『DUNE/デューン 砂の惑星』(Dune: Part One)
監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ

 十年近く前に観たデヴィッド・リンチ版['84]は映画日誌にしていないけれども、これかぁと思いながら、遂にDVDで観てしまった。10191年だったっけかな? とんでもない未来ながら中世的な禍々しさがいかにもリンチっぽかったが、そもそも10191年が西暦かどうか判ったもんじゃない(笑)。サイドウェイのヴァージニア・マドセンやら、マックス・フォン・シドーも出てたんだなぁ。おぉおぉ、これがナウシカのオームの元にもなったとの砂虫かぁなどと思いながら、けっこう楽しく観た。とのメモが残っている。

 オープニングクレジットのタイトルに「PART ONE」とあったから、二時間半の長尺でもこれで完結するわけではないことを承知していたけれども、それにしても緩やかに過ぎる展開に少々倦んできたりもしていた。だが、その緩慢さが次第にスケール感に繋がってくるようなところがあって大いに感心した。映像のスケール感は、やはり流石だと思った。ドゥニ・ヴィルヌーヴ作品は、灼熱の魂ボーダーライン『ブレードランナー 2049』と観てきているけれど、すべての偶然は、因果の渦によって結ばれた必然であるかのような世界観を窺わせ…ショットなどの感覚に観慣れぬ新鮮さを覚えた『渦』から二十年、これで三時間近くというのは長過ぎなんじゃないだろうか…些か勿体ぶった展開に少々倦んだと感じた前作『ブレードランナー 2049』からすると、「PART TWO」が大いに気になる造形を果たし得ていたように思う。

 また、デヴィッド・リンチ版で、どのように描かれていたか記憶にない事柄ながら、砂の惑星の特産物たる「香料」はもろに石油ではないかと呆気に取られていたら、アトレイデス家のレト公爵(オスカー・アイザック)の今わの際の最後っ屁ならぬ毒煙で瀕死の状態に陥ったハルコンネン家のウラディミール男爵(ステラン・スカルスガルド)が毒抜き治療のために浸かっていたのが真っ黒い原油そのもののような液体を溜めた浴槽で、思わず笑みが零れた。ハルコンネン一族にはISやタリバンのイメージが投影されているような気がしたのだが、さすればフレメンというのは、正統ムスリムということになるのだろうか。

 ところで、飲むにしても混ぜるにしても血で贖う誓いというのは、西洋にも東洋にもあるような気がするけれども、唾液で贖う誓いなどというものが地球上に実際あったりするのだろうか。なんだか可笑しく、ブニュエルの自由の幻想で描かれていた会食と排便の逆転エピソードのことを思い出した。アトレイデス家の長男と思しきポール(ティモシー・シャラメ)には、フレメンとの並々ならぬ因縁が目の色の変化からしてもありそうだが、ということは、異能者の母レディ・ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)がフレメンの出身だったりするのかもしれない。

 よもやPART ONEでは一切姿を見せないまま終わるんじゃないだろうなといささか心配になってきていた砂虫の姿は、終盤になって流石に現れて一息ついたが、物語的には、まだまだこれからを観てみないと何とも言えない気がした。また、エンドロールを眺めていたら、シャーロット・ランプリングの名が現われて驚き、どこに出ていたのだろうと思い返すと、やはりポールに試練を課していた教母のほかには考えられないだろうなどと思った。
by ヤマ

'21.10.21. TOHOシネマズ5



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