『世界で一番美しい少年』(The Most Beautiful Boy In The World)
『オードリー・ヘプバーン』(Audrey)
監督 クリスティーナ・リンドストロム&クリスティアン・ペトリ
監督 ヘレナ・コーン

 当地では奇しくも「世界で一番美しい少年」と「世界で一番愛らしい婦人」のカップリング上映的な感じで同時期に劇場公開された妙味も手伝って、たいへん興味深く観た。先に観たのは、スウェーデン映画の『世界で一番美しい少年』だ。

 僕が『ベニスに死す』['71]を観たのは、大学進学で上京した四月の早稲田松竹での『愛すれど哀しく』['71](監督 マウロ・ボロニーニ)との二本立てにおいてだった。破格の傑作だと聞き及んでいたことが災いしたのか、余りの退屈さに仰天したこととスウェーデン生まれのビョルン・アンドレセンの名前だけが強く残っていた。やたらと白っぽい映画で長尺だった気がしていたが、確認すると二時間余くらいだ。

 上京した春の一四半期に僕がスクリーン観賞した映画は、手元のメモによれば、順に『タワーリング・インフェルノ』『ベニスに死す』『愛すれど哀しく』『田園に死す』『祭りの準備』『ひまわり』『映画に愛をこめて アメリカの夜』『ペーパーチェイス』『…YOU…』『あいつと私』『遺書 白い少女』『エデンの海』『四畳半襖の裏張り』『ウッドストック』『SOUL TO SOUL/魂の詩』と当然ながら、あの頃感満載なのだが、それらのなかでも一際、強い印象を残していて、何故これが傑作と持て囃されるのか不思議でならなかった覚えがある。

 それは、ビョルンの演じたタジオに魅せられなかったことが一番の原因かもしれないと本作を観て思った。美しさよりも険のほうを感じたのではなかろうか。『ベニスに死す』によって時代の寵児となったことも加わり、数奇な人生を過ごした現在のビョルンのほうが、その抱えているであろう屈託を含めて、魅力的に映ってくるように感じた。

 それにしても、彼の持て囃され方が世界に抜きん出て日本で著しかったと聞くと、そう言えば、アラン・ドロンもそうだったなと、ヴィスコンティ好みの日本ウケを思わずにいられない。平安の光源氏の昔から日本女性たちにとっては、クールな気品ある美男好みが本流なのだろう。よくぞ掘り起こしたと思われるような録音音声やアーカイヴ映像を披露しつつ、謎めいたビョルンの来歴を見せながら、クリアさよりもモヤモヤ感を湛えた編集を施していたのは、まさにビョルンが彼自身の来し方に対して抱いているものを表しているような気がした。ところで、歳の離れた恋人イェシカとの関係は、結局どうなったのだろう。娘や妹との関係が良好なのはよく判ったが、そのあたりも妙にモヤモヤしている。

 折よく、十代時分に『ベニスに死す』を観て退屈したという映友女性から、四十路に入って再見し、ビョルンの美しさに驚愕して圧倒されてしまい、そうか、内容なんか解らんでもいいのかと、勝手に納得しましたと教えてもらったが、確かに「内容なんか解らんでもいい」というコツを覚えると、映画の楽しみがグンと広がるという実感が僕にもある。その点では、かなり早い時期に『旅芸人の記録』で僕にそれを教えてくれたアンゲロプロス御大に感謝だ。それで言えば、僕にとってルキノは、テオに及ばずということになると納得した。

 彼女からはビョルンは、二回目は美しいと思いましたよ。でも人として血が通う感じがなく、剥製っぽい感じ?そういう演出だったんでしょうね。とのタジオ剥製説も伺い、可笑しかった。成程、本作でもヴィスコンティが三年契約でビョルンを拘束していたという執着ぶりを語っていたように思う。叶えられるものなら、ヴィスコンティは本気で剥製にしたかったかもしれない。オーディションで、速攻、服を脱がせにかかって“世界で一番美しい少年”を困惑させていた。


 翌日観た『オードリー・ヘプバーン』については、還暦を過ぎている僕は、オードリー・ヘップバーンの名のほうで親しんでいるが、いつからヘプバーンのほうが使われるようになったのだろう。十年前にオードリーの好きな先輩に「マリリンは好きだけど、オードリーは…」などと言っていたら、「キミは女がわかってない!」と『昼下がりの情事』['57]と『シャレード』['63]を渡された。それを観て綴った映画日誌観てみて思わぬその肉食系ぶりに意表を突かれたと記してからは、それなりに何作か観ていて、マイ・フェア・レディ』['64]の映画日誌には、映画としては『ローマの休日』か『昼下りの情事』だろうけれども、僕が最も気に入ったオードリーとなると『ティファニーで朝食を』のモリーだったような気がする。と記しているけれども、彼女については映画作品を通じて知るところ以外には、ほとんど何も知らないままだった。

 だから、息子のショーンの言っていた“ビロードの手袋のなかの鉄拳”のような“闘う人”だったという証言や、孫娘のエマが涙していたあれだけ世界中の人に愛されながら、本当は愛に飢えた人だったのが悲しいという言葉に驚くとともに心打たれた。自らの演技について衣装がカヴァーしてくれていたと語る謙虚さと共にある着こなして見せる力への自負のなかに、歌にも踊りにも全霊を掛けて挑み、大スターの地位を得ながらも黄金の十年を育児のほうに注ぎ込むような意志の強さを備えた“闘う人”を観るとともに、両親からの愛を実感できずに育った心の傷が癒えないまま離婚を繰り返した“愛に飢えた人”を感じた。そして、目を見開いたまま盲目の女性を演じて実に見事だった暗くなるまで待っての演技を生み出したのも、その意志力と鍛錬の賜物だったのだろうと得心した。

 後年、ユニセフの親善大使になって活動していたことは知らぬではなかったが、その背景については知らなかったし、彼女の精力的な宣伝活動によってユニセフの認知と支持が高まり、その規模が数年で二倍にも拡大したとは驚いた。癌で亡くなる前年の1992年のクリスマスが今までで一番幸せなクリスマスだったと語っていたから、幸いなる人生だったのだろうが、享年が今の僕より一歳下の六十三歳というのは惜しまれると改めて思った。三十二年前に観た遺作となるオールウェイズ['89]での天使役は、僕の記憶では、もっと歳がいっていたような気がしてならなかった。彼女の主演作で未だ片付けていない宿題作『尼僧物語』『おしゃれ泥棒』『いつも2人で』も、そろそろ済まさなくてはと思った。




『世界で一番美しい少年』
推薦テクスト:「平林 稔さんのfacebook」より

『オードリー・ヘプバーン』
推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-f55394.html
by ヤマ

'22. 5.18. あたご劇場
'22. 5.19. TOHOシネマズ8



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>