働き方改革関連法案に関し国会(196回通常国会)が紛糾し、結局重要な一角を占めていた企画業務型裁量労働の拡大が削除されることになったのはマスコミの伝える通りです。不適切なデータを安倍首相が答弁で使用したことがきっかけとなっています。問題の本質を適切に伝えている記事や、テレビ解説も観ましたが、一方で厚生労働省に責任があるかのように解説しているマスコミも少なくありません。
裁量労働制の拡大の出所は規制改革会議です。企業側の人間と経産省の元官僚が主導する官邸の御用会議です。もともと労働者の視点などなく、経営者の都合と、企業、産業の発展しか考えていない会議なのです。本来、労働者保護の立場から政策に関わらなければならない厚生労働省が、官僚の誇りを捨て政権にすりよった結果、こんなことになってしまったのは非難されても仕方がないかもわかりません。しかし責任の本質は安倍政権の考え方、およびその考え方を実現するために取っている手法にあります。
本稿では、今までの経緯について振り返り、問題がどこにあるかを明らかにし、また安倍政権の目指す労働状況について推察してみたいと思います。
なお働き方改革関連法案の内容については「平成30年国会提出予定の労働基準法等の改正案」に紹介してあります。
目次
最初に安倍政権が政策実現のために取っている手法の特徴について指摘したいと思います.
労働政策については労働政策審議会、社会保険については社会保障審議会の審議を経なければいけない項目があることが労働関係法、社会保険関係法、労働政策審議会令、社会保障審議会令で定められています。そればかりではなく一般に関係法令の改正案については両審議会での審議、答申を受け、それを根拠として国会に法案提出するというのが慣例となっています。つまり政権が自分たちの思うような政策を実行しようとしても無茶はできない仕組みとなっているのです。
それに対し、安倍政権はどのような手法で、自分の思うままを通そうとしたかというと、次のようなことです。まず、官邸や経済再生担当大臣の下に諮問会議や有識者会議ということで会議を置き、自分たちの主張に近い意見の委員のみを集め、自分たちの主張通りの答申や報告書を出させます。それを根拠にして審議会等に圧力をかけ、自分たちの思う結論に誘導します。
労働政策に関する実例は後に述べますが、年金積立金の株式運用における「公的・準公的資金の運用・リスク管理等の高度化等に関する有識者会議」等、また労働政策、社会保険以外ではありますが安保法制に関する「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」やを思い浮かべて頂ければ良いと思います。
内閣総理大臣の諮問を受けて審議する会議である「規制改革会議」は平成25年1月23日に設置されます。当初から雇用に関する規制改革を重要項目の一つとして取り上げ、その下に雇用ワーキンググループを置きます。そこでは正社員改革として、職務・勤務地が無限定であること、無期雇用、解雇ルールを正社員の3要素として改革を目指すと座長(もと経産省系の官僚)が述べています。そしてその他に企画業務型裁量労働の見直し、フレックスタイム制の見直し、労働者派遣制度の合理化も謳われます。
(詳細は「規制改革会議と労働者の保護規定」参照)
産業競争力会議で解雇ルールの緩和が提案され、これについては規制改革会議でも解雇補償金制度が提案されます。これが国会やマスコミで大きく取り上げられます。国会では安倍首相の答弁が迷走しました。
この規制改革会議は平成25年6月5日にに答申を出します。雇用分野では次の4つが提案されました。
また「労働時間規制に関する各種適用除外と裁量労働制の整理統合等労働時間規制全般の見直しが重要な課題」という、のちの高度プロフェッショナル制度につながる指摘がされています。
マスコミにたたかれた解雇ルールの緩和については、丁寧に検討を行っていく必要があるとして提案から除かれます。
雇用分野の提案それぞれについて、実は本質と思える言葉に言い換えると次のようになると思います。
答申を受け政府は6月14日「規制改革実施計画」を閣議決定をします。雇用関係の中身は次のようなものです。
平成25年度検討開始、平成26年度措置
平成25年上期調査開始、平成25年秋検討開始、1年を目途に結論、結論を得次第措置
平成25年度検討開始、平成26年度早期に結論
(詳細は「雇用の規制改革は結局どうなるのか」参照)
ジョブ型正社員(限定正社員)とは、職務、勤務地、労働時間のどれかが限定されている正社員です。なぜ規制改革会議が持ち出したのかは雇用ワーキンググループの議事概要から推察されます。解雇ルール緩和の突破口ということです。雇用ワーキンググループで正社員改革をうちだしたものの、その後解雇ルールの緩和に触れた途端、野党、マスコミから総反撃をくらい、答申には盛り込めなくなった。そのため解雇がしやすい正社員としてジョブ型正社員を位置づけ、答申に盛り込んだと思われます。
ところが検討を進めていくに従い、労働法制に素人である経産省系の人間たちも、契約上職務や地域を限定しても解雇の困難さはたいした変わらないことを理解してきたのではないかと思います。
一応規制改革実施計画に沿って平成25年9月10日から”「多様な正社員」の普及・拡大のための有識者懇談会”が開催されます。この会議のその後についてはフォローしていませんが、その後の世の中の動きを見ると、限定正社員は、解雇ルールとは全く関係ない、労働者の生き方選択の多様さを認めるにはどうしたら良いかという労働者にとって肯定的な方向に動いて行ったように思います。
詳細は「限定正社員なるものの胡散臭さに注意しよう」参照。
解雇ルールの緩和は猛反対がおき実現できない。限定正社員は解雇容易化にはつながらない。その次に解雇容易化推進派が仕掛けたのは国家戦略特区でした。
産業競争力会議の提案を受け官邸が設置した国家戦略特区ワーキンググループの提案が9月20日の第1回産業競争力会議課題別会合で発表されます。契約条項に基づく解雇を可能とするをはじめ、労働時間規制の撤廃を可能にする等の内容で、「解雇特区」「ブラック企業特区」等猛批判を浴びることになります。日本弁護士連合会や社会保険労務士連合会から強く批判する会長声明も出され、一応お蔵入りとなります。
しかし国家戦略特区法(平成25年12月7日成立)には、「雇用管理、労働契約のありかたに関する「雇用指針」を、判例の分析、分類を行い、国家戦略特別区域諮問会議の意見を聴いて作成し」それを用いて「事業主に対して個別労働紛争を防止するための情報の提供、相談、助言等の援助を行う」という内容が盛り込まれました。これは経緯から考えると、判例等を調べて、解雇を容易とするような指南書を作ろうということの様に見えます。竹中平蔵は雇用ルールについて半歩位前進であり「重要なのは特区の枠組みをフルに使って岩盤規制を崩していくこと」と述べています。
(詳細は「解雇特区構想は消えたのか」参照。)
労働者派遣制度の見直について見てみます。規制改革会議は平成25年6月の答申で、「常用代替防止の観点からなされている派遣労働の規制体系を根本から見直せ」という趣旨の主張を展開しています。つまり派遣は臨時の業務のみ認め、常用が必要な場合は正規の社員を雇用すべきという従来の派遣に対する考え方を変えろというのです。
平成25年8月3日から労働政策審議会で「今後の労働者派遣制度の在り方について」の議論が開始されます。これに対し規制改革会議は「労働者派遣制度に関する規制改革会議の意見」なるものを公表します。驚くべきは10月10日開催の労働政策審議会の会議において、事務局がこれを資料として配付するのです。労働者側委員は「これは労政審としてはどういう扱いにすればよろしいのですか。これは何なのでしょうか。」と反発します。
しかしながら、結局労働政策審議会の報告書では、3年ごとに人さえ変えれば、或る業務に永遠に派遣労働者を充てることができる制度が提案されます。常用代替防止などの文言は引き続き入れられたものの、実質は規制改革会議の主張が実現されたものと言えます。
この新しい制度を含む派遣法の改正は平成26年3月の国会に提案され、公明党の動き、塩崎厚労大臣の答弁などのため紛糾しますが、平成27年9月に可決します。規制改革会議の要望が実現されました。
(詳細は「労働者派遣のル−ルはどう変わるのか」参照)。
規制改革会議が目論んだ雇用分野での3つの改革の、残る一つは、企画業務型裁量労働制等の労働時間法制の見直しです。これについては労働政策審議会労働条件分科会で「今後の労働時間法制の在り方について」というテーマのもと議論されました。使用者側委員から高度プロフェッショナル制度と企画業務型裁量労働の拡大と手続き簡素化が提案され、それを含めた事務局(厚労省)の報告書たたき台が作られ、それをベースに議論されます。結局、労働者側委員が反対するなか、事務局と公益委員の主導において、労働者側委員の反対意見が付記された形で、高度プロフェッショナル制度と企画業務型裁量労働の拡大を提案する報告書が提出されます(平成27年2月13日)。派遣法改正の時のような規制改革会議のあからさまな干渉は無かった模様です。官邸等の意向に沿った方向に厚労省のリードで報告書をまとめたとみるべきでしょう。
労働政策審議会の報告書を受けて企画業務型裁量労働の拡大と高度プロフェッショナル制度の創設を含む労働基準法改正案が平成27年4月3日に第189回通常国会に提出されます。この時は高度プロフェッショナル制度の方が問題視され「残業代ゼロ法案」としていろんな方面から批判を浴びます。安保関連法制に時間がとられたこともあり成立しませんでした。翌年の190回通常国会では審議入りさえせず、このまま終わってしまうのかとも思われました。
(詳細は「平成27年4月の労働基準法改正案について」参照)
平成28年9月に官邸に「働き方改革実現会議」なる会議が設けられ、そこで平成29年3月に「働き方改革実行計画」が作られます。そこにおいて同一労働同一賃金による非正規労働者の待遇改善、長時間労働の是正が謳われます。この中で「意欲と能力ある労働者の自己実現の支援」という名目のもと「高度プロフェッショナル制度の創設や企画業務型裁量労働制の見直しなどの多様で柔軟な働き方の実現に関する法改正である。この法改正について、国会での早期成立を図る。」とあたかもそれが労働者のことを考えた政策であるかのような衣を付けられて、たな晒しの改正案の早期成立を図ることが盛り込まれています。
ここにおいて、企業経営改善のための規制改革を源とし、労働政策審議会では労働者側委員に強く反対されていた企画業務型裁量労働の拡大と高度プロフェッショナル制度の創設が、長時間労働是正、同一労働同一賃金と一緒くたにされて働き方改革として扱われることになります。議事録を見ると、金子フューチャー株式会社CEOという人が再三、長時間労働の規制とセットでの導入を要求し、高橋日本総合研究所理事長が賛成意見を述べ、それらに世耕経産大臣がトータルパッケージで進めていくと回答、神津連合会長が反対、他の委員は全く言及なしという中で、先ほどの報告書になったようです。
この後、連合、神津会長が平成27年4月の労働基準法改正案について、修正を条件に高度プロフェッショナル制度、企画型裁量労働拡大を容認するかのような動きを示し、騒ぎになりました。これは結局連合内部からの猛反対で撤回されました。政府は、政労使会談で合意を取り、早期の法案成立を目論んでいたのでしょうがうまく行きませんでした。
厚労省は「働き方改革実行計画」に沿って、全てをいっしょくたにした「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案」の法案要綱を平成29年9月8日に労働政策審議会労働条件分科会に諮問します。労働政策審議会は一週間後の9月15日に、概ね妥当という答申を、例によって労働者側委員の反対意見を付記したうえで、行います。内容は平成27年改正案に対する批判や、連合会長の意見に配慮したものに改正はされていますが、企画業務型裁量労働の営業や生産現場への対象大幅拡大、高度プロフェッショナル制度の創設という本質は変わっていません。
(法案概要についての詳細は「平成30年国会提出予定の労働基準法等の改正案」参照)
前節の記事で分かるように、平成25年の規制改革会議において提案された、経済発展のために見直すべきとされた労働者保護のための規制緩和を、着々と実現、あるいは実現しようとして努力してきたのが、安倍政権下における労働政策ということができます。
企画業務型裁量労働制の拡大も、規制改革会議において提案されたものであり、高度プロフェッショナル制度も同会議の労働時間規制に関する適用除外の見直しということに端を発していると言えます。それを具体化しまた法案の成立を図るため様々に外観の粉飾をしてきたにすぎません。労働政策審議会をはじめ、「働き方改革実現会議」等においても常に企業側から提案され、一貫して労働側は反対してきたといって良いものです。どんなに労働者のためであるかのように装っても、企業経営のみを考えたものであるのは間違いないのです。
勿論企業経営を考えて、制度を変えることは悪いことではありません。その際に労働者側への影響はどうなるのかを正しく誠実に評価し、結論を出すべきなのです。問題は、産業振興にのみ前のめりで、労働者の保護については打ち壊すべき岩盤規制としかとらえず、結論ありきで、当初の計画の達成を、手練手管を駆使して、強引に進める安倍政権の姿勢です。
今回、安倍首相が答弁に使用したいい加減なデータのため法案撤回まで追い込まれたわけですが、本来データのいい加減さなど政府側にはどうでも良いことだったのでしょう。結論は最初から(平成25年から)決まっており、データなど、説得のための言い訳でしかないからです。
いくら労働者側委員がデータや論理を積み重ねて反論しても、厚労省と分科会長(公益委員)のペースで答申がまとめられ、反対意見は付記されるだけという何の効果もないことに終わってしまう、現在の労働政策審議会の限界も改めて見せつけられるところです。
ここでは、多少想像を加えて、安倍政権は最終的にどのような労働状況を目指しているのかを検討してみます。安倍政権が目指すと言っても、安倍首相自身が具体的な労働状況の目標を持っていると思っているわけではありません。国が富むことを至上目標として、経済優先主義者のみをブレインとして重用する結果どのような労働状況になるかということです。そのブレインたちの目指すところと言っても良いです。
今回の企画業務型裁量労働の適用拡大、高度プロフェッショナル制度と長時間労働規制が一緒に提案されていることについて、長時間労働規制を骨抜きにすることで経営側の理解を得たいからだという解説も観ました。確かにそういう面もあるでしょう。また長時間労働規制と一緒にすることで、労働者側の反対の強い法案を通したいという面もあるでしょう。
しかし、生産ラインで物を作るような単純労働者に裁量労働や高度プロフェッショナル制度が適用されることはありません。また今回の改正には派遣労働者や期間契約労働者の均等待遇を定める改正も含まれています。つまりどうも本気で労働者の労働条件を改善するつもりもあると思われるのです。何故でしょうか。
これは働きやすい環境を整えることにより、女性、および高齢者の労働力率を高めたいということなのだろうと思います。その目的は一つは少子高齢化による労働力減少に対応すること。もう一つは共働きと年金受給者は給与を低く抑えても問題が無いということです。方働きの場合一人に家庭を支えるだけの給与を支払うことが必要でした。しかし共働きであればその半分の給与で家庭は成立します。別な言い方をすれば同じ給与で二人分の労働力を得ることができるということです。これらの人々は雇用の調整弁にもなります。そのために特定の業務に永遠に派遣を割り当てることができるように派遣法は改正されました。解雇ルールの緩和には今のところ成功していないようですが、共働きや高齢者の場合、解雇に対する抵抗も少ないという思惑もあるのではないでしょうか。
一方、高給を取るブレインとなる人たちには、労働時間制限がなく、働けるだけ働いてもらいたいわけです。また高給と言っても無暗に賃金が高くなるのも困る。そのために裁量労働制の拡大や高度プロフェッショナル制度の導入があります。
つまり目指しているのは、高給をとり制限なしの長時間労働をする一部の労働者と、労働時間法制に守られているが低賃金で働き雇用の調整弁になるたくさんの労働者、そういう労働状況ではないでしょうか。
これは労働者が2極化するということです。低賃金で働かされる労働者も、高賃金だがワークライフバランスが崩れた労働者もどちらも幸福ではありません。またこのような格差社会は不満があふれる社会となります。
企画業務型裁量労働の拡大は分離されることになったようです。これでしばらくは実現困難となるでしょう。一方で高度プロフェッショナル制度は残っています。これらの今後の成り行きについて不断に注視していくことが必要に思われます。
初稿 | 2018/3/2 |