平成27年4月3日に第189回通常国会に労働基準法改正案が提出されました。高度プロフェッショナル制度の創設や裁量労働制の対象拡大等重大な改正を含みます。これに対して、「残業代ゼロ制度」として、野党、労働界は勿論、日弁連も反対の会長声明を出し、マスコミも問題を指摘する論調の方が強いように思います。
本稿ではこの改正案の評価はさておいて、案文をやや詳しく検討して、どこをどう変えようとしているのか探りたいと思います。
法律の文章をそのまま検討することはできるのですが、それが実効上何を意図しているのか、どのような影響をもたらすのかを正確に見通すのは簡単ではありません。今のところ労働法の学者、労働法に強い弁護士等の意見や政府の見解等はほとんど見ておりません。従って、本稿の説明に見落としや検討不足がある可能性は大きいです。今後いろんな意見に触れる過程で修正していきたいと思います。
本文ではいちいち法律案にリンクをはりませんので必要に応じ以下を参照ください。
目次
話題の高度プロフェッショナル制度の前に、企画業務型裁量労働制の適用拡大を取り上げます。説明の都合上ですが、それだけでなくちょっと見で私にはこちらの方が問題が大きいようにも見えるからです。
企画業務型裁量労働制は次の労働者に対し、実際に労働した時間に関わらず、あらかじめ決めた一定の労働時間だけ働いたと算定する制度です。
事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析の業務であつて、当該業務の性質上これを適切に遂行するにはその遂行の方法を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要があるため、当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする業務
に就く
対象業務を適切に遂行するための知識、経験等を有する労働者
改正案では「イ 事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析の業務」に加え、次の2つを対象業務に含めようとしています。
ロ 事業の運営に関する事項について繰り返し、企画、立案、調査及び分析を行い、かつ、これらの 成果を活用し、当該事項の実施を管理するとともにその実施状況の評価を行う業務
ハ 法人である顧客の事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析を行い、かつ、 これらの成果を活用した商品の販売又は役務の提供に係る当該顧客との契約の締結の勧誘又は締結 を行う業務
今までの「イ」の表現ですと、企画部や市場調査部のようなところで中心的な仕事をする人というイメージを持ちます。実際に、この条文を説明した「労働基準法第38条の4第1項の規定により同項第1号の業務に従事する労働者の適正な労働条件の確保を図るための指針」(平11労働省告示149号、平15厚労省告示353号で改正)や「労働基準法の一部を改正する法律の施行について」(平15基発1022001号)を見るとおおよそそれで間違っていません。対象がかなり限定されるうえ、これらの告示、通達で該当する場合、該当しない場合の例が具体的に示されており拡大解釈を防いでいます。
しかし(ロ)はどうでしょうか、実施の管理、実施状況の評価まで入れると、かなり現場に近く対象が広がりそうです。(ハ)となるとちょっと広めに解釈すれば法人に対する提案型営業を行うものは全て入るようにも思えます。
これらの改正が成立した場合、前記の指針の改正が行われるでしょうが、かりにそれで縛りをかけたとしても、法律ではないので、法律の解釈として妥当あるいは説得力が無ければ効果は疑問です。効果があったとしても行政の都合で恣意的にコントロールされるという状態は不安です。高度プロフェッショナル制度の場合、後述のように法律上ある程度明確に対象が制限されており、それと比較した場合、この裁量労働制の拡大の方が問題が大きい可能性があると考えます。
企画業務型裁量労働制についてはもう一つ気になる法文上の改正があります。企画業務型裁量労働制を実施するためには労使委員会で決められた事項について決議をし(労基法38条の4第1項)、また労働時間の状況に応じた当該労働者の健康及び福祉を確保するための措置実施状況について「定期的に」行政官庁に報告しなければならない(同条第4項)とされています。この「定期的に」は現状6箇月以内ごとに一回とされています(労働基準法施行規則第24条の2の5、附則66条の2)。改正案では第4項からこの「定期的に」という語句が除かれています。これは後述の労働政策審議会の報告において「手続きの簡素化」の項目の下に1回目の後は書類の保存を義務付けるだけで良いとの主張に対応したものと思われます。もし、事業者の制度の使いやすさを狙ったものであるとすれば、今回の改正案提出において大きく謳われている長時間労働の抑制による労働者の健康確保と矛盾するものでしょう。
いわゆるホワイトカラー・エクゼンプションです。これは労使による委員会において一定のことについて決議し行政官庁に届け出た場合に、同意した労働者については労働時間、休憩、休日の規定、深夜の割増賃金の規定は適用しないというものです。前述の企画型裁量労働制等のみなし労働制は、一定の時間労働したとみなすということであり、一定の時間が法定労働時間を超えていれば割増賃金が発生し、また休憩、休日、深夜割増の規定については適用されます。本制度ではそもそも労働時間等に関する規定を適用しないというのです。
労使による委員会で決議しなければならないのは以下の事項とされています。
業務については「高度の専門的知識等を必要とし、その性質上従事した時間と従事して得た成果との関連性が通常高くないと認められるものとして厚生労働省令で定める業務」でなければならないとされています。
労働者は書面等により職務が明確に定められており、一年あたりの賃金が労働者の給与の平均額の3倍を相当程度上回る水準としとして厚生労働省令で定める額以上であることとされています。
有給休暇(年次休暇以外)の付与、健康診断等
対象労働者については、平成27年2月13日の労働政策審議会労働条件分科会の報告「今後の労働時間法制等の在り方について」
(労働者代表委員から制度の創設そのものに反対の意見があったことを併記)において、年収が”労働基準法第14 条に基づく告示の内容(1075 万円)を参考に、法案成立後、改めて審議会で検討の上、省令で規定”するのが適当とされています。また対象業務については"金融商品の開発業務、金融商品のディーリング業務、アナリストの業務(企業・市場等の高度な分析業務)、コンサルタントの業務(事業・業務の企画運営に関する高度な考案又は助言の業務)、研究開発業務等を念頭に、法案成立後、改めて審議会で検討の上、省令で適切に規定"するのが適当とされています。
改正案では「専門的知識等」は14条の定義と同じであることをわざわざ14条を改定して関係づけていますが、省令で定める対象まで14条と同じかは読み取れないように思います。この労政審の報告書からすると、少なくとも労政審は、14条の対象よりずっと狭い範囲を想定していいるように見えます。
労働基準法14条:有期労働契約は3年以下と定めているが、専門的知識等を有する他の要件で5年まで認められると定めている。
年収について、ただ省令によるというのではなく”労働者の給与の平均額の3倍を相当程度上回る水準”と法律の案文に書き込まれたのはある程度評価できると思います。省令は法律ではないので簡単に書き換えられるからです。年収が1,000万円程度を超え、かつもともと時間規制の適用除外(ただし休憩、休日、深夜は適用)である管理監督者ではない人間というとかなり限定されることになり、労働環境にすぐには大きな影響はないように思われます。
しかし、前節で説明した企画業務型裁量労働制は平成12年に導入されたあと、平成16年の法改正で要件が緩和され、今度の改正案でさらに適用拡大が図られているわけです。また派遣法も導入されてから法改正により適用拡大が進められています。この高度プロフェッショナル制度についても、定着に応じて、適用を拡大する法改正が段階的に行わる可能性は高いと考えるべきでしょう。本制度の導入に反対している人々や団体は、おそらくその理由から、制度そのものの導入を阻止すべきであると考えているのだと思います。
フレックスタイム制を現在よりも弾力的に運用する改正案もあります。
フレックスタイム制は、始業・終業の時間を自身の決定に委ねる労働者については、労使協定を結ぶことで、清算期間を平均して週40時間以内であれば法定労働時間の制限が無いというものです。現行法では清算期間は一か月以内の期間に限るとされています。清算期間を平均して週40時間を超えるような労働や法定休日における労働に対しては割増賃金の支払いが必要になります。
改正案では清算期間を”三箇月以内の期間に限る”としています。つまり3か月と決めた場合、そのうちの特定の月の週平均が50時間でも良いし、割増賃金も発生しないというのです。そのうえで、次のような規定を定めています。
1節で示した労働時間の増大につながりかねない改正案と共に、長時間労働の抑制を謳った改正もあります。 大まかなところ、労働時間規制の緩和が大企業向け、一方、長時間労働抑制策は中小企業に対してのものに見え、ちぐはぐな感じがします。
労基法37条第1項ただし書きにより、法定時間外労働が月60時間を超えた場合、超えた時間についての割増率は50%以上となります(60時間以内なら25%以上)。ただし附則138条により中小企業(資本金3億円以下または従業員300人以下等。小売り、サービス業はもっと小さい)は当分の間適用猶予とされていました。この附則が廃止され、中小企業にも適用されるようになります。ただしこの改正のみ実施は平成31年4月1日からとされています。
年次休暇のうち5日は使用者が時季を定めて(強制的に)取得させなければならないとしています(39条第7項)。ただし本人が自分で取得した日数や計画的付与(夏季の一斉取得等)で与えた分は除く(8項)ということなので、年休を5日取得していない労働者に最低5日は強制的に取らせるということでしょう。大企業はある程度年休も取りやすい環境にあり、計画的付与も対応している場合が多いでしょうからあまり影響は無いように感じます。
前項の助言及び指導を行うに当たつては、労働者の健康が確保されるよう特に配慮しなければならない。
今回の改正で労使の委員会が2つ定義されることになりますが、どのような関係を想定しているのか良くわかりません。今後おいおい明らかになっていくのでしょうが、とりあえず不明点を書いておきます。
現行法では労使委員会は裁量労働制についての第38条の4において
賃金、労働時間その他の当該事業場における労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に対し当該事項について意見を述べることを目的とする委員会(使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とするものに限る。)
と言及さられていて、決議は5分の4以上の多数決でなされます。
この委員会の5分の4以上の決議は裁量労働制の導入以外に、社内預金等や賃金の一部控除以外の労使協定を代替することができることが定められています(38条の4第5項)
改正案で高度プロフェッショナル制度の導入においても全く同じ表現の「賃金、労働時間その他の当該事業場における労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に対し当該事項について意見を述べることを目的とする委員会(使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とするものに限る。)」において5分の4以上の多数決が必要とされています。しかし両労使委員会が同じとはどこにも定められておりませんし、こちらの委員会には労使協定の代替決議の権限も定められていません。労使委員会というものが一つあって、それが企画業務型裁量労働の決議や高度プロフェッショナル制度の決議を行い、労使協定の代替権限については38条の4の方で定められているということなのか、そもそも違う委員会なのか、良くわかりません。
全く同じ労使協定の代替決議をできる委員会はもう一つあります。労働時間等の設定の改善に関する特別措置法(労働時間設定改善法)の第6条、第7条に定められている「労働時間等設定改善委員会」です。今回の改正ではこの第7条の改正も提案されています。第2項に一定の要件を満たす衛生委員会を「労働時間等設定改善委員会」とみなすことができるという、労組がない中小企業にとっては便利な規定があったのですが、それがそっくり廃止になっています。
また第7条の2として、労使協定が結ばれ、要件を満たすときは企業に一つの労働時間等設定改善委員会において年次有給休暇の計画的付与等について決議することができるという規定が追加されています。これについては厚労省の「労働基準法等の一部を改正する法律案の概要」では企業全体で”一の労働時間等設定改善企業委員会の決議をもって、年次有給休暇の計画的付与等に係る労使協定に代えることができる”として年休の取得促進策として上げられています。この企業全体で一つの委員会では他に年次有給休暇の時間単位取得、時間外労働60時間超の場合の代替休暇の代替決議ができることになっています。
安保関連法案に時間を取られ、本法案は第189回国会では成立しませんでした。衆議院で閉会中審査(継続審議)ということになっていますので、次回国会で改めて審議されるようです。
平成28年度6月1日に閉会した大190回通常国会では、審議入りさえせず、そのまま継続審議になったようです。
政府は時間外労働の規制のための改正と抱き合わせで審議、成立させようということを目論んでいるようです。「時間外労働の規制はどうなるか〜労働政策審議会の報告」を参照ください。
初稿 | 2015/4/21 |
題名変更 | 2015/4/27 |
補足追加 | 2015/11/2 |
補足追加 | 2016/6/22 |
補足追加 | 2016/8/9 |
修正 | 2017/12/15 |
●労働時間設定改善法の解釈誤り |