©1982,2002 Tadashi Matsubara

I 教育論における道義的怠惰

1 僞りても賢を學べ

 かつて教育は聖職なりや否やとの論爭が流行した事がある。大方の教育論議と同樣、議論してゐる手合が本氣でなかつたから、忽ち下火になり、やがて消えてしまつた。教師のみが聖職者たりうる理由なんぞさう簡單に見附かる筈は無い。教師も人の子であつて、女の色香に迷ふ事もあらうし、慾に目が眩む事もあらう。例へばの話、中學校の教師が仲間と一緒にいかがはしい映畫を觀に行く事もある。そこで映畫に堪能した翌日、教室で生徒が休み時間に、いかがはしい雜誌に見惚れてゐる現場を掴む事もある。その時、教師はどういふ態度を採つたらよいか。

 さういふ事態に日頃教師は屡々直面するであらう。いや、たまたまいかがはしい映畫を觀た翌日、いかがはしい雜誌に見惚れる生徒の姿を目撃するといふ事が屡々ある、といふ事ではない。教師が二日醉ひで氣分が惡い時、部室で密かに酒を飮んでゐる野球部の生徒を見附けるとか、禁煙しようと思ひ立つて挫折し、おのが意志薄弱にいささか愛想盡かしをしてゐる折も折、萬引癖のある生徒がまたぞろやらかした事を知るとか、さういふ類の體驗は屡々してゐるだらうといふ事である。いや、教師だけではない、親の場合も同じであつて、退社後、赤提燈で、上役の惡口を言つて樂しむのは、なるほど情けない根性ではあるが、勤人なら誰しも必ず身に覺えがある筈だ。では、さういふ情けない根性を大いに發揮して歸宅した翌日、わが子が擔任の教師の惡口を言ひ出したとする、さて、父親はどうしたらよいか。

 これを要するに、おのれを省みて、生徒や子供を叱る資格なんぞありはせぬとしか思へぬ場合、教師や親は一體どう振舞ふべきか、といふ事である。坂口安吾はかう書いてゐる。「教訓には二つあつて、先人がそのために失敗したから後人はそれをしてはならぬ、といふ意味のものと、先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまつてゐるが、さればといつて、だからするなとはいへない性質のものと、二つである」。けだし至言だが、例へば教室でいかがはしい雜誌に見惚れてゐる生徒に向かひ、教師は一體、いかなる理由を擧げ「だからするな」と言ふべきか。

 かういふ事は日常茶飯事であつて、教師も親も屡々體驗する。しかるに、奇怪千萬だが、大方の教育書はその種の日常茶飯事を素通りするのであつて、巷間に流布する教育書は、やれ學校五日制がどうの、學區制がどうの、主任制がどうのと、制度をいぢりさへすれば萬事が解決するかの樣に思ひ込んでゐる學者先生の手になる淺見僻見の類か、さもなくば教育の場における明暗二通りの現象、即ち「のびのび教育」とやらの實例、もしくは目下流行の校内暴力や家庭内暴力の實例を、「客觀的」に記録するだけのルポルタージユなのである。無味乾燥なる制度論は無論だが、詰込み教育を止め、かくもすばらしき成果を收めたなどといふ話を讀んだ所で、愚かしき兩親は子供の塾通ひを止めさせはしないであらう。また、凄じい家庭内暴力の實態を知つた所で、俺の子は大丈夫だとて、胸を撫で下すだけの事であらう。要するに、何の役にも立ちはしないといふ事だ。では、何の役にも立たぬ教育書ばかりが、なにゆゑかくも氾濫してゐるか。その種の無駄を意に介さぬ程、日本が經濟大國となつたからに他ならない。

 しかるに、「俺の倅は健全だ」とて高を括つてゐた父親が、或る日、倅の勉強机の引出しに、卑猥な雜誌や避妊器具を發見して驚くといふ事がある。母親が娘の日記を盜み讀みして、同級の男の子に寄せる切々たる戀心の表現を見出すといふ事がある。さういふ時、親はどうしたらよいか。放置すべきか、それとも斷然説教すべきか。多分、大抵の親は放置するであらう。だが、放置できぬほどの重症だつた場合はどうするか。無論、説教するしかあるまい。だが、一體全體どういふ具合に説教すべきか。穩やかに、醇々と言つて聞かすべきか、手嚴しく咎むべきか。大方の兩親は穩健な方法を選ぶであらう。が、窮鼠猫を噛む、子供が居直つた場合はどうするか。日頃温厚にして御し易しとばかり思つてゐた息子や娘が、「大人も昔は同じだつた筈ではないか」などと開き直つたらどうするか。いかにもその昔、父親も惡友と共に春畫春本の類を樂しんだ事があるし、母親も映畫俳優に熱を上げ、いつそ家出をしてとまで思ひ詰めた事があるであらう。要するに、子供が今やつてゐる事は、程度の差こそあれ、兩親にとつては身に覺えのある事なのであり、「先人」たる兩親は「そのために失敗」こそしなかつたらうが、「さればといつて、だからするな」とも、「だからせよ」とも言へまい。イギリスの劇作家プリーストリーに『危險な曲り角』といふ作品があり、人生には「もしもあの時あの曲り角を曲つてゐたら、今の私は無かつたらう」としか思はれぬ樣な偶然があるものだと、さういふ事を考へさせられる芝居だが、兩親が失敗しなかつたのも偶然であり、運が良かつただけの事だとすれば、兩親は子供にどう言ひ聞かせたらよいか。「後人」たる子供はいづれ「危險な曲り角」を曲るかも知れぬ。「先人」の親も神樣ではないから一寸先は闇であるし、それに何より「危險な曲り角」を曲らなかつた者に、曲つた結果どうなるかは所詮解らぬのである。

 私は讀者を威してゐる譯ではない。劣惡なる教育書は親や教師を威す。「お前の子供も危いぞ」といふ類の事を必ず言ふ。つまり、親や教師の弱みに附込んで稼ぐのである。この、いはば「死の商人」とも評すべき教育書の惡辣な手口については、拙著『知的怠惰の時代』(PHP研究所)に詳しく書いたから、ここでは繰返さないが、私は讀者を威してゐるのではない。息子や娘が色情を解する年頃になるといふ事態は、どの家庭にも起る、いたつて平凡な事態の筈だが、平凡な事柄を論じても儲からないから、教育學者は素通りして考へない。それはをかしいではないかと、私は言つてゐるのである。

 とまれ、理想郷とも評すべき場所で行はれる氣まぐれな實驗なんぞに私は全く興味が無いし、一方、非行少年の實態なんぞ知りたいとも思はぬ。「理想郷」での實驗は、子供の中にも間違ひ無く惡魔が潛んでゐるといふ事實を知りたがらぬ樂天家の自慰に過ぎないし、一方、どう仕樣も無い非行少年は、拙著に縷々説明した通り、「ゴミタメに捨て」るしかないからである。これは許せぬ暴論か。さにあらず、吾々は本氣で不特定の非行少年に同情する筈が無い。かつてヴエトナム戰爭酣なりし頃、「ヴエトナムで毎日流されてゐる血を思ふと、三度の飯も喉を通らない」と言つた男がゐる。眞つ赤な嘘である。人間はさういふものではない。『ピーター・パン』の作者J・M・バリーがうまい事を言つてゐる、「花嫁に對しては常に嫉妬、死體に對しては常に善意」。

 かういふ意味である。結婚披露宴で美しい花嫁を見、樂しさうな花婿を見る。さういふ時、聖人君子ならぬ吾々は密かに呟く、「畜生、うまくやりやがつたな」。けれども、ともに天を戴かぬとて恨んでゐた敵が頓死して、その棺桶を前にして燒香する時、吾々はかう呟く、「この世では敵同士だつた。が、惡く思ふな。俺も反省してゐるのだ。どうか成佛してくれ」。

 何とも身勝手なものだが、人間とはさういふ甚だ身勝手な生き物なのだ。人間とは矛盾の塊だと言つてよい。美男美女の花婿花嫁を眞實うれしさうに眺めてゐるのは、親兄弟ぐらゐのものだと、さう言ひたい所だが、どうしてどうして、花婿の弟や花嫁の妹が心中穩やかでないかも知れぬ。しかるに、花婿花嫁を乘せた飛行機が墜落すれば、弟も妹も本氣で泣くのである。

 兄弟姉妹といふ至極身近な關係においても、悲しむべし、人間はこれほど身勝手なのだから、どこの馬の骨とも知らぬ不特定の非行少年に心から同情し、「ゴミタメに捨てろ」との「暴論」に立腹する筈は無い。再び、人間はさうしたものではないのである。勿論、かく言ふ私も身勝手だから、わが子が非行に走つたら平氣ではゐられない。何とかして立直らせようと懸命になる。「ゴミタメに捨てろ」などと言つてはをられぬし、そんな事を言ふ奴を憎む。けれども、同じ境遇にある父親の手記を讀んで慰められる事はあるかも知れないが、まづまづ順調に子供を育てた物書きが、「非行少年を持つ親の苦惱を思へば、三度の飯も喉に通らない」などと斷つてから、非行の實態とやらを發くルポルタージユを書いてくれた所で、そんな物、決して信用しないであらう。

 それに何より、昔、大盜賊石川五右衞門は「石川や浜の眞砂は盡くるとも世に盜人のたねはつくまじ」との辭世の句を殘し、京都は三條河原で釜茄での刑に處せられたが、「世に非行少年のたねはつくまじ」であつて、賣春婦も非行少年も昔から存在して、無くなつた例が無い。だから放置しておけと、言ふのではない。「すべて色を賣り淫を賣るものは、良民の間に雜居せしむべからざる」ものである、それゆゑ賣春婦だの藝者だのは「大にして堅固なるゴミタメ」に捨てるがよい、それで町は「清潔を保つ」事ができるのだと、幸田露伴は書いてゐる。これは決して暴論ではない。刑務所の無い國は存在しないのである。色町、遊里、花柳街、當世風に言へば「トルコ街」、さういふ特別地帶は世界中の都市に存在する。つまり、どうにも救ひ樣のない人間といふものは確かに存在する。とすれば、大事なのはゴミタメの中の少數を救はうとする事よりも、むしろ露伴の言ふ「良民」の子女を何とかしてゴミタメにぶち込まないやうにする工夫ではないか。かつてゴミタメは特定の區域に限られてゐた。色街の事を郭とも言ふが、郭とは元來、城や砦の周圍に巡らせた圍ひの事である。昔はゴミタメと「良民」の居住地域とをはつきり區別してゐた。しかるに今はさうではない。今、さうでなくなつて、萬事好都合であらうか。昔は普通の書店にポルノが竝べてある事は無かつたし、遊女とて分限を辯へてゐた。しかるに今は職業に貴賤無し、人間はすべて平等といふ事になり、トルコ孃だのノー・パン喫茶の女給だのが、胸を張つて週刊誌の座談會に出席し、「學校の先生つてのが一番いやらしいんだよねえ」などとぬかす始末である。さういふ次第となつて結構な御時勢だと、讀者は思つてゐるであらうか。中學生ともなれば書店のポルノを盜み讀みはするし、卑猥な週刊誌は藥屋でも買へるのである。よしんば父親が電車の網棚に捨てて來たとしても。

 さて、少々廻り道をしたが、この邊で冒頭の問題に戻る事にしよう。あちこちに散在するゴミタメで、或る日「良民」たる中學校の教師が遊んだとする。「そんな教師がなぜ良民か」などと、もはや讀者は言はぬであらう。そこでその「良民」の教師が、翌日、教室でポルノ雜誌に見惚れてゐる生徒を目撃したとする。教師はどうしたらよいか。結論から先に言ふ。教師は本氣で叱らなければならぬ。昨日俺はゴミタメで遊んだ、叱れた義理ではない、などと考へ、「おい、お前たち、さういふ物は隱れて眺めろ」などと、にやにや笑ひながら窘める、さういふ教師は惡しき教師なのである。なぜ惡しき教師なのか。かういふ事を考へてみるがよい。吾々は神樣でも聖人君子でもない。それゆゑゴミタメで遊ぶ事もある。嘘をつく事もある。では、時たま嘘をつく教師には、生徒に對して「嘘をつく事は惡い」と言切る資格が有るのか無いのか。もしも無いといふ事になれば、教育といふものは成り立たなくなつてしまふ。すなはち、神樣の如く完全な存在でなければ教師は勤まらぬといふ事になる。では、よしんばおのれが不完全であつても、教師は生徒に對し「いかなる場合にも嘘をつくのは卑怯だ」と、ためらふ事無く言切つてよい、といふ事になるのであらうか。

 假りにさう言切つた場合、つまりおのれを棚上げして、嘘をついた生徒を叱つた場合、教師は自分もまた嘘をつく卑怯者だといふ意識に苦しむ事になる。教師はさういふ僞善には耐へられないし、また耐へる必要も無い、いつその事、自分もまた時に嘘をつく不完全な人間だといふ事を、潔く生徒に打明けたらよいではないか、教師も人間、生徒も人間、平等は善き事である、「仲よき事は美しきかな」、さう思ふ讀者もゐるであらう。けれども、潔く打明けて問題はすつかり片附くか。教師はなるほど樂になる。だが、それが果して生徒のためになるであらうか。

 昔讀んだ本の中に書かれてあつた事だが、或る日、少年が母親と二人で居間にゐた。父親は庭に出て盆栽の世話か何かをしてゐた。すると、飼猫が父親の大事にしてゐた壺に飛びかかり、壺が毀れてしまふ。そこへ父親が戻つて來る。父親はいきなり息子を大聲で怒鳴り附ける。少年は激しい衝撃を受け、顏面蒼白となり、物も言へない。さういふ話である。

 無論、ただそれだけの話なら取立てて紹介するまでもない。少年が激しい衝撃を受け顏面蒼白になつたのはなぜか、そこが大事なのである。自分が壺を毀した譯ではないのに、父親は自分の仕業だと決め込んでゐる、それを無念がつて口もきけなかつたのだと、大方の讀者は思ふであらう。が、少年は濡衣を着せられて衝撃を受けたのではない。尊敬し、信頼し、萬能だと思つてゐた父親もまた誤るのだといふ事を知つて、すなはち完全無缺だと思ひ込んでゐた父親も不完全だつたと知つて、少年は激しい衝撃を受けたのである。

 當節の父親は、家庭で同僚や上役の惡口を言ひ、テレビの野球中繼を觀ながら屁をひり、ありのままの不甲斐無い姿を子供の前に曝して平氣だらうから、子供のはうも父親を尊敬してはゐないだらうが、右に紹介した話は教育について頗る興味深い事實を暗示してゐる。すなはち、子供は或る年齢まで保護者としての兩親に頼らざるをえず、從つて兩親を偶像視してゐるものだが、子供はいづれ自立せねばならないのだから、やがて兩親を偶像視してゐる状態を脱する事になる。が、問題はいつ頃から、いか樣にして、脱するかなのだ。小學校一年生が「うちのお父さんは、怠け者で駄目の人なんだ」などと言つたとして、それが望ましい事だとは誰も思ふまい。兩親の權威失墜は遲ければ遲いほどよいのであつて、子供に早々弱點を曝すのは考へもの、それは決して子供のためにならないのである。

 ここで讀者は、子供だつた頃の事を思ひ出してみるとよい。男と女の祕め事について、勿論幼兒は何も知つてゐない。小學生になつても、その種の事柄に關心は無く、昆蟲採集だの魚釣りだのに熱中してゐる。が、中學生になれば、性の祕密を知るやうになる。そこで、最初に祕密を知つた時の事を思ひ出してみるがいい。男女間の性行爲は嚴然たる事實だと知つても、なほ暫くの間は、わが父母に限つてそのやうな事が、と思つたに相違無い。少くとも、父母の祕め事を想像して樂しむなどといふ事は斷じて無かつた筈である。これはつまり、兩親の權威失墜を子供は望まないといふ事ではないか。

 いや、それは子供に限つた事ではない、大人もまた同じなのであつて、吾々は他人の濡れ場を覗きたがるが、親友や尊敬する人物の濡れ場は覗きたがらない。これはどういふ事か。人間は矛盾の塊で、甚だ身勝手で、おのが權威はどうでも保ちたがる癖に、一方では強い人間や偉い人間を求めてをり、その權威に服從したいと願つてゐるものなのである。かの頗る民主的なワイマール憲法を持ちながら、或いは持つてゐたがゆゑにと言ふべきかも知れないが、なぜドイツは呆氣無くヒツトラーに席捲されてしまつたのか。ワイマール共和國のドイツ人も權威への服從を密かに望んでゐたのであり、ヒツトラーはそれに附込み壓倒的な成功ををさめたのである。ジヨージ・オーウエルが書いてゐるやうに、人間は安穩や私益を愛するが、時には鬪爭や自己犧牲をも愛するのであつて、ヒツトラーはさういふ人間の矛盾を知り拔いてゐた、ヒツトラーはドイツ國民にかう言つた、「私は諸君に鬪爭と危險と死を提供する」、それゆゑに彼は成功したのである。

 私はヒツトラーを稱揚してゐるのではない。ユダヤ人虐殺のごときは「人類史上最大の汚點の一つ」だと思ふ。けれども、第二のヒツトラーに丸め込まれないためには、自由と平和を謳歌してゐるだけでよいか、戰爭や獨裁は惡事だと空念佛よろしく唱へてゐるだけでよいか。所詮駄目である。そんな氣休めに何の效驗もありはせぬ。教育の場合とてまつたく同樣であり、吾々は人間の強さや美しさのみならず、弱さや醜さをも見すゑなければならぬ。それゆゑ私は、きれい事づくめの教育論を一切信用しない。マツクス・ウエーバーが言つてゐるやうに、「心情倫理家」はおよそ斑氣で頼りにならないからである。「心情倫理家」は「この世の倫理的非合理性を辛抱」できないからだ。

 すなはち、平和は「倫理」的によき事だと「心情」的に思つてゐるに過ぎないやうな手合は、いつ何時、「大日本帝國萬歳!」と叫び出さないとも限らない。さういふ手合は到底信用できない。戰時中、大方の日本人は「心情倫理家」であつた。ロベール・ギランによれば、大東亞戰爭は「國民全體の輕率さによつて惹き起され、繼續」したのだが、日本人はまた、いかにも「無造作に敗戰に適應し」たのである。ギランは書いてゐる。

 七千五百萬の日本人は、最後の一人まで死ぬはずだつた。一介の職人に到るまで、日本人たちは自分たちは降伏するくらいなら切腹をすると言い、疑いもなくその言葉を自ら信じていた。ところが、涙を流すためにその顏を隱した日本が再びわれわれにその面を示したとき、日本は落着いて敗戰を迎えたのである。(中略)外國人に對する庶民たちの微笑。私が列車で東京に向うため輕井澤を去つた際、ごつた返す日本人の中でひとりの白人だつたにもかかわらず、私は意外にも身のまわりにいささかの敵意も感じなかつた。(中略)報道機關の微笑。すべての新聞が一擧に態度を豹變した。かつてフアシスト的で軍國主義的な新聞として知られたニツポン・タイムスは、一週間足らずのうちに民主主義、議會主義および國民の自由の代辯者に早變りした。(中略)最後に市井の人びとの微笑。(中略)日本中で進駐軍に對する發砲事件は一度も起らなかつたのである。(『日木人と戰爭』、根本長兵衞・天野恆雄譯)

 いかにもさういふ事はあつたが、もはや三十數年も昔の事ではないか、と讀者は言ふかも知れぬ。しかし、三十年やそこらで國民性が變る筈は無い。例へば、福澤諭吉の『學問のすゝめ』以來、日本人は「實なき學問は先づ次にし、專ら勤むべきは人間普通日常に近き實學」とて、實用に役立つ事柄ばかり重んじて來たけれども、この國民性は今なほ少しも變つてゐない。その證據に、「防衞論ではあるまいし、ヒツトラーだのマツクス・ウエーバーだの、ロベール・ギランだのとは辛氣臭い。いい加減に切上げて、息子の勉強部屋にポルノを見出した時、娘の日記を讀んで衝撃を受けた時、吾々はいかに對處すべきか、そこへ話を戻したらどうか」と、さう思つてゐる讀者もあらう。これを要するに、依然として日本人は「實用に役立つ事柄」ばかり重視してゐるといふ事に他なるまい。

 再び、その證據に、書店の書架に竝んでゐる教育書の題名だけでも眺めてゐるとよい、『家庭内暴力がわかる本』だの、『親は子に何を教へるべきか』だの、『親の不安をなくす教育論』だのと、讀めば「すぐに役立つ」かのやうに見せ掛けようと懸命になつてゐる類の書物が多い事に氣づくであらう。さういふ教育書を一册購入して讀んでみるとよい。「親の不安」なんぞ一向に無くならない事に氣附くであらう。なぜ不安が無くならないのか。さういふ實用書は、例外無しに、道徳の問題を素通りしてゐるからである。それゆゑ、ここで讀者に眞劒に考へて貰ひたい。吾々にとつて何より大事なのは道徳の問題ではないか。道徳が何より大事などと言はれると、人々はとかく往年の徳目教育を思ひ浮かべて拒絶反應をおこしがちだが、そしてそれが誤解であるゆゑんについて詳述する暇は無いが、道徳とは「忠君愛國」だの「親孝行」だのを一方的に押し附ける事ではない。道徳とは人倫すなはち「人と人との間柄」について、人と人との附合ひ方について考へ拔く事なのである。そして、いかな苦勞人とて、他人との附合ひ方に關して「すぐに役立つ」やうな忠告なんぞできる譯が無い。すなはち、人生の難問に單純明快な解決なんぞある譯が無い。例へば、一つ屋根の下で暮らす嫁と姑との反目に惱んでゐる男にとつて、「別居するのが一番」などといふ忠告が「明快な解決」になりうるか。別居すれば若夫婦は幸福になるかも知れぬ。けれども、老いた夫と二人きりか、或いは一人ぼつちになつた姑の淋しさのはうは一向に解決しない。そしてもとより、若夫婦もまた、いづれは必ず老夫婦になるのである。

 要するに、教育論議の不毛は、當座の事ばかり重んずる國民性のせゐではないかと私は思ふ。吾々はとかく當座役立つ事ばかり考へる。ひところ子供の自殺が流行した事がある。果せるかな、『あなたの子供も危い』とか『子供の自殺を防ぐ法』とかいつた類の本が氾濫した。けれども、自殺の流行がすたれてしまへば、誰も本氣で考へない。そして、目下「當座の用」として人々が求めてゐるのは、校内暴力防止法なのである。さうして當座の問題にばかり一喜一憂する輕薄と、ギランが指摘してゐる敗戰後の「豹變」及び「適應」とはもとより同根であつて、吾々日本人は出た所勝負で何事も運任せ、それでゐて結構器用に「適應」するのだから、百年千年經つて一向に變らぬ道徳上の問題は、なほざりにして顧みないといふ事になる。自殺は無論道徳上の問題である。嫁と姑の反目と同樣、流行とは一切無關係の筈である。しかるに今、子供の自殺について書いても決して編輯者は喜ぶまい。賣れないからである。だが、自殺は永遠の問題ではないか。今も昔も、資本主義國においても社會主義國においても、人間にとつて「生存の理由が消滅するのを見ることは我慢ができない」筈ではないか。實用書を書き捲る物書きにしても、「すぐに役立つ」原稿を貰つたとて喜ぶ編輯者にしても、いづれ自殺したくなるほど思ひ詰めるといふ事にならぬでもないし、親や子供や親友が自殺したら、へらへら笑つてもをられまい。

 しかも、道徳上の問題は決して深遠高邁なのではない。「すぐに役立つ」實用書ばかりを喜ぶ手合は、當然「解りやすさ」を重んじて、例へば小林秀雄氏の文章は難解だと言ふ。だが、小林氏は「單純明快な解決」など有りえないやうな問題と取組むのである。それゆゑ讀者に迎合しない。迎合しないから、百萬二百萬と賣れるベストセラーなんぞ書ける筈が無いし、また書く積りも無い。それゆゑ漢字を多用するし、正字舊假名を墨守する。「墨守」などといふ言葉は避けて、當用漢字の中から選ばうなどとは考へない。必然的に字面は黒くなる。劇畫やスポーツ新聞しか讀まぬ手合が、どうして黒い字面の書物を喜ぶであらうか。

 「上知と下愚とは移らず」といふ。そのとほりだが、運動をしなければ身體が鈍るやうに、粥ばかり食べてゐれば胃も腸も弱るやうに、解りやすい書物ばかり讀んでゐれば、頭だつて鈍くなる道理だし、讀者に媚びる書物ばかり讀んでゐれば、廷臣共のおべんちやらを喜ぶ王樣のやうに、惰弱な骨無しになつてしまふ。さういふ薄志弱行の徒に、どうして人生の難關を切拔ける事ができようか。

 けれども、今し方言ひ止した事だが、道徳上の問題は、例へば嫁と姑との反目のやうに、た易く解決できないものではあつても、必ずしも深遠高邁ではないのであつて、吾々が常日頃直面する頗る卑近な問題なのである。「エコノミツク・アニマル」と稱せられる日本人は、目下のところ經濟ばかりを重視してゐるが、經濟學者も、大會社の社長も、小説家や八百屋と同樣、女の色香に迷ふ事がある。妾を圍ふ事もある。妾を圍つてゐる社長が、息子の勉強部屋にポルノ雜誌を見出す事もある。その時はどうするか。札束で解決するのか。聖人君子ではなし、私は金銭を汚がる譯では決してないが、きれい事の説教で解決できないのと同樣、これは金銭で片附く問題ではない。先頃パリでオランダ娘を殺し、その肉を食べた、かの日本人留學生も、懷が寒かつた譯ではない。彼は一流企業の社長の息子で、貧乏神も寄り付かなかつたのである。

 要するに、教育について考へるといふ事は、卑近な問題について深く考へるといふ事なのである。「深遠」つまり深くて遠い事柄ではなく、「卑近」つまり身近な事柄について、ただし深く考へる、さういふ事でなければならない。そして深く考へる物書きが、讀者に迎合して稼ぎ捲る事を潔しとする筈が無い。宇能鴻一郎氏や富島健夫氏の小説は頗る解り易い。兩氏の好色小説に較べたら、幸田露伴は言はずもがな、夏目漱石の小説だつてずゐぶんと難解であらう。が、まさか、宇能氏や富島氏が漱石よりも深く考へてゐる、などと正氣で言切る者はゐまい。漱石は道徳上の問題を一所懸命に考へたのだが、その一所懸命を今や若者も大人も見習はうとはしない。難局に直面すれば誰しも一所懸命になる筈だが、何せ日本は今經濟大國であつて、大概の問題は金で片附く、或いは少くとも片附くと思はれてゐる。字面の白つぽいポルノ小説だの、一所懸命書いてゐないから誤字だらけで、しかも惡文のルポルタージユや實用書がはびこるゆゑんである。かくて一所懸命とは當節、「骨折り損のくたびれ儲け」といふ事でしかない。

 「閑話休題」といふ言葉がある。「無駄話はさておいて」といふ意味で、話を元へ戻す際に用ゐられる決り文句である。私もこの邊で「話を元へ戻」さなければならないが、以上縷々述べた事は決して閑話ではない。「道徳上の問題を一所懸命に考へ」る事を無駄事と心得てゐるから、すぐには役立たぬ迂遠な事、すなはち遠囘りのやうに考へてゐるから、大方の教育論議は現象論に終始して、却つて何の役にも立たぬがらくたが山と積まれる事になるのである。

 さて、おのれも結構好色であつても、教室でポルノ雜誌を眺めてゐる生徒を教師は本氣で叱らなければならない、と私は書いた。つまり、教師は時におのれを棚上げせねばならぬ、おのが好色を棚に上げて生徒を咎めなければならないといふ事である。「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」と孔子は言つたが、教師たる者は「己の欲する所」を生徒に「施すべからず」といふ事になる。それは身勝手ではないか、僞善ではないか。そのとほり、僞善である。が、當節教師が何より必要としてゐるものは僞善に他ならない。そして、もとより僞善とは道徳に關はる概念だが、凡百の教育書は、書物自體が僞善的ではあつても、決して積極的に僞善をすすめてはゐない。教育論議が道徳の問題を素通りしてゐると斷ずるゆゑんである。

 では、なぜ教師は僞善を必要とするのか。ここで讀者は、飼猫が壺を毀したのに濡衣を着せられた少年の話を思ひ出せばよい。少年が衝撃を受けたのは「完全無缺だと思ひ込んでゐた父親も不完全だつた」と知つたためである。そして、その種の衝撃を受ける時期が早ければ早いほどよいとは言へぬ。數年前、父親が凶惡犯で母親は賣春婦といふ六歳の子供が、警察に保護された事がある。その子は警官に「おいらヤクが切れちやつた」とか言つたといふ。

 無論、子供は衝撃を受けた事を切掛けにして自立心を養ふやうになるのだから、偶像崇拝から脱する時期をむやみに先へ延ばせばよいといふ事ではない。けれども、子供が偶像を欲してゐるのなら、仰ぎ見る尊敬の對象を求めてゐるのなら、教師はその願ひを叶へてやるべきではないか。子供の「欲する所」を子供に「施す」べきではないか。「のびのび教育」だの「思ひやりの教育」だのと當節は甘い言葉ばかりはびこつてゐるが、教師がおのれを棚上げする僞善に耐へ、子供に尊敬されるやうにならうと努力する事こそ、「思ひやりの教育」ではないか。そして、木石ならぬ教師が生徒の色好みをきつく窘めるのは確かに僞善だが、その僞善は生徒のためであるのみならず、結局は教師自身のためになるのである。僞善的に振舞つて一目置かれるやうでなければ、教師は教場の秩序さへ保てない、などといふ事が私は言ひたいのではない。そんな處世術は教師なら誰でも知つてゐる、取り立てて言ふに價しない。近頃校内暴力が流行して、「教師は何をしてゐる、もつと權威をもつて臨め」などと氣安く主張する向きもあるが、「權威をもつて臨」んだはうがよいぐらゐの事は、教師も先刻承知してゐる。問題は、封建時代と異り、年長者が權威をもつて臨みにくいといふ事實である。

 けれども誤解しないで貰ひたい、教師が權威を保つための「すぐに役立つ」處世術の祕訣を、私は傳授しようと思つてゐるのではない。人間の容貌が千差萬別であるごとく、人間の性格も樣々であつて、ゴミタメに捨てるしかないやうな教師もゐるし、度し難い生徒もゐる。「人を見て法を説け」といふし、「豚に眞珠」ともいふ。教育に關しても「萬病に利く特效藥」なんぞ存在する譯が無い。

 ところで、教師の僞善が教師自身のためとはどういふ事か。教室でポルノ雜誌を讀んでゐる生徒を、教師がきつく叱つたとする。ところが、その教師が遲刻缺勤の常習犯で、平生、情熱の無い授業をしてゐたらどうなるか。「君、君たらずといへども、臣、臣たらざるべからず」、すなはち、君主がぐうたらであつても、家來は忠節を盡くさねばならぬと、さういふ事が信じられてゐた時代もある。が、今はそのやうな良き時代ではない。平生ぐうたらな教師が叱つても、生徒は決して從ふまい。一度や二度なら澁々從ふかも知れないが、度重なれば徒黨を組んで教師を難ずるやうにならう。それゆゑ、尊敬の對象を求めてゐる生徒の欲求を滿たすためには、教師は自分自身に對して嚴しくあらねばならない。常日頃、生徒に尊敬されるやう努力しなければならない。それは生徒に「愛されるやう」努力する事ではない。生徒に迎合して愛されようと思つてゐる教師が、昨今はやたらに多いのだから、「愛される教師たれ」などと私は斷じて言ひたくない。

 とまれ、さういふ次第で、僞善に耐へようとする事は生徒を利するばかりでなく、教師自身をも利するのである。おのれを體裁よく見せかけようとするだけの消極的な弱き僞善は、實はおのれを利する事にもならないが、生徒のためを思つての積極的な強き僞善は、教師自身にも努力を強ひるのであり、それは教師を利するのである。

 教師は僞善に耐へねばならず、そのためには教へる事に情熱を持たなければならぬ。教師が情熱を持つてゐるかどうかは、所謂「落ちこぼれ」の子供にも解るのである。そして、情熱的な教師が本氣で叱つた場合、生徒は決して教師の僞善を咎めはしない。本氣で叱る情熱の見事に壓倒されて、教師の不完全には決して思ひ至らない。子供は尊敬の對象を求めてゐる。尊敬してゐる教師の缺點を知りたくないといふ氣持もある。それゆゑ、傾倒する教師が時に過つ事があつたとしても、クラス全體が教師を侮るなどといふ事は斷じて無い。山川均は『ある凡人の記録』に、同志社の教師だつた頃の柏木義圓についてかう書いてゐる。

 私が一生涯に聞いた人間の言葉のなかで、柏木先生のほどトツ辯なのもないが、またそれほど熱誠のあふれたのもなかつた。聖書の講義のときの柏木先生のお祈りは、心から天の父に求める赤子の聲だつた。先生は、ハナ水が、開いた聖書の上に流れてゐるのにも氣づかずに祈りつづけてゐることが、しばしばだつた。私たちのクラスには、柏木先生よりも代數のよくできるのが一人ゐた。しかし、そのために先生にたいするクラスの尊敬は少しも變らなかつた。私は同志社を退學するとほんの少しのあひだ、山本と二人で、柏木先生の家庭でお世話になつてゐたが、先生夫妻の日常生活を見て、なるほどこれが聖徒の生活だなと思つた。私はそれまでも、またそれからも、貧しい人や貧しい家庭をいくらも見た。そして心から氣の毒に思つた。しかし柏木先生夫妻の貧しい生活には、氣の毒なと思はせられたり、同情やあはれみに似た感じをおこさせるやうなものは、少しもなかつた。この生活の苦しみからぬけ出さうとする焦躁のやうなものの、影さへもなかつた。私はほんたうの「清貧」といふものを、まのあたりに見たやうな感じがした。毎朝のミソ汁の中には、近くの小川の堤に生えてゐる小指くらゐのシノ竹のタケノコや、裏庭に自然に生えたタウの立つた三ツ葉が浮いてゐた。しかし私はそれをまづいとは思はず、イニスが割いてくれたパンを食べる敬けんな氣持で食べた。(傍點松原)

 長い引用を敢へてしたのは、この山川均の文章が、教育について樣々な事柄を教へてくれるからである。まづ、「柏木先生よりも代數のよくできる」生徒がゐたにも拘らず、「先生にたいするクラスの尊敬は少しも變らなかつた」。それはつまり、義圓の情熱に生徒たちが壓倒されてゐたからに他ならない。代數の問題がうまく解けず、黒板を睨んで義圓先生は脂汗を流したかも知れないが、そんな時でも、生徒ははらはらして見守つてゐたに違ひ無い。代數の苦手な「落ちこぼれ」にも、義圓の情熱はひしひしと胸に應へたであらう。訥辯は教師にとつては不利な條件だが、義圓の場合、「熱誠のあふれた」授業だつたから生徒は悉く心服したのである。

 次に考へるべきは、義圓の情熱が「心から天の父に求める赤子」としてのそれだつたといふ事である。義圓には仰ぎ見る「天の父」に對する篤い信仰があつた。これが肝腎なところだ。つまり、教師自身にも仰ぎ見るものが、尊敬の對象が必要なのである。尊敬の對象とは努力目標に他ならない。日本國は目下のところ「モラトリアム國家」だから、國家としての目標も定かではない。けれども、努力目標無くして人間はどうして努力するであらうか。

 教師としての義圓について、もう一つ考へさせられる事がある。それは彼の「清貧」である。勿論、教師は清貧に甘んずべしなどといふ事が、私は言ひたいのではない。今時、そんな事がやれる筈は無いし、敢へてやつたなら、狂人か馬鹿か吝嗇坊と見做されるのが落ちであらう。けれども、現在の「生活の苦しみからぬけ出さうとする焦躁のやうなもの」を少しも感じさせない悠揚迫らざる生活ぶりを、讀者は見事だとは思はないか。「部長は俺の才能を認めてくれない」とか、「社長のやり方は非民主的だ」とか、さういふ類の愚癡を、サラリーマンは酒場でこぼす。教師も同じ事、不見識な奴は生徒の目の前で同僚の惡口を言ふ。讀者とて多少は身に覺えがあると思ふ。けれども、自分には到底義圓の眞似はできないと思つた讀者も、義圓のやうな見事な男がかつて存在したといふ事實を知つて、まさか不愉快にはなるまい。いや、義圓の眞似はできないが、眞似できたらすばらしからう、と思ふに相違無い。それでよいのである。それが大事なのである。

 イギリスの詩人T・S・エリオツトは『カクテル・パーテイー』といふ見事な芝居を書いてゐるが、その劇でエリオツトの言はうとした事は、「僞者としての自覺を持つて生きよ。それもまた良き人生なのだ」といふ事であつた。僞者として生きる事がなぜ良き人生なのか。自分は所詮僞者でしかないとの自覺は、この世には本物がゐるといふ事實、或いはゐたといふ事實を知つてゐる者だけが持ちうる筈であり、それなら僞者たる事を自覺する事は、本物の存在を證す事になる、それは良き事ではないか。たとへ義圓のやうに生きる事はできなくても、義圓の眞似ができたら素晴らしからうと思ふ、それは良き事ではないか。義圓に肖りたいと思ふ時、吾々は背伸びをする。背伸びしてもなほ及ばぬと知れば、おのが怠惰と不徳を恥ぢるに相違無い。日本の文化は「罪の文化」ではなく「恥の文化」だとよく言はれるが、昨今はそれも頗る怪しくなつた。何しろ人品骨柄卑しからざる紳士が、電車の中で卑猥な劇畫週刊誌を眺め、一向に恥ぢない時代である。卑猥な春畫春本、笑ひ繪笑ひ本の類を眺める事自體に何の不都合も無いが、眺めて發情するおのが姿をなぜ人前に晒すのか。日本人から「恥の文化」を取り去つたら何が殘るであらう。知れた事、恥の何たるかを知らぬ畜生が殘る。畜生に堕ちても氣樂なはうがよいとは、讀者はまさか言はないであらう。

 「狂人の眞似とて大路を走らば、則ち狂人なり。惡人の眞似とて人を殺さば、惡人なり。驥を學ぶは驥の類ひ、舜を學ぶは舜の徒なり。僞りても賢を學ばんを、賢といふべし」と『徒然草』第八十五段にある。至言である。吾々は「僞りても賢を學ばん」と努めねばならぬ。すなはち、吾々には肖りたいと思ふ「賢」が無くてはならず、肖らんとして及ばず、おのが不徳を恥ぢる事が必要なのである。そして恥を知る者は必ずおのが弱點を隱す。「どうせ俺はろくでなしさ」などと嘯く奴はろくでなしに決つてゐる。おのが劣情を隱さぬ奴は恥知らずに決つてゐる。さういふ手合は背伸びする事を斷念して氣樂になつた度し難き怠け者なのである。けれども、今は道義的怠惰の時代であつて、人々は他人の怠惰を許しておのが怠惰の目溢しを願ふ。背伸びをするのは辛い事だ、お互ひに無理はやめ、氣安く弱點を晒け出し、のんびり生きたらよいではないか、さういふ事になつてゐる。教師の場合も、尊敬される教師たるべく僞善に耐へようとするのは辛い事だから、上下を脱ぎ、おのが弱點を隱さず、生徒の喜ぶ事をやつてやればよい、さう考へて考へたとほりの事を實踐する奴もゐる。

 以前、『週刊朝日』で讀んだ事だが、東京に立教女學院短期大學といふ學校があり、そこに村上泰治といふ教授がゐるさうである。村上教授は毎週金曜日、「愛と性のゼミ」と稱する授業をやつてゐる。すなはち、教授は女子學生に對して「ペツテイングは必要か」とか「皆さんはどういふ時に性欲を感じますか」とか質問する。そして、「私つてをかしいんです。この前、犯された夢を見て」云々と女子學生が告白すると、「男の場合はね、人爲的でありまして、夢精なんてのもあります」などと得意げに解説してやるのださうである。小中學校の教師と異り、大學の教師は免許状を必要としないし、採用試驗も無い。それゆゑ、時に途方もない山師が潛り込む。村上教授の場合がそれではないかと思ふ。言語道斷の愚にもつかぬ授業を樂しんでゐる村上教授は、およそ教師の風上におけぬ月給泥棒だが、さういふ山師の授業に、「十六人の定員のところ、百人以上が殺到する」立教女學院短期大學とは、これはさて何と評すべきか。往事、娼婦の置き屋でも、さまで淫靡な猥談は聞けなかつたであらう。

 村上教授は『週刊朝日』の記者に教育觀を問はれ、教室では「緊張や隱しだてなく話ができることが大切」だと語つてゐる。「盜人にも三分の理あり」とはこの事だ。とんでもない事である。村上教授は女子學生に迎合し、共々恥を捨て、互ひに許し合ふ事によつて氣樂な商賣をやつてゐるに過ぎない。「緊張」や「隱し立て」はともに教師にとつての美徳なのである。暴力を揮ふ事と性行爲を樂しむ事は馬鹿にもできる。馬鹿にもできる事を「緊張」も「隱し立て」もせずに喋る教授の馬鹿話を樂しみ、それで單位が取れ、學士になれるのだから、「十六人の定員のところ、百人以上が殺到」する事に不思議は無い。けれども、村上教授の授業を一年間聴講しても、馬鹿はやつぱり元通りの馬鹿であらう。「上智と下愚は移らず」、死ななければ治らない馬鹿も確かにゐるだらうが、「緊張」せずして氣樂にしてゐたら、馬鹿はいつまで經つても馬鹿ではないか。

 無論、人間は常に緊張してゐる譯にはゆかぬ。時に氣樂になり、羽目を外す事も必要である。けれども、それも時と場合によりけりであつて、教師は生徒の面前では「緊張」してゐなければならない。緊張してこちこちになれと言ふのではない。時に冗談を言ひ生徒を笑はせる事も必要である。が、生徒の劣情を刺戟したり、おのが弱點を晒したりしてはならぬ。教場で私事を語り、生徒に親しみを感じさせようなどと考へてはならぬ。薄給を嘆いたり、若かりし頃の過ちについて語つたりするがごときは言語道斷である。教師はおのが缺點を隱し、僞善に耐へ、本氣で生徒を叱り、私事を語らずして、おのれが肖りたいと思つてゐる偉大な人物について、熱心に語るべきである。例へば、先に引いた山川均の文章を生徒に讀んで聞かせるがよい。以後、教師はぐうたらな授業をやれなくなる。斷じてやれなくなる。そしてそれは、生徒にとつてと同樣、教師にとつても良き事ではないか。

 さて、ここでなほ、色氣づいた息子や娘に親はいかに對處すべきかと、讀者は問ふであらうか。教師と親とは勿論違ふ。子供にとつて教師は所詮他人だが、親は血を分けた間柄である。これを要するに、親は教師と異り、子供との距離を保ち難いといふ事だ。それに、教師は高々數年間、特定の年齢の子供を扱ふだけでよいが、親は赤子の時から成年に達するまで、いや、どちらか一方が死ぬ時まで附合はねばならぬ。それゆゑ、子供の成長に應じて、附合ひ方は當然變へてゆかねばならぬ。

 家庭教育についてここでは詳しく論じない。が、學校教育も家庭教育も本質的には同じ事なのである。教師について縷々述べた事は、そのまま親にも當て嵌る。親もまた隱さねばならず、情熱を持たねばならず、僞善に耐へねばならず、肖りたいと思ふ人物を持たねばならぬ。たとへおのれに至らぬ所は多々あつても、さうして「僞りても賢を學ばん」と努め、一所懸命に生きてゐるならば、息子や娘が色氣づいたくらゐの事で、慌てるには及ばない。放つておけばよい。親が一所懸命生きてゐるなら、子供は必ずそれを見習ふ筈である。例へば、倒産を食ひ止めようと日夜惡戰苦鬪してゐる父親を見てゐたら、父親が子供にかまけず、眼中に置かぬとしても、決して非行になんぞ走りはしない。

 以上、頗る卑近な事柄について私は考へて來た積りである。道徳とは頗る卑近な事柄なのであつて、「道は近きにあり」と孟子も言つてゐる。けれども卑近な事柄ではあつても、氣樂にしてゐて片のつく事柄ではない。「事は易きにあり」とは言へない。しかるに屡々述べたごとく、易きにつくのが人の常とは言ひながら、吾々は今やあまりにも怠惰に堕してゐる。教育についても、人々は安くて甘い特效藥ばかりを求めるのである。だが、「安からう惡からう」といふ事があり、「樂あれば苦あり」といふ事があり、「良藥口に苦し」といふ事もある。教育とは詮ずるところ道徳の問題に他ならないが、道徳的に振舞ふのは難き事なのだから、道徳について考へる事もまた難事であつて不思議は無い。

 教育に限らず、この世の人間の營みについて、卑近な事柄について、吾々は深く考へねばならぬ。一見迂遠のやうに見えてそれこそは、難局に臨んだ際、何よりも物を言ふのである。國家も個人もいづれは必ず難局に差し掛かる。そして「難に臨んで兵を鑄る」のは愚かしい事だ。金儲けの才に惠まれ、順風に帆をあげ得意滿面、道化て世を渡つたとしても、吾々はいづれ必ず死ぬのである。それも例へば老衰のやうに、安樂に死ねるとは限らない。往生際に吾々は、「苦しい、死にたくない」と叫び、家族や友人を困惑させ、見苦しい惡足掻きの果てに死ぬのであらうか。それとも最後まで他人への思ひやりを捨てず、從容として死ぬのであらうか。

 永井荷風の傳へるところによれば、荷風が病床の森鴎外を見舞つた時、鴎外は死の床に横たはり、袴を穿き、兩腰にぴつたり兩手を宛ひ、雷のごとき鼾をかいてゐて、枕頭には天皇皇后兩陛下からの賜り物が置いてあつたといふ。「一センチほどの綿ボコリ」の積つた六畳間の萬年床で、鍋、茶碗、庖丁、七輪などに取り圍まれ、ただ一人血を吐いて死んでゐた荷風とはまさに對照的だが、鴎外は幼少の頃から、「侍の家に生れたのだから、切腹といふことができなくてはならない」と常々言ひ聞かされて育つたのである。鴎外が大正二年に書いた『阿部一族』にかういふくだりがある。主君の跡を追つて殉死する決心をした内藤長十郎は、家族と最後の杯を取り交してから、少し晝寢をするのだが、そこのところを鴎外はかう書いてゐる。

 かう云つて長十郎は起つて居間に這入つたが、すぐに部屋の眞ん中に轉がつて、鼾をかき出した。女房が跡からそつと這入つて枕を出して當てさせた時、長十郎は「ううん」とうなつて寢返りをした丈で、又鼾をかき續けてゐる。女房はぢつと夫の顏を見てゐたが、忽ち慌てたやうに起つて部屋へ往つた。泣いてはならぬと思つたのである。

 家はひつそりとしてゐる。(中略)母は母の部屋に、よめはよめの部屋に、弟は弟の部屋に、ぢつと物を思つてゐる。主人は居間で鼾をかいて寢てゐゐ。開け放つてある居間の窓には、下に風鈴を附けた吊葱が吊つてある。その風鈴が折々思ひ出したやうに微かに鳴る。その下には丈の高い石の頂を掘り窪めた手水鉢がある。その上に伏せてある捲物の柄杓に、やんまが一疋止まつて、羽を山形に垂れて動かずにゐる。

 見事な文章である。かういふ假定は馬鹿らしき限りであり、鴎外を冒涜する樣なものだとさへ思ふが、右の文章を例へば宇能鴻一郎氏の文體で書いたら一體どういふ事になるか。もうこの邊で終りにしたいから、詳しい説明はしないが、鴎外は殉死を闇雲に禮讃してゐるのではない。けれども一方、『阿部一族』における鴎外は殉死の不合理を批判してゐるなど主張するのもつまらぬ解釋だと思ふ。鴎外は背伸びをしてゐるのだ、内藤長十郎に肖らうとしてゐるのだ。それゆゑ鴎外は決して文章を等閑にしなかつた。そしてそれは、人生を等閑にしなかつたといふ事に他ならない。

道義不在の時代・目次

廉恥節義は一身にあり──序に代へて
I 教育論における道義的怠惰
  1. 僞りても賢を學べ
  2. まづ徳育の可能を疑ふべし
II 防衞論における道義的怠惰
  1. 道義不在の防衞論を糺す
  2. 猪木正道氏に問ふ
III 日韓關係論における道義的怠惰
  1. 全斗煥將軍の事など
  2. 反韓派知識人に問ふ
IV 對談
初出一覽
あとがき