©1982,2002 Tadashi Matsubara

II 防衞論における道義的怠惰

2 猪木正道氏に問ふ
──現實的保守主義者か、空想的共産主義者か

日本は軍事大國になれない

 吾國は「大國たりうる素質」を有しながら、怠惰のせゐか卑屈な根性のせゐか、身體障害者よろしく振舞つてゐるが、「日本こそ眞先に核兵器を製造し所有する特權を有しているのではないか」と清水幾太郎氏は書いた。そんな「突拍子もない」事を放言して無事に濟む日本國ではないから、案の定、清水氏は保守革新の雙方から叩かれた。「袋叩きに遭つても殆ど痛痒を感じない」と清水氏自身言つてゐるのだから、もとより清水氏に同情する必要は無い。私はただ清水氏を叩いて保守と革新が、判子で押したやうに同じ事を言ひ立てたのを、頗る奇異に感じたのである。例へば猪木正道氏は清水氏の防衞論を「空想的軍國主義」の所産と斷じ、「舊大日本帝國的な軍事大國に逆戻りするのは、ごめんこうむりたい」と書いたが、猪木氏に限らず、防衞を論じて大方の論者は「わが國は軍事大國になつてはいけない」とする奇説を自明の理と看做して一向に疑ふ事が無いのである。無論、政治家もさうであり、二月三日附のサンケイ新聞によれば、「二日から始まつた通常國會の豫算審議は、專守防衞を批判した竹田統幕議長の發言をめぐつて冒頭から紛糾し、同日午後、早くも審議中斷となつた」が、「制服組の發言が強化されれば日本は危うくなるのではないか」との社會黨議員の質問に對して、鈴木首相は「日本は平和憲法下にあり、從つて專守防衞に徹しなければならない。(中略)わが國が軍事大國になることはない」と答へたといふ。つまり「わが國は軍事大國になつてはいけない」と、自民黨も社會黨も、男も女も、猫も杓子も言ふ譯だが、吾國が軍事大國になつてなぜいけないのか私にはさつぱり解らぬと、私は前章に書いた。

 何たる無知蒙昧か、思ひ起すがよい、軍事大國たらんと分限も辨へず背伸びした擧句、大日本帝國は敗戰の憂目に遭つたではないか、さればこそ「軍事大國に逆戻りするのは、ごめんこうむりたい」のだと、猪木正道氏に倣つて大方の讀者は言ふかも知れぬ。が、軍事小國でありさへすれば再び決して敗戰の憂目には遭はないと、いかなる根據あつてさう斷じうるか。猪木氏は書いてゐる。

 一九四一年十一、二月の大日本帝國と一九八〇年の日本國とを比べて見れば、清水幾太郎氏の讚美する軍事大國と彼が輕侮する軍事小國との國際的な立場は餘りにもはつきりしている。“舊い戰後”の日本國は孤立せず、北方を除いては友好國にとりかこまれているのに反して、軍國日本はABCD包圍陣に自爆しなければならなかつた。

 猪木氏に尋ねたい、日本が軍事大國にならない限り、以後決して「ABCD包圍陣」ごときものに「自爆」する事が無いと言切れるか。言切れるとすればその根據は何か。アメリカとソ聯は軍事大國である。が、兩國はそれぞれ友好國ないし衞星國に取り圍まれてゐる。軍事小國でなければ「友好國にとりかこまれ」ないなどと斷じうる根據などありはせぬ。軍事大國が四面楚歌となり「自爆」する事もあらう。だが、軍事小國が「自爆」もできずして滅ぼされる事もある。それに何より、日本はアメリカやソ聯のやうな軍事大國になれる筈が無い。なれる筈が無いのになつては大變と騷ぎ立てるのは滑稽の極みではないか。

政治と道徳の混同

 しかるにその滑稽を大方の日本人は意識してゐない。昭和二十年八月十五日、戰爭と道徳的犯罪とを混同するといふ途方も無い考へ違ひをして、すなはち本來失敗に過ぎぬ敗戰を道徳的惡事ゆゑの應報と勘違ひして、以來羹に懲りて膾を吹き續け、平和憲法を金科玉條として知的怠惰の三十數年を過して來たからだ。それゆゑ、ここでまづ、その勘違ひの發端に溯り、當時書かれた文章を吟味するとしよう。まづは小田實氏の文章である。

 砲兵工廠の壞滅後、ビラの豫告通り、敗戰が來た。敗戰は「公状況」そのものを無意味にし、「大東亞共榮圏の理想」も「天皇陛下のために」も、一日にしてわらうべきものとなつた。私は、中學一年生という精神形成期のはじめにあたつて、ほとんどすべての價値の百八十度轉囘を經驗したのである。「鬼畜米英!」と聲高に叫んだ教師がわずかの時日ののちには「民主主義の使徒アメリカ」、イギリスの紳士のすばらしさについて語つた。その經驗は、私に「疑う」ことを教えた。すべてのものごとについて、たとえどのような權威をもつた存在であろうと、そこに根本的懷疑をもつこと、その經驗は私にそれをいまも強いる。(『「難死」の思想』)

 小田氏が一切を疑ふやうになつたと言ふのは嘘である。嘘でないなら自己欺瞞である。小田氏は昭和二十年八月十四日まで「權威をもつた存在」として通用してゐたものの一切を、十五日から疑ふやうになつたに過ぎない。その證據に小田氏は、猪木正道氏と同樣、民主主義や文民統制の萬能をつひぞ「根本的」に疑つた事が無いであらう。そしてそれも、猪木正道氏と同樣、「第二次大戰でわれわれ日本人がおかした罪」を「まざまざと想起」した結果、「おのずから嚴肅な精神」とやらを「體得」したからであつて、平和憲法の「前文や、第二章、第三章、及び第十章のあたりを熟讀玩味」(猪木氏)した結果、「わが國は軍事大國になつてはいけない」と頑に信ずるやうになつたために他なるまい。

 ところで、かつての「べ平連」の「鬪將」が右に引いた文章を綴つたのは昭和二十六年だが、その前年、先の防衞大學校長猪木正道氏も、「空想的平和主義者」小田實氏の言分と大差無い事を書いたのであつた。かうである。

 道義の頽廢の原因を究明してゆくと、結局ポツダム革命がほんとうの革命ではないというところに歸着するようだ。舊秩序はもう燒がまわつており、内部的に崩壞しているから、舊道徳の復活によつて、道徳の頽廢を防ごうという考え方は失敗するにきまつている。そこで正しい解決法は、ほんとうの革命をやるよりほかにないということになる。ところがこれが一番難題であつて、中國やロシアのような流儀で、共産主義革命をやろうとしても、日本では成功の公算はない。(中略)それではこの難問が解けるまでの間は、どうするか? 今まで道徳と革命との關係の面ばかりを強調して來たが、道徳には、實は連續的な面がある。道徳の現象形態は革命を通じて變化するが、道徳の本質は、人間が人間である限り變るものではない。(中略)この不變の道徳を何と名づけるか、これは名づける人の勝手だ。(中略)何かはつきり書いたものが欲しいというならば、憲法に限る。占領軍が作つたからいけないという人もあるようだが、これはとんでもない話で、誰が原稿を書いたにしても、よいものはよい。日本にほんとうの革命が行われるまで、あの憲法を精讀することだ。あの憲法の前文や、第二章、第三章、及び第十章のあたりを熟讀玩味すれば、第二次大戰でわれわれ日本人がおかした罪はまざまざと想起され、おのずから嚴肅な精神さえある程度體得できる。(「革命と道徳」、『現代隨想全集』第十六卷所收、東京創元社、傍點松原)

 猪木氏はここで政治と道徳とを混同してをり、その事については追ひ追ひ述べるが、とまれ、猪木氏は、平和憲法には「不變の道徳」が「はつきり」表現されてゐると信じ、日本に「ほんとうの革命」が「行われるまで」は平和憲法を護らねばならず、改憲など斷じて許されないと主張した譯である。猪木氏の言ふ「ほんとうの革命」とは、傍點部分の「あたりを熟讀玩味すれば」、共産主義革命の事だといふ事が解る。昭和二十七年上梓の『戰爭と革命』、百五十六頁にも、猪木氏は「イギリスでは、議會主義を堅持しながら、プロレタリアの獨裁が實現されるのかも知れません」などと書いてゐるのだが、プロレタリア獨裁と議會制民主主義とは水と油で、そんなものが兩立する筈は無い。さういふ突拍子もない事を言ふから、「貧弱かつ劣惡な知識しかなく、わが國の防衞政策を論じるに全く適さない人物」だなどと評されるのである。

空想的平和主義者だつた猪木氏

 ところで、昭和五十六年の今、猪木氏は依然として日本に「ほんとうの革命」が興ればよいと考へてゐるのであらうか。右に引いた三十年前の文章は「空想的平和主義」の所産に他ならず、猪木氏はさらに「新憲法の平和主義も、今日ではもう眞面目に問題とされていない」、遺憾であるとか、「第二次大戰の放火者であり、かつ完敗者であるわれわれ日本人が、そう簡單に動搖してはならないはずだ。第二次世界大戰を通じて、われわれは勝利者達に教えてもらつたが、今や敗北者が教えるべき時ではなかろうか」とか書いてゐるのだが、今日の猪木氏はどうなのか、空想的ならざる平和主義者なのか。

 猪木氏は今なほ「日本人がおかした罪」を「まざまざと想起」し、「新憲法の平和主義」が「今日ではもう眞面目に問題とされていない」事を遺憾に思ひ、「敗北者」たる日本が「勝利者」たる英米ソ中の四ヶ國に「新憲法の平和主義」の精神を教へてやるべきだと考へてゐるのであらうか。昨年、清水幾太郎氏を批判して猪木氏はかう書いた。

 かねがねから私は、戰後日本の空想的平和主義が、空想的軍國主義を生むのではないかと懸念していた。戰後の空想的平和主義が戰前・戰中の空想的軍國主義の裏返しであるからには、敗戰後三十五年をへた今日、またその裏返しとしての空想的軍國主義が噴出したとしても決して不思議ではない。

 その通り、決して不思議ではない。不思議なのは、さうして昭和五十五年に空想的平和主義を批判してゐる「現實主義者」の猪木氏が、昭和二十五、六年には空想的平和主義者だつたといふ事實である。「革命自體が、實は不變の道徳によつて可能となつた」のであり、それは吾國の平和憲法に表現されてゐるなどと主張する者を「空想的」と呼ばずして何と呼べようか。若き日の猪木氏には人間の度し難い權力欲が見えてゐない。正義感に燃える革命家の内面にも權力欲は潛んでゐる。そしてそれが仲間に向けられる時は肅清となり、民衆に向けられる時は獨裁となる。無論、猪木氏も人間なのだから、三十年前も今も、權力欲があつて當然である。が、三十年前も今も、猪木氏はおのが權力欲を一向に氣にしない。實生活においては、吾々と同樣、結構權力欲に駈られて行動する事もある筈だが、文章を綴る段になると、おのが權力欲には目を瞑り、とたんに空想的な道學先生になる。この手の空想家ほど始末の惡い存在は無い。それは計り知れない害毒を流す。おのがエゴイズムを抑へうる者はおのがエゴイズムに手を燒く者だけだといふ事を、すなはち有徳たらんと欲する者は、おのが不徳に思ひをいたす者だけだといふ事を、昨今人々は眞面目に考へようとせず、平和憲法護持を唱へればすなはち道徳的であるかのごとく思ひ込んでゐるが、さういふ僞善と感傷の流行に空想的平和主義者たちは大いに貢献したのである。

 だが、猪木氏は清水氏を空想的軍國主義者と極めつけてゐる。「かねがねから私は、戰後日本の空想的平和主義が、空想的軍國主義を生むのではないかと懸念していた」と猪木氏は言ふ。「かねがねから」とは一體いつ頃からの事なのか。いつ頃から、いかなる囘心を經て、猪木氏は「現實主義者」に變貌したのか。昭和五十五年現在、空想的軍國主義と空想的平和主義の雙方を批判してゐるのだから、往時は知らず、今の猪木氏は現實主義者なのである。或いはその積りでゐるのである。それゆゑ猪木氏は人間の行動の「動機」よりも「結果」を重視する。猪木氏は書いてゐる。

 清水幾太郎氏の思想の軌跡には、私は關心がない。(中略)ただ困るのは、清水幾太郎氏の今度の論文が、日本の防衞力整備にとつてむしろマイナスの效果をもたらすと思われる點である。單に國内的にそういう逆效果があるだけでなく、國際的にも、日本の“軍國主義化”といういわれのない非難を生む心配は大きい。歴史をふりかえれば、人間の行動がその動機とは正反對の結果をもたらした例は少くない。

 いかにも「人間の行動がその動機と正反對の結果をもたらした例は少くない」。が、猪木氏の清水批判にしてからがさうではないか。現に東京新聞の「論壇時評」で奧平康弘氏は、猪木氏は「清水の憲法敵視論にも有效な批判を加えている」と評し、讀売新聞の「今月の論點」では正村公宏氏が、猪木氏の論文は「清水論文にたいするゆきとどいた批判である」と評した。猪木氏の清水批判が非武裝中立を主張する護憲派を勢附ける「結果をもたらした」といふ事も充分に考へられるのである。

 もつとも、猪木氏は昭和二十七年、「民主主義と平和主義の憲法をかたく守つて行くことが、日本を世界に結びつけ、日本人を人類に媒介する唯一つの正しい道だ」(傍點松原)と書いたのであり、この考へが今なほ變つてゐないとすれば、頑な護憲論者たる猪木氏の「改憲論批判」といふ「行動がその動機と正反對の結果をもたらした」とは言へなくなる。そしてそれなら、猪木氏の清水批判によつて非武裝中立論者が勢附くのは、猪木氏の望むところだといふ事にならう。

改憲論者なのか護憲論者なのか

 しかるに猪木氏は昨年、「憲法改正はほとんど不可能」だとする清水幾太郎氏を批判して、改憲は「不可能どころか、充分に可能」であり、「國民の壓倒的多數が納得する改正案ができれば、いつでも改憲に踏み切つてよい」と書いたのである。猪木氏に問ふ、「平和憲法をかたく守つて行く」との三十年前の信念を、猪木氏はいつ放擲してしまつたのか。堅く護るといふ事なら、部分的な改正にも應ずべきではない。猪木氏は清水氏を評して「狐が落ちたように變身」とか「百八十度の轉針」とか言つてゐるが、猪木氏もまた變身し轉身したのなら、それこそ目糞鼻糞を嗤ふの類ではないか。

 しかも厄介な事に、三十年前の猪木氏の意見と今日のそれとが矛盾してゐるだけでなく、今日の猪木氏の主張も頗る不得要領なのだ。猪木氏は書いてゐる。

 憲法第九條第二項を小、中學生が讀めば、自衞隊を違憲だと思うだろうというのならば、第二項を「前項の目的を達するため自衞軍を置く」とでも改正すればよい。(中略)國民の壓倒的多數が納得する改正案ができれば、いつでも改憲に踏み切つてよいと私は考えている。問題は改憲の國際的反響にある。そもそも日本國憲法が日本を國際社會へ復歸させるための條件をととのえるという國際條約的な意味をもつていたからには、改憲、特に第九條第二項の改正は當然國際的な反響を伴う。(中略)憲法、特に第九條の改正は日本が軍事大國化を決意したと見られる公算は大きいのである。

 「平和主義の憲法をかたく守る」どころか、第九條第二項の改正私案まで披露し、しかも、いづれ述べるが、「憲法の前文削除」を主張し、輿論の風向き次第では「いつでも改憲に踏み切つてよい」と言ひ、舌の根も乾かぬうちに「第九條の改正は日本が軍事大國化を決意したと見られる公算は大きい」と言ふ。一體全體猪木氏は何が言ひたいのか。

 かういふふうに考へる事ができる。「防衞大學の校長まで勤めた猪木氏が、まさか……」と大方の讀者は思ふに相違無いが、猪木氏は三十年前と少しも變つてをらず、依然として「日本にほんとうの革命が行われる」日を待ち侘び、「共産主義の誤謬ばかり見て、眞理を見落すのは片手落ちだ」と信じてゐるのであり、それゆゑ、空想的なものではあつても軍國主義的言動を許す事ができないのではないか。とすれば、猪木氏は三十年前の「空想」を今も捨ててゐないといふ事になる。今なほ「空想的平和主義者」なのだといふ事になる。勿論、この解釋には無理があつて、それはいづれ説明するが、無理があるといふ事はすなはち、別樣の解釋が成り立つといふ事である。つまり、三十年前「空想的平和主義者」であつた猪木氏は、その後「狐が落ちたように變身」して現實主義者になつたのであり、それゆゑ平和主義であれ軍國主義であれ、およそ「空想的」なものには我慢ができぬのだと、さう解釋する譯である。

 説明の都合上、しばらくさう解釋しておくとしよう。すなはち猪木氏を現實主義者と看做すのである。昨年猪木氏は「少くとも二十世紀中は、わが國は軍事大國になつてはいけないのである」と書いた。なぜ二十世紀中はいけないのか理解できないが、好意的に解釋すれば、これも猪木氏の頭腦の粗雜の證しではなく、なんら理由を示さずに斷定するはうが政治的に賢明だといふ、現實主義者特有の判斷にもとづくのであらう。しかしながら、「日本國憲法第九條が、軍事大國になることを阻止していることはたしか」だが、「國民の壓倒的多數が納得する改正案ができれば、いつでも改憲に踏み切つてよい」、けれども「二十世紀中は軍事大國になつてはいけない」などと言はれると、「いつでも金を貸してやるが、二十世紀中は他人に借金するやうな男であつてはいけない」と言はれた時と同樣に面喰ひ、猪木氏が正氣なのか狂氣なのか、改憲論者なのか護憲論者なのか、私にはさつぱり解らなくなる。いや、それとも猪木氏は、護憲改憲いづれか一方の立場に立つ事が「マイナスの效果をもたらす」のであり、時に應じていづれの立場にも立つ事が「プラスの效果をもたらす」と考へてゐるのかも知れぬ。さういふ考へ方の是非については前章に縷々述べたから、ここでは繰返さないが、これを要するに、猪木氏もまた淺はかな實利主義者にすぎないといふ事になる。

 ところで日本が軍事大國になつてなぜいけないのか、と私は書いた。吾國は今後遮二無二軍事大國を目差すべく、核の保有もためらふべきでないなどと、私はさういふ景氣のよい事が言ひたいのではない。軍事大國になる事を政治的に賢明ならざる事、もしくは道徳的に惡しき事であるかの如く言ふ知的怠惰を怪しむまでの事である。さういふ知的怠惰ゆゑに人々は政治と道徳を混同し、政治を論じて道徳を論じてゐるかのやうに錯覺する。それゆゑ昨今は道徳の問題が眞劒に論じられる事が無い。猪木氏は「改憲とか、ソ聯の脅威とか、核武裝とかの、防衞にとつて當面虚なる問題を防衞論議から切り離」せと言つてゐるが、猪木氏に限らず大方の日本人は道徳の問題を「當面虚なる」ものと看做してゐる譯であり、それゆゑ猪木氏のやうに「防衞豫算中の裝備費を倍増し、施設整備費を二倍半にし、研究・開發費を十倍に増加」すべしなどと、專ら「當面實なる問題」を論じて「精神面の問題」を一向に論じないのである。猪木氏は自衞隊についてもかう書いてゐる。

 裝備をいくら近代化しても、士氣、紀律を向上させなければ役に立たないというのは空論である。時代遲れの武器を使わせて、士氣を高めよといつても無理だ。非核裝備としては第一級の武器を配備すれば、精神面の問題もおのずから解決する。募集の問題もこれにともなつてますます改善されることは疑いない。

 なるほど「時代遲れの武器を使わせて、士氣を高めよといつても無理」である。が、「第一級の武器を配備」しても、戰ふ氣力の無い軍隊なら「專守防衞」すら覺束無い。今の自衞隊に缺けてゐるのは、「當面虚である」かに見える國軍としての誇りではないか。國民が自衞隊に「奴隸的苦役に從事」する土建屋としての存在理由しか認めてゐないのなら、「第一級の武器」を與へられたとしても心有る青年が進んで入隊する筈が無い。防衞問題の「權威」として自他ともに許す猪木氏の書庫には、汗牛充棟、定めし「第一級の文獻・資料が配備」されてゐるに違ひ無い。だが、それで猪木氏の「精神面の問題」は「おのずから解決」してゐるか。いかほど士氣旺盛であらうと知力を缺けば猪武者に過ぎぬ。同樣に、第一級の文獻が「配備」されてゐようと、緻密に頭を使ふ事ができなければ立派な學者とは言へまい。そして次のやうな文章が緻密な頭腦の所産とは私にはどうしても思へない。

 法學に無縁の人々が、奇妙な法理論を展開している情景は、こつけいだと思う。“一億總法匪”時代になつては大變だ。すぐれた憲法學者が少いことを考えると、他の分野の知識人が憲法を論じたくなる氣持はわかるが、文學者や哲學者の憲法論議は、やはり一國民としての意見以上の意味はあるまい。

一億總懺悔の後遺症

 「すぐれた憲法學者が少い」との判斷を「すぐれた憲法學者」が下すとは限るまいが、猪木氏は屡屡憲法を論じてゐるのである。では猪木氏は、自分も「すぐれた憲法學者」の一人だと言ひたいのか。それとも自分は「他の分野の知識人」で、自分の意見にも「一國民としての意見以上の意味は」無いと承知してをり、自分はこれほど謙虚なのに「文學者や哲學者」が身の程を辯へずして憲法を論ふ厚かましさに苦り切つてゐるのか。けれども「第九條だけを非難彈劾するのは、まるで子供の論理」だとして高飛車に清水幾太郎氏を批判してゐる猪木氏が、さまで謙虚だとは思へない。とすれば猪木氏は「すぐれた憲法學者」をもつて自ら任じてゐる事になる。つまり猪木氏は「文學者や、哲學者の憲法論議」は取るに足らぬが、「すぐれた憲法學者」たる自分の憲法論には「一國民としての意見以上の意味」があると主張してゐる事となる。だが、それほどの自信があるのなら、「國民の壓倒的多數が納得する改正案ができれば」などと心にも無い事をなぜ書くか。

 それに何より、日本國憲法は音符で書かれてゐるのではない。憲法は文章であり、憲法學者も文章を綴つて憲法を論ずるのである。猪木氏の文章は杜撰だが、杜撰な文章を綴る「すぐれた憲法學者」などといふ化物は斷じて存在しない。

 ところで、軍事大國になる事を道徳的惡事と思ひ做す知的怠惰についてだが、この怠惰は戰後三十數年、日本國に蔓延つて今なほ猖獗を極めてゐる。そしてそれは敗戰に際して大方の日本人が、自明ならざる事を自明と思ひ込んだ迂闊に端を發する。先に述べたやうに、猪木氏も「第二次大戰でわれわれ日本人がおかした罪」を「まざまざと想起」した譯だが、猪木氏のいふ罪とは道徳的な罪なのだ。猪木氏は當時、「道義の頽廢を嘆く聲は次第に高まつて」をり、「しかもこの聲が、右旋囘の波に乘つていることも、大體豫期の通り」だが、「汚職も、エロも、暴力も、皆戰爭中から始まつている」のであつて、「國内には暴力やエロが一見少いように見えた時でも、國外で日本人が何をしていたかを想起すれば、敗戰ではなくて、戰爭が責任を負わなければならないことは、明らかだ」と書いたのであつて、それは淺薄にも戰爭を道徳的な惡事だと思ひ込んだために他ならない。

 戰時中「國外で日本人が何をしていたか」。勿論この場合は「侵掠」を意味しよう。つまり猪木氏は「敗戰」ではなく「侵掠戰爭」が道義的頽廢を齎したと主張してゐる譯だが、道義的頽廢を齎したものが道義的に善きものである筈は無いから、猪木氏は侵掠戰爭を道義的に惡しきものと思ひ做した譯である。そしてさうなれば、敗戰を善き事と思ひ做すのも自然であり、さればこそ猪木氏は大日本「帝國が崩壞した時、私は正直にいつて、一種の解放感を味わつた」と書く事ができたのであつた。

 そして、猪木氏に限らず、敗戰によつて「解放感を味わつた」日本人は、「利口な奴はたんと反省しろ、俺は馬鹿だから反省しない」と放言した小林秀雄氏や、「眞の勇氣ある自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下萬歳!」と書いた太宰治のやうな旋毛曲りを除き、一億一心、「一億總懺悔」の迂闊を演じて、侵掠戰爭のみならず一切の戰爭を道徳的犯罪と思ひ込んだのであり、「一億總懺悔」とは政治と道徳とを峻別できぬ知的怠惰が齎した世にも稀なる怪現象であつた。しかも日本國民は、今なほその後遺症を患つてゐるのである。

改正すべき憲法

 その度し難き後遺症を嗤ふべく、私は前章にかう書いた。

 要するに猪木氏は政治と道徳とを峻別してゐないのである。それゆゑ、大東亞戰爭は侵掠戰爭で、侵掠戰爭の惡事たるは自明の理だと思つてゐる。(中略)だが、自衞の爲の戰爭を肯定する以上、他國の侵掠を想定してゐる譯であつて、それなら專守防衞論者は、侵掠が絶對に許されないのは自國の場合だけだと主張してゐる事になる。けれども、自國には絶對に許さないが他國の場合は仕方が無いといふ事なら、それは絶對に「絶對的な惡事」ではない。

 敢へて誇り顏に言ふが、これは誰にも否定できぬ論理ではあるまいか。そして知識人が知的誠實を重んじなければならぬとすれば、論理的に正しい事は、それがいかに不快な事實であれ、そのまま率直に認めなければならない筈ではないか。「日本は飽くまでも專守防衞に徹する所存であり」云々と、國會で政治家は紋切型の答辯をする。政治家の紋切型は構はぬ。總じて政治家はその時々政治的に賢明と思はれる事だけを語るのである。が、政治家をも含め、人間には知的誠實といふ事も大切なのであつて、それはつまり、專ら黨派の利害のみを顧慮して物を言つてはならぬといふ事である。そして、知的誠實を旨とする以上、政治的賢明は二の次とせざるをえず、保守のでたらめは見逃して革新のそれは論ふ、さういふ不誠實な態度を採つてはならない。例へば、かうして私は猪木正道氏を批判してゐるが、それを保守陣營の和を亂す淺はかとして保守派は苦り切るかも知れず、「保守同士の内ゲバ」と看做して革新は喜ぶかも知れぬ。が、さういふ精神の陋劣を私は蔑む。さうして黨派の利害ばかりを重んじて生きてゐるから、敵身方思考を超えるものにはさつぱり思ひ至らない。が、政治と道徳に關する難問は黨派を超えてゐる。「沂に浴し、舞に風し詠じて歸らん」と曾皙が言つた時、孔子は「喟然として歎じて」答へたといふ、「吾は點に與せん」(『論語』先進篇第十一)、これまた黨派心なんぞとは何の關りも無い話ではないか。

 もとより政治家は黨派の利害を無視する譯にはゆかぬ。が、政治家も人間であり、「舞う(雨+*)に風し詠じて歸」る樂しさは知つてゐよう。また、治國平天下のためには「惡魔の力と契約する」政治家も、黨派を超える道徳、すなはち修身を無視できまい。今は昔、國防を論じて日本の政治家も知識人も頗る眞劒であつた。そして例へば佐久間象山にせよ會澤正志斎にせよ、治國平天下を論じて必ず修身斉家に言及してゐる。なるほど「公の私」といふ事もあつたが、私の爲すべき修身なくして治國平天下はありえぬと、彼等は信じて疑はなかつた。しかるに今、識者は專ら治國平天下を論じて修身に言ひ及ぶ事が無い。國防を論じて道徳に言及する事が無い。修身といふ言葉によつて人々が連想するのはかつての徳目教育なのである。が、修身とは吾身を修めるの謂である。そして吾身を修めるためには、時に自己犧牲をも辭さぬ心構へが無くてはならぬ。道徳とはいつの世にも自己犧牲を強ひるものだが、さう考へれば、ここでも吾々は政治と道徳とを峻別せざるをえない事となる。國家が他國に對して自己犧牲に徹するなどといふ事は、金輪際ありえないからである。

 それはつまり、國家と國家との間には利害の一致による友好關係はありえても、道徳的な附合ひは成り立たないといふ事だ。が、さういふ事が大方の日本人には理解できない。もとより政治と道徳との混同を好むからであつて、憲法前文こそその混同の好箇の實例に他ならぬ。「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などといふ、專ら他國の善意を當てにして生きようとする卑屈極まる文章を含む憲法は、世界に類例の無いものではないか。

 それゆゑにこそ私は憲法を改正すべきだと考へる。猪木氏は第九條第二項を「前項の目的を達するため自衞軍を置く」とでも改正すればよいと言ふ。さういふ姑息な彌縫策ではもはやどうにもならぬ。政治と道徳、法と道徳を峻別できぬ、日本人の脆弱な精神を矯めねばどうにもならぬ。憲法は聖書ではない。聖書の改正は無論不可能である。それは道徳に關する聖典だからだ。が、憲法は「カイゼルのもの」である。何度改正しようと一向に構ひはしない。猪木氏は書いてゐる。

 歴史を尊重し、價値を守る立場に立つ人々の中に、現行憲法を無效呼ばわりするものが見受けられるのは、遺憾この上ないことと言わなければなるまい。現行憲法無效論によつて、最大の利益をうるものは破壞勢力にほかならない。

 猪木氏はなぜ「破壞勢力」の利益などを慮るのか。なぜ他人の思はくばかり氣にするのか。

 猪木氏は清水幾太郎氏について「清水氏の今度の論文が、日本の防衞力整備にとつてむしろマイナスの效果をもたらす」と書き、ソ聯の脅威を力説する識者について「ソ聯軍がいとも簡單にわが國を制壓する状況を怪しげな“專門知識”で描寫すれば、善良な日本國民のなかには震え上がる人も少なくあるまい」と書き、栗栖前統幕議長について「國民が誤解しても不思議でなく、誤解が生ずる惧れは當然豫期されたはず」と書く。だが、好んで誤解を招くやうに振舞ふ馬鹿はゐまいが、人間は時に他者の思はくを無視し、誤解は覺悟の前で「眞情を吐露」せねばならぬ事もあるではないか。

猪木氏の御都合主義

 さて、私はこれまで猪木氏を現實主義者と看做して來た。が、それにも少々無理がある。現在の猪木氏の文章のあちこちに、三十年前の「空想的理想主義」がはつきり讀み取れるからであつて、猪木氏は實は、三十年前と少しも變つてゐないのではないかと私は思ふ。今もなほ猪木氏は、「日本にほんとうの革命が行われる」日を、一日千秋の思ひで待ち侘びてゐるのではないか。かつて防衞大學の校長を勤めたのも、今、總理大臣の諮問機關たる綜合安全保障研究グループの議長を勤めてゐるのも、「ほんとうの革命が行われる」までの身過ぎ世過ぎ、いはば世を忍ぶ假の姿なのだが、自民黨も世人も猪木氏の「遠謀深慮」を看破れずして、「保守イデオローグの第一人者」と看做してゐるのではあるまいか。

 清水幾太郎氏は一所懸命に辻褄合せをやつたのである。それはなるほど悉く破綻したかも知れぬ。が、私は清水氏の辻褄合せを猪木氏の御都合主義もしくは「遠謀深慮」よりも好ましく思ふ。辻褄を合せようとして足掻くのは、知的誠實を全く持合せぬ人間の決してやらぬ事だからだ。が、猪木氏は三十年前の自説と今日のそれとの辻褄合せをやつてゐない。三十年前の猪木氏は「民主主義と平和主義との憲法をかたく守つて行くことが(中略)唯一つの正しい道だ」と書いたのである。猪木氏は今、「あの時はあのやうに書く事が政治的に賢明だつたのだ」と言ふのであらうか。

 だが、昨年九月三十日附の『やまと新聞』によれば、猪木氏は「自民黨・國防議員連盟の勉強會に出席、憲法の前文削除や第九條の改正など改憲の注目される具體的提言」をし、「現行憲法の前文は大戰爭が終つた後の非常に特殊なふん圍氣のもとで書かれているから現状に合わない」と發言したといふ。

 しかるに、同じく昨年、猪木氏は『中央公論』九月號に、憲法第九條を改正すれば「日本が軍事大國を決意したと見られる公算が大きい」と書いた。『やまと新聞』の記事が正確なら、猪木氏は『中央公論』九月號の讀者を愚弄した事になる。許し難き事である。それとも、九月號の原稿を書いてゐた時から、國防議員連盟の勉強會の當日までの間に、第九條の手直しをやつても「日本が軍事大國を決意したと見られる公算」は突如として小さくなつたのか。

 猪木氏は三十年前、熱烈な護憲論者としてかう書いた。

 わたくしは、民主主義と平和主義との憲法をかたく守つて行くことが、日本を世界に結びつけ、日本人を人類に媒介する唯一つの正しい道だと考えます。(中略)この憲法を守つてゆくことによつて、われわれ日本人は、イギリス、アメリカ、フランスの革命と結びつき、ロシア、中國の革命ともつながるのです。(中略)この憲法を捨てたり、改惡したりすれば、そのとたんに、日本の國土に住むありとあらゆる闇の力が、一斉に活動しはじめ、われわれ日本人は奈落の底へ落されてしまいます。これに反して、憲法さえ守り拔くことができれば、現在はいかに苦しくとも日本の前途には光明があります。

 現行憲法を「かたく守つて行くこと」が「唯一つの正しい道」ならば、憲法前文の削除はもとより、第九條第二項を「前項の目的を達するため自衞軍を置く」と改める事さへ許し難い暴擧であり、それを默過すれば「日本人は奈落の底へ落されてしま」ふ事とならう。

 とまれ、三十年前の猪木氏は紛れも無い「空想的平和主義者」であつた。では、私は猪木氏に問ふ。あなたの空想的平和主義は麻疹のやうなものだつたのか。そして麻疹を濟ませた時、ついでに知識人として「かたく守つて」ゆかねばならぬ筈の知的誠實をも思ひ切りよく放擲し、以來その都度賢明と思はれる事だけをその都度語つて、御都合主義で世を渡り、年貢の納め時をつひに迎へなかつたといふ事なのか。それとも、イギリスにおける「プロレタリアートの獨裁が實現」しなかつたにも拘らず、猪木氏は今なほ、日本國における「ほんとうの革命」成就を一日千秋の思ひで待ち侘びてゐるのであらうか。

道義不在の時代・目次

廉恥節義は一身にあり──序に代へて
I 教育論における道義的怠惰
  1. 僞りても賢を學べ
  2. まづ徳育の可能を疑ふべし
II 防衞論における道義的怠惰
  1. 道義不在の防衞論を糺す
  2. 猪木正道氏に問ふ
III 日韓關係論における道義的怠惰
  1. 全斗煥將軍の事など
  2. 反韓派知識人に問ふ
IV 對談
初出一覽
あとがき