『オールウェイズ』(Always)
監督 スティーブン・スピルバーグ


 何とも Dreamy で Heartful な佳作である。スピルバーグ監督の作品は、もう駄目なんじゃないかと思っていたのだが、この作品で認識を改めることにした。見せ場をふんだんにあしらったSFや冒険活劇で成功したスピルバーグが本格的な劇映画として取り組んだカラー・パープル『太陽の帝国』は、場面の持つ力や画面の魅力で感心はさせても、イメージの連続性や物語性の欠如という劇映画にとっては致命的な欠陥によって、目には鮮やかなものの中身は空疎という情けない作品になってしまっていた。この作品は、いわゆるシリアス・ドラマや心理劇としての本格的な劇映画ではないが、彼の作品のなかでは、初めて登場人物がいわゆるキャラクターとしてではなく、人間としてのリアリティを持った存在として描かれている。

 生前の記憶を持つ死者が、その妻もしくは恋人のその後の人生に関わるという映画には、最近の『ワン・モア・タイム』、少し前なら『キス・ミー・グッバイ』とか『未亡人ドナ・フロールの理想的再婚生活』などがあるが、いずれもその超現実的な設定のせいか、コメディの題材としてそれを使っていた。しかし、この作品では、そのような設定が、人間のコミュニケーションとか関係性とかいうものに向ける真面目で暖かな眼指しの率直な表明のために使われている。そこには、天使と死者の違いはあっても、眼には見えない傍らの存在という点や作品の主題からすれば、むしろベルリン・天使の詩に近いものがある。人類とか歴史性といったマクロな視点を明確に打ち出した分、『ベルリン・天使の詩』が、大きなスケールと深みはあっても、観念的で少し肩に力の入り過ぎた構えた作品になったのに比べ、『オールウェイズ』は、スピルバーグの得意とする演出にふさわしい、情緒的で親しみやすい作品になっている。

 それにしても、見せ方の達者さは、流石にスピルバーグである。冒頭の誕生日のプレゼントのシークェンスだけでピートとベリンダの人となりとその関係を視覚的に楽しませつつ、簡潔に過不足なく的確に描いたところや中盤の想い出の曲と衣裳でベリンダが独り踊る、一言の科白もない情感たっぷりのシーンが印象深い。しかし、何といっても圧巻なのは、終盤のベリンダの消火飛行の場面である。得意の畳み掛けるようなスピード感とスリリングさでアクション・シーンを展開しつつ、震えるような官能性とエクスタシーにも似た深い一体感を表現し得たのは、他に例のないことではなかろうか。霊のピートと生身のベリンダの、生前には持ち得べくもなかったこの体験は、セックスにも似た深い一体感を感じさせ、なおかつ性的一体感以上の至高の共感をもたらしたのである。だからこそ、ピートにしてもベリンダにしても、漸く過去を過去とし、新たなる第一歩を確実な歩みとして踏み出せるようになる。

 その意味で、ラストの顛末が説得力を持つかどうかは、この場面でそういう深い一体感が表現できるかどうかに掛かっていたのだが、この最大の見せ場が余りに上手くできたためか、映画ではその勢いのまま二人の絆がより強固な永遠のものとして、即ちピートとベリンダが霊と霊として再び出会う形に展開していきそうな気配すらあった。実際、スピルバーグは、その誘惑に駆られたのではなかろうか。その痕跡が作り手の迷いとして散見されたような気がする。

 しかし、賢明にもそうはしなかった。それをしてしまえば、折角この題材を使って人間のコミュニケーションや関係性に向けた眼指しが、最後にはお定まりの至上の愛への賛歌のようなものになってしまって、台無しになるところである。そうはしなかったからこそ、甘くて爽やかな、何とも Dreamy で Heartful な余韻の残る作品になったのである。




参照テクスト:【拙稿】デート・ムービーの条件をすべて備えた「オールウェイズ」
夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/5631/toybox/date/date10.html
by ヤマ

'90. 4.17. 東宝2



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