『全裸監督』(The Naked Director)
監督 武正晴【総監督】、河合勇人、内田英治

 映友からの強い勧めもあって禁断のネット配信に手を染めてみた。無料体験1か月の罠に嵌まるのが癪な気がしたが、どうやらその心配はなさそうだ。やはり妙に気が散って、集中できない。デスクトップパソコンのファンの音が気になり、途中からスピーカーをイヤホンに切り替えたが、音的には良くなったものの、耳障りが煩い。せっかくだから、体験期間中は渉猟するだろうけれども、1ヶ月後にはおさらばすることにした。映画過疎地の地方都市に住んでいるから、これまで観られなかったような作品が観られるのは嬉しいのだが、せっかく観ても、きちんと観たような気がしないというのもまた哀しいものだ。

 それはともかく、八年前に観たYOYOCHU SEXと代々木忠の世界['10]にも登場していた村西とおる監督作品は、ほとんど劇場公開されたものがないから、代々木作品と違って、僕は一作も観たことがない。だが、第1話でのヒッチコックの死を報じるショットが示していた'80年は、ちょうど僕が学生生活を終え、東京を引き払い郷里に戻った年だから、最終第8話で平成の始まりを告げていた'89年までの十年間は、若かりし日々を同時代として過ごし、目撃してきている昭和末期だ。ビニ本も裏本もエロビデオも買ったことはないけれども、見分したことはあるし、輸入雑誌の秘所の塗り消しがマーガリンで取れるという都市伝説が僕の耳に届いたのは、中学二年のときだったような覚えもある。そのせいか、懐かしさと違和感の交錯するなかなか興味深い観賞となった。そして、むかしの歌舞伎町の猥雑さを偲ばせるセットの見事さに大いに感心した。

 その同時代感からすると、村西とおる(山田孝之)という人物は、もっとずっと胡散臭いヘンな“おっさん(相棒トシ(満島真之介)がそう呼んでいた)”なのだが、本作では、異端の好漢とも呼ぶべきヒロイックな人物造形がされていた。だが、ドキュメンタルな違和感をさて置いてフィクショナルな劇中人物として観れば、山田の好演もあって、侮れない魅力を放っていたように思う。ウシジマくんなどよりも、ずっと嵌っているように感じた。

 村西と比べると黒木香は、演じた森田望智の熱演もあって、かなり本人のイメージに近かったけれども、いかんせん圧巻のインパクトは、往時の彼女には到底及ばない気がして、少々物足りなかった。テレビ番組でしか観たことがなく、『SMぽいの好き』さえ未見なのだが、現役国立大生を標榜して艶然と微笑み、訳の分からない脈絡で猥語を発しているこの女性は一体何者なのだろうと、唖然としながらTV画面を観つつ強く惹きつけられたことを覚えている。

 それにしても、昭和の時代のロマポと違って、令和の時代の18禁は、すっかり女性仕様だと改めて思った。メイクの順子(伊藤沙莉)の配置の重要さは、単にドラマとしての展開上の問題だけではないものがあるように感じられたし、何よりファックシーンの描き方に大きな違いがあるように感じられる。村西現場のフェミニン色を強調した演出とか、猥褻図画業界の変遷を描きながら、一世を風靡した企画ものAVをほぼ無視してスルーし、キワモノ色を黒木香の部分のみで触れて尚且つ女性の自己決定の問題に特化させる形にして描いたところとか、三田村(柄本時生)と奈緒子(冨手麻妙)の関係の描き方だとか、本作に女性からの支持が集まるのも道理だという気が改めてした。バブル期のあだ花として開花した狂乱感があまり伝わってこず、とてもマイルドでソフィスティケートされている感じを受けた。昭和末期を描きながら、白石和彌監督作品が志向したものと、ちょうど逆方向にあったように感じる。

 川田(玉山鉄二)を交えた村西とトシの絆と別離を描いたバディムービーとして作られているのも、おそらくその女性市場を意識した作品づくりに由来するのだろう。それはともかく満島真之介は、これまでに僕が観たなかでのベストアクトだったような気がする。大いに感心した。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1972698723&owner_id=1095496
by ヤマ

'19. 9. 6~7. Netflix配信ドラマ全八話



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