『ボーダーライン』(Sicario)['15]
監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ

   ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品は、十八年前に観た['00]にしても、八年前に観た灼熱の魂['10]にしても、一癖も二癖もある映画だったので、本作も気になりながら、当地では公開されず宿題になっていた作品なのだが、案の定、一筋縄ではいかない映画だった。

 世の中が単純な善悪で割り切れるものではないことは百も承知ながら、本作に描かれたアウトローの世界で、是認ないし容認できることとできないことのボーダーラインは、どこに引けばいいのか、大いに悩ましかった。

 国境を跨いで侵入してくる巨大な麻薬組織の撲滅を指揮するマット(ジョシュ・ブローリン)が、作戦遂行のために引き抜いたFBI捜査官ケイト・メイサー(エミリー・ブラント)に対して、結婚しているか、子供はいるかと、当節ではセクハラだと騒ぎ立てられそうな質問をするのだが、そういったレベルの人権感覚など及びもつかない凄絶な世界だった。思えば、フアレスという悪名高き街の名を知ったのは、十一年前に観たボーダータウン 報道されない殺人者['06]だったが、今は、いったいどういうことになっているのだろう。2015年の本作時点で街中の至る所に“奇妙な果実”がぶら下がっている都市というのは、さすがに絶句するほかない。

 普通の映画だったら、敏腕捜査官としてケイトが活躍しそうな設えなのだけれども、本作では観ていくにつれ、どんどん彼女の役立たずが際立っていき、最後にはアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)から、「狼の街には住めないのだから、法秩序の残っている小さな町へ帰るんだな」と引導を渡される始末だった。そんな彼女には、配偶者も子供もおらず、“嘆きの検事”アレハンドロには惨殺された妻娘があり、麻薬組織の片棒を担いで呆気なく殺される警官のシルヴィオにも、組織の大ボスであるファウスト・アラルコンにも妻と息子がいて、生活を背負って悪行に励んでいるという設えが効いていたように思う。そう言えば、アレハンドロが久しぶりに会った昔の同僚に子供の住処を質し、フアレスとは違う街にいることを確かめている場面も配されていた。

 犯罪による非合法経済活動であれ、合法的な経済活動であれ、手段を択ばぬ競争市場主義のもとに強者の論理で搾取を重ね、極端な格差社会を作り出すと、どこであっても大なり小なりフアレスのような街になると言っているわけで、“殺し屋”を意味するというシカリオを原題とする本作は、暗に強欲資本主義のことを指しているような気がしてならなかった。直接的には、徹底した非合法報復活動に対して合衆国法に準じた合法捜査活動であることを証する署名をケイトに強要して、彼女の誇りと自負を打ち砕き、FBI捜査官として命運を尽きさせたアレハンドロのことを指しているのだろうとは思うのだけれど、一筋縄ではいかないのが持ち味の作品なれば、そのように解するのが相当なのだろう。

by ヤマ

'20.12. 8. BS12録画



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