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『ヴェラクルス』(Vera Cruz)['54] 『赤い河』(Red River)['48] | |||||
監督 ロバート・アルドリッチ 監督 ハワード・ホークス | |||||
先に観た『ヴェラクルス』は、子どもの時分にテレビ視聴したっきりの作品だ。 四半世紀前に拙サイトを開設した際に強く勧められて設置した掲示板での映画談義のなかで黒づくめガンマンの記憶をカーク・ダグラスと言ったときに、あれはバート・ランカスターだったと思うと正されたのだったが、確かにジョーことジョセフ・エリンを演じていたのは、バートだった。 フランス語も達者な元南軍士官のベン・トレーン(ゲイリー・クーパー)と奇妙な因縁でコンビを組むことになったジョーの二人だけではなく、伯爵夫人マリー(ドニーズ・ダルセル)や掏摸女ニーナ(サリタ・モンティエール)、ジョーの仲間とも手下とも言えそうにない無頼漢たちや皇帝の忠臣と目された侯爵アンリ(シーザー・ロメロ)も含めて誰も彼もが油断も隙もない食わせ者ばかりで、それなりの胆力を備えた彼らの虚実と変転する関係性が、清濁を問うても仕方のないメキシコの政治状況と相俟ってすこぶる面白く描かれた秀作だったように思う。やはりジョーとベンの早撃ち同士互いに一目置きつつ気を許さずに手を結んだ関係に味があって、世知辛い世にあって甘さ=恥を人生訓とする生き方を選んでいるジョーと、南北戦争の嘘くさい大義の元に敗れ、戦場と化して家も農場も失いながら、南部紳士として己に恥ずべき振る舞いはしない鷹揚さを貫くベンとの対照がいい。 河を渡る馬車の轍の深さの違いからベンとジョーが300万ドルの金貨の存在に気付く運びがよく、西部劇というかメキシコ劇というかアウトロー映画に珍しく、ダンスシーンになかなか力が入っていて、見事な踊りを種々見せてくれたエンタメ感が大いに気に入った。アーネスト・ボーグナインやチャールズ・ブロンソン、ジャック・イーラムが端役で出演していたことは全く知らずにいたので、思わず目を惹いた。少年時代を過ぎて暫くしてからでさえも役者名や監督名にあまり関心がなかったから、覚えていないのも当然なのだが、おかげでこうして発見的な新鮮さが味わえる。 翌週に観た『赤い河』のほうの競演は、ジョン・ウエインとモンゴメリー・クリフトだ。名のみぞ知る映画だったから、これがハワード・ホークスの『赤い河』かとの思いで観た。いきなりラブシーンで始まる西部劇も珍しいものだと意表を突かれたが、母親の形見の腕輪を贈り、約束を交わした女性があっけなく死んでしまいながらも、このエピソードが物語の最後になって利いてくる構成に唸らされた。 作中で語られたように、1851年、テキサス州が成立した頃から始まり、南北戦争の終わった1865年におこなった100日がかりの一大キャトル・トレイルを描いた作品だった。宵闇の角砂糖泥棒で始まる趣向に意表を突かれたが、お約束とも言うべきスタンピードもきちんと描かれ、河も渡るし、先住民からの襲撃も描かれるフルメニューのロング・ドライブだった。 十年前にラオール・ウォルシュ監督の『ビッグ・トレイル』['30]を観て驚いた、「ちょうどアフリカのサバンナで群れを成して生きている草食動物が襲われたときに子どもらを内側に囲い込んで円陣を組むのと同じように、家畜の馬などを内側に囲い込むようにして馬車による円陣を敷いていた。そして、その円陣の周囲を裸馬に跨ってくるくる廻るシャイアン族を馬車の陰から狙い撃っていた姿」と同じスタイルの襲撃場面が本作においても登場していた。 カイエ・ド・シネマ筋から矢鱈と評価の高いハワード・ホークス作品で観ているのは、『暗黒街の顔役』『ヒズ・ガール・フライデー』『ヨーク軍曹』『リオ・ブラボー』『リオ・ロボ』『紳士は金髪がお好き』『モンキー・ビジネス』『三つ数えろ』の8作品しかないけれども、そう相性のいい作り手ではない気がしている。本作もロング・ドライブの長さを感じさせるためかどうかはともかく、二時間越えの長尺に少々倦んでくる面もなくはなかったが、牛の数は本当に凄かった。 また、トムことトーマス・ダンソン(ジョン・ウエイン)と、彼が十四年かけて一人前以上の青年牧童に育て上げたとも言えるマットことマシュー・ガース(モンゴメリー・クリフト)の変に拗れた関係や、百五十年以上前の時代の荒くれ男たちの死生観や権利意識及び信義は、とうてい今の物差しで測ることができないものだけれども、誇り高さというものに尋常ならざる形で囚われているように感じた。トムとジェリーならぬトムとマットの殴り合いの喧嘩場面には失笑してしまった。本作自体が、既に製作時から百五十年の約半分の時間を経過しているのだ。 それにしても、なかなかいい味を見せていたウォルター・ブレナンの演じていた料理人グルートが「マットとはいずれトラブルを起こすだろう」と予見していたチェリー・ヴァレンス(ジョン・アイアランド)を、あれが最期のようにして再登場させなかったのは、133分も使いながら殺生な気がしてならなかった。初対面のマットとチェリーが互いの銃の腕前を競い合う場面がなかなか見映えのする鮮やかなもので、グルートの予見がその後もずっと気になっていたからだ。 そのときが訪れないままにラストを迎えたのはいいのだけれども、あれで死んでいたら浮かばれない。彼は、砂糖泥棒のケナリーや妻に赤い靴を買ってやりたいと言っていて叶わずに死んだダンとは、役回りが違うはずだ。チェリー同様にトムもまた急所は外していたという顚末が、その二人から“甘い”と言われていたマットの物語に相応しい結末だと思う。テス・ミレー(ジョーン・ドリュー)との結婚による♪Settle Down♪を促すトムの場面を際立たせるための措置だったのかもしれないが、少々残念に思った。 | |||||
by ヤマ '25. 8. 3. BSプレミアムシネマ録画 '25. 8. 8. BSプレミアムシネマ録画 | |||||
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