縄文文化を巡る!  
 2018年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(北海道・北東北)

つがる市・縄文遺跡を辿る旅 ≪2018年5月9日〜10日≫
  昨年から北海道・北東北の縄文遺跡巡りを始めましたが、一度や二度ではとても見終えることは不可能です。今回で青森県は三度目の訪問ですが、まだまだ見終わった感はありません。

 さて、今回の青森県でのテーマは『亀ヶ岡文化』でした。その亀ヶ岡石器時代遺跡があるのは“つがる市”ということなので、青森市からレンタカーで向かいます。カーナビに最初の目的地の≪JR木造駅≫を入力して、出発。目的の駅は、≪遮光器土偶≫を模した造りで有名な駅です。

 出発地点のJR青森駅からは、一時間程で到着しました。駅へ入るとよくある売店風じゃなくて、市の観光案内所を兼ねているような佇まいでした。


【関連リンク先】 史跡 亀ヶ岡石器時代遺跡 

 
 
 ・5月7日(月)  松山 〜岡山〜東京 山形   
 ・5月8日(火) ≪山形県立博物館≫  山形  〜仙台 〜新青森 青森 
 ・5月9日(水) ≪青森県立郷土館≫ 青森  つがる市≪木造≫ 〜鯵ヶ沢温泉(水軍の田戸) 

 ・5月10日(木)
 ≪出来島最終氷期埋没林≫  〜≪森田歴史民俗資料館≫〜新青森  盛岡 
 ・5月11日(金) ≪岩手県立博物館≫ 〜盛岡  〜東京  〜岡山  松山 
 
その1 つがる市縄文住居展示資料館 カルコ(Karuko) 

 カルコには、14時半頃に着きました。前掲のリンク先の紹介を以下に転載します。
 

青森県西部、津軽半島岩木川左岸の標高7〜18m程度の丘陵(亀山地区)と、これを挟み込むように位置する標高3〜4m程度の北側と南側の低湿地(近江野沢地区・沢根地区)にまたがって所在している縄文時代晩期(紀元前1,000年〜紀元前300年頃)の低湿地を伴う集落遺跡です。

台地上の亀山地区では、マウンド供献品・副葬品をもつ土坑墓による墓域が発見され、低湿地からは、完形品を含む多数の造形的に優れた土器、土偶、植物製品、ヒスイ製の玉類などが出土しています。出土した土器や土偶に代表される縄文時代晩期の優れた物質文化は「亀ヶ岡文化」と呼ばれ、その名称の由来となった遺跡です。

中でも、1887(明治20)年に沢根地区から出土した左脚を欠いた大型土偶(国重要文化財)は、その眼部の表現が「遮光器土偶(しゃこうきどぐう)」の名称の起こりとなったことで知られ、日本の縄文文化を代表する遺物として位置づけられており、土器とともに海外でも高い評価を得ています。亀ヶ岡遺跡における遮光器土偶をはじめとする土偶の製造は、縄文文化の要素である祭祀・儀礼、定住社会の実態をよく表しています。日本の縄文文化を代表する造形美を有し、特に精緻な文様や漆による赤彩などがある精製土器に代表される「亀ヶ岡式土器」は、縄文土器造形の極致とされています。

 展示品については以下に紹介しますが、何分、重要文化財指定の≪遮光器土偶≫は、東京国立博物館で所蔵されていて、ここに展示されているのは残念なことに“レプリカ”です。小生は、2月の東京訪問の際に、本物の≪遮光器土偶≫に出合っています。その様子については、コチラから  

 1階に復元している竪穴式住居を見終え、2階に上がると、右手には≪田小屋野貝塚≫の説明のパネルがあり、1階入口横のDVDでは人骨の出土の状況などが見ることができます。

 また、昨年秋には当館にて≪田小屋野貝塚 人骨展≫が開かれ、≪奈良貴史先生≫の講演も開かれたとのことでした。奈良先生には、先日(4日)開かれた≪上黒岩第二岩陰遺跡≫の現地説明会でお会いしたばかりでした。

 以下に、田小屋野貝塚について転載します。


青森県西部、津軽半島岩木川左岸の標高10〜15m程度の丘陵東南端部に立地する縄文時代前期中頃〜中期中頃(紀元前4000年〜紀元前2500年頃)の円筒土器文化を中心とする遺跡で、日本海側では数少ない縄文時代前期の貝塚を伴う集落遺跡です。

ヤマトシジミ・イシガイなどの貝類を中心に、コイ科やスズキ属などの魚類、ガン・カモ類、アホウドリなどの鳥類の骨が出土しています。また、クジラ・イルカなど大型ほ乳類の骨で作った骨角器や人骨なども発見されています。特に、ベンケイガイ製の貝輪(ブレスレット)の未製品などが50点以上も出土しており、集落内で貝輪製作が行われていることが明らかになりました。

また、同時期のベンケイガイ製貝輪が北海道から出土していること、さらに田小屋野貝塚からは北海道産黒曜石が出土していることから、縄文時代の生産活動や海峡を越えた交易を知ることができます。ベンケイガイ製貝輪の未製品の出土状況から、その原材料が採取でき、それほど遠くない位置(距離4km)にある日本海岸も活動の場として考えられ、豊富な水産資源に恵まれた温暖な自然環境下での自然との接し方や土地利用の在り方を示しています。




【関連リンク先】史跡 田小屋野貝塚
【資料集】
北海道・北東北の縄文遺跡群リーフレットシリーズ「史跡 田小屋野貝塚」 


 
重要文化財≪遮光器土偶≫
(東京国立博物館所蔵)




 カルコには、14時半頃に着きました。DVDを見ながら相棒が「あれっ、奈良先生じゃない〜」と言うではありませんか。そのDVDは、人骨の掘り出し作業が映し出されていたのでした。暫く観ていると受付の女性が「考古資料館も見るのでしたら、4時までですので・・」と言うではありませんか。

 休館日と開館の時間には気を付けていましたが、まさか、閉館時間が4時とは、思いもよりませんでした。2階の左側には出土品の土器などがケース棚に整然と飾られていました。

 一応、陳列棚を写真に収めましたが、いちいち細部までは目を通せません。


注:文中の歴史年代については、小生は以下のように統一して使用しています。

【AMS法による区分】

  草創期  15,000〜12,000年前
  早期    12,000〜7,000年前
  前期     7,000〜5,500年前
  中期     5,500〜4,500年前
  後期     4,500〜3,300年前
  晩期     3,300〜2,800年前



 前掲の土器編年表には、≪B.C.11000≫との表示があります。小生は、現在では上に書き出した区分を、使っています。この年代区分については、≪東京国立博物館≫のhpなどでも、新旧(?)様々に表記されているのが実情で、いちいちの指摘は不必要だと考えます。読み解く側が読み替えれば良いものと考えます。

 もっとも、区分として草創期や早期と呼んでいるだけで、ここで必要なのは、年代の方です。それぞれの遺跡から掘り出された土器などの年代が特定されることによって、他の地方の遺跡との関連が推測できるからです。
 また、それぞれの交流なども推し量れるものです。ここで呼ばれる≪亀ヶ岡文化≫の呼称もその一つでしょう。
 

  

 

 

 
   

   


 

 
【亀ヶ岡式文化】
 以下に、Wikipediaから引用します。

亀ヶ岡式文化(かめがおかしきぶんか)は、今から約3000年ほど前に始まり、紀元前3-4世紀に終末を迎えた。亀ヶ岡式土器の大きな特徴は、様々な器形に多様で複雑怪奇な文様が描かれ、赤色塗料が塗布されている点である。時間の経過とともに、器種構成や文様、装飾、器形などか順次変化していくことが確認されている。

西日本でもみられる土器だが出土は限られている。2017年には亀ヶ岡遺跡から約2000km離れた沖縄県北谷町の平安山原B遺跡から出土しており製作地や沖縄に運ばれた背景をめぐって議論がある。



【資料集】
北海道・北東北の縄文遺跡群リーフレットシリーズ「史跡 亀ヶ岡石器時代遺跡」 

 
  
 さて、カルコの受付の方の進言に従って、私たちは≪木造亀ヶ岡考古資料館≫へと車を走らせたのでした。レンタカーのカーナビに電話番号を入力して、カーナビの示す道に進むのみですが、案内板を見付けては安心する・・そんな、小ぶりな住宅地の入り組んだ小道の先に目的の施設がありました。