『ティファニーで朝食を』(Breakfast at Tiffany's)['61]
監督 ブレイク・エドワーズ

 先ごろ観たばかりの慕情』['55]や『愛情物語』['56]鉄道員』['56]と同様に本作もまたヘンリー・マンシーニによる音楽♪ムーン・リバーが耳に馴染みながら未見だった宿題映画なのだが、タイトルの「ティファニーで朝食を」が、よもやショーウィンドウを覗きながらの立ち食いだとは思いがけなく、すっかり意表を突かれた。数日前に観たばかりのファニー・フェイスパリの恋人】['57]もかなり変な話だったけれども、それ以上に現実離れしたファニー・ストーリーだったように思う。母音が違うからティファニーというのは、そこからきているわけではなさそうだが、ともかく呆気に取られながら観ていた。

 健気な娼婦ということでは、同年作品のハスラー』['61]のサラ(パイパー・ローリー)のほうにより心打たれるけれども、さればこそ、ハリウッドの大物らしきO・J・バーマン(マーティン・バルサム)の評する変な女で、とんだ食わせ者だが、純粋で魅力があるとのホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘップバーン)の“籠の鳥”になりたくないと突っ張って“ネズミ”どもを漁る野良猫のような生き方のなかに、決して荒まない個性を見事に体現していたオードリーに唸らされた。このホリーでもルラメイでもないわと語る名無し猫を演じて、浮世離れをした魅力を発揮できるのは、確かに彼女のほかにはマリリン・モンローしかあるまいという気がしてならなかった。

 本作でも夫のドク・ゴライトリー(バディ・イブセン)から痩せ過ぎを心配されていたように、僕は痩せっぽちのオードリーよりも断然マリリン派で、大型のフィギュアを入手するほどのオードリー・ファンの先輩映友とは陣を違えているのだが、ブルーな憂鬱よりも辛い不安に見舞われて、レッドなときに口ずさむというムーン・リバー♪を弾き語るオードリーには、マリリンの歌以上の味わいがあるように感じた。自由気儘なようでいて、どこか切羽詰まっていて痛々しくもある、だらしなくも律儀な女性像の造形は、未読の原作小説の著者トルーマン・カポーティ以上に、オードリー・ヘップバーンなのではないかと思えるほどに息づいていたような気がする。

 それにしても、富裕マダムのツバメ暮らしに落ちぶれている挫折作家と、盗み食いをするしかなかった14歳のときから今に至る苦境にある裏稼業の夢追い女の“似た者同士のはしたない純愛”を、遊び半分の万引きまでさせても無垢に映る人物像として描き出し得ていることに、いささか恐れ入った。そして、フレッドではないポール(ジョージ・ペパード)のタクシーでの熱弁に、なかなか説得力があって感心した。ポールが再び書き始めたことを知る前述の弾き語り場面がおそらくファン垂涎の本作随一の名場面なのだろうが、この最後の場面と二度にわたる図書館の場面が、僕はとても気に入っている。




推薦テクスト:「映画ありき」より
https://yurikoariki.web.fc2.com/breakfastattiffanys.html
by ヤマ

'20.11.19. BSプレミアム録画



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