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「お役に立てれば…AS子育てと介護体験」はアスペルガーの息子の子育てと姑を看取った体験をお届けします。

運も味方につけてNEWS&FAQ

この違いは何なのだろうと思った出来事がありました。息子の話す言葉は発音のせいもあり聞き取りにくく、言語聴覚士の指導を受けたいと探していたのですが、当時は探すことが出来ず諦めました。その後、親の会の先輩ママと話している時に、同じ時期に言語聴覚士を探していたことがわかりました。彼女は「子どもに言語聴覚士の指導を受けさせたいと思っていたら、なんと偶然に出会ったのね、その場でお願いをしたらOKもらえたのよ〜。」と話しが進み、その聴覚士の方は教室を開いていた訳でなかったので、個人的にお願いしたということでした。
『引き寄せ』という言葉を聞いたことがあると思いますが、これなんだなと思いました。
さて、障碍があっても幸せに暮らしている方はいらっしゃいます。

盲聾でありながら東大教授となった福島 智  氏がNHKの番組“SWICHインタビュー”に出演している回を見ました。「自分は盲聾であるが幸せに生きている。成功体験というか、他にも障碍がありながらも幸せに暮らしている人はいると思うのですが、話しが出てこない。」というようなことをおっしゃってました。
福島氏のもっと凄いのは、自分が与えられている環境が過酷でも、その環境に感謝しているのですよ。
氏と氏のお母様の対談がナミねぇのブログ!で、月刊誌に掲載されているものを紹介してくれてます。
お母様である玲子さんの「9歳で失明したけど9歳まで見える環境に置いていただいたんだと神に感謝しました。」の言葉がありました。
 福島氏の母のように、与えられた環境に感謝できるようになりたいと様々考えトライしてきました。その歩みを以下に記します。


 ここのページは「障害」という言葉を「障碍」と表記します。どれくらい意味に違いがあるのかと言えば説明しにくいのですが、私の気持ちの問題としておきます。

【目次】

第1章 幸せになると思うことから始まる
第2章 障碍児の子育てに怒りは最大の毒
第3章 感謝の言葉で言霊パワーを使う
第4章 家族の幸せを祈る
第5章 結局お釈迦様の言っている通り
第6章 発達障碍とお片づけ
第7章 運も味方につけて

第1章 幸せになると思うことから始まる

人によって色々な幸せのあり方がありますが、ここで言う幸せとは、家族の中で障碍や病気など困難さを抱えている人がいながらも、一人一人が幸せに思って暮らしていることです。
 「幸せに誰でもなりたいと思ってるでしょ。」とこの章のタイトルを目にした方に反発されそうです。実は私もそうでした。自己啓発系の本を読んでいると、まず、思うことから始まると出てくる。
 でも、現実をみると・・・障碍を持っている子どもがいる、病気のパートナーがいるという状況にある・・・そうなると不安に襲われ、幸せになることに対して「思ったってねえ〜どうせ私には無理かもしれない」と半信半疑になったりする・・・結局、深層心理は幸せになるのは無理かもしれないと思ってしまう・・・という風に流れていっていることに長い間気づけませんでした。その思い違いを指摘してくれた本があります。

 その本は マーク・フィッシャー「成功の掟」。本気の思い方とはどういうことか、不思議な物語形式で結構しつこく言われます。しつこく言われるので思い直すきっかけとなりました。最近、新装丁でお目見えしているこの本は、まず、具体的な形で実践を始める決意をさせてくれました。

  実践を具体的な形にするためにはどうしたらいいか。まず、家族が幸せに暮らしている状況ってどういうことだろうと真剣に考えてみました。それは家族が笑顔でいることだということに思い至りました。

●家族が笑顔でいるイメージを毎日思い描く

いろいろトライしてみて、家族が笑顔でいるイメージが一番確実であるという結論に至りました。
 自己啓発系の本には具体的なイメージを描けとよく書いてありますが、私の場合は具体的になればなるほど私がこうあって欲しい夫・子ども・姑の姿で、それこそ自分の欲などが入ってきて、正しいものから離れていくような気がしました。それで、ザックリしていますが結局このような形になりました。
 相手が笑顔でいる絵柄は、動機に不純なものが入る余地がないので、神様からお墨付きをもらえるイメージだと思います。けれどやってみると、これが意外と難しい。
 当時、カサンドラ症候群を自覚していなかった私は、主人の笑顔を思い描くことが出来ず、気持ち的に理解できないことが続いた場合、下手をすると憎しみの感情に襲われていました。また、母親ゆずりの心配性の取越し苦労性で、今は考えなくてもいい子どもの遠い将来を思って不安におちいり、不幸の予言のようなドラマを知らず知らずのうちに思い浮かべることになっていました。この感情や思いのコントロールが出来なければ、家族が笑顔でいるイメージを長時間思い描るようにはなれないと思いました。

 ここで改めて親子の関係、夫婦の関係、嫁姑の関係を見つめ直すことになるのです。それぞれの関係を見つめ直す中で、ドロドロした感情が膿のように出て行きました。ここは時間がかかりましたが、その後は意外なことに感謝の思いが満ち満ちていきました。
 これは不思議でした。

 ここの過程を例えてわかりやく説明しているのをNHK「ニュース シブ5時」番組でご住職が語っているのを聞いて、良いなと思ったので使わせてもらいます。
 一般の方からの質問で、辛いことや苦しいことが続きどうしたら良いでしょうというような内容だったと思います。
 それに対して食事をすることに例えてお話しをされてました。人は食事を取って栄養を得ているわけですが、美味しいものばかりでなく、苦いものなどいろいろあるわけです。それを味わってくださいと。よく噛んで味わっているうちにそれがうま味に変わり栄養になっていくのだと。味わうことをせず、鵜呑みにしていると栄養になっていかないと…時間が必要になりますね。

 ここの意味をもっと具体的に言うとどうなるのかなと思っていたところで、扉で紹介したナミねぇのブログでの福島母子対談に言葉がありましたので一部を「」で以下に引用します。
「苦悩というのは確かにしんどいことです。だけど人生では、いくら避けようと思ってもしんどい経験はやってくる。だったらそのしんどさを受けとめて、しんどいことにも何か意味があるのだろうと思うことが、たぶん力になっていくのだろうと思います。
 しんどいことをしんどくないと護摩化すのではなくて、しんどいことはしんどいこととして受けとめる。そしてしんどさとともに生きることで、それが肥やしになったり、豊かさになったり、強さになったりするんだろうと思います。」


 そして私の場合、ここの過程を経て、感情の折り合いがついた辺りで不思議な夢を見ています。この不思議な夢を見てから私は人生観が変わってしまいました。
 現在直面している現象は原因があるから結果があると、お釈迦様が「縁起の理法」として古くから説かれております。また、近代では「原因結果の法則」ジェームズ・アレンが著して、聖書の次に読まれているそうです。

 「縁起の理法」の「空間縁起」では『転生輪廻』の視点での縁起を説かれています。原因は今の人生だけではなく、生まれ変わりの中で過去世から持ち越してきたものもある・・・ということを踏まえると、前述した不思議な夢は私の転生輪廻そのものとだと思えたので、そう思うことにしました。なぜなら、過去にさかのぼって見てみると、今なぜこのようになっているか、不思議につじつまが合うのでした。
 この体験で物事の見方が変わりました。ここまで来るのに時間がかかりましたが、多方面から物事を見る事が出来るようになってから、「ああ、こういうことだったんだ」と気づくことが増えました。
 その気づきの積み重ねが理解や感謝につながっていくのですが、まず、気軽に日常に取り入れることが出来て、お金もかからない確かな方法があるので次にご紹介いたします。

第2章 障碍児の子育てに怒りは最大の毒

 一つ目は怒らない(=感情的にならない)ということです。私は元来短気で、早口で怒りっぽいし、待っていられない。我が子が授かる前までは、そんなに怒ることが悪影響を及ぼしているなんてわかりませんでした。でも、怒ると感情的になって余計カーッとなる。怒りが怒りを呼んで増幅するということを自覚したのは、息子を育ててからです。息子がパニックになるとよくパソコンが固まったり、ネットがつながらなくなったり、電源が落ちたりしました。大パニックの時はブレーカーが落ちてしまったこともあって、さすがに変だなと思うわけです。
 その時、当事者が書いた テンプル・グランディン の 「自閉症の才能開発」 の第11章を読んで、思い当ることがありました。そこには、畜牛や豚が虐待されている場所で、停電や機器の故障が相次いで起きるのを目撃したと書いてありました。また、そこの屠畜場のマネージャーが器具を始動させようとした作者に罵詈雑言をあびせている間にメインのコンベア鎖が切れたことがあったそうなのです。


●私は今日から怒らない

 元々怒りっぽい人が怒らないようにするには時間がかかります。イライラきたら深呼吸、爆発する前に数を数えて怒りを鎮めるよう努力しました。これは  数息感といって禅の観法にあります。瞬間湯沸かし器人間から卒業するまで15年以上かかりましたが、親もびっくりするくらい今の私は短気から遠ざかったようです。大きくなってから息子が語っていたことですが、カーッときている母の後ろに黒いものがいたそうです。彼には鬼婆に見えていたのでしょうね。ごめんなさい。
 今思うのは、この家族に出会わなかったら私の怒りんぼは改善されていただろうかということです。 考え方によっては、怒りんぼを今回こそ直そうと今の環境を選んできたと言ってもいいかもしれません。 個人的見解ですが、病気や障碍を持った家族がいる方で、短気・怒りっぽい性質を私のように持っている方は、それを背水の陣の逃げ場のない環境で、直すことを人生のプログラムに入れてきているかもしれません。
 もし、怒りを爆発させて子どもやパートナーをやり込めてしまった時、悪いなあと思っても直接謝れない時は心の中でまず詫びてください。本当にすまなかったと心で思っていると、直接謝る場面が後で訪れたりします。それを繰り返していると、また爆発しちゃった時にすぐ気がついて、その場で謝れるようになってきます。時間が取れる時には過去にさかのぼって振り返り、理不尽に怒ってしまった場面を思い出したら、それに対して謝っていくことを丁寧にしていくと、子どもやパートナーとの関係が良い方向に変化していくように体験から思えました。

第3章 感謝の言葉で言霊パワーを使う

 二つ目は良き言葉です。日本では言霊といって、言葉の力を昔から使ってきました。一番力のある言葉は感謝の言葉で、『ありがとう』が一番なのだそう。そのことをわかりやすく書いた「ありがとうの神様」小林正観 から引用します。(ピンク字)


039「ありがとう」を言い続けると、また、「ありがとう」と言いたくなる現象が降ってくる。

 前にも書いたように「神様」は、「喜ばれると嬉しい」というエネルギーだけの存在です。ゆえに宇宙では、「その人がいつも言っている言葉」が「その人の好きな言葉だろう」と思って、「もっとたくさん言わせて、喜ばせてあげたい」という法則が働いています。
 仮に「つらい、苦しい、悲しい、つまらない、嫌だ、嫌いだ、疲れた」と、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」や、怨み言葉、憎しみ言葉、呪い言葉ばかりいつも口に出して言っていたとします。すると「神様」は、
 「この人は『つらい』とか『苦しい』という言葉が好きみたいだ」と考えて、

 「その言葉がそんなに好きならなら、その言葉を言いたくなるような現象を用意してあげよう」
という働きかけをはじめるらしいのです。その人に嫌がらせをしているわけではありませんから、ただ、「日常的にいつも口に出している言葉を、たくさん言わせてあげよう」と思うだけです。

 日常的に口に出しているということは潜在意識に語りかけていることになるのでしょうか?
 「ありがとう」を心掛けて実践する前、私はちょっと言葉の力を見くびっていました。身近で尊敬する人から何回も言われたので、最初は意識的に使うようにしました。

●起き掛けの寝床の中で「ありがとう」

 一日はここから始めるようにしました。あと、朝のお祈りの時間には家族の名前をあげて「ありがとう」と言ってから、家族の健康と無事を祈ります。本当にありがとうの気持ちを込めることができるようになると効果は倍増するような気がします。続けていると出会いがあったり家族に良いことが起きはじめます。家族に対して憎しみや怨み心がある場合、気持ちを込めるのが最初大変なのですが、不思議と言っているうちにそのようになってきます。
 「ありがとう」と言っているだけで、長年お風呂に入ってない人が温泉に入ってガチガチになった垢がお湯で緩んで剥がれやすくなるように、マイナスな感情がポロポロ取れていって、ありがとうと言葉にでるような場面に出くわす回数が増えてきます。我が家の場合は息子をサポートしてくれる方との出会いがありました。ありがたいなあと口にする回数が増えてくると、ありがとうに対しての感度も高くなってくるような気がします。恐るべし、「ありがとう」!

●「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」は「ありがとう」を打ち消す言葉

「ありがとうの神様」のはじめに出て来る言葉ですが、せっかく「ありがとう」をたくさん言えたのに、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言った瞬間に、「チーン」と音がして「ありがとう」の回数がゼロになってしまうのだそう。

 以前は愚痴を言っている時はスッキリした気分になったつもりでいたのですが、後味が悪いのは気になっていました。感謝の言葉に対する感度が高くなってくると、マイナスな言葉は減ってきます。でも、人間ですから愚痴とか言わなくするのは大変大変難しい。言霊を感じるようになってくると、そうならざるを得なくなってくるみたいなのですが、愚痴を言わない人が身近にいて、そのようなこと言っています。
 落ち込むこともあって弱気な言葉を出したとしても、最後の締めは前向きな言葉で終わるようには心がけています。

 もっと具体的な言葉のかけ方を教えてくれる本を令和4年5月19日に紀伊国屋書店で見つけました。shizuさんのブログ“発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉:ABAで自閉っ子と楽しく生活”で本の紹介もしています。場面場面で、漫画を使って大変わかりやすく表現されてます。そこでも最後はプラスな言葉がけで終わるようにしましょうとありました。普通の子育てにも参考になると思います。

 後は、当サイトの先輩ママの体験記にある、前にフリースクールを主宰していたAさん「不登校した息子の成長とそこからの学び」にも言葉のかけを具体的に書いていただいております。


第4章 家族の幸せを祈る

 マザー・テレサの祈りの内容はどのようであったのだろうとずーっと思っていました。聖なる祈りには力があるようです。特にマザー・テレサのような方は、祈りによって主から愛を受けて、その愛を流していくのでしょう。人の祈る姿は一番美しいと言われる所以なのかもしれません。
 マザー・テレサへの質問で、「世界平和のために何をしたらよいのか」との問いに「帰って家族を大切にしてください」と答えられたそうです。初来日のときの言葉を以下に引用します。

愛は家庭から始まります。
まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。
両者が愛し合い、
母親が家庭の中心となりなさい。
平和とうるおいの家庭が築けたら、
隣人を愛しなさい。
自分が、自分の家庭が、
愛に満たされなければ隣人を愛せません。

 これでいくと母親が家庭の中心になるのが一番良いのでしょうね。日本の時代劇でも夫や子を送り出すときに、火打石みたいのでカシッカシッってやるのもお母さんですね。家庭ではお母さんが元気な場合はお母さんが中心となるのが一番なのでしょうけど、そうでない場合は誰かがやることになりますが、母親の役割について考えさせられた一文です。
 親から本当の応援をもらえると力になると思うのですが、それが子どもに見合わない過剰な期待や、無理解、心配性の取越し苦労症でアンハッピーな結末の予測とかは重くて重くてつぶされてしまいます。青少年期、私は何でこんなに毎日が重いのだろうと思っていました。人の思いを受けやすい子の場合は大変だと思います。

●家族の幸せを毎日祈る

 ということで、母親が家族の幸せのために祈るという事は道理なのではと思いました。そのことに気づいてから、私は基本的に毎朝・毎晩祈っています。
 朝は家族一人一人にありがとうと感謝してから無事と健康を祈ってます。ありがとうと言えない心境であったとしても、まずは「ありがとう」と言っておきます。夜は健康で無事を過ごせたことを感謝して、時間があれば家族が笑顔で過ごしている姿をイメージします 
 気になった出来事があったら振り返り、申し訳ない事があったらここで謝ってしまいます。課題が出てきても、最終的に解決して笑顔でいるイメージを思い描きます。あせらず、コツコツと続けます。
 このイメージは普段ゆったりした時間を持てたときも行っています。
 楽しいことを想像をして、心をハッピーにさせるという気軽な感覚で行うと長続きします。
 これがどのような経過をたどるかはお楽しみで待っていてください。禍福はあざなえる縄のごとしのようなドラマが展開したりします。
 条件が整ったら家族が笑顔で暮らしているイメージ通りの場面が訪れることでしょう。

第5章 結局お釈迦様の言っている通り

 今までお話したことは実は今から2千5百年前にお釈迦様がお説きになっておられることなのでした。
 第1章、最初は幸せになると思うことから始まるのですが、これだけだと漠然としているので『引き寄せ』の方法の一つを使って、家族が笑顔でいるイメージをことあるごとに思い描いてみます。でも、家族に対して心配や悩み事があると、中々継続して笑顔の家族をイメージする事が出来ません。その場合は夫婦・親子関係を見つめ直してみます。
 その時の視点は『縁起の理法』で見てみる。見方が変わると反省できることもある。全てに原因があって結果がある。このことをお釈迦様は『八正道』の一番最初に出てくる『正見』で述べています。 

 第2章では、八正道の二番目に出てくる『正思』について述べています。正思は貧瞋痴の三毒煩悩に左右されない正しい思いをすることです。怒りは瞋(じん)とも言います。
  第3章では、八正道の三番目に出て来る『正語』について述べています。感謝の言葉は一番パワーがあります。そして、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、嘘・偽り、二枚舌、過ぎたお世辞、怨み言葉、憎しみ言葉、呪い言葉、を言わないことです。
 第4章の『祈り』については明確なことを言えないのですが、八正道の七番目出てくる『正念』に該当するのかしら?『正定』も関わってくるのか、ここはトライ中です。

 さて、何で急に『八正道』が出てくるのだと思われたことでしょう?
 私は物心ついたころからお釈迦様が大好きでした。誰にでも心魅かれるものはあると思いますが、それはきっとご縁があるからだと思うのです。
 そう思うきっかけとなった出来事は不思議な夢を見てからです。この不思議な夢はとてもリアルで、流れている風や空気感も肌で感じているのです。過去のその時代に生きている私を、今生きている私が第三者の視点で見ているのです。そして、その時代に生きている私の心の中がわかるのです。何を考えているか同通してきて、この状況でこんな風に思っているんだったら駄目だよなあと評価しているのです。
五つの場面が出てきて、なぜか当時生きている自分の感情しかわかりませんでした。他の人のもわかると面白かったのになあなんて思ったりしました。

 今思うと、これって結構ユニークなネタですよね。誰かこのシチュエーションで小説とか脚本を書いてみないかしら…。ネタ提供しますので、教えてくださいね。

 さて、私が見た不思議な夢の最初のシーンは釈迦入滅あたりで、お釈迦様のお話しを聞こうと比丘比丘尼達が取り囲む遠く後ろの物陰に私が潜んでいる場面でした。「私もあの中に入ってお話しを聞きたい」と強く強く想っていて、それが伝わってきました。
 なので、今世は日本に生まれ、長じてから心ひかれるまま難しいと思いつつも仏教の本を読み続けている自分があるのかなと妙に納得しています。でも、この度のことで気づいたことがあります。
 八正道は人生の問題を解く王道の方法であるということは、コツコツ実践しないとその真髄は分からない・・・です。

 あと、八正道が出てきて、何で「祈り」なんだと思われたことでしょう?
 それも、不思議な夢での5番目最後のシーンになります。私は教会でシスターとして祈りの毎日を過ごしていました。
 祈りだけでなく、そこは教会なのだけど社会からドロップアウトした人を受け入れてお世話をしている場所も兼ねていました。そこでの自分はどのような気持で働いていたかというと、洗濯や掃除などの仕事の段取りをいかに早くこなすかで、相手がどのような状態であるかや気持にはあまり目がいっていませんでした。
 ただ、算段しながら歩いている時に光って見える人に気づき、「この人はお世話される身でありながら、なぜ、光輝いているのだろう。」と思っている場面で終わりになります。

 なんか、その続きの人生を今生きているのかなあと思ったりします。

第6章 発達障碍とお片づけ

運が良くなるための方法に、お片づけ・掃除も王道です。それに関してはたくさん本が出ていますね。TIMEに掲載になった こんまり さんは皆様ご存じだと思います。

 ● 「人生がときめく 片づけの魔法」 片づけコンサルタント 近藤 麻理恵 著
 ●「たった3日で 願いがかなう そうじの習慣」そうじ道場 師範 前川雅博 著
 

 私が嫁いでこの家に入った時はゴミ屋敷一歩手前でした。庭はジャングルと化し、庭師に入ってもらって地面が表れてきた時、タイヤや空き瓶やなどが投げ込まれているのがわかりました。家の中は物が溢れていたので、同居するために引っ越しをしてきて、荷物を収めるのに1年かかりました。
 我が家は片付けが苦手な人ばかりです。私は母から片付けが下手だと叱られてばかりいましたが、嫁いでからは私しか片付けが出来る人がいない状況になりました。

 部屋に一定以上の物があると息苦しくなってきます。そのせいか私は定期的にヒステリーをおこしていました。我慢できなくて一度黙って捨てたことがあるのですが、ことあるごとに姑から「捨てられた」「育ちが悪い」と言われ、これも精神的にキツイものがあり、それからはそのままにしてました。
 その時期は家の中がゴチャゴチャのように、家庭問題もゴチャゴチャしてました。
 2011年に東日本大震災があり、部屋の一部は足の踏み場もない状態になりました。私は何かに突き動かされたように、ここぞとばかりに捨てて捨てて、2年がかりで捨てまくりました。古本屋で引き取らなかった雑誌、本などの紙類だけでも4トン以上。その時期は更年期もあって体調が悪いのも重なり、片づくのにかなりの時間がかかりました。
 お休みの日に紙袋一つだけでも片づけようと、コツコツやっていきました。

 多分、私のように困っている(悩んでいる)人はいると思ったのでこの章があります。相手の気持ちを尊重し、どこかで折り合いをつけられないかと試みてみても、積み上がっていく物(ゴミ)を前に迷っている方への私の体験談です。踏み切った結果は☆☆☆お部屋の空気感が変わりました。私のヒステリーも治まり、家族の皆さんも体調が良くなってきました。探し物もみつかりました。
 本人の意思を尊重して、片づけを控えていた時期もありましたが、やはりゴミ部屋では健康に悪い。
 片づけが出来る人に任せてくれるといいのだけど、「勝手にいじらないで」とその言葉を聞いた結果、関東ローム層のように物が積みあがっていきました。
 時期を見計らうことも必要ですが、ある程度割り切って片づけた方が良いかもしれません。タンスの中にあった20年前のかび臭い新聞を捨てたら、「命よりも大事な新聞を捨てられた」と姑から言われましたが、こう思うことにしました。

●健康的に暮らすには、福祉的介入と思って片づけることも必要

 この時は姑が入院一歩手前までいったので、健康のために片づけたと謝り、それを通しました。ただ、姑の気持も受けとめなきゃなあと思いました。なぜなら集めていた新聞は息子の生まれた年のものだったからです。
 物に執着がある方と暮らしているのはとても大変だと思います。私と同じ状況の方へ、うまく片付けることができるよう祈っています。
 片付けが苦手な方へ、家族の中で片づけが出来る方がいたらやってもらってください。その場合、アドバイスを聞いて、お任せするところはお任せしてください。
 諸々ありますが、プロに頼んでもいいので、お部屋はある程度片づいた状態を保ちましょう。
 運の女神様はキレイ好きと聞いております。
 発達障碍の方向け、お片付け知恵袋的リンクを以下にご紹介。

発達障害夫婦の洗顔や洗濯物に関するお役立ち記事

第7章 運も味方につけて

 助けられたなあと思う不思議な出来事がありました。その時は姑が一人家に居て、お昼ご飯を出すために私が仕事場から自宅に着いて、ドアのカギを開けようとしたら・・・鍵が無かったのです。そうか、旅行後だったので、いつもの鞄に移し忘れたらしい。この時姑は96歳、殆ど椅子に腰かけている生活。裏玄関に移り、どうしようとドアの前に呆然と立っていたら、中からカシャカシャ音がしました。カチャッとドアが開いて姑がニコニコ顔で私の前に立ちました。私は思わず「おかあさん、ドア開けてもらってありがとうございます。ご飯つくりに来ました。」と言っていました。姑は「あら、そうですか。ありがとうございます。」と深々頭を下げました。
 お陰様でご飯を出すことが出来、無事事無きを得たのでありましたが、スーパーおっちょこちょいの私を助けてくれた存在を感じて、うるっときました。自然に感謝の思いが湧いてきました。

 もう一つは息子の就活です。最後の大就職面接会、持ってきた分厚い本には参加企業がたくさん載っていました。お正月に帰ってきた息子を傍から見ると余裕があるように見える。でも、実際どう動いて良いかわからなかったのでしょうね。候補の企業を上げてみたらとアドバイスをしたら、IT企業全部に○していました。当日案の定、アイウエオ順にあたって3社、その内の2社が二次面接までこぎつけ、その内の1社が違う視点で彼を評価してくれ、決まったのは卒業ぎりぎりでした。ご縁をいただいたこの会社は、ありがたいことに社員の面倒見の良い会社でした。
 このことは私に気づきを与えてくれました。心配の思いが先立って、かえって息子の足を引っ張っていたかもしれません。彼は元から運の良さを持っているので、信じ切って下手なアドバイスをせずに、応援の言葉をたくさんかけていたら、もっと早く決まっていたかもしれません。
 運については息子と姑に学ぶところ多しです。

 あと忘れていけないことは、自分を見守ってくれる存在があることを信じることです。目に見えたり、見えなかったりする場合もあると思いますが、必ず自分を見守って応援してくれる存在があります。ほら、あるでしょう、誰でもそういうこと…何かの答えを求めていたり困っている時、直接声が聞こえなくても、誰かの口で語らせたり、偶然見たテレビ番組や本で教えてくれたり…。このような小さい気づきを積み重ねて感謝していくことが運につながっていくのかなという手ごたえは感じております。
…今の段階の“運も味方につけて”です。

 もっと早く出会って取り入れたら展開が早かったのにと思うのは ジョゼフ・マーフィー です。それこそ潜在意識に働きかけ、眠りながら願いを叶えるというもので、最初日本に紹介した 渡部昇一の「マーフィーの成功法則 」 を平成28年に入った現在読んでいるところです。こちらはこれから実践することになると思います。

 マーフィーの実践記は書いてみたいと思いますので、とりあえず、このページは続くになります。

2016.4.2記す
2022.5加筆修正

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