『奇跡の人』(The Miracle Worker)['62]
『愛は静けさの中に』(Children of a Lesser God)['86]
監督 アーサー・ペン
監督 ランダ・ヘインズ

 今回の合評会の課題作は、障碍を持つ人のコミュニケーション能力の開発に携わる指導者を描いた映画のカップリングだった。

 先に観た『奇跡の人』は、十代の時分にTV視聴した覚えがあるが、それ以来の再見だから、半世紀ぶりとなる。サリヴァン先生は、アン・バンクロフトだったのかと思った。当時、タイトルの奇跡の人は、三重苦のヘレン・ケラーのことを言っていたような気がするが、映画を観てそれは、ヘレン(パティ・デューク)よりも、よほどサリヴァン先生のほうだと思った記憶がある。今回再見して、原題からすれば、まさしくそうだったのだと合点がいったが、当時は、まだ原題への関心など持ち合わせていなかったから、今頃、原題で示されていたことに気づいた次第だ。

 サリヴァン先生の従うだけでは駄目だ。世界に目が開かれていないとの言葉は、非常に重要だ。反応・呼応ができていても、意味を掴んでいなければ、理解したことにならないというのは、教育と学習における最重要点なのだが、この真理が蔑ろにされ、むしろ考える力を奪われたマニュアルに従順な人々を輩出することに熱心な、校則教育が学校教育の主流になって久しい気がしている。

 政治屋や組織の権威主義者たちにとっては、それが都合がいいからということなのだろうが、我が国の地盤低下の真因は、ここのところにあるような気がしてならない。行き過ぎた管理教育のもたらす人材育成力の低下を懸念し、自ら考える力を育む“ゆとり教育”に文科省が舵を切ったことに対して、かつての学生運動の亡霊を妄想したかのように、いわゆる保守勢力と称する権威主義者たちが一大ネガティヴ・キャンペーンを張って“ゆとり教育”潰しをして管理教育を推し進めてきたこと(一大キャンペーン化の背景には、教育現場での君が代斉唱・日の丸掲揚の徹底問題の影が差していたようにも感じている)のツケが今に及んでいるように思う。

 ともあれ、断片として記憶していた数々のことが、ある種の閃きとともに一気に意味を持って繋がってき始めたときの世界が開けた感覚を「ウォーター」によって指し示した場面は、やはり名場面という外ないと改めて思った。人が言葉を手に入れることの意味と喜びを雄弁に語っていたように思う。着任早々のサリヴァンに対して、三重苦を負いながら鮮やかに彼女を出し抜き閉じ込めたことや母ケイト(インガー・スヴェンソン)が生後半年で「ウォーター」と口にし始めていたと語っていたことなどから、ヘレンの頭の良さをいくら確信していたにしても、暗中模索どころではない手に負えなさに立ち向かっていったサリヴァン先生の意志の強固さに恐れ入った。

 障碍を乗り越えないと人間扱いされないことを肌身で知るとともに、そこを脱してきた経験に裏打ちされた確信だからこそ揺るぎがなかったのだろう。人間扱いされない暮らしから救うことのできなかった弟ジェームズの代償としてヘレンに臨む思いにも支えられていたことが描かれていた。

 それにしても、アン・バンクロフトとパティ・デュークのまさに格闘と言うべき熱演が素晴らしかった。一方で、大声で怒鳴り散らしてばかりいる権威主義者の父親アーサー(ヴィクター・ジョリー)を対置していたことの意図はわかるものの、いささか小煩かった気がしなくもない。


 翌日観た『愛は静けさの中に』は、『コーダ あいのうた』['21](監督 シアン・ヘダー)を観た一年半前のメモにマーリー・マトリンを観るのは、『愛は静けさの中に』以来だから三十五年ぶりになる。あのときのサラは実に美しかったことを思い出すとともに、作品的にも本作を上回っていたような気がした。再見してみたいものだ。と記していた作品だ。『奇跡の人』とのカップリングで合評会の課題作に上がったことから、公開時に『夜霧のマンハッタン』との二本立てで観て以来の三十六年ぶりの再見となった。

 劇中において「沈黙の世界」と「音の世界」という言葉を使った対照を提示しつつ、異なる世界に住む者同士が結びつくことの困難と素晴らしさを描き出して、いわゆる啓発的な障碍者映画ではなく、普遍的な恋愛映画に結実させていることに、当時、非常に強い感銘を受けたものだった。健聴者と聾啞者ほどに歴然とした違いではなくても、恋愛というもの自体が、異なる世界に住む者同士がいかにして結びつくかを求め合うものであるということに何ら変わりはなく、約束を交わして待ち合わせ、会って睦み合うことに飽き足らず、生活を共にすることで“世界を共有”したくなるなかで出くわす困難については、誰しもが大なり小なり、ジェームズ・リーズ(ウィリアム・ハート)とサラ・ノーマン(マーリー・マトリン)が直面したようなものと同じものに出くわすわけで、そこにそう大きな違いはないのだと思わせてくれる運びが見事だった。

 田舎の聾唖学校に赴任してきた型破りの発語教育者のジェームズが愛聴するバッハを、ヘレン・ケラー同様に並外れた頭脳を持ちながら活かせぬままに、五歳の頃からずっと寄宿生活を続けてきて今は清掃員として勤めるようになったと思しき聾唖者のサラは、聴くことができないわけだが、同じ音源のバッハを聴いたとしても、その響きをどのように聴いているかは人それぞれ違っていて、全く同じバッハの世界を共有しているカップルなどいたりするはずがないのだ。二人がデートで観ていた映画『お熱いのがお好き』にしてもそうで、同じ映画を観ていても全く同じ映画世界を共有しているわけではない。そのうえでの、世界の共有とは何であり、結ばれるとは何かを描いているところが、実にいい。

 また、三十六年ぶりに再見したところ、オープニング・クレジットにパイパー・ローリーの名が映し出されて吃驚した。初見当時、僕はまだハスラーを観ていなかったので、彼女の演じたサラを知らなかったけれども、今やお気に入り映画となっている同作での彼女の役名がサラであることを覚えていたから、これまた記憶にあった『愛は静けさの中に』のサラの役名と重なって、サラの映画にハスラーのサラが出ていたのか、と驚いたのだった。サラ・ノーマンの母親を演じて、奥行きのある流石の人物造形だった。

 ポーカーの夜を思い出すまでもなく、並外れた頭脳を持ちながら活かせぬままに、やり場のない怒りを鬱積させているサラと、夫が去ったのは娘のせいだとの思いが拭えず、娘に責を求めるのは筋違いだとわきまえつつも慈しむことができなかったことへの自責を抱えている母、両女優とも迫真の演技だったように思う。


 合評会では、サラが夜のプールで全裸になって泳いでいたシーンについての話が面白かった。音が聞こえなくなる水中がサラの“沈黙の世界”の表象だという趣旨の発言があったのだが、僕も同感で、二回登場するところが重要だ。敢えて全裸で泳がせているのは、それこそが生まれたままの素のサラの世界であることを意味しているからで、最初に、サラの世界の表象であることを提示したうえで、二度目にはジェームズが服を着たまま入水してきたのをサラが水中で脱がせて抱き合う場面として現れる。ジェームズから発語練習への挑戦を促されることが、己が音のない世界から、健聴者の「音の世界」への強引で一方的な引き出しだとしか受け取れなくて頑迷に拒んでいたサラにとって、ジェームズがこちら側の世界への歩み入りを厭わない人物であることを認知し、彼を受容するようになったことを示す非常に重要で美しい場面だ。

 ジェームズがサラに惹かれていく過程の描き方に物足りなさを感じたという意見もあったが、恋愛映画にありがちな一目惚れのようなものから始まったと受け取っている僕には、違和感なく観られた。サラを知れば知るほどに彼女の潜在能力の高さに瞠目し、己が自負する発語教育で世界を広げてやりたい気になりつつも、おいそれとは手に負えない気高さがあって、それにも魅了されていったような気がする。それに加えて、過酷な体験の告白を受け、ここで引いたら金輪際、心を開けなくなる傷を彼女に負わせることになるかもしれないのが怖かったということもあったような気がする。もはや一蓮托生の掛け替えのない相手を運命として得たような気にもなったのではなかろうか。ジェームズが自分の住まいに引越してくるよう求めたのは、そういうことだろうと思っている。

 そして、ジェームズ・リーズ先生にしてもアン・サリヴァン先生にしても、手探りとしながらも己が教育メソッドに対する揺るぎなき確信と自信のほどに感心する声があがった。途轍もないハードルを越えさせようとする指導者に求められるタフさなのかもしれない。メンバーからの話では、実際のアン・サリヴァンは当時、二十歳くらいの若さで学校を出たばかりだったそうだ。自身の障碍者としての体験が活かされているにしても、驚くべき偉業だと改めて思った。まさしく“奇跡の人”だという気がする。演じたアン・バンクロフトも劇中で学校を出て間もないということを言っていたような気がするが、さすがに二十歳そこそこには見えない貫録だった。メンバーによると、当時三十路に入ったばかりだった気がするとのことで、『卒業』['67]のときでも三十路半ばだったそうだ。ミセス・ロビンソンの貫録は、とても三十代ではなかったような覚えがあり、驚いた。




*『奇跡の人』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/5862033720562829/


*『愛は静けさの中に』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/5862902763809258/
by ヤマ

'23. 7.11,12. DVD観賞



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