解雇特区構想は消えたのか

特定秘密保護法が喧噪のうちに成立した平成25年12月6日の翌日、12月7日に「国家戦略特別区域法」が成立しました。成立法では「解雇特区」等批判された雇用特区は一見内容が大幅に後退したものとなりました。しかしこれで雇用特区は無くなったと安心してよいのでしょうか。どうもそうは言えないばかりか、特区に限らず雇用規制に影響を与えようとする意図が見えるように思います。

  1. 国家戦略特区法の雇用関係部分
  2. もともとの狙いはどうだったのか
  3. 果たして雇用特区構想は消え去ったのか

補足1:頑張れ東京都

補足2:「専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法」について

1.国家戦略特区法の雇用関係部分

国家戦略特別区域法の中で雇用規制改革に関して決められている主なことは以下だけのようです。

ここで国家戦略特別区域諮問会議とは内閣府に設置され、区域の設定や基本方針、区域における基本方針・実施計画、その他重要事項について諮問に関する答申や建議を行う会議です。国家戦略特別区域会議は特区毎に置かれ区域計画の作成や実施に当たり必要な協議を行います。(イメージ)。

具体的なイメージは法案の元になったと思われる「国家戦略特区における規制改革事項の検討方針」(日本経済再生本部、平成25年10月18日)にあります。

(1) 雇用条件の明確化
・ 新規開業直後の企業及びグローバル企業等が、我が国の雇用 ルールを的確に理解し、予見可能性を高めることにより、紛争を生 じることなく事業展開することが容易となるよう、「雇用労働相談セ ンター(仮称)」を設置する。
・ また、裁判例の分析・類型化による「雇用ガイドライン」を活用し、 個別労働関係紛争の未然防止、予見可能性の向上を図る。
---以下略---
(2) 有期雇用の特例
・ 例えば、これからオリンピックまでのプロジェクトを実施する企業 が、7年間限定で更新する代わりに無期転換権を発生させることな く高い待遇を提示し優秀な人材を集めることは、現行制度上はでき ない。
・ したがって、新規開業直後の企業やグローバル企業をはじめと する企業等の中で重要かつ時限的な事業に従事している有期労 働者であって、「高度な専門的知識等を有している者」で「比較的高 収入を得ている者」などを対象に、無期転換申込権発生までの期 間の在り方、その際に労働契約が適切に行われるための必要な 措置等について、全国規模の規制改革として労働政策審議会にお いて早急に検討を行い、その結果を踏まえ、平成26年通常国会に 所要の法案を提出する。

これにより法37条は「雇用ルールの明確化」であり、それは「雇用ガイドライン」の作成により行い、その運用を「雇用労働相談センター」なる組織で行うということだということが分かります。また法附則2条は有期契約の無期転換権( 「規制改革会議と労働者の保護規定」を参照ください)を一部労働者に発生さえないための措置を全国規模で検討、実施する。とのことのようです。

これだけ見ると、判例等の分析で現在の雇用ルールを明確にし、また高度な専門知識を必要とする業務で無期契約転換権を制限するということだけで、特に問題はないように見えます。事実首相官邸のホームページでは

グローバル企業や新規企業が躊躇することなく事業実施に必要な人員を雇いやすくすることで、雇用の拡大を目指すのが検討中の雇用改革であり、「解雇特区」や「ブラック企業特区」というのは事実誤認です。

と、批判された「解雇特区」等ではないことを強調しています。しかし本当でしょうか。

2.もともとの狙いはどうだったのか

雇用特区が何故、一時期批判を浴びたのでしょうか。前出の「国家戦略特区における規制改革事項の検討方針」(日本経済再生本部、平成25年10月18日)は、少なくとも雇用部分に関しては、国家戦略特区ワーキンググループの報告そのままです。国家戦略特区ワーキンググループはそのホームページによると例の産業競争力会議の提案を受け官邸が設置したものです。このワーキンググループの9月20日時点での意見が第1回産業競争力会議課題別会合「国家戦略特区WG 規制改革提案に関する現時点での検討状況」として提出されました。雇用分野については別紙2にあります。次のような提案となっています。

  1. 労働者側から5年を超えた際の無期転換の権利を放棄することを認める。(労働契約法18条の修正)
  2. 契約締結時に解雇の要件・手続きを明確化し、契約条項に基づく解雇を有効とする。(労働契約法16条の修正)
  3. 労働者が希望する場合、労働時間・休日・深夜労働の規制を外すことを認める。(労働基準法41条の修正)

労働法を少しでも学んだことがある人間であればこれらがいかに無茶苦茶な提案か分かります。労働者は事業主に対して弱い立場です。”こういう条件だったら雇ってあげるよ”と言われた場合、その条件に不満であっても渋々飲まざるを得ない場合が多いでしょう。そのように合意を強制されないように労働基準法を始め労働関係法の多くは、たとえ当事者の合意があっても反することは許されない強行法規となっています。提案には「特区内の労働基準監督署を体制強化し、労働者保護を欠くことのないよう万全を期す。」とありますが、一件一件の労働契約を綿密にチェックでもしない限り労働者の不利益を防ぐことはできません。この提案は「解雇特区」「ブラック企業特区」そのものと言えます。ワーキンググループの委員は企業経営者と経済や理系の大学教授ばかりで労働法に詳しい人間はいないようです。それにしても社会常識が無さすぎると言えるでしょう。

前記「検討状況」には厚労省の反対見解も合わせてのせられていますが、マスコミや各方面からも多くの批判が寄せられます。日本弁護士連合会の雇用に関する戦略特区構想に反対する会長声明や全国社会保険労務士連合会の会長声明は、”偏った構成で雇用規制の緩和を議論すること自体が不公正”、”労働基準法、労働契約法の例外措置を定めるという極めて重要な提案が、三者同数の構成によらない審議会において短期間に法案化されようとしていることは極めて異常な事態”等強い表現で批判しています。

批判の集中砲火を受けて、法改正を伴う露骨な雇用特区構想は引込めざるを得なくなり、その結果が第1節の国家戦略特区法の内容となりました。”「解雇特区」や「ブラック企業特区」というのは事実誤認です”などと大威張りで言えたものではないのです。

3.果たして雇用特区構想は消え去ったのか

それでは批判の結果雇用特区は消えたと安心して良いのでしょうか。そうとは言えない危ない状況にあると考えて良いように思います。マスコミ等は不断に成り行きを注視し必要なときは声を上げるようにして頂きたいものです。

雇用ガイドラインとは解雇ルールの明確化

まず雇用指針、あるいは「雇用ガイドライン」により明確にしなければならないルールとは何なのかを確認しておきます。雇用に当たってのルールは「労働基準法」「派遣法」等諸法令で詳細に定められており、解釈も主なところは確定していると言って良いでしょう。海外の企業等に分かりやすく説明するため冊子等にまとめることは必要かも分かりませんが、それは厚労省の官僚が業務としてやれる範囲のことです。わざわざ法律で諮問会議の意見を聴きながら作成するなどと定める性質のものではありません。

他にこまごましたものはあるかも分かりませんが、主たる対象は解雇に関わるルールに他ならないと思われます。いままでの規制改革会議や前出の特区WGの議論、報告書からもそう思われます。「解雇ルール」では刺激が強いから雇用指針などと言い換えているだけでしょう。どのような場合に解雇できるか、解雇容易にするためには雇用時にどのような条件をつければ良いか、それをガイドライン化するということでしょう。

雇用ガイドラインの影響力

ガイドラインはガイドラインに過ぎず法令ではないのだから別に心配する必要はないのではという考えもあるかも分かりません。

労働契約法では解雇について”客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は無効"とのみ定められています。それでは困るからどういう場合に解雇できるか条件を具体的にすべきというのが従来一部の経済優先論者の言い分です。両者には基にある考え方がそもそも違うように思います。労働契約法の考え方は解雇は原則いけない、しかし解雇以外に方法が無い場合はやむを得ないということです。これは一見曖昧なようですが、経営者側の立場に立てば解雇を避けるべくぎりぎりまで努力してそれでももう手段が無いという位置に自分が立っているかどうかを自覚すれば良いことです。一方、条件の具体化を主張する方は、解雇できる場合、解雇できない場合を明確にして解雇できる場合はどんどん解雇しようということでしょう。解雇することが前提となっているのです。

解雇は原則いけないという立場に立てば、ガイドラインは安易な解雇を避けるための経営者への戒めになります。反対にできるだけ解雇を許そうという立場に立てば、どのような場合解雇ができるか、またそのためにはどの様な手立てを取っておけばよいかという、解雇のための指南書のようなものになるでしょう。判例についても拡大解釈し、解雇できる範囲をできるだけ広く取ろうとするに違いありません。

解雇がやむを得ないかどうかについて争いになったときは裁判で決着させることになります。ガイドラインを作るとそれが裁判に至る前の規範となります。 ガイドラインは性質上特に特区に限ったものとはならないでしょうから、広く運用され、やがて世の中の基準になる可能性があります。そうなったときにガイドラインの内容が裁判にさえ影響するかもわかりません。実態化させたうえで、法の変更を改めて行おうというのが今回の特区法のねらいではないかと私は疑っています。集団的自衛権と憲法の関係のように、労働基準法、労働契約法の変更は無理なようなので、まず運用で突破を図ろうというのではないかということです。

実際の動きと今後への不安

国家戦略特区法では雇用指針すなわち雇用ガイドラインは「国家戦略特別区域諮問会議」の意見を聴いて作成することとなっています。この会議の議員名簿をみると、政府関係者は議長の安倍首相の他麻生財務大臣他経済、規制改革関係の大臣ばかりで厚労大臣は含まれません。ただし法では”議長は、必要があると認めるときは”これらの大臣以外の大臣を”議案を限って、議員として、臨時に会議に参加させることができる”(33条第2項)となっているので、雇用指針作成の際に厚労大臣が参加するかどうかはまだ不明です。

政権の姿勢がより強く表れているのは5名の民間委員でしょう。八田大阪大学招聘教授は先ほど紹介した特区WGの座長です。また坂村(TRON)東大教授はその委員です。あとはBCGと小松製作所相談役、残りの一人は何と竹中平蔵元大臣です。雇用状況を現在のようにしてしまった張本人の一人でしょう。偏っているどころか全く一方的な人選です。
ウォール・ストリート・ジャーナルの記事 「戦略特区諮問会議はスピード感をもって行動を=竹中平蔵慶大教授」の一部を紹介します。

戦略特区法では、労働規制について過去の判例にのっとったガイドラインを設置することになったが、エコノミストらはもっと明確に、できれば法律で担保するよう求めている。竹中氏も同様の見方を示すとともに、「雇用のルールについて、条件付きでできるようになったので半歩くらい前進した。重要なのは特区の枠組みをフルに使って岩盤規制を崩していくこと。・【省略】」と語った。

安倍政権は自分の考えを通すのみ。他党・有識者の意見や世論でそれを変えることはない。反対勢力により、己の考えが貫けない状況が生じた場合、それを単に障害とみなし、いかに避けるか手練手管を尽くす。このごろ思っていることです。

雇用ガイドラインはその内容や運用について、マスコミや関係諸団体が厳しく監視していかないと、特区に留まらず日本の雇用全体をなし崩し的に一部の人間のみに都合いいよう変貌させかねないと考えます。

補足1:頑張れ東京都

国家戦略特区に指定された東京都が非協力という抵抗をしているようです(日経電子版「都の特区指定「全域目指すべき」 諮問会議が苦言」4/25「小粒すぎる東京特区、霞が関も驚く都官僚の逃げ腰」4/28(この記事は会員登録が必要))。特区を23区中9区に限り、雇用労働センター、無期契約転換権の制限、さらには混合診療に対しても消極的な態度を見せているようです。一方金融特区には積極的とのこと。舛添知事の学者としての見識、政治家としての良心に期待したいところです。同記事によると"「・・・質的・面的に特区を矮小(わいしょう)化しようとする動きだ」。舞台裏を知るある霞が関の官僚は都の姿勢に憤る。"とのことですが、ここでいう”官僚”は経産省系の官僚と思われ、厚労省の官僚は腹の中では東京都に喝采を送っているのではないでしょうか。八田、竹中等が圧力をかけているようですが、腰砕けにならず頑張ってほしいです。それにしても、この日経の記事の姿勢、経済新聞とはいえうんざりします。

補足の補足:舛添知事が自身の考えを現代ビジネスの舛添レポート(5月13日)で述べています。"労働や雇用などについて、思いつきで規制緩和しても、それは憲法にも国際条約にも違反し、マイナスのほうが大きくなる懸念がある。グローバル企業の経営者の声は、学者の机上の空論とは全く異なる。","国家戦略特区のために、都知事が存在しているわけではない。"正直、この人を見直しました。

補足2:「専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法」について

平成26年11月に「専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法」が可決され、平成27年4月1日より実施されます。これは国家戦略特区法附則2条で宣言された一部労働者に対する無期契約転換権の制限を実現したものです。
この法律によると次の者については有期契約の無期契約転換権が発生しません。

”専門的知識等を有する者”の基準は厚生労働大臣が定めることになっていて、まだ告示等は出ていないようです。ちなみに労働基準法第14条の5年までの有期契約が可能な”専門的知識等を有する者”についての告示(平成15年厚生労働省告示356号)においては、次のように定められています。

初稿2014/1/29
補足1追加2014/4/28
補足1加筆2014/5/14
補足2追加2015/2/14