縄文文化を巡る!  
 2018年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(北海道・北東北)

つがる市・縄文遺跡を辿る旅 ≪2018年5月9日〜10日≫

その3 森田歴史民俗資料館

 つがる市・商工観光課の地図にJR森田駅の近くの≪石神遺跡≫が記されていた。まずは、そこを目指すが見付けれなかった。仕方なく、閉館中の森田歴史民俗資料館を目指す。街中を走り、小学校と中学校が建つ小路へ入るとカーナビの『ここで案内を終えます』とのアナウンスで、その場所が該当の資料館でした。

 当然、閉館日だとは判っていたのですが、相棒が中を覗いて
『※なお、年末年始以外の休館日に入館をご希望の方は、ご面倒をおかけしますが、下記教育委員会文化課までご連絡ください』と書いとるよ・・と、言うではありませんか。


 相棒は、直ぐに連絡をしました。相手方とは、少しのやりとりをして、担当の方がこちらへ向かって下さることとなったのです。昨日の午後訪れた二つの資料館には、少しの失望感さえありましたので、つがる市の対応には感謝です。

 電話の内容は、こちらとしては『わざわざ四国の愛媛から来た』『夕方の4時ころには新青森駅前にレンタカーの返却が必要』の二点を伝えたのでした。電話先の方は本当に親切に対応いただき、30分後には車が到着しました。pm2時前でした。

 運転手をのぞく二人の方が急いで下りて来られて、玄関を開け、中へと招いてくれました。その二人の方は速射砲の如く(ちょっと例えが古いかなぁ〜)説明を始めたのでした。
 
 
 ・5月7日(月) 松山  〜岡山  〜東京  山形 
 ・5月8日(火) ≪山形県立博物館≫ 〜山形  〜仙台 〜新青森 青森 
 ・5月9日(水) ≪青森県立郷土館≫ 青森  つがる市≪木造≫ 〜鯵ヶ沢温泉(水軍の田戸) 

 ・5月10日(木)
 ≪出来島最終氷期埋没林≫  〜≪森田歴史民俗資料館≫〜新青森  盛岡 
 
 ・5月11日(金) ≪岩手県立博物館≫ 〜盛岡  〜東京  〜岡山  松山 
 

 部屋に入るなり、「失礼ですが、考古学の専門の方か何か?」と問われました。当方は、そんなものでは無い「単に好きなだけ・・」と伝えました。そして「ここには、重要文化財に指定されているものが沢山あります。もっとも、整理が出来ていませんが・・」と仰ります。私たちはゆっくりと見て回りたかったのですが、私と相棒のそれぞれに話し掛けてくれるのです。

 それにしても、20代と思しき青年なのに、専門的な説明なのです。思わず「もしかして、学芸員さんですか?」に、そうですと答えて「彼は今年卒業したばかりです」と、相棒への説明対応していた方を指して言います。

 そして、つがる市には四人の学芸員さんがいるとの事。わが市(東温市)と同程度の規模の市にしては、素晴らしい環境ですね。小生の住む隣町である、久万高原町の「数年前に着任された学芸員さんの活躍には目を奪われる」と同様の、大活躍を予感するような動きではありませんか。


≪山田遺跡(旧称:神崎遺跡)の調査≫

山田遺跡は、この資料館から東へ1qほどの所にある、縄文時代前期〜晩期、
そして平安時代の遺跡です。遺跡の歴史は意外に古く、昭和28年(1953)
年には、早稲田大学考古学研究室による発掘調査が実施されました。     
 展示品は、平成元年(1989)、遺跡内で土取りがおこなわれた際、多く 
の土器が出土したため、発掘調査が実施された時のものです。        
 調査は、弘前大学 村越教授(当時)の指揮のもと、村のボランティアのみ
なさんの手で行われました。この調査では十腰内(とこしない)式土器といわ
れる縄文時代後期(いまからおよそ3500年ほど前)の土器などが多量に出
土しました、展示品はその一部です。報告書は未刊行ですが、刊行のあかつき
には、森田村の縄文時代の一端を解明する大きな資料になると思われます。 


 

 




≪土器以外の国指定重要文化財≫

 

 


≪各種土製品やアクセサリー類≫

 

 


≪左、石斧≫ ≪右、石匙(いしさじ)≫

 


≪左、石棒≫

 


≪磨き石類≫

 




 昨日訪問した二つの資料館(旧木造町管内)と同様の、瀟洒な造りの資料室です。このような展示館は小生の近隣の自治体でも同様で、都道府県などの大規模な博物館とは違って、見て回るのに適当な規模でしょう。しかし昨日の二つの資料館とは違って、展示されている土器を始めとした展示物には目を見張らざるを得ませんでした。

 一緒に観て回った学芸員さんとは、昨日見たDVDで人骨を取り出している“奈良先生”の話題や、久万高原町の上黒岩岩陰遺跡の発掘報告書の編纂に携わった、小林先生の話などにも及んだのでした。



≪人面付深鉢形土器≫

 「石神遺跡」の出土品で有名なものに、「人面土器」の名で呼
ばれる、縄文中期の「人面付深鉢形土器」がある。これは、上
部の四つの突起部分に人面を模した飾りをつけた円筒土器
で、その表情が歓喜を表現しているともいわれ、非常に話題を
呼んだ。何かを見張るような人間の雰囲気はとても神秘的だ。


 

 

≪板状土偶 重要文化財≫




≪左、人面の飾りの土器≫ ≪イノシシの飾りの土器≫

 

 ≪イノシシ飾りの一つ≫


 
 

≪重要文化財≫

≪円筒下層d2式土器≫

 


≪円筒下層d1式土器≫ 




≪円筒下層b式土器≫

 


≪円筒土器≫

 「石神遺跡」からは、円筒土器が編年体系どおりに層序正
しく発見されている。つまり、一つの遺跡に縄文前期から中期
に至る円筒土器の全型式が揃うという、貴重な「円筒土器遺
跡」なのである。


 以下に載せたガイドブックの森田歴史民俗資料館の項を転載します。


【石神遺跡】
 
 縄文時代前期中葉〜中期中葉、今から約五五〇〇〜四五〇〇年前、青森県を中心に南北海道から東北北部にかけて「円筒土器文化(えんとうどきぶんか)」と呼ばれる文化が花開く、この時代にこの地方の人々が使用したバケツのような土器が「円筒土器」と呼ばれていることから名付けられた文化である。円筒土器文化圏には各地域に拠点的な集落がある。青森県内では、青森市の特別史跡「三内丸山遺跡」、八戸市の史跡「是川一王寺(これかわいちおうじ)遺跡」、そしてつがる市森田町にある「石神遺跡」である。
 出土した土器・石器等のうち二百十九点は、平成二年(一九九〇)六月二十九日に邦重要文化財に指定された。当資料館は、それらの遺物を中心に展示し、「石神遺跡の世界」を公開するため、昭和五十年(一九七五)に開始した、「石神遺跡」をかこむ「秋ヶ館(えぞがだて)溜池」には、現在でも簡単に手にとれるためほど無数の土器片が散らばっている。資料館の展示品の多くも、発掘調査により出土したものではなく、近くに住む人々が採集・復元したものである。



【AMS法による区分】

  草創期  15,000〜12,000年前
  早期    12,000〜7,000年前
  前期    7,000〜5,500年前
  中期    5,500〜4,500年前
  後期    4,500〜3,300年前
  晩期    3,300〜2,800年前



 上記は、小生が採用している時代区分です。この時代区分については、Wikipediaに記されています。

 
 

 新幹線の時間などもあって、充分には時間がとれませんでしたが市の担当者の方には、大変、親切な応対を頂き有難たく思っています。尚、当方は“縄文遺跡の旅”をhpにて公開している旨を伝えると、市のhpの方は手が付けられていない旨、応えていました。