『真昼の暗黒』['56]& 『あゝ野麦峠』['79]
監督 今井正
監督 山本薩夫

 今回「社会派巨匠の描く『あゝ無情』」と題された課題作のうち、先に観たのは『真昼の暗黒』。三十七年前にあたご劇場で『にっぽんのお婆あちゃん』との併映で観た今井監督作二本立て以来の再見だったが、今なお続々と明るみに出てきている冤罪事件報道を目の当たりにするにつけ、七十年前に撮られた作品の持つ力に改めて感心させられた。映し出された作品タイトルには「正木ひろし著「裁判官」より(光文社刊)」と添えられていて、当時係争中の事件を扱っていることを明示している作品だ。

 草薙幸二郎の演じる植村清治が最後に叫ぶまだ最高裁判所があるんだ、まだ最高裁があるんだ!は、近年ではむしろ国家権力側の足掻きになっているような気がしなくもないが、強烈な印象を残すラストカットの名台詞として知られているものだ。近藤弁護士(内藤武敏)が立証してみせる検察や一審判決による認定事実の無理がコミカルに視覚化された場面の効果と、被告勝訴の逆転判決を確信した冤罪の被告や被告家族の様子が印象深いだけに、二審の高裁判決の不当さが強く印象づけられる。

 人物造形として特に印象深かったのは、やはり松山照夫の演じた犯人の小島武志と下元勉の演じた西垣巡査だったように思う。ともに大島主任(加藤嘉)の立てた見立てから虚偽の自白や証言を強要されて屈した人物だった。

 それにしても、前回観た三十七年前と比べ、当世は弁護士像が随分と違ってきていることを改めて痛感した。日本テレビ系列で二十年以上続いた『行列のできる相談所』の与えた影響がとても大きいように感じている。幾人もの政治家弁護士も輩出しているけれども、功罪で言えば、罪のほうが大きかった気がしてならない。初代の司会者、島田紳助をはじめ、橋本弁護士、北村弁護士、大渕弁護士、渡部建ら数々の増長を感じさせる???人物を輩出した“わや”な体質が何とも不愉快な人気番組だった。朝ドラの『虎に翼』は戦前からの時代だったが、今や現代ドラマで弁護士が登場すると、胡散臭い人物としての役回りのほうが多くなっている気がして仕方がない。悪徳弁護士という言葉自体は昔からあるものの、それは弁護士には例外的なというニュアンスが伴っての「悪徳」であって、基本的には有徳者を前提にしているからこそ意味を持ってくる言葉だ。その前提が壊されてきたから、今や「悪徳弁護士」なる言葉は消えてしまっているように感じる。


 先に観た『真昼の暗黒』から二十三年後の『あゝ野麦峠』は、明治三十五年から四十三年までの、十二歳からの八年間を紡績工場の工女として働き死んでいった政井みね(大竹しのぶ)を軸に、反戦川柳人の鶴彬が玉の井に模範女工のなれの果><みな肺で死ぬる女工の募集札><都会から帰る女工と見れば痛むと詠んだ、少女たちと彼女らを取り巻く大人たちを描いた、まさに女工哀史とも言うべき作品だ。

 本作の思わぬヒットを受けて製作された「新緑篇」はスクリーン観賞しているが、こちらは未見だったから、オープニングの女工哀史とは対照的な舞踏会で始まった本作が映し出す、ワルツを踊る貴族の娘の足と野麦峠を越えて雪山を歩く山村の娘の足とを交互に見せて対比させていた編集に、いかにも山本薩夫監督作品らしさを感じて興味深く観た。社会に階層構造を観て取る問題意識が率直に表れていた気がする。だが、物語は些か類型的だったし、見せ場となるべき“飛騨の打込み太鼓”と呼ばれていた祭の踊りの場面も妙に鈍臭く感じられ、『真昼の暗黒』には後れを取るような気がした。

 目を惹いたのは、百円工女を目指す優等工女のみねにライバル意識をむき出しにしていた、身寄りのないゆきを演じていた原田美枝子だった。女工の検番を務めながらも心優しさを失くさない音松(赤塚真人)に恋したはなを演じた友里千賀子や、横暴な検番の黒木(三上真一郎)に犯され、足立社長(三国連太郎)から大金を盗んだ濡れ衣を着せられた金庫番の新吉(山本亘)と心中したきくを演じた古手川祐子が、まだ野暮ったさを残しているなか一皮むけた凛とした美しさを放っていたように思う。

 それにしても、野麦峠は野産み峠だとは恐れ入った。毎年毎年キカヤ【製糸工場】から大ぜい孕まされて戻って来て…猫の子のように産んで…これじゃ、野麦峠じゃのうて野産み峠じゃとのお助け茶屋の老婆(北林谷栄)のぼやきに号泣するゆきが哀れだった。父親である社長が工女に飯抜きの罰を課そうとしていたときにはその非情を咎めていたのに、幾年も経たないうちに阿漕な黒木検番以上に非情な悪辣さを見せるようになる春夫(森次晃嗣)や、みねを五年年季の工女に遣り始めるときには無念と気遣いをみせていたのに、百円工女になったみねの稼ぎをあてにし集るようになった酒浸りの父親(西村晃)の姿を観るにつけ、遣る瀬ないものを感じた。力【権力】とカネ【財力】は、人の心を蝕む厄介な代物であることをよく示していたように思う。

 すると、合評会の主宰者があれは、「野産み峠」と言いよったがか。何回聞き直しても聞き取れんかった(^-^)V。本来は繁る熊笹になる実が麦に似てて、野麦となったらしいけどね。と寄せてくれた。僕は、あのオババの台詞を聴いて、だから本作の題を「野麦峠」にしたんだなと得心したのだった。キカヤの使い捨て部品のように働かされて、猫の子産むように孕まされて、実に女工哀史そのものだった。同時に、優等工女がちやほやされる部分も描いていて『反戦川柳人 鶴彬の獄死』(佐高信 著)にあった加藤陽子東大教授の「故郷の農村もひどいが、工場はもっとひどかった」という言葉が本当なのか、「工女さんたちは、貯金も出来たし、町に活動写真も観に行けた」というところを拾うのが正しいのか。それによって工女が本当に「哀史」だったのか否か、見方ががらりと変わりますでしょう。P81)との言葉への得心も出来た。ひとくちに女工といっても扱いはいろいろだったわけだ。今でもスポーツ選手などはあからさまにそうだ。


 三名しか揃わなかった合評会では、格段に『真昼の暗黒』のほうを支持した二名と、僅差で『あゝ野麦峠』のほうを採るとした一名とに分かれた。『真昼の暗黒』への支持を表明したメンバーが、七十年も前によくぞこれだけ強く権力に物申す作品が撮れたものだと感心していたが、僕はむしろ七十年前だからこそ、そういう気概を持っていたような気がしている。空気ばかり読んで忖度に勤しむのが常態となった昨今は、もはや風見鶏ばかりのように感じているからだ。すると、僅差で『あゝ野麦峠』のほうに支持表明をしたメンバーが、製作年の'56年と言えば、レッドパージ後の逆コースの時代だから圧力も受けたのではないだろうかと言っていた。それはそのとおりで、攻撃的圧力が掛かるからこそ、反発する気概も湧くとしたものだ。黙殺や疎外のほうが気概を奪っていくような気がする。そういう観点からの製作年次の違いは大きく、'50年代作品には、シラケの時代とも呼ばれた'70年代の映画にはない熱量と訴求力が宿っていたような気がする。

 他方、『あゝ野麦峠』については、こちらのほうに軍配を挙げたメンバーの指摘していたロケーションと撮影のスケール感などに異存はない。154分は少々長尺に過ぎた気はするが、力のある作品だったように思う。もう少し短くしていればと思ったりしたら、特典に何と十分の一の15分に編集したダイジェスト版があって驚いた。大事な台詞はきちんと網羅され、大事な場面がきちんと滑らかに繋がっていて恐れ入った。この特典動画を観ているメンバーがいなかったので、ぜひ観ておくよう勧めた。

 僅差でこちらのほうを採ったメンバーによれば、ちょうど先ごろ本作でみね達が踏破していた飛騨から野麦峠を越えて諏訪湖に至る道を旅していたそうで感慨もひとしおだったとのこと。加えて、現役時代の職でマネジメント業務に就いていた時分に、励みとなる報奨を与えてスタッフたちに競わせていたことになるという思い当たりも得たそうで、そういう“我が事映画”になれば、格別になるのも道理だと得心した。
by ヤマ

'25. 8. 3,4. DVD観賞



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