縄文文化を巡る!  
 2018年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(北海道・北東北)

青森県立郷土館 ≪2018年5月7日〜11日(フルムーン5日間の旅)≫
 ≪2018年5月9日≫

 今回で青森へと三度目の≪フルムーンの旅≫ですが、青森県立郷土館は、昨年の8月28日から今年の3月31日まで全面休館だったのです。また昨年5月の訪問の際には、『収蔵庫空調設備等改修のため、常設展示室を閉鎖。特別展は継続して開催』(平成29年7月24日〜平成29年8月27日)中、とのことでした。

 そんなこともあって、やっと、一年越しに青森県立郷土館への入館が適ったのでした。

【関連リンク先】 青森県立郷土館 
 
 ・5月7日(月) 松山 〜岡山〜東京 山形   
 ・5月8日(火)  ≪山形県立博物館≫ 〜山形  〜仙台  〜新青森  青森  
 ・5月9日(水)  ≪青森県立郷土館≫ 青森  つがる市≪木造≫〜鯵ヶ沢温泉(水軍の宿)  

 ・5月10日(木)
  ≪出木島最終氷期埋没林≫   〜≪森田歴史民俗資料館≫〜新青森  盛岡 
 ・5月11日(金) ≪岩手県立博物館≫ 〜盛岡  〜東京  〜岡山  松山  
 
 

 昨年、県立郷土館の近くのビジネスホテルに泊まったのですが、前述の如く休館中との事で、入館は適いませんでした。さて、駅前のビジネスホテルから徒歩15分ほどで、いつものように開館時間の少し前に到着。もちろん、一番乗りです。受付前のロビーは吹き抜けとなっていて、正面の階段から展示室に行くように順路が示されていました。

 が、第八展示室【風韻堂コレクション】の案内が目に留まり、まずは、ロビー左奥の通路へと向かいました。


【青森県立郷土館ニュース】ブログより
    【風韻堂コレクション】 



 小ぶりの展示室へ入ると、案内の女性が迎えてくれました。小生は、この≪風韻堂コレクション≫が何者かは存じ上げませんでした。しかし、展示ケースを見て“ビックリ”でした。ここを最初の案内としましょう。


  ≪風韻堂コレクション≫

      寄贈者 大高興氏(青森市)

 このコレクションは
    大高氏が御尊父と二代にわたって
     苦心の末 収集された
   1万1千点余に及ぶ 考古資料です
 同氏は 青森県の文化遺産として
      県民のために役立ててほしいとの
         願いをこめて
    当県立郷土館の 開館に際して
         寄贈されました
 この資料は 県重宝に指定された
  亀ヶ岡遺跡の出土品をはじめ 優品が多く
   学術的にも 高く評価されています
 当館では 大高氏の御厚志を記念し
    これを 風韻堂コレクション と呼び
      特別展示室を設けました
 「風韻堂」の名は
        かつて大高氏の収蔵庫を訪れた
         棟方志功画伯が
   このコレクションに漂う 古代人の心に
        思いをよせ
      名付けられたものです


≪風韻堂コレクション≫ ≪右写真、ヒスイ勾玉≫

 


≪ヒスイ勾玉ほか(県重宝)≫



≪土製品など≫
 


≪各種、飾り製品≫
 


≪土偶など≫
 


≪各種、土器類≫
 
 
 


≪注口土器≫


≪遮光器土偶【県重宝】≫
三戸町八日町遺跡 





≪彩文漆塗浅鉢【県重宝】≫
つがる市亀ヶ岡遺跡


 

 1階の第八展示室を出ると、入館から既に40分を経過していました。続いては、玄関ロビーの正面の階段から2階へと上がります。そこが、第一展示室【考古展示室(〜先史文化の謎を秘める青森〜)】となっていました。パネルには、以下が書かれていました。小生の考えとは多少異なる説明文も見受けられますが、その事については敢えて、異論を挟みませんが・・小生の考えはコチラから  



≪祖先がやってきた道≫

日本列島の旧石器時代は今から1万3千年前頃に終わりました。当時の人々の化石人骨、生活の後や使った石器などが各地で発見されています。その人たちは古モンゴル系の人類で、日本列島と陸続きの道を大陸から到来し、やがて縄文人になりました。その後、大陸から来た稲作民と共に私たちの祖先になりました。


≪祖先がやってきた道≫
 

≪針葉樹の森の道≫
 旧石器時代の青森

今から2万年前頃の青森は寒冷な氷河期を迎え、海水面は現在より140mも低下して日本列島は大陸と陸続きとなり、津軽海峡の一部は北海道とつながり緑の森の道をナウマンゾウやオオツノジカの群れが行き交いそれを追う狩人の姿もみられました。

 

≪針葉樹の森の道≫
 
 

≪広葉樹の森の道≫
 縄文時代の始まり

今から1万3千年前頃、日本列島の気候は温暖化し針葉樹の森にかわりブナ・コナラなどの落葉樹の森が北方に広がり、細石下刃や大型の局部磨製石斧などを作る人々が現れました。さらに、粘土を焼いて土器を作る技術を生みだしました。これは、定住生活など新しい生活様式への第一歩でした。


≪広葉樹の森の道≫
  

 2階には数名の係の女性が居ましたが、その内の一人の方が主に我々の質問に応じてくれました。先の≪風韻堂コレクション≫の第八展示室でも、案内嬢の丁寧な応対に感謝したのですが、そのどちらにも好ましい印象を受けたのでした。また展示遺物には、
『6月11日〜12月末まで他館で展示のため留守にします。【東京 そして パリへ】・東京国立博物館特別展「縄文〜1万年の美の鼓動」(会期:7月3日〜9月2日) ・パリ ジャポニズム2018「縄文」展(会期:10月17日〜12月8日)』との案内がありましたが、以降、同様の表示を見受けることとなります。

 

 



   

 

 

 

 


 

≪左、狩猟文土器【県重宝】≫
≪右、鹿角製櫛≫(県重宝、二ッ森貝塚)

 

 前掲の左写真の土器を見ると、単なる文様では無くて、“絵画文様”を施しています。案内嬢は「弓矢での狩猟の様子が描かれています。その右隣には針葉樹が描かれています」と説明がありました。そこには、1万年に及ぶ縄文時代に針葉樹林から広葉樹林へと気候変動も垣間見れます。

 また、右写真の≪鹿角製櫛≫には驚きました。実は、昨秋の旅の際にはお目にかかれなかったのでした。青森県の≪二ッ森遺跡≫を訪れた際に、≪七戸中央公民館≫の展示室には≪模造品≫が展示されていて、本物を目にして居ませんでした。偶然にも、当館に展示されていて驚きました。当時のその様子は、コチラから 


≪亀ヶ岡文化≫

 

 


≪左、土製仮面≫ ≪右、石棒・石刀など≫

 


≪手形・足形付土製品(重要文化財)≫



 

 



 

 縄文時代の展示の最後のコーナーに≪亀ヶ岡文化≫が設けられていました。縄文晩期に豊かに花開いた事を示す、これらの遺物は貴重な宝物と、感心します。それにしても、争いの無かったこの時代≪祭事≫に使用されたと思われる≪石刀≫は、現代に生活する我々の関心を掻き立てるものと云えます。



注:文中の歴史年代については、小生は以下のように統一して使用しています。

【AMS法による区分】

  草創期  15,000〜12,000年前
  早期    12,000〜7,000年前
  前期    7,000〜5,500年前
  中期    5,500〜4,500年前
  後期    4,500〜3,300年前
  晩期    3,300〜2,800年前



 
 


 
 
 上掲右のナウマンゾウには、以下の解説が載せられていました。


≪ナウマンゾウとアオモリゾウ≫

1980年頃、上北郡七戸長天神林で用水路を造っていたときにゾウの臼歯、牙、頭骨、下顎骨、肋骨、尺骨などの化石が算出しました。研究の結果このゾウは、当時日本各地で発見されていたナウマンゾウより小型であると考えられ、アオモリゾウと名付けられました。しかしその後、ナウマンゾウ化石の発見数が増えることで研究が進み、アオモリゾウが特に小型であるとはいえないことが判明したため、現在ではナウマンゾウとされています。このほかに県内から発見されたナウマンゾウ化石としては、1961年に上北群東北町から臼歯が、1970年に東海村尻労から臼歯や牙があります。


 以下、青森県と各地との文化交流の様子などが展示され、古代から現代へと続く展示が続いていました。第三展示室(歴史展示室)が終わると、3階へと続いていました。

 
    

 3階を見て回り、第四・五展示室から次の展示室への間に、≪A展示コーナー≫として、上掲の≪成田彦栄コーナー≫がありました。展示の点数は少なかったのですが、貴重な土偶も見受けられました。続いての第七・八展示室についても、ここでは省略します。


 以下に、上右写真の≪座せる土偶【複製】≫の解説文を転記します。


≪座せる土偶【複製】≫

 個人蔵。伝田町・野面平(のもてたい)遺跡出土。腕を組み、蹲踞(そんきょ)した姿勢が特徴的。原品は弘前大学人文学部附属亀ヶ岡文化研究センター蔵で、平成21年(2009)、ロンドンの大英博物館「The Power of DOGU」に出品された。
 原品=高さ8.4cm 幅7.0cm 厚さ5.3cm 重さ135.2g


 と書かれていました。なお、上記『文化研究センター』は、コチラから 


以上、後半は駆け足となりました。これは、午後は、レンタカーでつがる市・木造へと移動する予定がくまれていることから仕方がありません。