自分の信念に對する誠實のほかに他人に對する誠實も必要ですから。
松原
その「他人に對する誠實」といふ事ですけれど、申さんと私とは七つ違ひ、勿論申さんのはうが先輩です。そして吾々が知り合つてまだ二年にしかならないけれども、何囘會つても私に對する申さんの態度は少しも變らない。これこそ「他人に對する誠實」といふもので──
いや、それは松原さんもさうだ。知り合つて二年にしかならないけれども、私としてはまるで數十年附合つたかのやうです。何しろ先月日本へ來た時は、千葉縣勝浦の旅館でいつしよに風呂に入つて、背中を流して貰ひましたから。
松原
だつて、私も流して貰つたのだから……。もつとも申さんの背中の面積は私の背中のそれよりも大きくて、大きなイボがあつて、(笑)七つ年上だけあつて皮膚の老化が進んでゐて(笑)……いやいや妙な脱線をしてしまつた。(笑)強引に本論に入る事にします。

六十億ドル、米の壓力で澁々貸す

松原
周知のごとく、當面の日韓の厄介な問題として、例の六十億ドル公共借款があります。これは今後どうなるか。いや、どう處理すべきか。その點についてのお考へを話して頂きたいのですが。
まあ、兩國の外相會談も閣僚會談も物別れに終つてしまつた譯ですね。その後も兩國の政治家が頻繁に往來して、兩國の友好親善を強調してゐるんですが、どうもそれも口先だけの美辭麗句でしてね、問題の解決を先に延ばすための方便ではないかと私は思つてゐます。けれども、これは大事な問題で、うまく解決しないと韓日關係に大きな禍根を殘します。韓日の當局者が眞劒に忍耐強く話合つてうまく解決しなければならない。交渉のやり方にも色々ありますが、役人同士、政治家同士の交渉だけでなく、日米賢人會議のやうなもの、それが韓國と日本の間にも必要なのではないかと思つてゐます。役人や政治家はとかく保身の術にたけてゐて、輿論に迎合するでせう。つまり本音を吐かんのです。本音と建前とを使ひわけるのは日本人の特技だと、日本人は思つてゐるでせう。ところがさうぢやない、韓國人のはうがそれは徹底してゐる、とさへ私は思ふ。とまれ、韓國人も日本人も競つて使ひ分けをやつとるんですな。これでは何事も解決しません。
松原
ですが、私はかう思つてゐるんです。日本はいづれ必ず韓國に六十億ドルを貸すやうになると。六十億が四十億になるといふ事はあるだらうが、貸す事は必ず貸す。だが、それは日本が韓國の言分を理解して、といふ事ではない。
さう、アメリカに壓力をかけられて澁々貸すといふ事である。
松原
さうなんです。實際、二、三日前の新聞に、アメリカ共和黨のヘルムズ議員が、日米對等の防衞分擔を求め、日米安保條約改定決議案を提出しようとした。結局は引つ込めましたけれども、あれは最初から引つ込めるつもりだつたのだらうと思ふ。つまり、アメリカは日本に對して今後、日本に防衞分擔をさせるべく、手を替へ品を替へ壓力をかけてくるだらうと思ひます。韓國に對する經濟協力だつて、アメリカに壓力をかけられて澁々やる、さういふ事にもなり兼ねない。けれども、さういふ事になつたら甚だ困る。この點、いかがですか。
全く同感ですな。この前、オタワで先進國首腦會議がありましたね。あの時、鈴木首相とレーガン大統領とは、日米兩國にとつて最も重要なる地域に對する經濟協力といふ點について合意したわけですね。日米兩國にとつて重要な地域とはどこか、間違ひなしに韓國がさうです。けれども、日米共同聲明についても「そんなものに日本は束縛されない」とか日本側が言ひ出して……。
松原
韓國人も唖然としたでせう。
唖然としましたな。(笑)
松原
園田外相の輕佻浮薄には困つてしまふな。でも、御安心下さい、そのうち内閣改造があつて、まさか外相の留任はありえないでせうから……。
ついでに、鈴木首相の留任もありえないでせうか。(笑)
松原
あ、さうか。事態は深刻なんだなあ。(笑)「御安心下さい」なんて輕々に言つちやいけないんだ、外國人に。これ、人から聞いた話ですけれど、園田外相は昔、落下傘部隊の隊長だつたさうですよ。で、その話をある時、記者會見でヘイグ長官が披露した。するとアメリカ人記者が笑つた。落下傘部隊の隊長つてのは頭が惡いんださうです。だから──
ちよつと待つて下さい。うちの大統領も落下傘部隊の隊長だつたんですが……。
松原
あ、さうだ、すつかり忘れてゐた。(笑)でも、例外の無い法則は無いでせう。(笑)しかし、同じ落下傘部隊出身で、あの二人、どうしてああも違ふのか。
まあ、園田さんは三十數年、落下傘つけての降下をやつてゐないから……。

經濟協力はすべて安保絡み

松原
とにかく話題を變へませう。(笑)さういふ事で、ええと何の話でしたか。
アメリカの壓力で澁々貸すのはまづいのではないかといふ話です。その通りです、アメリカに言はれて澁々貸したとなると、日本側は不快だらうし、韓國側にも色々とまづい事が起る。これはやはりうまく解決しなければならない、韓日雙方が努力しなければならない。日本人の殆どは、「今頃、唐突に大金を貸せと言ひ出して、韓國といふ國は尊大で生意氣だ」ぐらゐに思つてゐるのではないですか。
松原
さうなんです。一方、韓國にも頗る非理性的な反日感情がある。ですから、アメリカの壓力を受けてから貸すといふ事になると、日韓雙方の馬鹿が騷ぎ出しますね。韓國の馬鹿はかう言ふ、「ザマを見ろ、アメリカに叱られて結局金を出したぢやないか」。そして、さういふ韓國の馬鹿の態度が日本でも報道される。すると日本の馬鹿がいきり立つ。
かくて韓日關係は最惡の状態になる。
松原
それは何としても避けなければならない。
日本はいはゆる安保絡みの經濟協力はできないといふ考へでせう。私にはそれが理解できないのですよ。現代世界において、經濟協力とはすべて安保絡みなんですから。ソ聯の衞星國に對する經濟協力だつて、無論安保絡みだ。例へばの話、ソウルの下水道改善のために日本から金を借りる。その金で下水道を直す。生活環境がよくなりソウル市民がいつそう健康になる。健康な市民の中から兵隊をとる。富國強兵といふ事になる。ですから、安全保障と無關係の經濟協力なんぞありえない。  それと、日本の方々に是非とも理解して頂きたいのは、韓半島における南と北の勢力比といふ事です。北が強いと戰爭になる可能性があるが、南が強ければその心配は無い。それはアメリカとソ聯の關係についても言へる事ですが、その事が日本人にはどうも解つて貰へないらしい。今、南と北には軍事力の格差があつて、北のはうが少し強いのです。その格差を埋めるべくアメリカ軍が駐留してゐる譯ですが、韓國としてはいつまでもアメリカに依存ぜず、獨力で格差をなくさなければなりません。そのために韓國は、軍事的にも經濟的にももつと強くならなくてはならない。そのために日本に金を借りたいと、さういふ事なのです。日本の新聞は、六十億ドルとは法外な、と考へてゐるやうですが、私は法外だとは思ひません。一時に六十億借りたいといふのではなく、五年に割つて六十億、つまり一年間に十二億貸してくれないかといふ事ですからね。日本のGNPは今、一兆二千億ドルでせう。十二億ドルとはその千分の一だ。要するに、千圓持つてゐる日本に對して、韓國は一圓だけ貸してくれと言つてゐるのです。日本の海外經濟協力資金は、アジア向けが年間二十五億ドルでせう。二十五億のうち韓國に半分も貸す譯にはゆかんと、さういふ考へもある。けれども、日本の安全と平和にとつて、一番重要な國は韓國ではないだらうか。重要な國に優先的に貸したはうが、日本の國益に合致するのではないだらうか。もしも韓半島に戰爭が起つたら、日本はそれを對岸の火事として眺めてゐられるだらうか。もはやさういふ事はできないと私は思ふ。一九五〇年から五三年にかけての戰爭の際、日本は對岸の火事のやうに眺めてゐたでせう。
松原
ええ。それどころか、火事場泥棒よろしく、と言つては語弊があるけれども、とにかく特需でしこたま儲けました。
ところが、あの頃とは違つて、今の國際政治の權力構造を考へたら、韓半島における戰火は、少なくとも極東全域にひろがる可能性がある。日本としては、とてもそれに乘じて稼ぐといふ譯にはゆかない。
松原
さうです。第一、そんな事をアメリカが許すはずもない。
さうなりますとね、戰火が日本にも及ぶといふ事にもなりかねない。さうなつたら六十億ドルどころの出費ではすまなくなる。それを考へれば、さういふ事態を未然に防ぐための六十億、これは決して法外な額ではない。

韓國は「戰爭屋」ではない

松原
私個人としては、全く同感です。けれども、日本人の殆どは、このまま「モラトリアム國家」としての繁榮を永遠に享受できると思ひ込んでゐますからね。韓半島の安定が日本にとつて大切だと、韓國がいくら強調しても信じないわけですよ。それどころか、さういふ韓國の主張を、比喩はまづいが、惡女の深情けのやうに思ふ。(笑)つまり、「あたしを大事にするとあなた仕合せになれるわよ」つて、美女に言はれたら、男はその氣になるけれども、殘念な事に、日本人は韓國を美女だとは思つてゐない。ですから、「韓半島の安定は日本にとつても重要」だなどと言はれても、惡女の深情けで迷惑だと、さう感じてしまふのです。  どうしてさういふ事になるか、つまりなぜ日韓關係はかくも厄介なのか、それは日頃、私と申さんが倦む事なく語り合つてゐる事で、けふもいづれその點について、ざつくばらんに語らなければならないでせう。けれども、まづ考へなければならないのは、日本と韓國との、國防意識の懸隔ですね。韓國は國防について頗る眞劒だけれど日本はさうぢやない。日本では今、ソ聯は脅威かどうかなんて悠長な議論をやつてゐるんですが、大事なのはそんな事ぢやない、ソ聯の脅威を日本人が本當に感じてゐるかどうか、でせう。韓國では、北朝鮮は脅威かどうかについての議論、やつてゐますか。
やつてをらんですな。皆、北の脅威を痛感してゐるから、さういふ馬鹿げた議論はやりません。
松原
さつき申さんは、「韓國としてはいつまでもアメリカに依存せず、獨力で北との格差をなくさなければならない」とおつしやつた。それは要するに、北朝鮮だけでなく、アメリカもまた韓國にとつての脅威だといふ事ですね。
さうです。アメリカが韓國を見捨てるといふ事が、絶對に無いとは言切れない。
松原
そこなんですよ。さういふ事を日本人はまるで考へてゐないのです。ですから、ソ聯の脅威といふ事はさかんに論ずるけれども、アメリカの脅威は全然論じない。
奇妙ですな。むしろアメリカのはうが日本にとつては脅威のはずですがね。
松原
それに、國際經濟といふマラソンで、アメリカもECも韓國も、いはば鎧をつけて走つてゐる。軍事費といふ鎧を。しかるに日本だけはパンツ一枚で走つてゐるでせう。(笑)昨今、日本に對するアメリカやECの壓力が強まつたけれども、要するにあれは、「パンツ一枚とはけしからん、日本にも鎧をつけさせろ」といふ事なんですね。
さうです。日本側の言分に理があるかどうか、さういふ事は問題ぢやない。日本とソ聯、この二つの國さへ無かつたら吾々も安心して眠れるんだがと、ヨーロツパの連中は言ふ。が、今やヨーロツパだけではない。アジア諸國もさう思つてゐますよ。
松原
つまり、軍事的なソ聯の脅威と、經濟的な日本の脅威といふ事ですね。韓國の對日貿易赤字も相當のものになつてゐるでせう。
一九六五年から今日までの累積赤字が二百十五億ドルになつてゐます。最近は毎年三十億ドルの赤字ですから、今後五年で百五十億ドルになる。
松原
つまり、百五十億ドルも儲けるのだから、六十億ドルぐらゐ貸したつてよいではないか、さういふ事になる。
さうです。さういふふうに考へて頂きたい。ところが、それが中々に難しいわけです。何しろ日本のマスコミは、韓半島における情勢は安定してゐるのに、韓國はさかんに戰爭の危險があると言ひ立ててゐる、韓國は「戰爭屋」としてめしを食つとるぢやないかと、さう考へてゐるんですから。でも、韓國が過重なる軍事費を支出して頑張つてゐるために、日本が得をしてゐる事は事實ではないか。その點だけは日本の方々に理解して頂けないか。いやいや、かういふ事を言ふから「惡女の深情け」になるわけですな。(笑)
松原
要するに、日韓がなぜお互ひに「近くて遠い國」なのか、その原因はたくさんありますね。けれども、雙方の國防意識の違ひ、これがまづ厄介だと思ひますね。日本の政治家や知識人は板門店や第三トンネルを見るべきですよ。

北はいつでも戰爭をやる氣

昨年四月、松原さんは第三トンネルを視察なさつた。あの時、トンネルから出て來て、師團長の求めに應じて「見事なり、第一師團」とお書きになつたでせう。
松原
だつて本當に見事でしたもの。崔連植少將にしても、鄭鎬溶司令官にしても、見事としか言ひやうのない軍人だつた。無論、全斗煥大統領もさうです。當時は國軍保安司令官だつたけれど。私はね、申さん、敗戰の時、中學三年だつたのです。ですから死ぬる覺悟で大事業をやつてのけた男といふものを、目の邊りに見た事がない、全斗煥さんに會ふまでは。それですつかり感激して、日本へ歸つて手放しで襃めたわけですよ、韓國を。『中央公論』で。
さう、そしてひどい目にあつた。當然の事だ、何しろ本氣で「惡女」を襃めたのだから……。で、ひどい目にあつて後悔なさいましたか、襃めた事を。
松原
いや、全然。だつて事實ありのまま、感激した事をそのまま書いたんですから。ですから後悔はしなかりたけれども、色々と考へさせられましたね。日韓關係の難しさを痛感しました。もう韓國の事は書くまいと思つた。まあ、それはともかく、先日もアメリカの偵察機が北朝鮮軍のミサイルで攻撃されるといふ事件が起こりましたね。あの程度の事はあつても、北朝鮮が韓國に攻撃をしかけるといふやうな事はないと、大方の日本人は考へてゐるのです。この點、いかがですか。
いや、それは間違つた考へです。今、韓半島において、戰爭が起らないのは、空軍の力のせゐなのです。勿論、陸海空三軍の綜合戰力が北の攻撃に對する抑止力になつてゐるわけですが、空軍に限つて言へば、アメリカ空軍の力を合せるなら、南のはうが北よりも強い。ところが、もしもソ聯が北朝鮮にミグ23とかミグ25とかを與へるといふ事になると、さうなつたら北は侵掠をやりかねない。北朝鮮はリビアに操縱士を送つて、訓練を受けさせてゐるんです。
松原
どうしてリビアなんですか。
リビアにはオイルがたつぷりありますからね。金をかけずにミグの操縱訓練がやれます。リビアにゐる北朝鮮空軍の兵士は數百名といふ事ですが、訓練が終ると歸國して新しいのがまたやつて來る。さうやつて、ミグを操縱できる兵隊が一定の數に達した場合、ソ聯がミグを北に渡す。さうなれば戰爭を仕掛けてくる可能性は大きい。とにかく金日成といふ男は、人民の血を大量に流しても、ソ聯の支援さへ得られれば、いつでも戰爭をやる氣でゐますからね。かの南侵用のトンネルだつて、北が掘つたといふ事實は、今や全世界が認めてゐるでせう。いや、日本の新聞だけは認めてゐないのでしたか。
松原
日本の新聞の韓國報道のでたらめ、これは本當に困つたものです。私は昨年ソウルで、ソウル新聞の文胎甲社長に會つたのですが、文さんが嘆いてゐましたね。日本の新聞は北朝鮮についてどうしてあんなに斷定的に物を言ふのか。自分は七十二年の南北會談の折、記者として北へ行つたが、吾々が十分間話合へば、何しろ言葉が同じなのだから、相手が何を考へてゐるか、日本の記者以上によく解る。勿論、吾々に偏見が全く無いとは言はないが、北の連中の考へは、日本人以上に微妙なところまで解る。ところが日本の新聞は、日本の知識人や政治家が北に招待されて、北の公式的な説明をうのみにして歸つて來ると、それをそのまま信じて北を襃め、韓國を惡しざまに言ふ、あれは實にけしからん。文社長はさう言つてゐましたね。
とにかく私の國の軍事費の支出はGNPの六%です。ところが北朝鮮はGNPの四十%ですからね。世界中にGNPの四割を軍事費に割いてゐる國は、北朝鮮以外一つも無いんですな。
松原
勿論、韓國のGNPと北朝鮮のそれとは比較にならないけれど、要するに、GNPの四割を軍事費に割いても、國民から一切文句が出ない國といふわけで、それは恐るべき獨裁國家だからでせう。
そのとほりです。その邊のところを日本の方々に解つて頂きたい。

でたらめな日本の報道

松原
つまり、國民に苛酷な耐乏生活を強ひる事のできる閉鎖社會たる北朝鮮と、さういふ事のやれない自由主義陣營に屬する韓國と、この二つの國を同列に論ずる譯にはとてもゆかない。けれども、その點についての日本人の理解が缺けてゐるんですね。何せ今の日本には自由がふんだんにある。世界中に日本ほど自由を享受してゐる國はない。だからどうしても韓國を自由の無い閉鎖社會のやうに考へてしまふ。軍人ばかりがのさばつてゐる野蠻な國だと思つてしまふ。けれどもそんな事ないですよ。例へばこれ、韓國天主教中央協議會の李鍾興神父に聞いた話だけれど、陸軍參謀總長の李熹性大將が戒嚴司令官を兼ねてゐた頃、神父さんたちと會食した事があつた。その時、李神父は戒嚴司令官に、「あなた方軍人はとかく信仰心が無い。そのくせ信仰心のある兵隊は勇敢に戰ふなどと言ふ。そんな事を言ふのなら、將軍達も信仰心を持つべきではないか」と、さう言つたさうです。すると李熹性大將、頭をかいて苦笑したらしい。(笑)
あれは大層立派な軍人なんですよ、李熹性將軍は……。
松原
さうらしいですね。とにかく、李神父が強調してゐたのは、「戒嚴司令官にだつて吾々は自由に物を言へるのだ、軍人に文民が抑へつけられてゐると日本人は思つてゐるのだらうが、とんでもない誤解だ」といふ事でした。
韓國の軍人は大日本帝國陸軍の軍人とはまるで違ふ。まあ、それは松原さんがよく御承知のはずだけれど。
松原
ええ、それはもう……。例へば、あの光州暴動を鎭壓したのは特戰隊でせう。あの頃、日本の週刊誌は、特戰隊の兵隊が妊産婦の腹を割いて胎兒を取り出したとか、およそありえないやうな蠻行をやつたと書きました。でも、私は當時特戰隊の司令官だつた鄭鎬溶中將から直接聞いたのですがね、そんな馬鹿げた事、特戰隊は全然やつてゐない。そして鄭中將は私にかう言つたんです、「自分はこれまでただの一度も部下を毆つた事が無い。この大韓民國に自分に毆られた軍人は一人もゐない。それは自分の名譽にかけて斷言する」つて。無論、光州暴動の時、現地にゐたわけぢやないけれど、私は鄭鎬溶さんの人柄を知つてゐる。ですから特戰隊の蠻行云々なんていふ話、信じないわけです。
要するに「百聞一見にしかず」でしてね、韓國のありのままを見さへすれば、日本のジヤーナリズムがいかにでたらめか解るはずなんですな。ところが、知識人はとかく臆病だから、ありのままを言はないんでせう。新聞記者だつてさうです。ソウル駐在の日本の新聞記者は、ありのままに記事を書いて送つても本社のデスクがボツにするものだから、しまひにはデスクの喜びさうな事ばかり書くやうになる。しからば、「日本に言論の自由ありや」と言ひたいですな。それに何より、自由とはあくまで相對的なものでせう。日本にはふんだんに自由がある。何しろ國を守らない自由もあるんだから。ほら、あの何ていひましたつけ、「ソ聯が攻めて來たら、赤旗と白旗を掲げて降服しろ」つて書いた人……。
松原
ロンドン大學の森嶋通夫さん。
あれにはたまげたなあ。(笑)あんなすつとんきやうな事書いても通用するんだから。(笑)
松原
いや、笑ひ事ぢやない、まつたくお恥しい話です。實際今の日本が韓國に見習ふべき點は多々あるんですよ。李鍾興神父にしても孫世一さんにしても、とにかく一所懸命に考へてゐる。何しろ李神父とはベルジヤエフを論じ、アウグステイヌスを論じ、轉じて金大中、金泳三を論じといつたぐあひでしたが、宗教についても俗事についても、あの人頗る眞劒でしてね。ああいふ神父さん、日本にはゐないと思ひます。私は無信仰だけれど、あの神父さんには惚れました。
いや、惚れて當然です。あれは立派な神父だから。
松原
どうも私は惚れやすい質なのかもしれませんが。とまれ、韓國人の見事なところ、それを日本人が本氣で認識すべきだと私は思ふ。ところが、それが難しい。「眞劒勝負つていい言葉だなあ」つて、孫世一さんが呟いた事がある。けれども、あの晩、朴大統領が殺された翌々日、孫さんは眞劒そのものだつた。が、さういふ事が日本人には解らないんです。いや、解らせられないんです。
要するに、韓國のよい面や明るい面は見ずに、暗い面ばかり強調する。あら捜しばかりやる。いや、あら捜しだつていい、事實なら文句は言ひません。が、無責任なデマばかりでせう。金大中事件の時もさうだつたし、光州事件の時もさうです。光州事件の時はうちの大統領が、いや、あの時はまだ大統領になつてゐなかつたけれど、とにかく軍の最高責任者だつたんですが、松原さんもご承知のやうに、全大統領や鄭鎬溶將軍みたいに極めて誠實な人間に、妊婦の腹を割かせるなんて事、できるはずないでせう。あれは初めから嘘なんですよ。特戰隊はね、人命の犧牲を最小限のものにするために、最大限の努力を拂つたぢやないですか。日本のジヤーナリズムが言ふやうに手段を選ばずにやつてよいものなら、あんな暴動、一時間で鎭壓できますよ。それなのに一週間もかかつた。それは人命を尊重したからなんです。
松原
さういふ事なんだけど、それをいくら喋つても信じて貰へない。何しろ、森嶋通夫さんのやうな學者の防衞論が通用する國ですからね。軍人とは人非人だぐらゐに思つてゐる。一昨年、崔連植將軍が動亂當時の北朝鮮軍の殘虐行爲について説明してくれたのですけれど、その時、崔連植さんがかう言つたのですよ。「北朝鮮はこんないたいけな子供にまで銃を持たせて訓練をやつてゐる。子供だつてこれほど愛國心が旺盛なんだと言ひたいのだらうが、私たちはさうは考へない。そんな事、非人間性のあらはれではないか」。私はそんなにたくさん韓國の軍人を知つてゐるわけぢやない。けれども、私の知りえた限りでは、彼らほど野蠻や尊大と縁遠い人間は無いと思ひます。けれども、日本ぢやそれを言つても信じて貰へない。いや、信じて貰へないのは仕方がないとして、韓國軍に限らず韓國を襃めますと、色々と厄介な事になるんですね。つまり韓國を襃める動機を勘繰られるんですよ。
日本においてでせう。
松原
いえ、日韓雙方においてです。日韓には理でなく利によつてつながるおぞましい關係といふやつがある。ですから韓國を襃めますとね、「あいつは韓國人に利用されてゐる」と、さういふ事になる。
ですから、それは日本においてでせう。
松原
いえ、韓國においてもですよ。例へば、「あいつは申相楚さんを襃めるが、申さんはそんな立派な男ぢやない。松原は申さんに利用されてゐるんだ」。
なるほど私は「そんなに立派な男」ぢやないが、「松原さんを利用」とはひどいね。馬鹿みたいな奴らだな。要するに、日本の諺にあるぢやないですか。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」。それですよ。氣にする事はない。けれども、戰後三十六年、さういふ「おぞましい關係」がつづいた事は事實ですね。戰前の事は私、あまり言ひたくないし、言ふ必要も無い。問題は戰後の三十六年だ。嘘と馴れ合ひの三十六年だつたぢやないですか。日本人が韓國へ來ると、調子のよい事ばかり言つて韓國人を喜ばせ、玄海灘を渡ると同時に、ぺろりと舌を出す。韓國人の場合も全く同じですよ、東京へ來て、おべんちやら言つて、玄海灘を渡ると惡口を言ふんだな。日本の惡口言ひたければ、日本人の前で言つたらいい。そして韓國へ歸つたら、日本を擁護すべきですね。
松原
さうです。日本人の場合も同樣です、韓國を批判したければ韓國人の前でやつて、日本へ戻つたら韓國を擁護しなくてはね。ところがそれをやらない。どんな國にも缺點はある。韓國にだつて反省すべき點は多々あるんです。一昨年十月、最初に訪韓した時、私はそれを見て取りましたもの。申さんには何もかもざつくばらんに喋つたけれども。

淺はかな反日ナシヨナリズム

では、ずゐぶん日本を批判したから、この邊で韓國批判をやりますか。
松原
と、韓國人が切り出す事はめつたにないのだけれど、さう言はれると日本人としては「お立場上まづい事になるでせうから……」と言はざるをえない、一應は。(笑)
私はね、一九七三年にアメリカ國務省の招待を受けたんですよ。そして歸國後、アメリカの印象を書けと言はれて、かう書いた、「アメリカは人種差別と階級差の甚だしい國であつて、アングロ・サクソンはいはば將官、それ以外の白人は佐官、ユダヤ人は尉官、韓國人や日本人は下士官、そして黒人は兵卒である」。それを讀んでアメリカ大使館の或るユダヤ人が怒つてね、「せつかく金を遣つて招待したのに何たる事を書くか」……。(笑)
松原
でも、ユダヤ人が怒るのは無理ないけれど、それだけの事だつたでせう。後腐れはなかつたでせう。私も二十年ほど前、國務省の招待でアメリカへ行きましてね、歸國後アメリカの劇團や劇作家の惡口書いた事もあるけれど、別にどうといふ事はなかつたですね。やつぱりアメリカを襃めなくてはならないか、などとは全然思はなかつた。もつとも當時、アメリカに反日感情はほとんど無かつたから。
韓國における反日感情についてですけれども、總じてナシヨナリズムは感情的なものになりがちなんですね。しかも韓國の場合、日本帝國主義から解放されてまだ日が淺いといふ事がある。だから、日本が少しでも氣に障る事を言ふと、ナシヨナリズムに火がついて、わいわい騷ぎだす。腹を立てるのは解るが、わいわい騷いで何が解決できるか。
松原
先般、オリンピツクの開催地がソウルに決定した時、私は心から喜んだ日本人の一人なんです。けれども、ソウルが名古屋に勝つた事は「對日外交の勝利だ」と、韓國の新聞が書いたと知つて、私は正直、情けないなと思ひましたね。
要するにあれは、先進國でばかりオリンピツクをやらずに開發途上國でもやらうぢやないか、といふ事でソウルに票が集つたんでせう。對日外交とは何の關係もない話なんだ。さういふ妙な考へ方をする連中がをるから困る。
松原
さういふ淺はかなナシヨナリズムは、無論日本にもあるのだけれど、何とか抑制しなければなりませんね。さもないと、ずる賢い日本人に乘せられてしまふ。それあ誰だつて襃められて腹は立たない。けれども、シエイクスピアの描いたリア王のやうに、甘い言葉に醉ひ癡れてゐると、いつか必ず足を掬はれる事になる。襃められてたわいなく喜び、苦い事を言はれたとたんに怒る、さういふ現金な態度をとつてゐると、本當の身方が寄り附かなくなるでせう。昨年、ソウルのホテルのバーで、かういふ事がありました。或る韓國の代議士と私と私の友人の三人で酒を飮んでゐたら、或る日本の代議士が大聲で「全斗煥は偉い、俺は全斗煥のためなら死んでもいい」つて喚いたんです。すると驚いた事に、その韓國の代議士が「あの人は韓國の身方だ、眞の親韓派だ」と言つたんですよ。
をかしな事ですな。で、松原さん、その韓國の代議士をたしなめましたか。
松原
いや、たしなめるといふのではなくて……、その韓國の代議士は立派な人でしてね、私、好きですから、色々と話しましたけれど。でも、申さんには解つて頂けると思ふけれども、さうやつて「でたらめな親韓派に騙されるな」と忠告するでせう、韓國人に。さうすると、妙に不快な氣分になつてくるのです。何と言つたらよいかな、つまり忠告する事は「この私は信用していいんだよ、この私だけは本當の親韓派なんだ」と主張してゐる事になるではないか。或いは少なくとも、相手がさう疑つてゐるのではないかと、こつちが疑ふやうになる。(笑)
なるほど、厄介ですな。
松原
厄介ですよ。しまひには面倒臭くなつて、ええい、放つておけといふ事になります。

現金な處世術を反省せよ

でも、放つておけないでせう。日本の親韓派の中には立派な方もたくさんゐるのですけど、でたらめなのも多い。そしてそれは、うちの政府にも責任があると思ひますね。過去に色々とまづい事をやつてゐるんです。口先だけのおべんちやらを言ふ奴を招待して、氣骨のある人を招待しない。いつそ韓國の惡口を言つてゐる人たちを招待して、ありのままの韓國を見せたらいいんです。
松原
さうですね。襃めてくれると喜んでまた招待する、さういふの、一番いけないと思ひますね。かういふ事言ふのは大變に心苦しいけれども、そして誤解されるかもしれないけれども、この際だから言つておきます。大方の日本人にとつて、韓國は「追ひつき追ひ越す」べき先進國ぢやなかつたわけでせう。近代化のために學ばねばならなかつたのは、歐米諸國であつて韓國ぢやなかつたでせう。ですから、學者だつて歐米諸國の政府に招待されると喜ぶが、韓國にはあまり行きたがらないわけですよ。で、その行きたがらない人たちを招待すればいいのだけれど、實際問題としてそれは難しい。ですから、不愉快な事だけど、金や女が目當てのでたらめな奴でも、韓國の事を襃めて書いてくれるからとて招待する。かくして理ではなくて利でつながる事になる。さうなりますとね、氣骨のある連中はますます韓國から遠ざかるのですよ。
そこなんです、問題は。私は今囘も日本の或る學者に言はれたんですよ、實は自分は韓國に關心を持つてゐるのだけれど、どうもああいふ墮落した連中といつしよにされてはかなはん、それでこれまで招待されても斷つて來たんだと。これは要するに、これまで韓國がでたらめな日本人とばかり附合つてをつたから、まともな日本人が親韓派になりたがらない、さういふ状況になつてをるんでせう。私はその學者の書いたもの讀んで感心したから會ひに行つたのですが、のつけから嚴しい韓國批判を聞かされて、驚きました。とにかくこれまでのやうな招待のやり方は考へ直さなくてはならない、さう痛感してゐます。
松原
さつき私は金鍾泌さんの事、喋つたでせう。金鍾泌さんと私とは九十分語り合つただけの仲なんです。ところが韓國には金鍾泌さんと深い附合ひをした人がゐるわけでせう。さういふ韓國人が、金鍾泌さんが失脚したとたんに、新しい權力者に追從して保身を圖るのを見せつけられますとね、心ある日本人は眉を顰めると思ふ。朴大統領の死後もさうだつたでせう。朴さんの死後、屍に鞭うつやうな事を言つた日本の親韓派知識人を私は斬つたけれども、さういふ人でなしは韓國にもゐたわけですね。「類は友を呼ぶ」んです。どつちもどつちなんです。李朝の兩班以來の惡しき習性かもしれないが、保身のためのあまりにも現金な處世術を反省しないと、いつまでたつても無節操な日本人としか附合へない。
そのとほりです。吾々は大いに反省しなくちやなりません。さもないと、無節操な日本人としか附合へないばかりでなく、眞の身方に愛想づかしをされてしまふ。例へば福田さんね、福田恆存さん。あの人は朴大統領が死んで、日本中が屍に鞭うつてゐた頃、「孤獨の人・朴正煕」を書いた。死んだ人を襃めて何の得があるんですか。それなのに福田さんは挽歌を捧げてくださつた。あれを讀んで感激した韓國人がたんとをるんですよ。ところが、その福田さんも今や韓國に愛想づかしをしてをられるんだから……。
松原
福田さんは朴大統領と親しくしてゐたでせう。そこで、私が全斗煥さんを襃めちぎりますとね、福田さんは次第に面白くなくなるんですね。「あんた、そんな事言ふけど、朴さんは日本の陸軍士官學校を一番で卒業してゐるんだ。三番で卒業といふ事になつてゐるけれど、韓國人を首席にしたくないとの日本人のけちな根性ゆゑに三番といふ事になつてしまつた。全斗煥さんも偉いが、朴さんはもつと偉い」、一度さうおつしやつた事がある。さういふ福田さんの氣持、私にはとてもよく解りますね。死んだ朴さんにそんなに肩入れしたつて、何の得にもなりはしないんだから。
要するに、眞實、韓國に對して同情と理解を持つてをられるお方が、韓國に愛想づかしをしてしまふ、さういふ風土は誰がつくつたか。やつぱり、うちのはうの責任が大きいんですね。これはどうしても是正しなければならんと思つてゐます。
松原
國家と國家との附合ひは誠實といふ事だけではやつてゆけないけれども、何せ日本と韓國は隣り同士でせう、未來永劫に引越すわけにはゆかないでせう。それなら、ざつくばらんに語り合ふ個人と個人との附合ひが、もつとあつてしかるべきですね。さもないと、日韓は互ひにいつまでたつても「近くて遠い國」、といふ事になる。

眞の身方こそ苦言を呈する

これから徐々によくなるのぢやないですか。やがて日本も淺薄な安保只乘り状態を脱して、國防を眞劒に考へなければならないやうになる。さうなれば必ず韓國に對する理解も深まると思ひます。けれども勿論、ざつくばらんな話合ひ、それが何より大事です。吾々二人が今やつてゐるやうな、友情と信頼にもとづく附合ひが、百組、千組、といふふうに増えてゆけばいい。
松原
さうです。そしてそれは別に難しい事ぢやない。申さんと附合ふの、私にとつてはそんなに難しい事ぢやないもの。(笑)誰だつて、ざつくばらんに喋れる友人は持つてゐるはずでせう。私たちの場合はたまたま國籍が違ふといふだけの事です。もつとも殘念ながら私は韓國語が喋れなくて、申さんが日本語を話してくださるからこそ──
いや、そんな事ぢやありませんよ。何語を喋るかなんていふ事は問題ぢやない。信頼できる相手かどうか、それが大事なんです。スパイは相手國の言葉を流暢に喋るぢやないですか。(笑)
松原
なるほど。けれども、その言葉の問題ですけれども、私も申さんと附合ふやうになつてから、韓國語が喋れたらなあとつくづく思ひます。思ひながら勉強しないけれど、それは齢五十を越え、日本語を使つてやりとげたいことがたくさんあるからなんです。これ、必ずしも辯解ぢやないんですよ。例へば五十の手習ひやるよりも、日本語を用ゐて日韓を「近くて近い國同士」にするために努力したはうがいいではないか。それも必ずしも韓國のために辯ずるといふ事ではない。さつき、おつしやつたやうに、日本人の國防意識を確固としたものにしようとして書く事も、日韓關係を好轉させるための一助になるわけですからね。そしてさうやつて、吾々韓國語を喋れない世代が眞劒に努力すれば、若き世代が韓國の事を本氣で考へるやうになる。韓國語をやらうといふ連中も出てくる。早い話が、この申さんと私の對談ですが、若い連中が讀んだら、韓國にはこんなにざつくばらんな代議士がゐたかと驚いて、韓國を見直すのぢやないかと思ふ。
ざつくばらんな代議士とは形容矛盾だな。(笑)むしろ八方破れなんですよ。
松原
八方美人よりはましでせう。(笑)とにかく私は若い世代に期待しますね。私が昨年『中央公論』で韓國のために辯じた時も、若い連中からずゐぶん手紙を貰ひましたもの。それあ、不愉快な目にも遭ひましたよ、たつぷりと。「全斗煥を襃めるとは何事か、あんな奴には書かせるな」といふ事にもなりましたし、脅迫電話もかかつて來たし……。
馬鹿みたいな奴らだな。どうせ北朝鮮のシンパでせう。
松原
さうでせうね。でも、北朝鮮のシンパの脅迫なんぞ大した事ぢやないですよ。閉口するのは韓國の現金な政治主義です。現金といふ事がなによりも困りますね。襃められればたわいなく喜び、ちよつとでも不都合な事を言はれるといきり立つ、さういふ淺はかな反應は身方を遠ざけるだけですよ。眞の身方が苦言を呈する事もあるし、韓國のため良かれと思つて、不都合な事を書いてしまふ事だつてあるでせう。でも、日韓關係に關する限り、私は若い連中に期待しますね。でも、そのためには、吾々の世代がやつておかなければならないことがありますから……。
さうです。吾々が若い連中に範を垂れなくてはならない。欲得づくの嘘の附合ひをやつてをつたんでは、示しがつきません。
松原
「示しがつかない」なんて日本語、ずゐぶん久し振りに聞いたなあ。あのね、申さん、先月日本においでになつた時も、今囘も、申さんは日本の若者に強烈な印象を與へたのですよ。『VOICE』編輯部の安部文司君なんぞ、ぞつこん惚れ込みましたね。何しろ京都のホテルで同じ部屋に泊つて、午前二時頃まで附合つて頂いて、翌朝、新幹線の始發に間に合ふやう起して貰つて、「あんな代議士は斷じて日本にはゐない」と、安部君はいたく感激してゐました。つまり「示しがつく」やうに振舞つたといふ事なんです、さういふ事が。
いやあ、あの晩は愉快でしたな。
松原
ただし、安部君も申さんの鼾にはまゐつたやうですがね。
私の鼾、そんなにひどいですか。
松原
ひどいなんてものぢやない。何しろ叫ぶんですから、突如として。(笑)
いや、それだけは解らんな、松原さんを果して信用すべきかどうか……。(笑)
松原
いや、信用すべきですね。私は以後決して申さんとは寢ませんから。(笑)酒を飮みすぎるんぢやありませんか、要するに。
いやいや、酒と鼾とは關係ありません。それに、酒が飮めるといふ事はすばらしい事なんです。それは健康である證據、金のある證據、そして友達のある證據ですからな。まさに「酒は百藥の長」なんです。
松原
「百藥の長とはいへど、よろづの病は酒よりこそ起これ」と吉田兼好は言ひましたがね。さうだ、面白い話があります。韓國では、夜十二時以降は外出禁止になるでせう。韓國の或る有名な飮兵衞が、十二時過ぎに或るバーへ入つて行つたんです。そしたらそこに、たくさんの夜の蝶がゐた。バーに夜の蝶がゐて不思議はない。けれどもそこに一人、制服制帽の巡査がゐたんですつて。そこでどうなつたか、飮兵衞は巡査をどなりつけた、「こら、お巡りがバーへ來る時は、私服で來い、馬鹿野郎!」すると巡査が憤然として答へた、「馬鹿野郎とはきさまの事だ。ここをどこだと思つとるか!」。そこはバーではなくて警察署だつたんです。(笑)夜の蝶は外出禁止令違反で調べられてゐたといふわけ。さういふ話なんですが、そのどう仕樣もない飮兵衞の名を申相楚といふ……。
さういふ事があつたらしいですな。しかし、今はめつぱふ弱くなつて、武勇傳なんぞも一切ありません。頗るおだやかな飮兵衞です、今は。
松原
そのやうですね。扶餘で飮んだ時も、鮮于さんは少々荒れたけれど、申さんはおだやかだつた。鮮于さん、お元氣ですか。
ええ、健筆を揮るつてゐます、相變らず。
松原
鮮于さんも私より七つ年上だけれど、ああいふ人も今の日本國にはゐないのぢやないかと思ひますね。昨年七月、ソウルのホテルで話してゐた時、鮮于さんの意見に承服できなかつたものだから、私は言つたのですよ、「鮮于さんのやうな人ばかりぢや大韓民國は持たない。鮮于さんはチエホフが好きらしいけど、十九世紀のロシアにはトルストイもゐた、ドストエフスキーもゐたぢやありませんか」。するとね、鮮于さんは頭をかきながら答へたんですよ、「解つた、解りました。どうも僕は重要な問題をちやかしてしまふ惡い癖があつてね」。私は感動しましたね。まじめになるべき時にもまじめにならない、それが今の日本の何よりも困る風潮なんです。が、韓國ではさういふ事はない。それこそまさに、日本が韓國に見習ふべきところだと思ひます。
鮮于さんのやうな人間がゐるといふ事こそ、韓國が健全な國家である證據なんですな。とまれ、韓國人の意見に承服できない時、承服できないとはつきり言ふ、それが何より大事な事なんですね。けふは幸か不幸か、松原さんと意見の對立はなかつたけれども……。
松原
いや、意見の對立があつても、互ひに信頼し合つてゐたら、感情的なしこりを殘す事なく話合へるんですよ。
さうです。ですから、韓國人と日本人がざつくばらんな附合ひをやつて、韓日兩國が一刻も早く「近くて近い國」同士になつてもらひたいですね。

道義不在の時代・目次

廉恥節義は一身にあり──序に代へて
I 教育論における道義的怠惰
  1. 僞りても賢を學べ
  2. まづ徳育の可能を疑ふべし
II 防衞論における道義的怠惰
  1. 道義不在の防衞論を糺す
  2. 猪木正道氏に問ふ
III 日韓關係論における道義的怠惰
  1. 全斗煥將軍の事など
  2. 反韓派知識人に問ふ
IV 對談
初出一覽
あとがき