規制改革会議の答申を受け、政府は規制改革実施計画において「多様な正社員」モデルと称してジョブ型正社員(限定正社員)の"普及・促進"を図ることを宣言しています。具体的には閣議決定(「日本再興戦略」-Japan is back)に基づき"「多様な正社員」の普及・拡大ため有識者懇談会"というのが平成25年9月から開催されていて平成26年8月以降に報告書を出すことになっています。しかしながらこの限定正社員というもの、よく調べると何を意味するものか不明な点が多いです。その普及・促進というのはいったい何をすることなのかさっぱり分かりません。旗を振っている人たちが本当は何を目指しているのか胡散臭く思えてしまいます。
限定正社員とは何でしょうか。これは規制改革会議の最終答申ではジョブ型正社員という名称で次のように書かれています。
日本の正社員は、(1)無期雇用、(2)フルタイム、(3)直接雇用、といっ た特徴を持つだけでなく、職務、勤務地、労働時間(残業)が限定されてい ないという傾向が欧米に比べても顕著であり、「無限定」社員となっている。 そのため、職務、勤務地、労働時間が特定されている正社員、つまり、「ジョ ブ型正社員」を増やすことが、正社員一人一人のワークライフバランスや能 力を高め、多様な視点を持った労働者が貢献する経営(ダイバーシティ・マ ネジメント)を促進することとなり、労使双方にとって有益であると考える。 これらを実現させるために、正社員改革の第一歩として、ジョブ型正社員に 関する雇用ルールの整備を行うべきである。
すなわち、職務、勤務地、労働時間のどれかが限定されている正社員ということです。一般の正社員はこれらが全て限定されていない「無限定」正社員であるとして、それと対比して用いているようです。なおジョブ型正社員、限定正社員、多様な正社員、以上は政府文書、関連委員会、懇談会ではすべて同じ意味で用いられています。先日、TBSの「ウェークアップ!ぷらす」という番組で限定正社員の問題を取り上げていました。労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎という出席者の一人が普及・促進を図る立場から、職務が限定されることが良いことであり、その意味で限定正社員という言葉よりジョブ型正社員を好むという趣旨の発言をしておりました。このような用語の混乱は危険です。専門家になりたい→一定の職務をしたい→ジョブ型正社員は良い制度である。とジョブ型正社員に賛成することが限定正社員全体に賛成することにすり替わってしまいます。濱口氏が意図的だったとは思いませんが、普及・促進派は今後このような意味論的ごまかしをどんどん仕掛けてくることが考えられます。
「限定」であることで一般には、「無限定」社員よりも給料が安いことになります。そんなことはない専門家なのだから高い給料をもらう場合もあるという趣旨で、先ほどのTBSの番組出席者のジョブ型正社員についての発言が為されたと記憶していますが、専門性を高く評価して高給で雇うのと、雇用契約時にかれこれの仕事しかしないと限定するのは本来関係ありません。
賃金と共に、問題になるのは解雇です。その職務が不要になった、勤務地での仕事がなくなったというような場合は簡単に解雇されてしまうのではないかという点です。限定正社員を推進しようとする目的は解雇の容易な正社員を作ることではないかという疑いを持っている人は多いと思います。
規制改革会議、規制改革実施計画については別稿「雇用の規制改革は結局どうなるのか〜日本衰退への道、規制改革会議の答申〜」を参照ください。
それでは、政府をはじめ、限定正社員の普及・促進を進めたい人たちは、その理由を、なんと言っているのでしょうか。先ほど引用した規制改革会議の答申の文は抽象的で良くわかりません。規制改革会議の雇用ワーキンググループで座長を務めた鶴光太郎慶應義塾大学教授(元経済企画庁や経済産業研究所等勤務)の「なぜ、限定正社員の普及が必要なのか」(月刊社労士2013年10月号)から目的について述べている部分を抽出します。
なお、鶴氏が「私見を交えながら」論じると述べている点にはご留意ください。またできるだけ正しく要約するつもりですが、私個人による要約でありますのであくまでも私が考える、推進派の意見ということでご理解ください。
無限定正社員の問題点
限定正社員のメリット
私と同様サラリーマン経験が長い方は読んでいて疑問を感じる項目が多いのではないかと思います。現実には存在しない仮想「無限定正社員」なるものを設定し、いろんな問題の原因をそれに帰着させたうえで机上で空論を組み立てている気がするのですがどうでしょう。
先ほどのTBSの番組で濱口氏の意見にもこれ以上の話はなかったと思います。他に派遣ユニオン書記長の関根秀一郎氏が出ていて反対の立場から的確な意見を述べられていて、番組全体としてはバランスが取れていました。しかしながらもう一人のゲスト宣伝会議編集室長の田中里沙という方が働き方の選択肢が増えるという全面賛成のようなコメントを述べられていて、現状や現制度をあまり知らない方には意外に良く映るのかと心配になりました。
机上の空論にしか感じられない理由は以下が疑問点、少なくとももっと慎重に検討されるべき点であると考えるからです。
また「経済メカニズムに応じた労働移動・再配分」に対し「雇用の安定」あるいは「職務限定の専門家であること」は多くの場合矛盾すると思われ、この点も説明が必要と思います。
以下、「限定正社員」について何が変か、という点について述べます。 前述のとおり"「多様な正社員」の普及・拡大のための有識者懇談会"という会議が9月7日から既に3回開催されています。議事録、配布資料が公開されているのはまだ第一回のみですが、その議事録を見ると委員の方々の多くも同様の疑問、とまどいを感じているように見えます。
労働者の職務、勤務地、労働時間を限定することに対し、禁止、制限、あるいは特別扱いするような規定は法令上見当たりません。職務や就業場所、労働時間、残業の有無は労働契約時に決める労働条件です。すなわち、例えば残業がある社員と、残業が無いが給料は多少低い社員などを区別して募集したり、やとったりすることは全く違法でありません。
違法じゃないのですから、職務、勤務地、労働時間を限定した社員というのは既に存在します。前述の懇談会では資料として平成24年3月29日の厚労省の「「多様な形態による正社員」に関する研究会報告書」の概要」や平成22年8月の(独)労働政策研究・研修機構の「多様な就業形態に関する実態調査の概要」が提出されています。前者によると約5割の企業で導入されており、内容は職務限定9割、勤務地限定4割、労働時間限定:1〜2割(会社数)。賃金についてはいわゆる正社員の8〜9割だそうです。
調査対象企業は正社員数300人以上の企業11,170社。有効回答数1,987社。
法的に制限もなく、既に多くの企業で必要に応じ導入されているものを、なぜ今改めて「限定正社員」等と名付けて持ち出すのでしょうか。限定正社員に関する疑問その一です。限定正社員について何が必要と言っているか改めて確認してみると次の通りです。
まず普及・促進を政府が音頭を取ってやらなければならない理由がわかりませんが、仮にそれを認めるとして、そのために「雇用管理上の留意点」を取りまとめるのは分かるとして、「雇用ルールの整備」とは一体なんでしょうか。うさんくささ、きな臭さを感じる理由です。懇談会での委員の意見から紹介します。
神林委員(一橋大准教授)
多様な正社員というのは、先ほど来、何回か話に出てきておりますが、事実上存在するということは広く認められていると思います。これは、現在だけの問題ではなくて、昔から事実上存在してきて、現在ですとそれを表現する言葉で正規と非正規という2種類の言葉を使っているから二極化という話になっているだけであって、実態は物すごく多様化しているということは事実だと思います。なので、なぜ今こういうお話をしなければいけないのかと、昔からずっとあることを今なぜこういう話をしなければいけないのかということはきちんと明確にしたほうがいいのではないかと考えています。
黒田委員(早大准教授)
正規の中でいろいろ多様な働き方をつくっていく必要があるのではないかということについては、既にもうここで幾つもお話が出ていたように、事実上は結構あるという中で、これ以上政策として何か民間に働きかけてもっとつくっていくということが果たして必要なのかどうかということも議論する必要があるかと思います。
櫻庭委員(神戸大学准教授)
私はこれまでこのような多様な正社員に関する検討にかかわったことがなかったものですから、余計にこの多様な正社員というのをなぜ推進しなくてはいけないのかなという、その目的が何なのかということが、まず気になりました。
規制改革会議雇用WG報告書では”「職務等限定正社員」、いわゆるジョブ型正社員”という記述があります。また前出の閣議決定(日本再興戦略)では”職務等に着目した「多様な正社員」モデルの普及・促進”となっています。限定正社員の代表例として職務限定であることをイメージづけようとしているようにも見えます。しかし職務限定ということは一体何を指すのでしょうか。
技術職、事務職というのは職務の分類なのでしょうか。それともAという機械の組み立て、とかBというプログラムの保守とかまで細かいのでしょうか。店頭販売、営業等はどうでしょう。また限定とはなんでしょうか。これこれの仕事しかしないという契約を結び、それ以外の仕事はしない、仕事がなくなったら退職するという厳密なものなのでしょうか。どのような粒度で職務を考えるか限定がどれくらい強いかで効果が全く違ってくるように思います。大まかであまり限定性が強くない場合、現在の多くの正社員の実態と違わないでしょう。また粒度が細かくなるほど、また限定が強くなるほど、例えばAの仕事をしていたがBのほうに適正がありそうだとか、Aの仕事にはBの仕事の知識を持っている人に加わってもらったほうが良い等の個人にとっても会社にとっても最適化となる動きを阻害しそうです。またいわゆる専門バカになり世の中の流れについていけなくなる等雇用の安定にも問題があります。
職務限定ということばを私が理解していないということではないようです。懇談会の議事録から引用します。自明なことではないことが分かります。
今野座長(学習院大教授)
今おっしゃられた、私も前からこの職種面の限定というので、いつもこれはどうなるのだろうかと思うことがありまして、普通大企業の場合だと社員区分で生産系、技術系、事務系でいわゆる総合職の人となっているけれども、これ職種限定ですかね。 つまり、職種限定といったときに、職種はくくり方などは物すごく多様で広くとっている。でも、それも考えてみれば職種限定で、それが就業規則に書いてあるかどうかはわかりませんが、一応社員区分上は事務系、技術系、生産系と区分しているとすると、既に職種限定でやっているぞということにもなるような。そうすると、職種限定正社員とかジョブ型正社員というときのジョブとか職種って何考えているのだろうかというので、みんな理解が違うのではないかというふうにちょっと思ったものですから。
また職務限定として労働契約を結んだ場合、その職務が不要になった、あるいはその職務に当人が不要になったという場合、実質上解雇になるか邪魔にされ不幸になるだけでしょう。職務限定でなければ配置転換という選択肢があり、どうしても嫌なら退職すれば良いのです。職務限定であるメリットとしては自己都合退職が会社都合退職になるくらいしか思い浮かびません。
勤務地限定というのは転勤がないことだと思います。一社屋だけの中小企業にはもともと転勤があり得ません。また大企業でも工場の現地で採用した人等の場合は転勤させないことに最大限考慮を払ってくれるはずです。絶対に転勤が嫌という場合は転勤がない企業に就職すれば良いのです。一般の正社員でも転勤が困難な個人の事情があれば、それを全く無視するような企業は多くないと思います。勤務地限定の場合、その勤務地に職が無くなれば解雇されやすくなることが考えられ、退職の他転勤というオプションを持って会社と相談できる方が多くの場合良いでしょう。勤務地限定社員ということを必要以上に普及・拡大することの労働者本人にとってのメリットはあまり考えられません。
労働時間限定社員は子育て、介護、その他ライフスタイルに合わせて働けるのがメリットであるというのが、推進派の一つの主張であるように見えます。いわゆるワークライフバランスです。職業と家庭の両立についてはすでに幾つかの法律で謳われています。「労働契約法」「育児介護休業法」「次世代育成支援対策推進法」等です。前出のウェークアップ!プラスでは子育てしながら仕事をするために限定正社員を選択した女性の例が紹介されていました。就職先の会社にそのような制度があり自分で選択できるのは結構なことです。しかしながら、限定正社員という制度がないと子育てと仕事が両立できないかというとそんなことはありません。
育児介護休業法では3歳未満の子を養育する労働者については、その請求や申し出により、所定時間外労働をさせてはならず(16条の8)、また所定労働時間を6時間に短縮しなければなりません(23条、施行規則34条)。また小学校就学前の子の養育時は、これも請求により時間外労働を月24時間に制限しなければならず(17条)、また深夜労働をさせてはなりません(19条)。以上は義務ですが、小学校前の子の養育時は所定労働時間の短縮等が努力義務になっています。介護をしている労働者についても同様の規定があります。
うちの会社には育児休業の制度が無いなどという発言が聞かれる実情です(いうまでもなく会社に制度があるかどうかという問題ではなく、どの会社にも育児休業、介護休業が法律で義務付けられています)。以上のような仕組みを知らないという人も多いのではないでしょうか。このような規定を周知させ、実施を普及させることにより、労働者だれでもワークライフバランスを保てるようにすべきでしょう。不足があれば法律を改正すればよい。子育て・介護と労働を両立するために限定正社員を設けるなどというのは政府が言うべきことではありません。
フルタイムで働きたくないという人には、短時間労働者(パートタイム)という選択もあります。パートタイム労働法には、一般の労働者と同様の仕事をする短時間労働者を賃金や福利厚生等の待遇で差別してはならないという規定もあります(8条)。政府がすべきことはこのような規定の周知徹底を含めた短時間労働者の待遇改善であるはずです。
正社員の残業が異常に多い。ブラック企業につながりやすい。等の理由に至っては何をかいわんやです。さっさと、取り締まれば良いでしょう。
前節で明らかになったのは、法令上の制限もなく、すでに必要に応じて多くの企業で導入されているのに、意味不明や不適当としか思えない理由をこじつけてまで、なぜ「限定正社員」なるものを推進しようとするのかという疑問です。
ここでやや長文になりますが、規制改革会議雇用ワーキンググループの議事概要から鶴光太郎座長の発言を引用します。
最初の2つの視点でございますけれども、まず一つ目の大きな柱が「正社員改革」と呼 ばれるものです。ここは大きく2つに分けまして、ここには解雇ルールの在り方というこ とと、労働時間規制の見直しということを書いています。
議論のポイントというところを先に御覧いただきたいのですけれども、正社員改革とい うのは一体何を考えているかということですが、一つは正社員とは何ぞやという、やや本 質論にも結びつくのですが、3つ正社員のポイントがあると思っています。
1番目は「無限定社員」という言い方があります。無限定社員というのはなかなか聞き 慣れない言葉で、一体何だろうと思われる方もいらっしゃると思うのですが、日本の正社 員というのは、その後に出てきます無期雇用であるとか、フルタイムであるということ以 外に、将来自分の職種が例えばどのような仕事をやるのかということが必ずしも確定され ていない。どこかに転勤する可能性もある。勤務地が確定されているわけでもない。労働 時間においても、あるとき突然残業を命令されれば、それをやらなければいけない。そう いうものが必ずしも限定されていないという意味で「無限定社員」ということでございま す。
もう一つは、先ほど申し上げたように、2番目の視点として無期雇用です。雇用の契約 期間が制限されていない。この中に、当然フルタイムであるとか、直接雇用であるとか、 そういうことももちろん一体化しての通常の正社員のイメージです。
3番目が、こうした正社員において解雇ということになりますと、解雇権濫用法理とい う解雇ルールが日本の場合はあって、それに適用されていく。
実は、この3つの要素というのは非常に補完関係が強くて、正社員をどうにかしたい、 少し変えたいというところの3つが非常に絡み合って、なかなか改革ができないというの がこれまでの状況だということなのです。
その一つ一つの要素のどこから議論を始めるのか。突破口としていったらいいのかとい うことで、まず、無限定社員というところで入るのであれば、いかに今の無限定社員を限 定化していくのか。これは地域・職務限定型社員というものをむしろ作って、正社員とい うのをより多様化していこう。これは規制改革以外にも、政府の様々な他の会議でも既に 議論はされていますし、これまでも議論されている。どういう雇用ルールを作ったらいい だろうか。それが1点ございます。
それから、期間が定まらない雇用ということを考えていった場合、そこを少し変えてい くということになりますとどういうことがあるのだろうか。例えばこれも正社員がある意 味では限定化ということにつながるわけですが、最初は少しこの人は本当に正社員になれ るかどうかということを見るための期間。それが有期雇用なのか、試用期間なのか、そこ はいろいろな制度によって異なると思いますが、そこでしっかりその人ができると思えば、 正社員に転換していくような仕組み。そういうものをどう考えていったらいいか。
最後に、解雇ルールの議論ということになりますと、特に経済的な理由による解雇とい うことでございますと、これはまた別に整理解雇四要件という議論が追加されてきます。 それから、もっと全体の解雇ルールとかを考えますと、解雇補償金制度。これはヨーロ ッパで非常に標準的な仕組みになっていますが、そういうものをどう考えるかという議論 がございます。
これから分かることは、「限定正社員」というのは解雇ルールのあり方というコンテクストの中で出てきていることであること、「限定正社員」というのは正社員という解雇が困難な身分を壊す突破口として提案されたものであるということです。
本音を隠して、無理に理由をこじつけるので前節に示した妙な物になっているのではないでしょうか。私が想像する本音は以下の通りです。
2.節で示した理由のうちでは本音は(5)、及び好意的に考えて(1)でしょう。
これは私の想像です。邪推かもわかりません。出どころの規制改革会議ではともかく、それが政府やいろんな段階を経ることで変わった、あるいは今後変わる可能性があります。今のところ公にされていることだけではあまりにもつかみどころがないのが事実です。胡散臭いものであることを肝に銘じておいて、今後の動きに注意したいと思います。
進行中の"「多様な正社員」の普及・拡大のための有識者懇談会"は第一回の議事録を見る限りでは、バイアスのかかっていない公平な意見をお持ちの委員が多く、今後の議論も冷静かつ公正に行われることが期待できます。ただし、最終報告がどうなるかは事務局の方向付けや報告書のまとめ方に依存してしまうことはいつもの通りです。
初稿 | 2013/11/3 |