| |||||
『ロビンソン漂流記』(Adventures of Robinson Crusoe)['52] | |||||
監督 ルイス・ブニュエル
| |||||
映友が「…ロビンソンとフライデーの関係にブニュエル的な風刺や皮肉のアレンジもなく、おそらくブニュエルは雇われ仕事をきっちりと職人的に仕上げたのではないかと思う。画面に女性が全く登場しない映画である。繰り返すがブニュエルらしさを期待しなければエンタテインメントとして充分楽しめる作品である。…」と紹介している記事を読んで初めてその存在を知った作品だ。 確かに、痛烈な風刺と皮肉が機知豊かに展開される作風が印象深いブニュエル作品(僕が観ているのは、学生時分に観た『昼顔』から順に、'82年に地元で観た『忘れられた人々』『ビリディアナ』『アンダルシアの犬』『黄金時代』『糧なき土地』『銀河』『アンダルシアの犬(再見)』『皆殺しの天使』『自由の幻想』『哀しみのトリスターナ』『小間使の日記』『昼顔(再見)』『アンダルシアの犬(再再見)』『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』『忘れられた人々(再見)』『エル』『アンダルシアの犬(四回目)』『砂漠のシモン』『銀河(再見)』)とは思えぬほど、実にオーソドックスな造りが却って珍しく感じられるという不思議な映画だった。広げた世界地図から嵐に難破するアリエル号のシルエットに移るオープニングからして真っ当至極で、難破船にて聖書を見つけ「心を救う薬を見つけた」と喜んだものが、1659年9月30日の上陸から五年後には「聖書の言葉は無意味だった」と零すことになったサバイバル生活を救ってくれたのは、猫のサム、犬のレックス、鸚鵡のポリーだった。 十八年目に浜で足跡を見つけて、フライデーと名付け、言葉を教えて話し相手に仕立て上げることを叶えた青年(ハイメ・フェルナンデス)と出会い、つらい孤独を癒され、人間らしさを取り戻す実感を得ていくロビンソン・クルーソー(ダン・オハーリヒー)の姿に納得感があった。そして、二十八年の漂流生活を経て、ようやく念願の帰国を果たす道を得ていたわけだが、金貨にさもしい人々が屯する虚飾に彩られた文明社会への帰国が必ずしも彼に幸いをもたらすとは限らないことを仄めかしているようにも映るエンディングが、辛うじて幾らかブニュエルテイストを窺わせていた気がする。 すると、遅れてブニュエルにはまり最近になって色々な作品を見直しているという映友から「原作モノではありますが、ひょっとしたらブニュエルの本心というのか人間性が一番素直に出ていた作品なのかも知れないという気がしないでもないです」というコメントが寄せられたのが興味深かった。ブニュエルの人間性か。なんとなく知の巨人といったイメージを抱いている僕は、そう言えば、彼の人間性といった観点から作品を眺めたことがなかったように思う。なんだかとても新鮮な気がした。 | |||||
by ヤマ '25. 2.17. DVD観賞 | |||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
|