『リオ・ロボ』(Rio Lobo)['70]
監督 ハワード・ホークス

 ギターを爪弾く指のクローズアップという西部劇らしからぬ洒落たタイトルバックに意表を突かれた。誰だろうと注視していたら、「title designed and directed by DON RECORD」と出てきた。知らない名前だった。だが、まさに対照的なまでに本編は、ある種、西部劇の定番とも言える列車の到来で始まり、列車強盗がオープニングエピソードという「これぞ」の運びに変わる。しかしながら、その襲撃が無法者によるものではなく、南北戦争の南軍による実に周到な“銃撃を排したクレバーな作戦行動”だという意表の突き方をしてくるとともに、スマートな指揮を執る南軍の伊達男ピエール・コルドナ大尉(ホルヘ・リベロ)を印象づけ、彼の部下のタスカローラ・フィリップス軍曹(クリストファー・ミッチャム)の水遁の術を意味もなく、後の伏線のためだけに見せるというような、キャッチ―な演出に一気に引き込まれた。すると、早々と南北戦争のほうは決着がつき、あれよあれよという間に今度は、南軍北軍の敵味方同士で互いに相手の囚われの身になる経験をした過程で、互いの器量を認め合った北軍大佐コード・マクナリー(ジョン・ウェイン)との間でバディを組む話に展開していき、すっかり感心させられた。

 息子のように目を掛けていた部下を戦死させたことの敵を討つのだというマクナリーに対して襲撃した我々が仇ではないのかと問うたコルドナへの答えがなかなか決まっていて戦時中だ、君らは務めを果たしたに過ぎない。敵に情報を洩らした卑劣な内通者の部下を突き止めなければ、気が済まない。というものだった。やはりジョン・ウェインは、こうでなければいけない。

 だが、最も目を惹いたのは、無体な囚われの身になったタスカローラ救出に相伴するように恩人チャーリーの仇討ちに立った気丈な娘シャスタ・ディレイニー(ジェニファー・オニール)の人物造形だった。果敢で清冽な気性の持ち主で愛嬌もあって、なかなかの女性像だったように思う。ジェニファー・オニールと言えば、本作の翌年作『おもいでの夏』が印象に残っているが、そのときのドロシー以上に魅力的なシャスタだったように思う。若い二人の気配に気を利かせて早々と酒を煽って眠り込んだマクナリーの懐に潜り込むようにして暖を取る形で寝入っていたシャスタが、朝になって驚いているマクナリーに歳がいっているし、貴男なら安心(comfortable)だからと言い放って苦笑させていた場面が面白かったが、マクナリーがその言葉を気にしていて、後に自らアイム・ジャスト・カンフォタブルと言って自嘲するばかりか、三度ラストでも、その台詞を繰り返したのが可笑しかった。

 シャスタのみならず、タスカローラと恋仲のマリア・カルメン(スサンナ・ドサマンテス)にしても、リオ・ロボの悪徳保安官トム・ヘンドリックス(マイク・ヘンリー)にスカーフェイスにされたアメリータ(シェリー・ランシング)にしても、なかなかの美女揃いで思い掛けなかった。ベッドの下に二人で隠れたシャスタとコルドナを匿うために咄嗟に凌いだ洗髪姿にしても、最後にトムを仕留めたアメリータの動揺にしても、印象深いものがあったように思う。

 また、泣かない女が好きだと言ったコルドナにさっき泣いたと返したシャスタに告げる友だちを泣く涙は別だ、自分のことじゃないという台詞がオープニングの列車襲撃作戦を思わせるスマートさで、颯爽としていたコルドナ大尉の伊達男ぶりを取り戻したようで、観ていて頬が緩んだ。

 お話の展開そのものには、かなりの無理と御都合主義が感じられながらも、エンタメ作品の真骨頂をしっかりと抑えている映画で、大いに楽しんだ。劇中の音楽にえらく砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラードに似た旋律が繰り返し流れていたのは、同じジェリー・ゴールドスミスが担当したとはいえ随分なものだと思ったが、確認すると同年作品で何だか笑ってしまった。
by ヤマ

'22. 7. 7. BSプレミアム録画



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