『リオ・ブラボー』(Rio Bravo)['59]
監督 ハワード・ホークス

 僕は、自分で思っている以上に映画が好きなのかもしれない。半世紀以上前の自分が生まれた年の翌年の映画を初めて大画面で鮮やかな色彩で観ているうちに、自然と頬が緩んでくるのを自覚して、そんなことを思ったのは、やはりこの一か月、映画は観てもスクリーンから遠ざかっていたからだろう。もう何十年もそんなことは経験していない。

 観た映画がまた、心の内にあることの殆どを表に出すことなく誰にも助力を求めることなく、己が職務を己が自負のために果たそうとする保安官チャンス(ジョン・ウェイン)と、彼の周囲の人物たちの“心意気”というものを映し撮ったような作品だったことが作用している気もする。映画の市場がまだ完全に男性優位だった時代の作品であることが爽快なくらいに伝わってきた。

 先ごろ観たばかりの十兵衛暗殺剣['64]での大友柳太朗とちょうど同じ歳の頃になるジョン・ウェインの壮年を感じさせる恰好の良さに観惚れた。だが、それもさることながら、腕利き保安官助手だったのに恋に躓き酒に溺れて依存症に陥ったデュードを演じたディーン・マーティン、腕が立ち頭も切れるばかりか歳に似合わぬ冷静さをついぞ失わない若者コロラドを演じたリッキー・ネルソン、寡黙なチャンスと対照的に常に喋って文句を言っているけれども最も忠実に地味な務めを怠らないばかりか、いざというときには制止を破って援軍に駆け付け、チャンスに「“若死に”しないでくれよ」と言わせて活躍する、片足が不自由な老保安官助手スタンピーを演じたウォルター・ブレナン、男運に恵まれずいかさま賭博師の手配書に若くして名を連ねることになっていた元踊り子のフェザーズを演じた二十代のアンジー・ディキンソンらのキャラクターと役者の魅力が満開になった快作だと改めて感じた。思えば、アル中、若輩、障碍者、御尋ね者と、世間に軽んじられがちな何かを負った者ばかりだったわけだが、期せずして保安官チャンスから活躍の場をチャンスとして与えられた形になっていた。そして、皆に見せ場があって嬉しい古典的な作りが、なかなか達者だった。やはり映画というものは、こうあってほしいものだ。

 なかでも、コロラドがフェザーズの頼みで窮地にあったチャンスを救う場面の機転とアクションのカッコよさは、大画面に映えると思った。ディーン・マーティンが寝そべり、リッキー・ネルソンがギターを弾いて歌う場面も劇場ならではの響きが嬉しい。また、若いフェザーズが歳離れたチャンスに本気になったのは、決して手配書の記載を消す手筈を整えてくれたからではないことに納得感のある運びが施されていて感心した。だから、最後の健気なまでの訴えによってフェザーズが遂に無骨者のチャンスに「君を逮捕する」と言わせて涙ぐむ場面が気持ちよく、微笑ましい。そして、窓から投げ捨てられたステージ衣装を拾ったスタンピー爺さんが、ひょこひょこ歩く後ろ姿でラストショットもきっちり締めてくれていた。実によくできたエンターテインメントだと改めて思った。
by ヤマ

'20. 5.15. TOHOシネマズ1



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