“パリ、シカゴ~映画の中の風景”二大コレクション展関連企画

Aプログラム
『クロワッサンで朝食を』(Une Estonienne A Paris) 監督 イルマル・ラーグ
『ぼくを探しに』(Attila Marcel) 監督 シルヴァン・ショメ
Bプログラム
『暗黒街の顔役』(Scarface)['32] 監督 ハワード・ホークス
『ヒズ・ガール・フライデー』(His Girl Friday)['40] 監督 ハワード・ホークス

 Aプログラムは、パリ編。二作品ともいかにもフランス映画ならではのような映画だった。

 先に観た『クロワッサンで朝食を』は、“パリのアメリカ人”ならぬ“パリのエストニア人”との原題の作品だが、嫌われ者であることも、厄介ながらも放っておけない気になる者であることも、どちらもともに納得感のある説得力を体現するマダム・ムラ・フリーダを演じられるのは、このジャンヌ・モローをおいて他にはあるまいと思わせる貫禄が見事だったように思う。

 かつての愛人たる親子ほどに歳の離れた初老のステファン(パトリック・ピノー)が彼女を見限らないのは、決してカフェを持たせてもらい経営者として成功したからだけではなく、エストニア語が話せる家政婦として雇われたアンヌ(ライネ・マギ)が愛想をつかさないのも、上等のコートを気前よくくれた彼女の財力に惹かれているからではないことが、しっかりと伝わってくる一方で、パリのエストニア人仲間から総スカンを食らっている有様もさもあらんことがよく伝わってきた。それはともかく、アンヌの意図がそこにあったわけではないながらも、彼女は、あのフリーダの豪勢なアパルトマンを手に入れることになるのだろう。

 若い時分にあこがれたパリ行きを娘に相談した際に「チャンスじゃない!」と言われた意味がそこにあったとは思えないが、人生には思いがけなく何が訪れることになるのか分からないものだ。


 続いて観た『ぼくを探しに』は、トト・ザ・ヒーロー['91]を想起させるような風変わりなテイストが面白い作品で、結局ポール(ギヨーム・グイ)は、生まれたばかりの頃に母アニタ(ファニー・トゥーロン)が「アコーディオン弾きにもピアノ弾きにもしない」と言っていた言葉どおり、マダム・プルースト(アンヌ・ル・ニ)から受け継いだウクレレ弾きになるという話だった。『クロワッサンで朝食を』以上に「人生って、何が起こるかわからないし、なんかヘンなものだよなぁ」という感じがよく出ていたように思う。こういうへんてこりんなキャラクターがたくさん出てくる映画は、うまく嵌って転がれば、実に面白い。

 エンドロールを観ていて、物言わぬ音楽家のポールと格闘家の父アッティラを同じ役者が演じていたと知り、驚いた。原題はポールの父親の名前になっているが、その意図は何だったのだろう。ポールの人生を大きく変えた両親の死亡事故は、父親によるものではなく、むしろ母親がポールを連れて出演したCM報酬で部屋の模様替えを行ったことに端を発するものだった。敢えて父親の名をタイトルにしたのは、ポールのなかにおいて亡き父親に対するイメージが変転していく物語だったからだろうか。


 Bプログラムのシカゴ編は、パリ編と打って変わり、戦前のモノクロ作品が並んだ。『暗黒街の顔役』&『ヒズ・ガール・フライデー』という、奇しくもなのか意図してなのか、ハワード・ホークス監督作品の二本立てだ。ブライアン・デ・パルマ監督によるリメイク作『スカーフェイス』['83]も、ビリー・ワイルダー監督による『フロント・ページ』['74]も観ているはずなのに、手元の記録に残っていないのは、前者がTV視聴で、後者が高校時分だったからなのだろう。前者は、派手派手しく騒々しいだけであまり面白くなかった覚えがぼんやりとあり、後者は、自分が新聞部に在籍していたせいか、やけに面白かった記憶がある。

 映画は専らスクリーン観賞を旨としてきたせいか、名高いハワード・ホークス作品を僕はこれまでに、少なくともスクリーンでは一本も観ていない気がする。縁がなかったということだろう。それもあって、ちょっと楽しみにしていた。


 先に観た『暗黒街の顔役』は、やりたい放題のアントニオ・カモンテを演じたポール・ムニがなかなかよくて面白かった。結局、妹のチェスカ(アン・ヴォーザーク)に最も惚れていたトニーが凄絶な銃撃を受けて自慢の鋼鉄鎧戸を閉めようとした際に跳ね返った弾で妹を死なせてしまう形になっていた痛烈さが印象深い。最愛の妹に手を出したと頭に血が上り、よく事情も確かめずに見境なく右腕のリナルド(ジョージ・ラフト)までも殺してしまったところで、トニーの悪運も尽きてしまったわけだ。洒落た見せ方のシーン作りが実に巧みで歯切れもよく、名作との誉れが高いのも納得の作品だった。


 続けて観た『ヒズ・ガール・フライデー』は、新聞編集者ウォルター(ケーリー・グラント)のその場限りの誤魔化しと出任せの策謀を尽くす“ろくでなし”ぶりがいささか鼻につき、何だか興が削がれてしまった。『フロント・ページ』のウォルター・マッソーと違って、二枚目のケーリー・グラントが演じるから、愛嬌の欠片もないところがさっぱりいただけなかった。おかげで人の好い保険屋ブルース(ラルフ・ベラミー)が見舞われる不運を笑うに笑えない気になってしまったから、結末にも納得感が湧かない。名高いスクリューボールも僕にはひたすら騒がしいだけだった。これはやはり、男女の話にしないほうがいいように思う。




参照テクスト:“パリ、シカゴ~映画の中の風景”二大コレクション展関連企画
https://moak.jp/event_test/performing_arts/cinema_parischicaco.html
by ヤマ

'17.11.18~19. 美術館ホール



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>