縄文文化を巡る!  
 2017年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(北海道・北東北)
七戸町・二ツ森貝殻史跡(七戸中央公民館) ≪2017年10月18日≫
  秋の東北巡りは、当初は@遺跡巡りA山行B撮影、の三っつの行程の予定で計画しました。@については、天候などに左右されませんが、AやBについては現地に着いてからの変更は仕方ありません。今回のようなフルムーン切符を使っての旅は、予約は一月前に済ませていますから・・。今回の旅のスケジュールについては、下記に載せましたが。一番の変更点は三日目の≪城ヶ倉大橋から蔦七沼≫への変更でした。変更前は八甲田山への撮影を兼ねた山行でしたが、前日に仕入れた現地情報で断念しました。

 この旅の≪縄文遺跡群世界遺産登録推進本部≫の登録遺跡である、二ツ森遺跡に立ち寄る事とします。。


【関連リンク先】 史跡 二ツ森貝塚


 上掲のサイトには、以下の紹介があります。

青森県東部、太平洋岸の小川原湖西岸の標高約30mの台地に立地し、縄文時代前期前葉から縄文時代中期末葉(紀元前3,500年〜紀元前2,000年頃)の大規模な貝塚を伴う集落遺跡で、その広さは約30haにも及びます。

貝塚は、この時期としては東北地方有数の規模を誇り、当時の環境変動や生業に加え、長期間にわたる定住と集落構造の実態を示す重要な遺跡です。

貝塚は、台地の北斜面と南斜面の2か所に分布し、その貝層と上下層から出土する土器により、縄文時代前期には海水性の貝塚、縄文時代中期には汽水性の貝塚が形成され、地球規模で起こった海進海退の現象を如実に反映しています。貝塚からはヤマトシジミ、ハマグリなどの貝類をはじめ、スズキ、マダイ、フグなどの魚骨、ハクチョウ、カモなどの鳥骨、シカ、イノシシなどの獣骨のほか、骨角器なども出土しており、当時の環境下における食生活や狩猟・採集・漁労などの生業を知る上での貴重な情報源となっています。

また、竪穴建物跡や貯蔵穴が多数見つかっており、大規模な集落であったことがわかりました。埋葬されたイヌも見つかっており、縄文人とイヌとの関係が密接であることを示す貴重な発見となりました。

さらに、この地域では産出されないヒスイや黒曜石などの出土により、他地域と交流・交易があったことが示されており、縄文文化の発展を示す物証として、環境に適応した定住生活の顕著な見本となっています。


 
 
 ・10月15日(日)
 松山  岡山京都〜京都大学総合博物館〜京都市
 
 ・10月16日(月)
 京都 東京新青森 
 〜青森市 
 ・10月17日(火)
 青森市   〜城ヶ倉大橋(撮影)
〜蔦温泉・蔦七沼(撮影)〜十和田湖 
 ・10月18日(水)
 十和田湖   〜奥入瀬渓流(撮影)
〜七戸町(二ツ森貝塚遺跡)〜八戸市 
 ・10月19日(木) 
 八戸市  是川石器時代遺跡(是川縄文館)  岩手県一戸町・御所野遺跡(御所野縄文博物館) 〜八戸市 
 ・10月20日(金) 
 八戸市  〜八戸市博物館〜八戸  大宮  〜長岡市 
 ・10月21日(土)
 長岡〜馬高縄文館〜新潟県立歴史博物館〜長岡 東京岡山  松山

 さて、奥入瀬・十和田湖周辺の紅葉は訪れた時期がイマイチだったこともあり、今日の宿泊先の八戸へは回り道をし、七戸にある二ッ森貝塚遺跡へと寄り道をすることとしました。実は、この遺跡巡りについては小生が事前に関連サイトのプリントアウトを準備していましたが、持参したファイルケースには入っていませんでした。ホテルで、その事が発覚した際は頭が真っ白になりましたが、相棒のタブレットで検索し直して事なきを得ました。しかし、急ごしらえでの準備では、そんなには上手く行くはずがありません。

 カーナビに入れた連絡先電話番号の場所は七戸町役場でした。受付で尋ねると、2階の≪世界遺産対策室≫という名称の係へ案内されました。受付の女性は「展示室は鍵をかけていますが、係の方が案内してくれますので・・」と親切な応対です。2階に上がり、係の若い女性に「遺跡の見学に来たのですが、出土遺物などは見れますか?」と尋ねると「今、担当の者は会議中です」との応対。「四国の愛媛県からわざわざ来たのですが」と食い下がると、担当の人を呼びに行きました。

 直ぐに男性と女性の方が対応してくれたのですが、「出土品が展示している歴史民俗資料館は、事前の予約が必要です。また、見学は20名以上の団体だけとhpでも案内しています」との事。こんな返答で引き下がれるでしょうか。結局、七戸町文化交流センターへの入館は叶えられませんでしたが、「二ツ森貝塚史跡公園の管理をしている方に連絡し、史跡の案内をお願いしますのでそちらへ向かって下さい」とのことで、そちらへ向かうこととしました。

 係のお嬢さんは「史跡公園と入れますと、ナビに入りましたから」との話でしたが、“そうは問屋が卸さない”のがこの世の中、レンタカーのナビでは探してくれませんでした。そこでふと思い出したのが町役場で貰ったパンフの地図と、目的地として出土品の展示をしている「七戸中央公民館」の電話癌号でした。ナビに公民館を設定し、そこからは地図の道を行きました。


 史跡広場の駐車場には一台の乗用車が停まっていました。駐車場の向かいの小屋から出て来た方が、役場の担当の方が連絡してくれていた人でした。挨拶を交わし、小屋の中で遺跡の説明をして貰ったのです。町から委託されているボランティアとの事でした。
  
 ボランティアの方は近所に何人か居られるそうですが、ほとんどが近所の方らしく定期的に竪穴住居の維持整備なども行っているとのことでした。写真に写っている貝塚史跡公園は広大な敷地なのですが、奥の民家が建っている周辺からも遺物などが出土しているそうです。パンフレットによると、前期中葉(5,900年〜5,400年)、前期末葉から中期前葉(5,400年〜5,100年前)、中期中葉(5,100年〜4,600年前)、中期後葉(4,600年〜4,200年前)と、次々に住まいを変えながら生活様式の変化も窺えるとの事でした。

 それらの変化は、出土された土器様式の移り変わりで一目瞭然です。また、貯蔵穴を転用した場所から人骨と一緒にイヌも埋葬されていたそうです。これらの住居の形態は、青森市の三内丸山遺跡と同様です。また、始まりの時期と終焉の時期がほぼ変わらない点についても同様ですが、この点の考察については、別の稿で述べる機会があるものと思います。

 あちらこちらと迷ってしまったこともあって、すっかり時間が押してしまっていました。というのは、パンフレットには、前述の中央公民館の見学時間は16時までとなっていたのですが、先の案内の方が先方に連絡を取り、了解を得ました。結局、中央公民館には16時10分頃に着きました。
 
七戸中央公民館・2F

≪海・河川の貝殻≫
 

≪シカ・イノシシ・クジラの骨≫
  

≪黒曜石・石器類≫
 

≪石鏃・石匙・骨器など≫
 

(各種土器)、右図は模造品

 

 

 


 


≪人面付土器≫
 
 今春、北海道の≪鷲ノ木遺跡≫を訪れた際にも感じた事なのですが、町や村などの小規模な展示施設とその管理のズサンさです。これらは、四国内の小規模な同様な施設も同じなのですが、まず、見るからに金を掛けていないのが見え見えです。小生は、別にコンクリートの塊の施設を造れっと、云っているものではありません。同時に、レプリカや模造品だらけで、どこかの大学の研究室や県の埋蔵文化財として倉庫に眠らせているのでは能がありません。

 ここ、二ツ森貝塚遺跡には資料館を立てるのに適当な土地もあり、近隣の八戸市や青森市の遺跡などとも連携しての位置づけや同時期に栄えた文化の関連なども大いに研究材料としては魅力的です。もっとも、これらの問題提起については、各級教育委員会の問題点(組織上の)から発生する問題なのだと考えます。どういう特権意識なのか横の繋がりや経験交流には皆目目が行かないようです。


【資料集】

北海道・北東北の縄文遺跡群リーフレットシリーズ15 「史跡二ツ森貝塚」