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『卒業五分前 群(リンチ)姦』['77] 『ズームアップ 卒業写真』['83] 『女教師 童貞狩り』['76] 『制服百合族 悪い遊び』['85] | |||||
監督 澤田幸弘 監督 川崎善広 監督 加藤彰 監督 小原宏裕 | |||||
四十三年ぶりに『卒業』を再見した際に教えられた『迷い婚』を観た流れでもって、特集テーマ「卒業」と印字されていた『みうらじゅんのグレイト余生映画ショー in 日活ロマンポルノ』を観ることにした。特集テーマに関する語りの最初に触れたものこそ斉藤由貴が歌ったヒット曲だったが、当然のようにアン・バンクロフトの『卒業』としてイラストとともに語られ、『奇跡の人』への言及もあって面目を施していたように思う。採用された四作品は、「卒業五分前 群姦【小川亜佐美】、ズームアップ卒業写真【中村れい子】、女教師 童貞狩り【渡辺外久子】、制服百合族 悪い遊び【望月真美】」だ。 最初に観た『群(リンチ)姦』は、ハムレットよろしく「to be or not to be」と指で書き付けた窓ガラスで始まっただけに“悩める青春”を描いたものとしたところだろうが、小椋佳の♪さらば青春♪を懐かしく耳にしつつ、大人のお仕着せに抵抗したい年頃を描こうとする雰囲気は、それなりに感じながらも、お話が些か御粗末に過ぎるような気がした。 群姦というよりは、真夏ならぬ卒業前夜の夢のごとき乱痴気騒ぎだったように思う。憑き物が落ちたような朝を迎える級友たちに馴染めないで車で逃走を図る、高校生日本記録を持つトップアスリートの石井英夫(福田勝洋)を追って車に同乗した担任教師の松宮(小川亜佐美)の姿に『卒業』のラストを観て取って抽出されたのかなぁと思ったりはしたけれども、今一つのエンディングだった。 群姦にリンチとのルビを振ったタイトルは、おそらく大病院の跡継ぎ息子である一郎(信太且久)との駆け落ちのなか入ったモーテルの場所を親たちに漏らした早苗(田島はるか)を恨んだ蘭子(森川麻美)が、乱痴気騒ぎのなかで早苗に手指で破瓜を施して血塗られた指を突き上げていた場面からのものだろうが、群姦とは関係なかったように思う。名が体を表さないロマポにありがちなタイトルだという気がした。 次に観た『卒業写真』は、五年前に観た『全裸監督』にも描かれたAV以前のビニ本裏本の世界だったが、先に観た『群(リンチ)姦』に出てきた硬貨投入口の付いた卓上ピンク電話とは違って、見覚えのある四十年前の喫茶店の感じやビニ本自動販売機を懐かしく観た。売るのは身体じゃなくて羞恥心だから、とヨーコ(中村れい子)を口説く佐久間(関川慎二)に『全裸監督』に描かれていた村西とおるを思わせる風情があったように思う。“自己嫌悪”の使い方も巧みだった。 そうして絡めとられていったヨーコが、遂には裏本モデルにまでなって異物挿入のみならずフィストファックや本番行為にも挑んだ挙句に、佐久間逮捕の記事を観て、母親から薦められたお見合いに臨むことにし、カメラが趣味だという見合い相手に「結婚したら撮ってくださいます?私のヌード」と言って嫣然と微笑んで終えていた。いかにも荒井晴彦脚本らしい物語だと思う。 そう言えば、'80年代前半期、フィストファックだのスカルファックだのといった、もはやポルノとは掛け離れた見世物でしかないように思えるものが目に留まった覚えがあるけれども、すっかり鳴りを潜めたような気がするのは、単に斯界に疎くなっているだけのことなのかもしれない。騙しや無理やりとは異なる形で、ルミ(中井ミカ)をスカトロ撮影に持ち込むような手口に、妙に『「エロ事師たち」より 人類学入門』を彷彿させるようなリアリティがあって、そういったエロ事師たちに「あんたたち、みな気違いよ!」と石鹸溶液の浣腸によるスカトロ撮影を手伝わされたジュンコ(小泉ゆか)が叫んでいた場面が印象深く、それに続く浜辺の小屋の焚火のなかでの『潮騒』もどきの場面が目を惹いた。 それにしても、女子高生のジュンコが男子学生に輪姦されてしまう引き金になった、セーラー服姿のヨーコを撮ったビニ本デビュー作は『秘密の花園』であって『卒業写真』ではなかったのに、なぜタイトルが卒業写真になったのだろう。フィストファックの裏本のタイトルが『愛の拳』ときて笑ってしまったが、それが業界を卒業する写真になったということなのだろうか。 また、「愛だの恋だの自分だけ騙してりゃいいのに、(女は)相手まで騙しやがる」というようなアキオ(宮本成治)の台詞が『潮騒』もどきの場面にあったが、比較的最近観た外国映画で同じような台詞があったような気がした。『アメリカの夜』だったようにも思うが、勘違いかもしれない。 三本目の『童貞狩り』は、'76年作品となれば僕が大学進学で東京に出た年だから、まさに卒業ということになる。本作に描かれたような卒業証書は得られなかったが、男子校における若き女教師というのは、確かに特別な存在ではあろう。どこからが現実でどこまでが妄想場面なのか判別しがたい場面展開のなか、女教師の妄想、生徒のお馬鹿な妄想が描かれていたように思う。美術教師の山川ひとみ(渡辺とく子)と同僚体育教師時田(三上剛)のエピソードすら、必ずしも全てが現実ではなかったような気がしてならない。確実なのは、抜きん出て濡れ場の撮り方がねっとりしていて好かった、ひとみの家庭教師時代の教え子(田島はるか)の父親(中台祥浩)との腐れ縁的な絡みだけは、妄想ではなさそうだということだった。労務者(佐藤了一)との行きずりの関係は、どちらだったのだろう。雪原でのフルヌードは、生徒側の妄想かひとみの側の妄想か、観る者によって受け止めが異なるに違いない。僕は、ひとみの側だと感じた。 真顔で「先生は生徒としちゃいけないのか」と問い掛けてきた生徒に「いけないに決まってるでしょ」と答えていたひとみが、最後に自分を慕うスキー部の生徒五人をアパートのドアの外で順番待ちさせつつ、次々と交わるようになる場面に、どこか冥利を感じさせる描き方をしていたのは、脚本の鹿水晶子と監督の加藤彰のどちらの意向による部分がより強かったのだろう。 奇しくも『私をスキーに連れてって』['87]と同様に、夕暮れ時のスキー場面も出て来るのだが、バブル期の作品の明るさと対照的に、いかにもどんよりとした'70年代感の漂う映画だ。そして、タイトルのような童貞狩りをしていたようには思えないひとみだったような気がする。女教師の側の狩りではなく、生徒側の童貞卒業を描いていたから、特集テーマの「卒業」には、きちんと適っていると思った。そして、ひとみの腐れ縁からの卒業も暗示しているように受け取った。彼女にその心機を与えたのがスキー部の五人というわけだ。だから、狩りではない冥利を感じたのだろう。 「卒業」特集の最後に並んだ『制服百合族』は、四作品のなかでは最も新しい'80年代半ばの映画なのに、'70年代的な内向性が目を惹く作品だったように思う。トップにクレジットされていた望月真美よりも、彼女の演じたイヅミが慕う二年先輩の吉野美沙子を演じた山口千枝のほうが印象深かったような気がする。卒業記念アルバムに掲載する部活写真の撮影に中原中也の詩集を携えた彼女が黒板に記された文芸部の文字とともに映し出されたオープニングは、高校時分に文芸部に属し卒業アルバムの編集委員も務めた僕には、格別のものがあった。中也の『頑是ない歌』の一節も流れたりして、海援隊もチューリップも同時代に過ごしている僕を'70年代に誘った面もあるのかもしれない。公開当時は、どうだったのだろう。 幼馴染のケイコ(朝倉まゆみ)が付き合っているマサユキ(秋吉信人)から求められて、高校一年のイヅミが応じつつ言っていた「したいだけならいいけど、好きだなんて言われると困っちゃう」という台詞に託されている感覚や、文学少女の美沙子と同僚司書(夕崎碧)の二股をかけていた司書の安西(武見潤)に対して「二番目の男は大変だわ」と強がる美沙子の台詞の感覚にも'70年代的なものを感じた。前日に観た『童貞狩り』に出てきたスキーではなくスケートというのがまた、'80年代的ではないような気がする。 ともあれ、マサユキが言っていた「10分に一度はしたくなるんだよ、それが自然な男の性春さ」という年頃の男の子のシンプルさに比して、なんとも面倒くさい女の子たちの複雑さを描き出していたように思うけれども、バイセクの美沙子との同性愛をイヅミが卒業したわけでも、誰彼構わぬマサユキとの関係をケイコが卒業したわけでもないままに、ケイコとイヅミが、百合族というよりはアセクシュアルな幼時の親密さに回帰していくエンディングに、特集テーマにはそぐわない作品選出のようにも感じた。 | |||||
by ヤマ '24. 7.15~18. スカパー衛星劇場録画 | |||||
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